触れた手に吸い付くような滑らかで柔らかい羊革のバッグ。表面は肌理(きめ)が細かくつんでいて、持ち上げた手に軽い。縫い目も一針ごとに丁寧に糸が通り、美しい仕上がり。使われている皮革は世界最高級と評されるエチオピア産シープスキンだ。
企画とデザインをしたのが「andu amet (アンドゥ・アメット)」を起業した代表取締役の鮫島弘子さん、製作はエチオピアの職人たちである。エチオピアで人気のフレッシュ・ジュースをモチーフにデザインした“ビッグ・ハグ”と名づけられたバッグのお値段は、約10万円。長期デフレ経済の日本で安値競争に慣れてしまった身には、驚くほど高価だ。それでもオーダーは増える一方で、今日注文しても手に入るまで1年半も待たなくてはならない。
今なぜ、エチオピアの素材で現地生産し、高価なバッグを作るのか。鮫島さんにandu amet(アンドゥ・アメット)にかける思いや、バッグ作りを通して見えてきたアフリカでの日本のプレゼンスなどについて語っていただいた。

日本発、”MADE IN AFRICA”のハイブランドを創りたい

――エチオピアの羊皮だそうですが、なぜこれを素材として選びましたか。

鮫島弘子氏鮫島 エチオピアに最高品質なシープスキンがあることは、青年海外協力隊として赴任したときに、現地で知りました。フランスやイタリアなど、欧州のラグジュアリー・ブランドの高価な革製品に多く使われています。しかし、なめした革の状態で輸出されているので、世界最貧国の1つといわれるエチオピア国内にはなかなか利益が落ちません。それを見て、何かがおかしいと思いました。

赴任した当初は、エチオピアの圧倒的な貧困に衝撃を受けることばかりでした。数メートルおきに行き倒れている人がいても、日常的に見られる光景として誰も助けようとしません。援助慣れして、働かなくてもいくばくかのお金が入ってくるので、何もしようとしない人がいることにも困惑しました。これではいつまで経っても貧困のスパイラルは止まらない。そんなエチオピアの現実を良くするために、デザイナーである自分に何かできないかと思いました。

そのためには、どうすべきか。せっかく世界最高品質のシープスキンといわれる素材が目の前にあるのだから、技術を提供し、デザインを洗練させれば、厳しい選択眼を持つ日本の消費者にも「良いバッグだ」と評価され、買っていただけるようになるだろうと考えました。日本のお客様は、丁寧なものづくりで知られる日本製品の品質を当然のものとして享受し、世界中の一流品もたくさん知っている。マーケットとしてのハードルは高いけれど、日本で認められればきっと世界でも一流品に伍していけるものと確信しています。

――途上国を旅行するとTシャツからバッグまでいろいろ売られています。その時は記念にと買っても、結局加工や縫製が悪くて使わなくなってしまいます。こういう現地産の品質を変えたということですか。

鮫島 エチオピアの良い材料を安く買って、アジアなど他の国で丁寧に縫製して製品化し日本で安く売るというなら、他のファスト・ファッションのメーカーでやっていることと同じです。それではエチオピアは永遠に資源輸出国でしかなく、職人もデザイナーも育ちません。当社が目標としているのは、素材の良さが活かされたデザインをもとに、エチオピアの工房に技術を移転し製造を行い、輸出することです。このやり方を頑に通したので、エチオピアの優秀で情熱を持った革職人さんたちと知り会うことができ、彼らに誇りを持ってものづくりに取り組んでもらえるようになりました。

――原産地に正当な利益を確保する、という姿勢はフェア・トレードと同じように思えますが。

鮫島 フェア・トレードの思想には、私も共感しています。ただ、フェアであるというのはブランドとしては、本来あるべき当然の姿。「andu amet (アンドゥ・アメット)」は、デザインも品質も最高峰を目指し、現地の職人さんたちが誇りを持って仕事に取り組める「世界一流ブランド」でありたいと考えています。

大量生産・大量消費とは違う路線を目指して

東京に生まれ、絵を描くのが大好きな普通の女の子だった鮫島さん。同級生とちょっと違うところがあるとすれば、小学生の頃に父親の仕事で戦時中のイランに暮らした経験があったことか。外国語を覚える、途上国で暮らすという、困難を自然に受け入れる力が身についていたのかもしれない。

学生時代は現代美術を学び、デザイナーとして化粧品会社に就職した。そこでは商品企画からプライシングなど、商品が世に出るまでの一連の仕事を経験することができた。しかし、シーズンごとに数多くの新商品を作り続けることに、疑問を感じるようになった。「大量生産し、大量消費されるもの作りに疲れ、もっと自分のペースで納得がいくまでじっくりと取り組める仕事がしたいと思うようになったのです」。

だが、どういう仕事にデザインを活かしていけばよいのか。悩んで悶々としているとき、青年海外協力隊のことを知った。デザイナーという職種で、途上国へ派遣されることも知った。迷わず退職して、協力隊に応募、派遣が決まった。行き先はエチオピアだった。

エチオピアの様子エチオピア連邦民主共和国。アフリカ最古の独立国で、面積は日本の約3倍。人口はおよそ9,000万人。王制、社会主義を経て現在の政体になってまだ20年ほどの国だ。美しい歴史や文化を持つ一方、 “世界の最貧国の1つ”といわれ、経済はアメリカなど外国からの援助と、コーヒーや穀物などの農業に依存している。しかし、皮革産業は可能性が大きく、この分野での工業化が期待されている。

――赴任してすぐに、今のビジネス・プランが描けましたか?

鮫島 いいえ。意気込んで行ったのですが、私が派遣されたのは援助漬けになった政府系組織。こちらが対等に仕事をしたいという想いを伝えても、理解してもらうのに一苦労でした。

そんな中で自分なりに現地の産品やデザインなどをリサーチしていく中で、エチオピアの革が世界に誇る品質であることを知りました。畜産もエチオピアの重要な産業なのですが、皮革として使われるのは家畜の3割くらい。そのうち特に上質な革は欧州の高級ブランド向けに輸出されています。地元には革はあるのにデザインがいまいちで、加工技術がないため、海外で売れるようなものを作ることができなかった。

エチオピアでのファッションショーの様子そこで考えて、仲間と一緒にファッションショーを開催しました。若い日本の女性2人が、エチオピアの素材を使い、現地で受けた印象を衣服や靴などのファッションで表現する、というショーです。夢中になってデザインし、地元の職人さんたちに手伝ってもらって製作し、モデルもやってもらい、大評判になりました。手伝ってくれた彼女たち、来てくれた多くの方々が、目を輝かせて食い入るようにショーを見る様子を見て、私のやりたかったのはこういうことだ、と確信しました。

ものに込められたストーリーを楽しむのがラグジュアリー

エチオピアの羊皮を使って、自分がデザインし、エチオピアの職人たちにハンドメイドで製作してもらうという「andu amet(アンドゥ・アメット)」のコンセプトはつかめた。しかし、帰国した鮫島さんはすぐに起業するのではなく、ある外資系ブランドに職を得る。有名ブランドのラグジュアリー戦略を、身をもって知るためだった。6年間かけて学び、2010年に退職して、その年の12月にエチオピアへ向かう。いよいよ「andu amet(アンドゥ・アメット)」を立ち上げるためだ。

――ふんわりと大ぶりで何でも入りそうな、不思議な魅力のあるバッグですね。

andu amet(アンドゥ・アメット)のバッグ鮫島 バッグはいつも持ち歩いて、一緒にいるもの、パートナーのような存在ともいえますね。だから一緒にいて幸せになれるものを作りたいと思いました。単にものを入れて運ぶための袋ではなく、手に優しくなじんで、幸せを持ち運ぶ自分の分身のようなもの。それが「andu amet (アンドゥ・アメット)」のバッグです。
このバッグを通して、日本のお客様が地球の反対側にあるエチオピアに思いを馳せ、愛着を持って長く使ってくださるよう、職人たちは心を込めて作っています。ものには1つひとつストーリーがあります。誰がデザインして、どこで作られ、どのような時代を経てきたか、それを楽しめる心の豊かさが、新しい時代のラグジュアリーなのではないでしょうか。

上質な素材を手に入れ手作りするために、注文いただいてからお届けできるまで時間がかかりますし、お値段も高くなります。それでも大変ありがたいことに、結果的にお客様は待ち時間も楽しんでくださっているようです。「半年前にオーダーしたものが今日、届きました。待っている間もとても幸せでした。これだけ待ったのだから、大切にします」というお手紙をいただいたこともあります。

大切に使っていただくために、修理の態勢も整えています。私の大好きな祖母が、「昔は直し屋さんにお願いして、何でも長く大事に使っていたのよ」と話してくれました。欠けた食器も金継ぎ屋さんが直してくれた、と。日本も欧米の国々も、昔は日用品を直しながら長く大切に使っていたのです。こういう良い習慣がなくなったのは、大量生産・大量消費とその後のデフレで、ものの価値がどんどん失われていってしまったから。どうせ安いのだからと大事にしなくなって、どんどん使い捨てにすると、メーカーはさらに安いものを作ろうと悪循環に陥ってしまいました。そうではないことをandu amet(アンドゥ・アメット)ではやりたいと思っています。

――満を持して起業し2年強ですが、とても順調そうに見えます。

エチオピアの工房ではたらく職人たち鮫島 会社を創業してからは2年ですが、起業準備はそのさらに2年前から本格的に始めていますし、構想を入れると10年かかっています。順調どころか、実際は大変なことがあまりにも多すぎて、しょっちゅう挫折しそうになっていますよ(笑)。本当にいいものを作りたい、というコンセプトはあっても、現地にはそういうものを作る基盤がまるでないのですから。でも幸運だったのは、10年前、エチオピアの中でも非常に優秀で情熱を持った職人と知り会えたことでした。彼女は今は工房のマネージメントをやってくれています。彼女の下に何名か職人を雇い、今では10人の職人さんたちで運営しています。彼らに何度も説明して、説明して、また説明して、それでも分かってもらえなくて、一人で泣いた夜も何度もありますよ。でもなんとかここまでのものを作ることができたのは、日々職人さんたちと一緒に生活をして、彼らの得意なことや苦手なことを理解して、良い解決方法を模索し続けたからだと思います。特別な魔法みたいな方法なんてありません。

text:平松由美

後編はこちらから

鮫島弘子氏

さめじま・ひろこ
鮫島弘子

株式会社andu amet (アンドゥ・アメット) 代表取締役・チーフ デザイナー
東京出身。国内メーカーのデザイナーを経て青年海外協力隊デザイン隊員としてアフリカへ。エチオピアでファッションショーを企画開催、ガーナでフェア・トレード・プロジェクトを立ち上げるなど、ファッションに関するプロジェクトに複数携わる。帰国後、外資系ラグジュアリー・ブランドのマーケティング部にてクリエイティブを担当。
2012年2月、株式会社andu amet を設立。社名はアムハラ語で「ひととせ=1年」の意味。時間とともに商品に愛着がわき、1年ごとの積み重ねを大事にしたい、という気持ちを表現している。


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