社名も一新し、ますます成長を続けるIBM。しかし、1929年、米国を大恐慌が襲います。この緊急事態に、ワトソンはあくまで攻めの姿勢を貫きました。

世界恐慌をチャンスに変える

社名変更が追い風となったかのように、IBMはいっそう発展を遂げていきます。1925年、日本で最初の顧客を獲得(名古屋の日本陶器)。このほか、ヨーロッパ・アジア・南米などに事業を広げていきました。しかし1929年10月、アメリカで大恐慌が勃発。いわゆる「暗黒の木曜日」にはじまり、世界的規模で広まった恐慌は、アメリカで1,500万人もの失業者を生みます。
しかしワトソンは強気の姿勢を崩しませんでした。1929年にさえ5パーセントの株式配当を発表したほか、全米の経理業務がわずか2パーセントしか機械化されていないことを知ると、「我々がこれから果たす役割は大変なことだ」と述べ、部品の製造継続を指示。これでストックを増やしたIBMは、1935年の社会保障法制定後すぐ、米国政府から2,600万人の就労記録を作成・維持する作業を委任されます。史上最大の会計処理業務と言われたこの仕事を成功裡に終わらせたIBMは、他の政府省庁からの受注も獲得し、何度目かの大きな飛躍を遂げるのです。

不況をものともしなかったIBMの拡大戦略

それまでの成長を背景に、恐慌に怯むことなく前を向き続けたIBMは、グローバル企業としては珍しく、1930年代にも大きな果実を手にしました。1933年には電動タイプライターの企業を買収、その後の事業の大きな核を手に入れます。また、ニューヨーク市マディソン街590番地の本社ビル設立、社内報「THINK」発刊、初の女性システム・サービス員誕生、社員を対象にした団体生命保険のスタートなど、社員の士気向上策も矢継ぎ早に行われました。
この積み重ねが、1914年から最初の四半世紀を経た1939年には、「総収入3,800万ドル、社員数79カ国11,315人」という成長を達成させたのでした。そしてIBMは、次の四半世紀へと突入していきます。