トーマス・ワトソンJr.の卓越したリーダーシップのもと、コンピューターが社会に浸透していく1960年代を迎える前に、IBMの製品はすでに世界各国へと拡がりをみせていました。1950年代の末には、西ベルリンの工場で1,000台ものIBM分類機が生産され、フランスのエソンヌ工場、ドイツのジンデルフィンゲン工場ではそれぞれ、IBM705とRAMAC305が初出荷されています。
ヨーロッパだけではなく中南米、東京、シドニーなどにも工場や研究所が作られ、アメリカ以外の87カ国で2万9000人以上の社員が誕生。各国の戦後経済の復興とともに勢いを増したIBMの躍進は、「System/360」の発表によってさらに加速し、その目線は宇宙へも向けられていきます。

社員数の激増と大規模な製造施設の建設

IBMのSystem/360の発表は、IT産業のパラダイムシフトをもたらしましたが、それを可能にしたのは、トーマス・ワトソンJr.の大胆なほどの攻めの姿勢でした。1966年には世界で2万5000人もの社員を雇用して生産をスピードアップさせ、かつ、大規模な製造工場を建設。その工場の規模はアメリカとヨーロッパを合わせて、総面積300万平方フィートにも及びました。数百名のプログラマーが300万以上の指示書を書いて、ソフトウェアを作り続けた結果、月に1000システム以上を生産する体制ができあがったのです。すべては、新製品を広く世界に知ってもらい、その効果を実証するためでした。

アメリカの宇宙飛行計画をバックアップ

また同時期にIBMが注力したのが、米国による宇宙飛行計画へのサポートです。コンピューターの活用はもはや宇宙船設計においても必要不可欠なものとなり、宇宙センターの建設、飛行計画のためのプログラミングなどにIBMのコンピューターとスタッフたちがその力を発揮しました。

1956年に「スペース・コンピューター・センター」をワシントンのペンシルバニア・アベニューにオープンさせたのを皮切りに、主要な宇宙センターを次々と開設。マーキュリー有人宇宙飛行が1963年とその翌年に行われたときには、IBMスタッフとコンピューターシステムがヒューストンのNASAコントロール・ネットワークで軌道修正を行い、1969年のアポロ11号の月への飛行においても、IBMのコンピューターが宇宙船から地球に送られてくる膨大なデータを着実に処理しました。宇宙への旅において、もはやIBMの技術はなくてはならないほど、大きな存在感を示すことになったのです。