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「クール・ジャパン」が熱い。アニメや漫画からテレビゲーム、コスプレ、「お・も・て・な・し」まで、日本に東京オリンピックをもたらす原動力の一助となった。
そうした中、日本の“かっこよさ”は伝統文化あってこそ生まれてきたもの、とするチェコ人がいる。昨年まで東京のチェコ大使館で一等書記官兼チェコセンター所長を務めたペトル・ホリーさん(42)だ。日本に魅せられたのが14歳というから年季が入っている。名門カレル大学日本学科で学び、早稲田大学大学院では歌舞伎、鶴屋南北を研究した。日本の伝統芸能の様式美やしっとりとした陰影、日本語の美しさ、渋さなどが何とも言えないという。そんなホリーさんに、日本との繋がりや「クール・ジャパン」論を伺った。

日本文化との出合いは14歳のとき

――電話でお話すると、てっきり日本人だと思ってしまうほど流暢で美しい日本語ですが、ホリーさんの日本との出合いは14歳だそうですね。極東の島国・日本のどのようなところが遠いチェコの少年の琴線に触れたのでしょうか。

ペトル・ホリー氏ホリー 14歳のとき母に買ってもらった、直訳すると『日本の魅力99』というタイトルの本との出合いがきっかけです。それまでは昆虫採集に興じていて、将来は昆虫相手に生きていけたらいいなと思っていたような少年だったのですが、その本を読んだ瞬間、頭の引き出しがバタンと入れ替わり、昆虫のことはすっかり忘れてしまいました。

その本は、日本の文学や古典芸能、お祭りなどを99の事柄に分けて紹介したもので、チェコとはまったく違う、まさに異文化の世界でした。写真もたくさん載っていて、そのどれもが美しい。すっかり魅せられてしまいました。
もっとも下地には、子どもの頃、大好きで毎週見ていたテレビ番組『白い犬のゴロ』の影響もあると思います。調べてみますと、日本テレビが1980年にテレビ化した、西村寿行さんの小説『黄金の犬』が原作です。チェコで放映されたときは『白い犬のゴロ』というタイトルでした。飼い主とはぐれた猟犬が故郷を目指す途中、殺人事件に巻き込まれるという波乱万丈の物語で、当時のチェコの子どもたちにとって、日本と言えば、利口な犬、ゴロでした。

――“頭の引き出しが入れ替わった”とは、愉快な表現ですね。

ホリー 斬新な刺激を受けて、人生観が変わってしまうような場合、チェコでは、“頭の引き出しが入れ替わる”とよく言います。『日本の魅力99』のことはテレビの新刊紹介で知ったのですが、日本のしっとりと落ち着いた美しい文化の中に、何とも言えない「自由」を感じたものでした。

それ以来、私は日本にのめり込んでいったのです。日本語を一生懸命やれば、いつか日本に行けるかもしれないね、と親も口にしていました。当時のチェコは社会主義国で、誰もが自由を切望しており、私にとっては日本語に打ち込むことが「自由」への細い道でした。チェコは隣りが西ドイツで、テレビのアンテナをちょっといじると、西ドイツのテレビが映る。そんなものは見ないというのは建前で、どこの家でもアンテナをそっといじっていました。誰もが閉塞感の中で自由に憧れていました。

日本語は美しい

――ご両親は学者ですか。

ホリー いえいえ、父は電気技師。母は地域文化センターの職員です。父は文化的なものにあまり興味のない人でしたが、母は仕事柄もあってとても関心があり、本なども欲しいと言うと、すぐに買ってくれました。母の影響は大きいと思います。でも、決してマザコンじゃありませんよ。

1926年にプラハで発行された『日本の子供たちのお伽噺』

1926年にプラハで発行された『日本の子供たちのお伽噺』(Joe Hloucha著)

――ホリーさんは、日本語は聴いて美しいとおっしゃっていますが、耳に美しいと言えば、普通はフランス語と中国語が挙げられます。日本語は抑揚に乏しく、強弱もほとんどないので、音としてあまり美しくないと思っていましたが……。

ホリー いや、日本語は美しいですよ。リズムも響きもいい。フランス語や中国語、そしてチェコ語も美しいけれど、日本語は格別です。高校生の頃、テレビでNHKとチェコ放送局の合作ドラマを観ました。佐々木昭一郎さんの演出で、チェコ人の出演者はチェコ語、日本人は日本語で話す。なぜ話が通じるのだろうと不思議に思いながら、日本語の心地良さに引き込まれ、いつかこんなふうに日本語が話せたらいいなと思ったものです。

佐々木さんは、つげ義春の漫画『紅い花』をモチーフにしたテレビドラマで国際エミー賞を受けていらっしゃいますが、実は『鐘のひびき―プラハからヒロシマへ』とか、『ヤン・レツル物語~ヒロシマドームを建てた男』といったチェコが舞台のドラマを何本も作っておられます。今は世界遺産となっている原爆ドームは、チェコの建築家、ヤン・レッツェル(レツルとも表記する)の設計によるものですので、チェコでも放映されました。佐々木さんの作品はどれも詩的で、チェコにはファンが大勢います。

黒澤明監督の映画「羅生門」も高校時代にテレビで観ました。「七人の侍」は映画館でした。ストーリーの面白さは言わずもがなですが、映し出される日本の風景、語られる言葉、遠い異国の映画なのになぜか深く心に沁み入るものがあり、大いに感動しました。黒澤明、小津安二郎…、昔の映画はどれも言葉に品格が感じられ、奥深くていいですね。私がことさら惹かれるのは、プラハの陰影に共通する何かがあるのかも知れません。

そうそう、十代の頃、アメリカのNBC制作の『SHOGUN(将軍)』もテレビで観ました。三船敏郎さん、フランキー堺さん、金子信雄さん、島田陽子さん……錚々たる方たちの存在感が光る大作です。その日本語を聴くたび、何ときれいな響きだろうと思い、日本への興味と憧れが増すばかりでした。

――そんな中学高校時代を経て、名門カレル大学の日本学科に進学されたわけですが、日本学科志望の高校生はほかに何人ぐらいいましたか。

ホリー 競争率何十倍という狭き門です。自慢するわけじゃありませんけど(笑い)。それというのも、当時は3年に1度しか募集がなかったのです。そのちょっと前までは5年に1度。その点、とても運が良かった。当時、クラスメートは10人でした。先生は6人。恵まれた環境でした。

日本学科の募集は、現在は毎年あります。ただ、人気が高く、私たちの時代と違い、今は日本語の基礎能力がないと受験できません。ひらがな・カタカナだけでなく、一定数の漢字の読み書きができることが条件です。したがって志望者は高校で日本語を選択します。自分の高校に日本語コースがなければ、街の日本語教室に通って受験に備えます。ちなみにチェコは小学校4年、中学校5年の計9年が義務教育で、高校は4年、大学が5年。私は途中で早稲田大学に留学するなどいろいろ寄り道をしたので、卒業までに7年かかりました。

なぜチェコ人は日本に親近感を持っているのか

――チェコで日本学科がそれほど人気があるとは意外です。何だか嬉しいですね。

ペトル・ホリー氏ホリー ずうっとそうです。欧州では19世紀のジャポニズム以来、日本への関心が続いていましたが、20世紀初頭の日露戦争を経て「日本はやはりすごい」ということになり、いっそう関心が高まりました。ちなみにチェコでは今でも日露戦争のことを書いた分厚いノンフィクションが書店にたくさん並んでいますよ。10冊以上あると思います。
その後、第1次世界大戦でロシアに革命が起きた時、チェコ軍はシベリアで革命軍に捕らわれてしまったのですが、それを日本軍が救出してくれ、数千人のチェコ人がウラジオストク経由で横浜に渡り、本国へと帰還することができました。その話は子どもでも知っていて、今でも感謝しています。

――そのことは日本でも高校の日本史の教科書に載っていますが、日本では「チェコ軍捕囚の救出」は名目で、日本政府と軍部の狙いはシベリアへの領土的野心にあった」と教わります。米英なども日本への疑心を深め、第2次世界大戦の伏線となったとも教わるのですが、チェコでの評価は違うのですね。

ホリー 私たちは、日本軍が最後まで救出に骨折ってくれたと教わります。家でも親がそう話すので、私はそうとばかり思っていました。日本でそんなふうに教えられているとは意外です。歴史は立場により、まるで違った面を切り取って教えられるということなのでしょうね。でも、チェコ人が日本人に救われたこと、そしてそれ以来日本にいっそう親近感を持つようになったことは事実です。

日本学科の話に戻りますと、大学では、文学を始め、歴史・美術・思想・経済などなど、日本について全般にわたり学びます。会話の授業ももちろんあります。学年が進むと、自分の時間を少し持てるようになりますが、1年生は月曜から金曜まで毎日5時限ありますので、予習が大変です。日本語に習熟しないことには原典が読めませんからね。授業以上に厳しいのが、口頭試問がある進級試験。試験官に何を突っ込んで聞かれるか分からないので、必死で準備したものです。

私は研究の焦点を日本の古典芸能、なかでも歌舞伎に絞りました。能、狂言、浄瑠璃、文楽、常盤津…いずれも素晴らしいけれど、歌舞伎に一番魅了されました。実は文通していた日本人が、外国人向けに日本の古典芸能を紹介したビデオテープを送ってくれ、それに、今は二代目猿翁を名乗っておられる先代市川猿之助丈の『義経千本桜』「四の切」が収められていたのです。それを観て、あまりの美しさと迫力に震えました。こんなにすごい芸能があるのかと。

――先代猿之助さんも、今のお話を聞かれたら、さぞ喜ばれるでしょうね。

ホリー 日本の若者は歌舞伎をあまり観ないようですが、実にもったいないことだと思います。遠い異国の若者にこれだけの衝撃と感動を与えてくれたものを、せっかく自国にいながら観ようともしないで通り過ぎていくなんて、どんなに自分の人生を豊かにする権利を放棄し損をしていることか。
歌舞伎に限らず、日本には世界の人々を魅了する伝統文化や芸術・芸能がたくさんあります。いま、日本が「クール・ジャパン」として世界に発信している新しいものも、日本が誇るそうした伝統文化や芸術・芸能の基盤があったればこそ、生まれたのだと思います。

text:永栄 潔

後編はこちらから

ペトル・ホリー氏

ペトル・ホリー
Petr HOLÝ

「チェコ蔵」主宰・埼玉大学教養学部非常勤講師
前駐日チェコ共和国大使館一等書記官兼チェコセンター東京所長
1972年6月、プラハ郊外のドブジーシュ生まれ。 1990年カレル大学哲学学部極東研究部日本学科入学、1997年同学科卒業(哲学修士)。98~2000年日本政府国費留学生として東京学芸大学大学院で修学、2000~06年文部科学省奨学生として早稲田大学大学院博士後期課程(文学研究科芸術学演劇専攻)修了、2004~06年同大学文学部助手。2006~13年駐日チェコ共和国大使館一等書記官兼チェコセンター東京初代所長。
2013年2月チェコ蔵(http://chekogura.com/)をオープン。
主なチェコ語翻訳作品に謡曲『羽衣』、田中貢太郎『日本の怪談』、永井荷風『夢の女』など。日本語翻訳・監修作品に『シュヴァンクマイエルの博物館』(国書刊行会)、カレル・チャペック『ダーシェニカ』『ふしぎ猫プドレンカ』(ともにブロンズ新社)、『チェコアニメの巨匠たち』(エスクァイア マガジン ジャパン出版)など多数。チェコ映画の日本語字幕を多数手掛けるほか、チェコ政府要人が来日した時やプラハ国立歌劇場の日本公演では通訳として活躍。夫人は日本人。


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