「クール・ジャパン」が熱い。アニメや漫画からテレビゲーム、コスプレ、「お・も・て・な・し」まで、日本に東京オリンピックをもたらす原動力の一助となった。
そうした中、日本の“かっこよさ”は伝統文化あってこそ生まれてきたもの、とするチェコ人がいる。昨年まで東京のチェコ大使館で一等書記官兼チェコセンター所長を務めたペトル・ホリーさん(42)だ。日本に魅せられたのが14歳というから年季が入っている。名門カレル大学日本学科で学び、早稲田大学大学院では歌舞伎、鶴屋南北を研究した。日本の伝統芸能の様式美やしっとりとした陰影、日本語の美しさ、渋さなどが何とも言えないという。そんなホリーさんに、日本との繋がりや「クール・ジャパン」論を伺った。

前編はこちらから

お宅の庭の枯山水をぜひ拝見したい

――ホリーさんは大学1年生のときに日本語弁論大会で優秀な成績を修め、日本の国際交流基金から1カ月間の研修に招聘をされ来日されました。実際に来日してみていかがでしたか。

ペトル・ホリー氏ホリー 日本に着いたのは1991年6月4日、私の19歳の誕生日でした。バブルの余韻がまだ冷めやらぬ時期で、ビルが立ち並び何もかもがキラキラしていて、私の頭の中にある、しっとりと落ち着いた佇まいの日本とはちょっと違う感じがしました。もちろん、ちょんまげ姿のサムライが歩いていると思っていたわけではありませんが、東京は随分西欧化しているなと思いました。でも、人々は親切で、街は治安が良くて、食べ物もおいしい。そういった意味でも戸惑うことは全くありませんでした。

ただ、成田に着いた時は、当然のことながら周りじゅうが日本人ばかりなので何だか妙でしたね(笑)。そのときの失敗談としては、東京にお住いの方に「日本に着きましたので、ぜひお宅のお庭の枯山水を拝見したい」と連絡したところ、「そんなものないよ。だいたいからして庭もない」と言われてしまった(笑)。懐かしい思い出です。

研修期間の1カ月、北浦和のセンターで授業を受けました。その間に京都や奈良、広島などを訪れましたが、各地でいろんな人たちと日本語で会話でき、テレビや映画で観ていたとおりの美しい景色に浸れて、もう、感動の連続でした。憧れの歌舞伎も歌舞伎座で観ることができました。

日本にはその後93年9月からの1年間と98年4月から2年間、文科省の国費留学生として呼んでいただきました。93年のときは早稲田大学、98年は東京学芸大学に通いました。東京・谷中で暮らしたのですが、当時は下町情緒がしっかり残っていて、時間を見つけては根津・千駄木界隈まで足を延ばしました。人情の厚い優しい方々に囲まれて、心温まる日々でした。2000年から06年までは文科省奨学生として、早稲田大学大学院博士後期課程で、歌舞伎研究者の古井戸秀夫先生のご指導を受けます。充実した日々でした。

研究テーマは歌舞伎と鶴屋南北

――歌舞伎のどんなところに惹かれますか。

ホリー 惹かれる点は多々ありますが、第一は様式美。次いで、その様式美を表現するための約束事の奥深さ。例えば、役者の体は滑らかにすっと動いても、きらびやかな衣装のほうは揺れもせず静止しています。その動と静との対比も面白い。幼い頃からの厳しい稽古の賜物でしょうが、実に美しい。
物語の筋立てもバラエティーに富み、メリハリが利いています。演じる人の技と個性、それを美しく彩る小道具や扮装、大胆な廻り舞台、迫り(せり)、吊りなど、さまざまな要素や仕掛けが重なり合って見る者を魅了します。ヨーロッパにも17世紀初めから18世紀中頃までのバロック時代には、そういった仕掛けを駆使した動的なバロック演劇がありましたが、今はほとんど存在しません。

歌舞伎の世界でも役者はやはり21世紀の空気を吸っているわけですから、時代やその人なりの解釈の違いはあると思います。でも基本は変わらない。しっかり継承し伝統を守っている。そこがすごいと思います。

――日本を愛した外国人として、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)やモラエスなどが思い出されるのですが、ホリーさんはハーンがご贔屓とか。

ホリー 日本の「怪談」と言えば、やはりラフカディオ・ハーンがよく知られていますが、彼は神道や霊の世界に関心を寄せ、日本の逝きし日の面影に深い共感を寄せ、悲しい美しさに満ちた筆致で綴った作品が多くて大好きです。ハーンによって日本に出合い、日本文化を学んだ外国人は多いと思います。「雨月物語」の上田秋成、近いところでは泉鏡花や永井荷風も好きです。

先ほど触れた古井戸先生。いまは東京大学教授ですが、先生は『東海道四谷怪談』の鶴屋南北の研究者でもいらっしゃいます。私の研究テーマも歌舞伎と鶴屋南北でしたので、当時古井戸先生がいらっしゃった早稲田大学の博士課程に行きました。
鶴屋南北は19世紀前半の文化文政期の時代を反映して、退廃的でちょっとエログロなところがありますが、多様な場面作りやアンチヒーローを魅力的に描いた世界観は独特の手触りがあって、私は心底、魅せられています。

1926年にプラハで発行された『日本の子供たちのお伽噺』

歌川国芳の筆による『源頼光公舘土蜘作妖怪図』。(1926年にプラハで発行された『日本の子供たちのお伽噺』Joe Hloucha著より)

 

もともと歌舞伎はコスプレだった?

――ところで、東京オリンピックの招致に成功したのは東京都や日本政府が前面に押した「クール・ジャパン」が功を奏したとも言われます。こちらの「クール」は“かっこいい” “世界が欲しがるもの“といった意味で、日本のアニメや漫画、ゲーム、自動車、電化製品、コスプレなどを含むファッション、現代アートや建築、食文化などを指すようです。広義には日本の伝統的な文化や技術、伝統芸能なども含むようですが、ホリーさんからご覧になって「クール・ジャパン」というと、どういったものを連想されますか。歌舞伎を研究されたホリーさんには、少し違和感がありますか?

ホリー いや、それほど違和感があるわけではありません。例えば歌舞伎は、「傾(かぶ)く」が語源だと言います。元は「頭を傾ける」ことを「傾く」と言ったそうで、やがて「首をかしげるような行動」についても言うようになり、そこに登場した「派手で異様な衣装や奇妙奇天烈な風体の者たち」を「傾奇者(かぶきもの)」と呼ぶようになったと言います。「傾奇」は、明治以降「歌舞伎」と書かれるようになります。言ってみれば、「傾奇者」の初めは、今で言うコスプレだったのではないでしょうか。歌舞伎の元祖と言われる出雲阿国も、当時「かぶき者」と呼ばれ派手な男の恰好やエロティックな振りで踊ったので、それを「かぶき踊り」と呼んだと聞きます。

私は、『YOUは何しに日本へ』というテレビ番組をよく見るのですが、先日は、東京の街をコスプレで歩きたくて、はるばるデンマークからやって来た男女4人組が登場していました。コスプレが世界中で若者に大人気と言っても、まだそれは自国でやろうとすれば、奇異の目で見られるのでしょう。コスプレする自由を求め、お金を貯めて「本場」日本までやって来て思い切り楽しもうとするのも、クールだと思いますよ。

ただ、「傾奇」が「歌舞伎」となり、伝統を今に受け継いできた背後に、どんな文化的な土壌があってそれが芽生えたのか、また継承の影に関係者の大変な努力や訓練、精進があることも知ってもらいたいなあ、と思います。

「クール・ジャパン」というと、どうしてもアニメやゲームなどが強調されがちです。でも、それらが生まれる土壌となったこの日本という国の伝統文化や民度の高さをこそ、きちんと海外にアピールできるような運動にしてほしいと思います。新しいものは、世界のどこかでもっと新しい何かが出てくると、すぐに飽きられ捨てられてしまいがちです。
イギリスは古い伝統文化を重んじる国として知られていますが、同時に新しい文化を常に発信しています。日本も自国の素晴らしい文化や歴史に自信と誇りを持って、新旧の「クールさ」をきちんと世界に発信していって欲しいと思います。

外国人ならではの視点を生かし、日本文化の素晴らしさを伝えていきたい

――最後に、今後の抱負をお聞かせください。

ホリー 早稲田の大学院博士課程を終えた後、2006年から東京のチェコ大使館に新設されたチェコセンターの所長として日本にチェコ文化を紹介してきたのですが、2013年1月、任期満了となり退任しました。チェコに戻って外務官僚として生きるか、日本で日本文化の研究を続けながら、チェコ文化を引き続き紹介するか。私には道が2つあったのですが、日本に残り、自分のやれる範囲でチェコと日本を結ぶ懸け橋になろうと決めました。
そこで、始めたのが「チェコ蔵」です。チェコ文化、とくに映画や文学などの紹介、講演会、チェコ料理教室などを、各地の公民館などと共同で催しております。

今後の抱負としては、世阿弥の「花伝書」の翻訳をできるだけ早く完成させます。また、日本の文学作品は漱石・鷗外から村上春樹まで、既に数多くチェコ語に翻訳されていますが、漏れているものもたくさんあるので翻訳してみるつもりです。
また、現在埼玉大学教養学部の非常勤講師として「歌舞伎入門」を教えていますが、今後はもっと正式なかたちで大学や研究所などで研究を重ねながら、外国人ならではの視点を生かして、日本文化の素晴らしさを日本の学生たちに伝え、海外にも発信していけたらと思っております。

text:永栄 潔

ペトル・ホリー氏

ペトル・ホリー
Petr HOLÝ

「チェコ蔵」主宰・埼玉大学教養学部非常勤講師
前駐日チェコ共和国大使館一等書記官兼チェコセンター東京所長
1972年6月、プラハ郊外のドブジーシュ生まれ。 1990年カレル大学哲学学部極東研究部日本学科入学、1997年同学科卒業(哲学修士)。98~2000年日本政府国費留学生として東京学芸大学大学院で修学、2000~06年文部科学省奨学生として早稲田大学大学院博士後期課程(文学研究科芸術学演劇専攻)修了、2004~06年同大学文学部助手。2006~13年駐日チェコ共和国大使館一等書記官兼チェコセンター東京初代所長。
2013年2月チェコ蔵(http://chekogura.com/)をオープン。
主なチェコ語翻訳作品に謡曲『羽衣』、田中貢太郎『日本の怪談』、永井荷風『夢の女』など。日本語翻訳・監修作品に『シュヴァンクマイエルの博物館』(国書刊行会)、カレル・チャペック『ダーシェニカ』『ふしぎ猫プドレンカ』(ともにブロンズ新社)、『チェコアニメの巨匠たち』(エスクァイア マガジン ジャパン出版)など多数。チェコ映画の日本語字幕を多数手掛けるほか、チェコ政府要人が来日した時やプラハ国立歌劇場の日本公演では通訳として活躍。夫人は日本人。


Sponsor Content Presented ByIBM

※日本IBM社外からの寄稿や発言内容は、必ずしも同社の見解を表明しているわけではありません。