ハーンと日本
一つの解明の試み

アール・マイナー(プリンストン大学教授)

 ハーンにとっての日本と、日本にとってのハーンの重要性というのは、あまりにも明白で解明する余地はもはやほとんど残されていないかのように思われる。彼が著したもの、また彼について書かれてきたことは実際、「ハーンと日本」が不可分のテーマであることを示している。にもかかわらず、彼が松江に教えに来てから一世紀が過ぎた今日、新たな評価が望まれていることもまた確かなように見受けられる。

ハーンを理解する上でのいくつかの問題

 一世紀の間に違いも生じた。これは趣味の問題かもしれないが、彼の本の題名は、あまり近代性、あるいは現実性を帯びていない。『仏の畑の落穂』(Gleanings in Buddha Fields)や『天の川縁起』(The Romance of the Milky Way)は、いまの西洋人読者にとっては一向に魅力的な題ではない(1)。異国趣味の気味は他の本の題名、『異国風物』と『回顧』、『霊の日本(2)』にも出ている。それから直接日本語の題を冠したもの、―『骨董』、『怪談』―もある。かりにこれらの題名が読者から読む気をそがないとしても、本を開いてみれば気をそがれるかもしれない。『異国風物』は一つの論文ではなく、六つの論文、「富士の山」、「虫の演奏家」、「禅の公案」、「死者の文学」、「蛙」、「月が欲しい」から成っている。今日の作家がこのような題で本を出版するのは望みの薄いことである。そういった題の作品をどのような人々が読むのかという疑問以前に、一体どういった作家がこれらを書いたのか、という疑問がわくのである。

 平たく言えば、一八九〇年に松江で、後に熊本で、そしてついには東京帝国大学で教壇に立つために雇われたハーンは、今日ならば雇われるような人ではない。日本人は年寄りを敬うかもしれないが、彼等は外国人教師が教鞭をとりはじめるのが、四十歳であることは期待しない。それに、ハーンの前歴が松江の学校の人事係の関心を引くとも思えない。百年経った今日では、彼は日本人が外国人講師に寄せる期待にそぐわない人である。その様は彼の本の題名が、現代の西洋人の関心を呼ぶ文学という概念にあてはまらないのと同じくらい外れている。

 他の問題もある。その主たるものは根本的な問題を含んでおり、それを私は様々な形で取り上げる。それは、一体日本について書くこの作家は何者であろう、という疑問である。ハーンが知っていた日本、及び日本を知っていたハーンは、いろいろな学者によってその意味づけがなされてきた。いくつか例を挙げる。およそ四半世紀前にベオンチェオン・ユーは『神々の模倣者―ラフカディオ・ハーンの芸術と思考(3)』という広く行き届いたきちんとした研究を世に問うた。最近では、ハーンは思索家としてまた作家として平川祐弘によって論じられた(4)。時々、ハーンの作品の英語の選集が出版される。一九七七年には『ラフカディオ・ハーンの仏教に関する作品集』が出た(5)。さらに近年ではフランシス・キングがハーンの三十を超す作品を選び編集した(6)。日本の学者もハーンと彼が著したものをさらに広い範囲の中で考察することについて精力的である。村形明子はアーネスト・フェノロサの論文の相当量を発見し、児玉実英は日本とアメリカ詩人の関係を考察した(7)。ハーンという存在は我々を当惑させる。しかしそれにもかかわらず、というかまさにそのゆえに、ハーンは重要性を持っているように思われるのである。

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