1801_main

高齢化や後継者不足に加え、TPPにより市場開放も迫られる日本の農業で、独自の経営により現状を乗り越えようとしている農家の存在がクローズアップされている。
茨城県龍ケ崎市でコメを栽培する有限会社横田農場は、2013年の農林水産祭で農家として最高の栄誉である天皇杯を受賞するなど、国内で注目を集める農家の1つである。横田修一社長は東京ドーム24個分、112ヘクタールの農地に、7品種のコメを栽培している。かけるコストは普通の農家の半分以下だ。
横田社長はいったいどのようにしてコメ作りの生産性を高め、魅力的な商品を世に送り出しているのか。そして日本の農業の未来にどのような展望を抱いているのか。注目の若き農業経営者に話を聞いた。

多品種栽培で大幅なコスト削減を実現

上野駅からJR常磐線快速で1時間弱。最寄りの佐貫駅から車で20分ほど走ったところに横田農場はある。取材に訪れたのは7月下旬、すべての田植えを終え、農作業が一段落した時期だった。見渡す限りの水田の緑が目にまぶしい。横田農場が田植えにかける期間は2ヵ月ほど。ここに横田農場の特徴の1つを見ることができる。

横田修一氏「現在うちで栽培しているコメは7品種です。異なる品種を栽培するメリットの1つは田植えなど農作業の時期をずらせること。その結果、うちでは田植えに2ヵ月、稲刈りにも2ヵ月かかります。このように時期をずらすことにより、1台の田植機とコンバインをフル活用して、少ない人数で112ヘクタールのコメ作りをすることができるのです」

農家は、収益を考え価格の高いコシヒカリを作る傾向が強く、実際にこの地でもコシヒカリを作る農家が多い。もし横田農場のコメがすべてコシヒカリだとすると、2週間以内で田植えを終わらせる必要があり、とても1台の田植機とコンバインでは賄いきれない。そうなると人手も現在の4倍は必要だという。多品種栽培は少ない機械と人数で東京ドーム24個分の農地のコメ作りをする必須条件なのだ。

「多品種栽培は、以前からうちの両親が導入していたものです。農家には古くから作業受託というものがあります。他の農家から田植えや稲刈りの作業を請け負って、作業賃をいただく。請け負うのはみんなコシヒカリですから、自分のところの田植えや稲刈りを他人とずらすために、作業を分散させようと自然に多品種化したという経緯がありました。作業受託はコメの値段に左右されませんから、なかなかいい収入になったそうです」

多品種栽培の理由は農作業の効率化だけにとどまらない。近年ではコメの品種開発が多様化し、主食用のコメに限らず、加工用のコメ、さらにはカレーに合うコメ、寿司に合うコメ、牛丼に合うコメとより細かい用途に合わせたコメが作られ始めている。

「外食、中食の割合が4割という現実もありますし、消費者のニーズに合わせたコメを提供していくことが大事だと思います。そういう意味では業務用、加工用を含めすべてバランスよく作ることが理想だと考えています」

トラクターに乗る父の後ろ姿に憧れた

さまざまな創意工夫によって独自の農業経営を模索している横田社長。その発想とエネルギーの源はいったい何なのだろうか。
横田社長は1976年、茨城県龍ケ崎市に平安時代末期から代々続く農家の跡取り息子として生まれた。農家のせがれが必ずしも農家を継ぐとは限らない。むしろ子どもたちが家業を継がない時代が続き、農業の衰退を招いたとも言えるのだが、横田社長は自ら進んで農業を志した。

「周りを見ていてもはっきりと分かれますね。農業をやりたいという人と、絶対にやらないという人と。やりたくない人は『農業はつらい』という思いがあったのではないでしょうか。3K(きつい、汚い、危険)という言葉があって、農業はその代表のような職業だと。小学校のクラスで農家になったのは私1人だけでした」

ところが修一少年は農業を「つらい」と思うどころか「かっこいい」という憧れを抱いていたのだという。

「もともと田畑で両親の手伝いをして、と言っても半分以上は遊んでいただけですけど、それが楽しかった。作業を終えて、夕焼け空のもと軽トラックの荷台に揺られながら家路につく。そういう風景がたまらなく好きで、楽しかったんです。朝早く、トラクターに乗って出かけて行く父の後ろ姿が格好良くて憧れました。だから私の場合は抵抗があるどころか、とても自然な形で農業に就きました」

横田農場家庭環境も大きく影響したに違いない。両親は子どもたちの前で、農業がきついとか、儲からないという話は一切口にしなかった。まとまったお金が入ったときには札束を子どもに見せた。「農業は儲からない」という先入観を与えないためだ。このような家庭で育った横田青年は茨城大学農学部を卒業後、迷うことなく農家への道を歩み始めたのである。

「そろそろ、頼むよ」――農業は地域の人の信頼の上に成り立つ

1997年に横田社長がコメ農家の仕事に就いたころ、横田農場が所有していた農地は15ヘクタールにすぎなかった。これが少しずつ、近年では毎年10ヘクタール、15ヘクタールといったハイペースで増え続け、100ヘクタールを超えたのだ。これは横田社長が自ら積極的に大規模化にまい進したからではない。高齢化と後継者不在により自分の田んぼを管理できなくなった農家が、横田農場に次々と農地を託した結果だった。今では約150人から預かっている。

塗戸町で稲作が行われている圃場の区画地図横田社長が地元、塗戸町の地図を広げて見せてくれた。稲作が行われている圃場の区画がしっかり線引きされている地図だ。横田農場が管理している田には品種ごとに色が塗られている。色塗りされたところはモザイク状ではあるが、全体の3分の1くらいはあるだろうか。色づけされていない白い部分が横田農場以外の農地である。

「飛び飛びに見えますが、これくらいの範囲にまとまって収まっているのは珍しいほうだと思います。白い部分はよその方の田んぼで、皆さん70代、80代になってもがんばっている農家です。でも、田んぼで作業をしていると、いろんな方から『そろそろ頼むよ』と声をかけられるんです。いずれはこの地図が全部塗りつぶされてしまうかもしれません」

みんな本心では農業を続けたいが、年をとって身体がいうことをきかなくなっては農作業をすることができない。ならば他人に任せるしかない。とはいえ、先祖から受け継いだ大切な土地だ。信頼できない人間に託すことはできない。塗戸町には幸い横田農場があった。地元に根を張り、真摯な態度で大地と向き合う横田社長の姿を、地元の人たちは何年も見続けていたのである。その結果が横田農場の農地の拡大だった。今後も農地を手放す農家は増えると予想されており、横田農場の農地は300ヘクタール、400ヘクタールと拡大する可能性があるという。

経営面では、法人を設立した当初の1996年には家族と親戚の計5名だったが、今では、横田社長と父親の役員2名、正社員8名、パートが5名の合計15名体制になった。1996年当時は2,500万円だった売上高が、2012年時点ですでに1億1000万円を超えている。

規模の拡大は多くの農家にメリットをもたらす。作業が集約され効率的な運営ができるからだ。横田社長も当初は規模の拡大を望んでいたから渡りに船とも思えた。だが、ここまで大きくなると良いことばかりでもなくなってくる。一般的に家族経営の場合、規模拡大によりコストを下げられるのは30ヘクタールまでと言われている。つまり30ヘクタール以上になると、それ以上のコスト削減は望めないというわけだ。

「正直なところうちの経営効率だけを考えると、これ以上は拡大しないほうがいいという面もあります。田植機とコンバイン1台体制では100ヘクタール程度が限界。これ以上増えると、機械も人も増やさなければならなくなるからです。
ただ、地域の状況や期待を考えるとそういうわけにはいきません。私たちに農地を預ける地主さんは、ご先祖様が苦労して整備してきた農地を私たちに託すわけですから」

地域の先祖たちが積み重ね、築き上げた技術、守ってきた農地。そのお陰で自分たちは農業をさせてもらっている。そんな思いが横田社長の胸にはある。

「私たちには地域の信頼に応え、それを次の世代にしっかり渡していく責任がある。それが、私がここで農業をやっていく上で一番の使命だと思っています。だからよく海外に進出しないのかと言われるんですけど、農業は地域の人の信頼の上に成り立つものですから、見ず知らずのところにひょこっと行って農業をやるという考えは、私にはないですね。そんな簡単なものじゃありませんし」

text:渋谷 淳

後編はこちらから

横田修一氏

よこた・しゅういち
横田 修一

有限会社横田農場 代表取締役
1976年 茨城県生まれ
1998年 茨城大学農学部生物生産学科卒業
2003年 茨城県環境にやさしい農業 推進大会 最優秀賞受賞
2013年 毎日新聞社主催 第62回全国農業コンクール 名誉賞・農林水産大臣賞受賞
2013年 第52回農林水産祭農産部門 天皇杯受賞
現在、全国稲作経営者会議 青年部会長も務める。


Sponsor Content Presented ByIBM

※日本IBM社外からの寄稿や発言内容は、必ずしも同社の見解を表明しているわけではありません。


関連記事