コグニティブ・コンピューティングとは、「自然言語を理解し、仮説を立て、学ぶ」という人間の思考プロセスと同じ手法で情報を処理する技術のこと。第三世代のコンピューティングとも言われ、ビッグデータ解析ニーズの隆盛とともに、急速に研究が進んでいる分野でもある。
今回は、コンセプターとして数々のプロダクトを手掛けてきたデザインコンサルティングカンパニー・株式会社ウォーターデザインの坂井直樹氏を招いてIBM東京基礎研究所・所長の森本典繁と二人でコグニティブ・コンピューティングの可能性について語り合った。

コグニティブ・コンピューティングとは何か

森本典繁所長森本 コグニティブ・コンピューティングの話に入る前に、IBMがやって来たことを、お話させてもらいますね。「IBMはハードウエアをやっていない」などと言われることも多いのですが、ご存知の通り、IBMは今日に至るまでコンピューターの会社で、近年では、スーパー・コンピューターに使われるチップの微細化にも、実は数千億ドルの投資を新たに発表しています。半導体の回路線幅は15ナノメートル(ナノは10億分の1)を超えた細かさのあたりから、限界サイズだとも言われていましたが、今は10ナノメートルを超えて、さらに細密化した「サブナノ(1ナノメートル未満)」の単位までロードマップが描けつつあります。

一方で、人工知能やAIといったアルゴリズムの方面でも、研究を進めています。米国のクイズ番組「Jeopardy!(ジョパディ!)」で人間のクイズ・チャンピオンと戦って勝利を収めた「IBM Watson(ワトソン)」は、いわば左脳の働きを実現したものです。また先日発表した「IBM SyNAPSEチップ」をはじめとする右脳エリアの研究でも、数千倍から数万倍ものチップの微細化、省電力化を可能にするための研究を素材や原子レベルで行っています。ニューロン回路をハードウエア化したチップも、実際に動くものができており、昔、AIを研究していた人にとっては夢みたいな時代が到来している状態で、まさにホットエリアと言えます。

坂井 そうなると、Watsonをはじめとして、今はスーパー・コンピューターで扱っているものが、スマートフォンで扱えるようになりますね。

森本 おっしゃる通りです。ハード、アルゴリズムなどのテクニカルな進化が来ているのに加えて、「クラウド」「ビッグデータ」「ソーシャル・メディア」といったものも、一斉に到来しているのが、今の時代です。10年から20年おきに来るレベルの技術革新サイクルの波が、3回分くらいまとめて来た感じです。

坂井 ハイプ・サイクルで言えば、初期段階(黎明期~流行期)ですかね。

森本 今まさにその段階ですね。「何だ、儲からないじゃないか」と幻滅されはじめていく下り坂の初期とも言えます。このようなテクノロジーの大きなイノベーションが到来し、それを利用するマーケット側の進化とが融合して、本当に新しいパラダイムがちょうど出てくるところで、われわれがどうするかを考えているのです。この先の10年、20年に新しい時代が始まるための用意をしています。

「コグニティブ・コンピューティング」とは何か、という話題に戻ると、ビッグデータを超えた「ハイパー・ビッグデータ」をどう処理するか、そして純度の低いデータをどう扱うかという問題があります。たとえば、Wikipedia(ウィキペディア)のような純度の高いデータ、つまり項目立てて整理されたデータは皆無と言ってもいい。大量のデータがあっても、ほとんどは役に立たないデータだったり、曖昧性の高いデータです。

坂井直樹氏坂井 ソーシャル・ネットワーク上にも大量のデータはありますが、本人や知人にとっては大事で意味のあるデータでも、ほとんどはそのまま利用できず、価値のないデータですね。重複も多い。

森本 いろんな人とシェアできるから、コピーも増えます。誤りも多い。コンピューターにとってはそれが一番厄介で、正しいか判別できない情報がノイズとなりSN比(signal-noise ratio)が下がります。極端にノイズの割合が高いと入力に対する結果が出せないのです。

人間の脳に追いつくには、「劇的」な速さが求められる

森本 コンピューターは、アルゴリズムが一定で、決まったインプットに対して「一義」に答えます。これが今までの世代のコンピューター・プログラムです。そのため、ノイズを多量に含んだハイパー・ビッグデータをなんとか目的に応じて使いこなす「センス・メイキング」をしたり、1つに絞れない答えの中から「だいたいこの辺」という勘所を使って答えを精査したりすることをある程度行えないと、ビッグデータの利点は生かせません。この「センス」や「勘所」の分野は、人間は得意ですがコンピューターは苦手です。

この苦手なことを実現するには、劇的な速さで情報を処理しなければならない。今でもスーパー・コンピューターなら可能ですが、いちいちスーパー・コンピューターを動かしてはいられませんから、「劇的」がポイントになるのです。1万倍以上電力効率がいいものを考えなければなりません。その実現は現状の微細化だけでは追いつかないため、今必死に考えているところです。

坂井 ちなみに、人間の脳は何ワットくらいで動いていることになるのですか?

森本 20ワットくらいです。クイズに答える「Watson」君で、その1万倍から10万倍の電力を使っています。人間の脳と同程度の電力効率で、同じかそれ以上の速さで、多大なデータから正解を導き出すコンピューターをいかに実現するか考えたとき、一番大事なのは、人間に伝えること、コミュニケートすることです。どれだけよい結果を画面上に出力しても、人間に伝わらなければアクションは起きません。この、伝えるための「五感」が非常に重要です。反対に、人間が感じ取ったものを、コンピューター側も感じ取ってくれないといけません。それこそ、視覚や聴覚は今までも当然ありますが、嗅覚や触感までも人間とコンピューターが互いに伝える必要が出てくるだろうと考えていまして、これらを包含したものを、「コグニティブ・コンピューティング」と言っています。

坂井直樹氏坂井 私が数年来手がけているプロダクトで、盲導犬の代わりとなる、情報の“相棒”としての杖がありまして、この秋に、製品が登場する予定です。シンプルに「黄色い『視覚障害者誘導用ブロック』だけを認識する」機能を搭載しています。実際には、加速度センサーやGPS機能も搭載できますが、機能が増えすぎるとユーザーにとっては使いにくいものになってしまうため、省いてあります。しかし、電車のホームの端とか、エスカレーターのステップ(踏板)にある黄色を認識して、杖が振動したり、LEDが点灯するだけでも、安全度はものすごく高まるのです。これも、コグニティブ・コンピューティングと結びつけられたら……。

森本 そうですね、盲導犬の代わりになるのも可能ですね。一緒に試作させていただきたいくらいです。

坂井 1頭の盲導犬を育成するのに、実は300万円~500万円も掛かると言われています。費用の問題もさることながら、盲導犬にとっても負担をかけてしまうことになります。盲導犬にやってもらえるレベルのことは、デジタルで解決できるはずだ、という考えがこのプロダクトのベースにある発想なのです。

「洞察に基づく提案」を担う

森本典繁所長森本 われわれも、その杖に似た、歩行支援をクラウド・ソーシングで行う研究をしています。坂井さんの考えている世界観と、すごく近いものです。目の不自由な方に「あなたは今、どこにいる」とスピーカーを通じてリアルタイムに伝えるという仕組みで、現状は、人間の手助けを借りて認知していますが、これも一部がコグニティブになっていくと、コンピューターが自然と、場所に応じたコンテキストを理解して、その時々に適切な提案を出してくれます。
いま人間が手助けしている役割は、コンピューターに任せることで、サポートする人の負担が減り、人間しかできないサポートへ意識や行動を配分できます。外国人が初めての場所に足を運ぶ場面や、子供・お年寄りの行動支援にも使えるかもしれませんね。

坂井 サジェスチョン(提案)と言えば、「私には、どんな車が似合いますか?」と、よく質問されるんです。ファッションの好みや、どんなお酒が好きかとか、その人の文化的なバックグラウンドを知っていると、「あなたは、フォルクス・ワーゲンですね」と提案ができる。「次にどんな本を読んだらいいでしょうか?」とか「私が次に買うべきものは何でしょうか?」とか、占い師じゃないんだからとは思うのですが、即座に答えてしまう。それで、僕は「未来を占う人」といったキーワードで、紹介されることが多いんです(笑)。

コグニティブ・コンピューティングが「死蔵知識」をゼロに

坂井直樹氏坂井 コグニティブ・コンピューティングの話を伺ったり、森本さんが他でお話されている内容を読んで、面白いと思ったのは、人間の感性にアプローチできる可能性を感じる点です。計算機ではないのだなと。

森本 コグニティブ・コンピューティングの技術を、多くの人が使える形になったときに、いろんなアイデアでビジネスが波及していくと思います。また、知識の使い方も変わりますね。ため込んだ知識を、どう使うかという話です。「Watson」でクイズの早押しをやったのは、1つのインスタンス(例)ですね。たとえばWikipediaにある膨大な知識・情報を、コグニティブ・コンピューティングで使うと、それに限らずいろいろなことができます。言い換えると、ビッグデータはため込んでいくと、だいたい死蔵してしまう。「Watson」は、そのデータを隅から隅まで使うのです。

坂井 Wikipediaであれば、データは更新されるから、「知識」も更新できるわけですね。ワトソン君は。

森本 そこは、今後学習できるようになると思います。いろいろな人が、「Watson」に質問しますよね。そうすると、蓄積された知識・情報のどこにアクセスして、回答を導き出したか、という履歴も残ります。すると、「10年間使われなかった知識っていらないんだろう」と、そういう判断を「Watson」自身ができるようになるかもしれません。

集積されたデータから、コンテキストを導き出す

坂井直樹氏坂井 私がやってきた「ブランドデータバンク(bdb)」(現在はマクロミル)、これは、1人ひとりの生活者が所有しているブランドを切り口としてユーザーの嗜好を探るデータベースサービスがあります。分かりやすく言うと、「この車を所有している人は、あのブランドのバッグを持っている」といった、POSデータでは見えづらいつながりを可視化するものです。これこそ、ワトソン君に頑張ってもらえる土俵なんじゃないかと。

森本 まさにそうですね。データが大きくなればなるだけ、Watsonは力を発揮しますよ。ポイントとしては、さまざまなビッグデータや、些末なデータを寄せ集めた結果、「集計したデータ」ではなく、そのデータが構成するコンテキストとか、環境といったものが、間接的に何かを表現できるようになるんですね。坂井さんがbdbで導き出した、個人にひも付いた所有ブランドの関連性も、そういった、データから生み出された、データ以外の知識・情報であり、コンテキストです。これを数千、数万の項目から解析したり、人間が分かる形でアウトプットするには、表計算ソフトでは難しい話になります。そこが、コグニティブ・コンピューティングが担うべき部分になるでしょう。

対談風景

坂井 私の考えている情報収集の理想形は、調査対象者が自分の自動車や、持っている携帯、自分のファッション、シューズ、ワインをカメラで撮って、写真をまとめて送ってくれるだけで済めばよいですね。そして一挙にコグニティブ・コンピューティングで処理してもらう。

森本 たしかに、その人が所有しているブランドをまとめて見れば、直感と言うか、ひらめきで「あ、この人はこんな感じ」と判断できますね。100%合致はしていないかもしれないですが……。坂井さんの見立ては、この合致率が高いわけですね(笑)。
そういう画像認識・解析を大規模なスケールで実行しようとすると、やはりコグニティブ・コンピューティングが有効だと思います。実現すれば今までのマーケティングやプロモーションなどの一連のプロセスをすべて変えそうですね。

text:常山 剛

 

STEINS;GATE 聡明叡智のコグニティブコンピューティング

 

坂井直樹氏

さかい・なおき
坂井直樹

コンセプター/ウォーターデザイン代表取締役/成蹊大学客員教授
米サンフランシスコでTattoo Companyを設立し、刺青プリントTシャツを販売。1987年日産「Be-1」の開発に関わり、フューチャーレトロブームを創出。2004年、株式会社ウォーターデザインを設立。以降、数多くのプロダクトを手がける。
 
WATER DESIGN
http://www.water-design.jp/

森本典繁所長

もりもと・のりしげ
森本典繁

日本アイ・ビー・エム株式会社 理事 東京基礎研究所 所長
1987年日本アイ・ビー・エムに入社。1995年マサチューセッツ工科大学のEECS(電気工学およびコンピュータ・サイエンス)にて修士号を取得。1996年にIBM東京基礎研究所へ。プロジェクトのリーダーを経て、2002 年から基礎研究所の技術戦略および管理部門を担当。2006年IBM リサーチ部門上級副社長の補佐として米国ワトソン研究所赴任。2009年5月より現職。


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