徳川時代から現代までの近現代史を専門とするハーバード大学のアンドルー・ゴードン教授が、日本経済の長期的停滞である「失われた20年」についての研究を進めている。
バブル崩壊に続く景気低迷、社会構造の変化、日本人の自信喪失、東日本大震災がもたらした影響などをとらえ、その多くを日本だけの問題ではなく、他のどの先進国もが経験し得る世界史的な事態としてとらえようとするものだ。今に生きる人々を対象としたそのアプローチは、社会学、経済学、文化人類学などの分野にも接し、歴史学の枠組みを大きく広げる。
200年というスパンで見たとき、「失われた20年」がどのように位置づけられ、さらにはその先にどのような日本の姿が見えてくるのだろうか。

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「fact」は明確な形で存在するわけではない

――グローバルな視野で歴史を見ることは、日本特殊論につながる情報のバイアスを修正することにも役立ちますね。

ゴードン 晩婚化、少子化、高齢化の傾向が浮上したのは、非正規雇用が急激に拡大するはるか以前の1970年代のことでした。リーマン・ショックが起きた時点までに、不安定な雇用形態の増加は、日本だけでなく、先進資本主義諸国の多くで既に20年以上にわたって進行していたのです。

――私たちはマスコミなどの情報に流されがちですが、その信憑性に対する判断力を鍛える必要がありそうです。

アンドルー・ゴードン氏ゴードン 要するに、データをよく確かめずに「非正規雇用が拡大して晩婚化が進んだ」「不安定な雇用形態の増加の原因は、景気低迷にある」と安易に結びつけることは間違いのもとです。デジタル化によって大量の情報があふれる時代だけに、情報に対する判断力をつけることは重要な課題です。

私は、ハーバード大学と東北大学がパートナーとなって進める東日本大震災のデジタル・アーカイブを構築するプロジェクトに、ハーバード側の責任者として参画しています。そのとき議論になったのは、情報の確度・信憑性の問題でした。
(参照:Mugendai『ノー・モア ”想定外”――東日本大震災の膨大な記録をアーカイブする「みちのく震録伝」』、http://www.mugendai-web.jp/archives/735)。

Webサイトや写真、ツイートなどさまざまなリソースをアーカイブするわけですが、その中には信憑性の低いWebサイトも多く混じっています。それをどうコントロールするかが問題になったのです。そこで私は、疑わしいものであってもアーカイブに入れるべきだと話しました。
アーカイブは、現在の人のために役に立つものでなければならないと同時に、将来、歴史を振り返ってみる人のためのものでもあります。20年後、30年後に、どういうデマが震災後に流れたかを研究することも重要なテーマとなるかもしれません。あるいは、信憑性が低いと判断されたデータの中にも、今は見えないけれど、将来明らかになる何らかの真理が潜んでいるかもしれません。だからどのような情報でもアーカイブ化すべきだと主張しました。

アーカイブを正しく利活用できるか否かは、その人の情報判断力の問題です。そうであるのなら、情報を判断するための教育が必要になります。
私と同僚は、昨年(2013年)の秋に、このデジタル・アーカイブを使って東日本大震災のその後を見るゼミを開きました。その中で情報リテラシーをテーマにすることにしました。ある問題に関するデジタル情報を集めて、授業でさまざまな方向から検討し、それぞれの情報源の問題点を議論したわけです。それによって、歴史というものが過去の出来事の発掘ではなく、情報を集めて判断する学問だということも教えることができました。
「fact」はきれいな形で存在するわけではないということを学ぶためにも、このゼミは役立ったと思います。

新しい成熟社会を目指して

ゴードン教授は「失われた20年」についての研究結果の一部を、2015年に発表する予定にしている。日本の現代史がそこでどのように描かれるのか興味深い。
言うまでもなく、経済低成長、人口減少、少子高齢化などの問題は、すぐに解決できる問題ではない。今後、長期にわたって受け入れていかなければならない現実として目の前にある課題である。

――「失われた20年のその先」はこれからいったいどうなるのでしょう。

アンドルー・ゴードン氏ゴードン 既に申し上げたように、歴史を研究する者として予言をすることはできません。ただ、言えるのは、課題をたくさん抱えているからといって悲観的に考え過ぎないことです。そして、意識を変えることが必要です。社会への参加の仕方も変わらなければなりませんし、女性の就労や移民の受け入れなどを含めて、日本の国のかたち自体も変わる必要があるかもしれません。低成長、人口減少の中にあっても、社会を維持し、成熟した国としての喜びを見出していくことが大切です。

日本には、既にそれを可能にする多くのソフト資産や技術、ノウハウがあります。そのようなソフトの面も含めて、より人間的に豊かな社会にしていける可能性が日本にはあります。多くのノーベル賞受賞者を生み出している知的レベルの高い国でもあります。日本には、環境問題、高齢化の問題など、世界に先駆けて取り組んできた実績もあります。近隣国との間にいくつかの困難な課題を抱えてはいますが、共通利益の領域も多い。この国のリーダーたちが謙遜と誠意の姿勢で外交に取り組めば近隣国との関係がよくなるはずです。世界のほかの地域でひどい対立と戦争が起きている中、「分断・対立・紛争」の世界を、「平和・協調・福祉」の社会に導く可能性が日本にあると私は思います。

日本は今、新しい成熟社会を目指して歩み始めるべきときに来ているのではないでしょうか。成熟した国としては、成長より中身です。これから人々が生きがいを求められる社会を、どうつくっていけばいいか。日本には、少子高齢化や経済の低成長に向かう世界の国々のトップランナーとしてチャレンジし、みごと克服して見せてほしいと思います。

いま私は京都に滞在していますが、時間のあるときに鴨川の土手を自転車で走りながら、心地よい風、美しい自然を感じ、日本を楽しんでいます。
歴史を振り返れば、日本には今よりずっと困難な時期が何度もありました。それでも、矛盾を抱えながらではありますが、その都度乗り越えてきました。敗戦後の焼け跡からも立ち上がり、21世紀の今日まで平和憲法のもとで、「平和」と「民主主義」をキーワードとして70年間戦争を1度もすることなくやってきたわけです。私は、そのような日本を素晴らしいと思います。若いとき、私自身の人生の方向を示してくれたことに感謝もしています。

私個人としては、日本はこれからも「品位のある、いい国」であり続けてほしいと願っています。このように言うと、きれいごとだと言われるかもしれません。しかし、「予言の自己成就」という言葉を思い出してください。こうあってほしいと願う気持ちが、現実を動かすこともあるのです。決して楽観はできませんが、悲観してはいけないと思います。そして、ぜひ世界のモデルとなる成熟した社会を実現してほしいと思っています。

text:佐藤 譲

アンドルー・ゴードン氏

アンドルー・ゴードン
Andrew Gordon

ハーバード大学歴史学部教授
1952年ボストン生まれ。ハーバード大学で博士号取得。デューク大学教授を経て1995年からハーバード大学歴史学部教授(2004年から07年まで歴史学部長)。1998~2004年と2011~12年ライシャワー日本研究所所長。専攻は日本労働史だが、近年ではジェンダー史や流通・消費生活にも広がっている。日本の近現代史について「英語文献で最も重要な貢献をしたアメリカの研究者」として世界的に高く評価されている。3.11東日本大震災以降,ハーバード大学における日本支援活動の中心となって活動し、東北大学災害科学国際研究所アーカイブ・プロジェクト「みちのく震録伝」に携わる。国際日本文化研究センター外来研究員としても活動中(研究テーマ:「失われた20年」の同時代史に向けて)。
主な邦訳書:『日本労使関係史 1853-2010』(二村一夫訳、岩波書店、2012年)。『日本の200年――徳川時代から現代まで(上・下)』(森谷文昭訳、みすず書房、2006年、新版2013年)。『ミシンと日本の近代―消費者の創出』(大島かおり訳、みすず書房、2014年)。


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