東日本大震災が発生した2011年、個人からの義援金や支援金などは総額5000億円を超えたといわれる。さまざまな復興事業に使われる一方で、「私が送った1万円は結局何に使われたのか分からない」という声も多い。
「東日本大震災の時はツイッターなどで大勢の人が情報を迅速に共有できた。情報はピア to ピアでボトムアップになっていたのに、肝心のお金の流れだけはトップダウンで、相変わらず。必要な時に必要な人になかなか届かない。そんな支援に対するお金の流れの透明性や迅速性を、ネットを使って何とかうまくシステム化できないものかという思いもありました」。そう語るのは、日本で初めてインターネットを通じた支援金集めのサービス、クラウドファンディングを始めたREADYFOR株式会社代表取締役の米良はるか氏。
2011年4月のサービス開始から3年半以上がたち、さまざまなプロジェクトを支援するために集まった支援金は累計で8億4,000万円を超えるなど、国内最大のシェアを誇る。
2011年、米良氏はダボス会議に日本人として史上最年少で選ばれ参加した。
「資金がないからできない、ではなく、人々がもっと気軽に誰かの夢を応援できるように。そして、応援した側も楽しめて、自分の夢に向かって走り出せるような社会にしたい」という米良氏に、クラウドファンディングにかける思いを聞いた。

応援する側も楽しめるような資金集めのシステムづくり

――クラウドファンディングについて、簡単に教えてください。

米良はるか氏米良 「Crowd(クラウド、群衆)」と「Funding(ファンディング・資金集め)」を足した造語です。夢や目標を実現させるために、インターネットを利用して多くの人から少額の寄付金や支援金を募り、結果的に大きな支援金を集めることができるのが「クラウドファンディング」です。

「やりたいことがあるが、資金が足りない」というプロジェクトは、まず「READYFOR」のサイトに掲載してもらって、プロジェクトの内容を紹介するとともに、目標金額と募集期間を設定し、支援金を募ります。期間内にプロジェクトの内容に賛同する人たちの支援を得て目標金額に達した場合のみ、プロジェクト成立とみなされ、支援金が渡されます。成立しない場合は、支援してくれた方々にお金を戻します。これまで、1700以上のプロジェクトが掲載され、6万5,000人以上が支援した結果、約7割のプロジェクトが目標金額を達成し活動できました。その累計金額は2014年12月現在で8億5千万円に達しています。

プロジェクトは、震災関連や青少年教育など社会貢献の内容も多いのですが、地域おこしのための書籍出版や自主映画の制作など、幅広いプロジェクトを支援しています。支援する金額も1000円の人もいれば、50万円の人もいて、みなさんが思い思いに気軽に参加できるのが特徴です。

支援してくれた人に、お金には代えられない価値でお返しを

――READYFORの支援活動は、ただ寄付するのではなく、「購入型」ということで支援してくれた人への“リターン”が設定されています。これが、従来のお金を出して終わり、という寄付スタイルとは異なりますね。

米良はるか氏米良 READYFORのファンディングは、寄付や投資とは異なり、「購入型」です。目標金額を達成でき、プロジェクトを始めることが可能となった「実行者」は、お金を出してくれる「支援者」に対して、リターン(引換券)をお渡しします。このリターンは、商品だったり、何かをする権利だったりします。具体的にどんな内容のものをリターンにするかは、それぞれのプロジェクトのお世話をするREADYFORの担当スタッフと一緒に考えます。

例えば、日本で初めて造られた四輪駆動車「くろがね四起」をよみがえらせようというプロジェクトでは、車好きの方や日本の技術を後世に残したいという思いに賛同するさまざまな方が支援してくださいました。1万円の支援をしてくださった方には、お名前を入れたプレートを施設に展示する権利、10万円の支援では、再現したその車の助手席に乗って走ることができる権利など、支援金額に応じてリターンは変わります。
松竹株式会社との共同で実施した、日本映画界が世界に誇る監督・小津安二郎のフィルムをデジタル修復するプロジェクトでは、「50万円で映画祭のレッドカーペットを歩ける」という権利がリターンでしたので、購入された方も何人かいらっしゃいました。

その支援者自身にとって価値のある、心をくすぐられるサービスや、そのプロジェクトでしか得られない体験をお礼として提供することを心掛けています。金額に見合うリターンかどうかというより、お金には代えられないその人だけが体験できる、「ワクワク感」や「限定感」を心掛けています。

また、企業と資金を出し合うサービスもあります。「マッチングギフト・サービス」といって、必要な資金の半分を一般の方々から、そして残りの半分を企業が提供するものです。

パラリンピックの女子スキーチームのため
ネットで寄付を募る「チアスパ」を立ち上げる

――米良さんはREADYFORのサービスを立ち上げる前、学生時代に既に「Cheering SPYSEE(チアスパ)」という活動で、インターネットを通じた寄付を呼び掛けていますね。

米良はるか氏米良 大学3年生の時にインターゼミで当時東京大学大学院数理学研究科准教授だった松尾豊先生と出会いました。松尾先生はWebと人工知能の研究が専門で、その頃「あのひと検索 スパイシー」という人物検索Webサービスを開発中でした。松尾先生からインターネットのことを教わり、その限りない可能性に引かれ、スパイシーの開発プロジェクトメンバーの1人に加えていただきました。今までにない、社会にインパクトを与えられるサービスをみんなで創るんだと、ワクワクしたことが忘れられません。

4年生の時、パラリンピックの女子スキーチーム日本代表の荒井秀樹監督と出会い、スキーに使用するワックス代の資金がない、という話を聞きました。そこで松尾先生にご相談し、ネットで100万円の寄付を募る「チアスパ」を立ち上げました。そのとき、いろんな思いに対して、みんなが応援し、ネットで幅広く資金を集めることは素晴らしいと思ったのです。
一方で、ただ「困っているからお金を出してあげる」というだけでは限界がある、応援する側にも何らかのメリットがあり、楽しんでお金を出せる仕組みをつくらなければ広く普及させるのは難しいなと感じました。

英国・米国への留学で「個人として生きる」に目覚める

――4年生の夏には、イギリスの名門LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミー)に短期留学されています。

米良 大学時代、私も周囲と同じように就職活動をしてはみたのですが、もっといろいろなことを勉強したいという思いがありました。ちょうど最終にまで行った企業に入れなくて落ち込んでいた時、「海外に出て、もっと広い世界を見た方がいいよ」という友人の勧めがあり、大学を卒業後LSEに短期留学しました。そこで初めて、「個人として生きる」という意識を持つようになったと思います。

例えば、一番仲良くなった香港出身の女の子は、パイロットになるという子どもの頃からの夢を公言し、それに向かって勉強をしていました。
実は、最初にそれを聞いた時、「女の子がパイロットになるなんて公言しちゃって。そんなのムリだろう」と思ったのです。それまで、自分の周囲にはそんな夢を公言して、そのために頑張って努力しているような友人に出会ったことが無かったからです。
彼女はその後、夢を実現して憧れのパイロットになり、いまでは世界の空を飛び回っています。他の友人たちもそれぞれしっかりとした自分の夢を持っていて、研究したいことがあれば大学に残って研究するとか、好きなことがあればそれを仕事にするために努力するなどしていました。卒業したら「新卒一括採用に乗り遅れないで、どこかの大企業に就職したい」、なんて言っている人は1人もいませんでしたね。
日本には日本の社会ルールや価値観があり、それらを否定するわけではありません。ただ、世界には、もっといろいろな価値観や多様な生き方があると留学したことで気づき、「1つの価値観だけに縛られる必要はないんだ!」と思えたことがとてもうれしかったことを覚えています。

また、夢や志を他人に公言したり宣言をしたりするということは、何かを実現する上で非常に大事なことだと気づきました。公言や宣言をした以上、努力もしますし、そう簡単には引き下がれない。さらに、背中を押してくれる人や支援者も出現し、道が開ける可能性も出てきます。
そのことは後にREADYFORを立ち上げるようになって、仕組みに取り入れました。ネット上で自分のやりたいことを公言し、目標金額や期間を宣言することで、支援者も出現し思わぬ大きな輪となって道が開ける可能性が大きくなっていくからです。

――その後慶應の大学院に進まれ、途中でスタンフォード大学に留学されました。そちらはどういったいきさつでしたか。

米良はるか氏米良 2010年、私が慶應の大学院時代に、松尾先生がアメリカの学会に出席されることがあり、何人かの仲間とともにシリコンバレーに同行させてもらいました。その時、私と同じ年頃なのに、すごいビジネスをしている起業家が大勢いることを知ったのです。とても刺激になり、私もぜひこの地で勉強したいと思いました。帰途、松尾先生にそのことを言うと、「みんな口では言うけど、実際はやらないんだよね」と言われたのです。私はそれを聞き、「絶対やってやる!」と俄然やる気が湧きあがりました。帰国したその日から手続きを取り大学と交渉を重ねた結果、1カ月後にはついにスタンフォード大学に短期留学を果たすことができたのです。

スタンフォードでは、インターネットやビジネスについて集中して勉強することができました。ちょうどアメリカでクラウドファンディングがあちこちで立ち上がり、盛り上がりを見せてきた頃です。私は直感的に「私が求めていたものはこれだ!」と思い、200以上の事例を徹底して調べ上げ、研究しました。そして、帰国後は松尾先生や仲間とともに日本向けプラットフォームを構築、READYFORの立ち上げ準備に取り掛かったのです。

情報はボトムアップで、即時性ができたのに
お金の流れだけはトップダウンで古臭かった

――欧米に比べて日本は、寄付やファンディングに対する意識が低いと言われてきましたが、それを事業化するということは、そういう文化が成熟してきたと思われたからでしょうか。

米良 透明性がポイントだと思っています。東日本大震災の時、ツイッターやSNSで、みんなが情報を詳細に得ることができました。これはインターネットが生活に根付いたという大きな証しでした。情報はピアtoピアで整理されてボトムアップになっているのに、なぜかお金の流れだけは相変わらずで、昔ながらのトップダウンのまま。それが気持ち悪いなと思っていたのです。

震災に遭われた方々に使って欲しいとせっかく復興支援金が集まっているのに、ずいぶん時間がたってから分配されたり、途上国に回ってしまったりするのではなく、自分が意志を持って出したお金はその目的のために使ってほしい。もちろん、途上国支援は大切ですし、従来の団体が悪いとは思っていません。ただ、システムが追い付いていないだけだと思ったので、これは私たちが提案するサービスの出番だと思いました。

支援は肩肘張らずに、もっとカジュアルに楽しく。
“沿道で応援する人”も、“ランナー”になってほしい

――プロジェクトは、震災復興支援のような社会貢献的なプロジェクトも多いですが、一方で、趣味のイベントの開催や、マニアックなものも多いですね。

米良 気の毒だからお金を出す、という寄付には同情や偽善的な感情が伴いがちです。でも、「この人、頑張っているからみんなで応援しよう」とか「このイベント楽しそうだから自分も参加してみたい」という思いはもっと気楽です。READYFORのサービスは、大上段に構えていない、とてもカジュアルな支援です。

プロジェクトの実行者がマラソンのランナーだとすると、支援者はそのランナーを応援する沿道の人たち。そして応援していた人の中にも、走っている姿を応援しているうちに、ふと「自分もやりたいと思っていたことがあるから、ひとつチャレンジしてみようかな」と思う人も出てくるはずで、そういう社会を目指しています。誰かを応援しているうちに、自分も走った方が楽しいよね、と。そうするとどんどんチャレンジの輪が広がっていく。そんな、やっていて楽しいと思える仕組みにしていきたいですね。

――実行者はどんな方が多いのですか。

米良はるか氏米良 老若男女さまざまです。これまでの最高齢は84歳の男性で、東京のNPO法人の方です。このNPOが、東京の高齢者を元気にする試みをされていて、健康法・老化予防のイベント開催、そしてホームページ拡充などのための費用を集めていました。50万円の目標金額は既に達成しています。(*1)

最年少では、島根県津和野町の男子中学生です。自分の母校の小学校が、2015年4月に複数人の小学生が入学しないと廃校になってしまうということで、「母校を守りたい」と立ち上げました。小学生を増やすには、小学生の子どものいる何組かの家族にこの地区に移住してもらう必要がある。そのためには、空き家を改修して住居環境を整えなければということで、資金集めをしています。(*2)

その他にも、一部に熱狂的なファンがいるプロジェクト、例えば「一流棋士を集めた囲碁の十三路盤選抜プロトーナメント戦開催費用」(*3)や、「浜名湖に隠された旧日本軍の戦車を磁気探査によって発見したい!」(*4)など、登録した全プロジェクトの約7割が目標金額を達成し、夢や思いを実現しています。

*1: https://readyfor.jp/projects/tokyokoureisha
*2: https://readyfor.jp/projects/sabumies
*3: https://readyfor.jp/projects/igo13ro
*4: https://readyfor.jp/projects/SENSHA

text:深井久美

後編はこちらから

米良はるか氏

めら・はるか
米良 はるか

READYFOR株式会社 代表取締役
1987年生まれ。2010年、慶應義塾大学経済学部に在学中、「あのひと検索スパイシー!」の開発に携わり、「あのひと応援チアスパ!」を立ち上げる。卒業後は、2012年同大学院メディアデザイン研究科に進学。米スタンフォード大学に留学し、クラウドファンディングサービスの研究に没頭。帰国後、大学院在学中の2011年4月、日本初のクラウドファンディングサービスREADYFORを立ち上げる。以後、READYFORの統括責任者としてチームを牽引、日本最大のクラウドファンディングサービスにまで育て上げる。2012年には世界経済フォーラムグローバルシェイパーズ2011に選出され、日本人史上最年少でダボス会議に参加。2014年7月、READYFOR株式会社代表取締役に就任。「国・行政のあり方に関する懇談会」のメンバーも務めている。


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