独立行政法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、「はやぶさ」など日本の宇宙探査計画や「イプシロンロケット」、「新型基幹ロケット」などの研究開発を一手に担っている。その開発の現場で重要な役割を果たしているのが、HPC(ハイパフォーマンス・コンピューティング)を使う「数値シミュレーション」という最新の設計技術だ。空気や燃料の流れ方、振動、音、熱などの複雑な動きを精密に予測し、設計に役立てる。
その応用範囲は、航空宇宙や自動車を始め、ガスタービン、ターボ機械、電子回路、建物、橋梁、創薬などの設計にも広がりつつある。モノ作りで重要な試作や実験を数値シミュレーションで置き換えることで設計プロセスの革新が期待されている。
この分野の第一人者であるJAXA宇宙科学研究所の高木亮治准教授に、最新の動向と展望を聞いた。

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最終的に目指すのは、製造業が数値シミュレーションだけで設計を行う形態

――もの作りの面でも、数値シミュレーションを活用する設計プロセスは、最適設計や設計の準自動化、開発の効率化、製品の高性能化などに貢献すると期待されています。これによって日本の製造業の国際競争力はかなり向上するのでしょうか。

高木亮治氏高木 文部科学省の「HPCI戦略プログラム分野4次世代ものづくり」が、日本の次世代もの作りの革新を進めており、私達JAXAも参加しています。その中で私は計算流体力学(CFD)のアプリケーション・プログラムを、産業界の人たちに使ってもらうことを進めています。

その応用分野としては、航空宇宙だけでなく、ターボ機械、船、発電用ガスタービンなどの重厚長大産業や、自動車、攪拌機、パイプライン、建物の振動、新材料などいろいろな分野で関係してきます。

製造業の復活を目指す米国もこの分野に力を入れています。ライバルであるNASA(米航空宇宙局)とJAXAを比べると、大型計算機の能力や予算、人員ではJAXAは劣りますが、イプシロンロケットの射場設計など、いくつかの重要なポイントでは彼らを凌駕していると自負しています。

一般産業分野、中でも自動車はどんどん先行していて、数値シミュレーションが今や設計開発の必須条件になり、設計アイデアの候補を決める段階で使っていると聞いています。大規模なHPCを駆使して短期間に多くの解析を行い、よりよい設計候補を選び出すのです。このような際には、以前のように風洞実験をしないで、数値シミュレーションだけで評価を行っています。数値シミュレーションを使うことで設計が効率化されてスピードアップし、開発の手間やコストを大きく減らしています。

私たちが最終的に目指すのは、多くの製造業が数値シミュレーションだけで設計を行う形態です。この面で日本の自動車産業は世界の最先端を走っています。各社とも高性能のHPCを所有していると思いますが、その性能は絶対に公表しません。その数値によって開発能力がある程度知られてしまうからと思います。

数値シミュレーションだけでなく、やはり実験が不可欠なケース

――自動車以外でも、数値シミュレーションとそれをサポートするHPCがあれば、実験がほとんどいらない設計プロセスを実現できる時代が来るのでしょうか。

高木 ひょっとしたら一部の製造業では実験を完全になくせるかもしれませんが、航空宇宙分野では、私たちの時代にはそこまでは行かないと思います。
実験には2つの大切な意味があります。1つは数値シミュレーションの手法の正しさを検証する意味。新しい数値シミュレーション手法が開発されたら、必ず、その正しさを証明するためには実験が必要となります。もう1つは、宇宙分野特有かもしれませんが、「もの」としての信頼性確認の意味です。ロケットや衛星などの場合は打ち上がってしまうと故障があっても修理できないので、実際に地上で激しく揺さぶるなどさまざまな実験をして壊れないか、設計図通りにできているかなどを確認する必要があります。

また、熱がからむ設計も数値シミュレーションだけでは難しいと思います。例えば、部品を接合した接合面での熱抵抗の問題があります。実際は溶接、接着剤、ボルト締めなど組み立て工程に大きく影響を受けるため、これを数値シミュレーションだけで正確に予測することは非常に困難です。こうしたものは、やはり実際に実験してデータを取得し、数値シミュレーションに組み込むことが必要となります。

HPCクラウドを上手に使いこなすために

――企業が自前でHPCを所有するには、かなりの負担が生じます。IT企業はクラウド技術を活用して、必要な時に必要な計算規模の数値シミュレーションを提供するサービスを推進しています。この「HPCクラウド」の将来性についてご意見をお聞かせください。

高木亮治氏高木 企業にとってHPCクラウドはとても有効な手段であり、今後とも不可欠なツールだと思います。
しかしながら、それ以前の問題として、一般の企業には数値シミュレーションに精通した人材が足りていないのが実情です。プログラムというのは、市販のソフトに何か入力すれば何らかの結果は出てきます。ただ、それが「本当に自分が望んでいるものか」「そもそも正しい結果か」を評価できる人材がいないと、間違った結果を得ることになり危険です。
以前は、企業も社内で数値シミュレーション・ソフトの開発チームを持っていましたが、今では一部の企業を除いて少なくなっているように聞いています。大企業でもそうなので、まして中小企業では人材育成は大変です。
ですから、ソフト・メーカーとかクラウド・サービスを行うIT企業も含めて、そういう専門家を育てて行く必要があると思います。

携帯電話が世界に普及したのは、皆が「遊び」に使うことに熱中したからです。HPCも遊びの分野で使うような何か思いがけないチャンスが来れば、ひょっとしたら普及は早いのかも知れません。

――スパコン開発が、ペタからエクサスケールへ進むには、どのような開発課題があるとお考えですか。また、米国、中国など世界の現状はどうなっているのでしょうか。

高木 詳しくは計算機の専門家に聞かねばなりませんが、「京」をはじめとしてその次の世代のスーパーコンピューターはベクトル型ではなく、スカラー型の計算機です。もともと流体計算はベクトル型と相性が良かったのですが、現在はスカラー型の計算機が主流です。そのためユーザー側である私たちが、いろいろな技術や知識を持って、計算機を使いこなせる技術を獲得ししなければなりません。
また、エクサ級になると電力を大量に消費するので、CO2削減の観点から省電力が大きな課題になっています。

世界では、中国と米国が国家の威信をかけてスーパーコンピューターの開発に力を入れています。私たちはスーパーコンピューターの性能で競争しているわけではなく、高性能なロケットを開発したいとか、人類を安全確実に宇宙に送り込みたいとか、そういう分野で勝負しています。数値シミュレーションは今後ますます重要な開発ツールになります。効率よく開発ツールを動かすために、さらなる高性能スーパーコンピューターの登場を期待しています。

高木亮治氏

text:木代泰之

高木亮治氏

たかき・りょうじ
高木亮治

宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究所 学際科学研究系 准教授
1966生まれ。1991年 京都大学大学院工学研究科航空工学専攻修了、修士(工学)。2001年 東京大学大学院工学系 博士(工学)。1991~2003年 航空宇宙技術研究所、1999~2000年 NASA Glenn研究所 研究員。2003年より現職。
専門は流体力学、研究テーマは、宇宙開発に関連する計算工学、特に宇宙機の空力特性に関すること。一般に計算流体力学(CFD)と呼ばれ、高速計算機を用いて流体現象の数値シミュレーションを行っている。


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