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日本は世界でも類いまれなる森林大国だ。四季に恵まれ、夏は高温多湿な風土で樹木がよく育つ。その自然を利用した林業は、かつて日本の代表的産業だったが、戦後は安い輸入材に押され、国産材による供給率が少なくなった。それでも、国土の7割を森林が占め、今でも先進国ではトップクラスの緑の国土を誇っていることに変わりはない。
私たちにとってそんな身近な「木」という天然資源が、いま、夢の材料として大いに注目され始めているのをご存知だろうか。その材料とは、「セルロースナノファイバー」。植物の構造の骨格を成している基本物質「セルロース」をほどいて再構成した繊維材料、それがセルロースナノファイバーだ。
「セルロースナノファイバー」は、炭素繊維(カーボンファイバー)の6分の1程度のコストで、車のボディから家電製品まであらゆる工業製品の材料になる可能性を秘めている。
この新材料が社会で本格的に活用される時代を迎えれば、日本はまさに再生可能な資源大国になるといった未来像さえも描ける。
そこで、この夢の新材料の生みの親、京都大学生存圏研究所の矢野浩之教授に、セルロースナノファイバーの研究開発のいきさつから実用化に向けた道筋、そしてその“先”に見えているものを語っていただいた。

前編はこちらから

評判と実質の一致に向け、今はまだ解決すべき課題が残っている

2001年に鋼鉄の強度を超えてから14年あまり。セルロースナノファイバーの実用化が間近に迫っている雰囲気が出はじめている。企業がセルロースナノファイバー量産への道筋をつければ、あとは夢の材料が実用化される日を待つばかり、とつい思ってしまう。 だが、矢野教授は、そんな今の雰囲気を「まだ羊頭狗肉の状況」と表現する。素晴らしい機能ばかりが注目されているが、実用化までにはまだ解決すべき技術的課題がいくつかあり、現状は評判と実質が一致していないと率直に語る。

「実際は大変です。たとえば、セルロースナノファイバーをプラスチックに配合して、これを自動車用材料などに使えば、軽くて安くて使い勝手のよい自動車が実現することになります。ところが、大部分のプラスチック材料は油分でできています。一方のセルロースは植物中では水と親和性が強い。油と水の性質のものを混ぜても、サラダドレッシングと同様、なじんでくれないのです」

この課題に対しては、矢野教授の研究チームの一員である京都大学の中坪文明名誉教授が、プラスチックとセルロースナノファイバーの相溶性を高めるための化学修飾の技術を研究開発しているところだ。有効な解決が期待される。 透明化できることを考えると、ガラス材の代替材あるいは配合材としての用途も考えられる。

「ガラスと置き換えられたら、確かに面白いですね。でも、車のフロントガラスを代替するのはまだ難しい。厚みをもたせながら透明感を出さなければならないし、ワイパーが動いても削られないようにしなければなりません」 矢野教授は「まだ本当のところは完成度は高くありません。知恵を絞っていますが、今はまだ解決すべき課題は残っています」と語る。

“作り手”の思いにさらに寄り添い、自然の力を借りて、日本人ならではの材料作りを

yano_2-1研究者として根源的に持ち続けている「“作り手”の思いをどのように形にしていくか」という考え。矢野教授はこの考えを強調する。 「自然の力をどう借りるかが、基本的な考え方です。人が開発した炭素繊維や金属、セラミックスとはだいぶスタンスが異なると思います。 材料を作る過程のうち、一番大変なところである99.9%は植物が既にやってくれています。残りの0.1%を人間の知恵を一所懸命出すことで材料としての形に変えて行く。セルロースナノファイバーとはそういう素材です」

“作り手”の思いに本気で従っていることを感じさせる、こんな発言も飛び出した。
「植物がどうなりたかったのか聞いた結果として、強くなるという方向が見えたため、今は植物が創りだした力を借りて、セルロースナノファイバーという形にしています。でも、この研究をずっと続けるかは分かりません。“作り手”の植物からすれば、完成度が最も高いのは樹木の状態なのです。そこからブレークダウンした構造体であるセルロースナノファイバーは、人間にとっては使い勝手がよいけれど、“作り手”からすればあくまで1つのパーツに過ぎません。だから将来的には、木材というより高次な構造体から、ハイパフォーマンスな材料を創り出せたらなとも思っているのです」

すでに私たちは、構造体からすれば木材という高次の材料を使って、家を立てたり、家具を作ったりしてきた。だが、矢野教授の頭の中には、そうした木製品よりもさらに“作り手”の思いを活かせるような材料の姿があるようだ。 「従来の木製材料で、自動車を作りました、飛行機を作りましたというような、エコを前面に押し出すような感じではありません。研究としては、セルロースナノファイバーよりももっと先のものを作りたいという気持ちはあります」

矢野教授の示すこうした考え方は、同じセルロースナノファイバー関連の材料を研究する世界の研究者とも一線を画すものだ。それは、自然にある資源を搾取しようとするのではなく、使わせてもらうという日本人の感性がストレートに研究姿勢に反映されたものといえよう。

「人間が自然を支配するという感性だと、自然に対する驚き、つまりセンス・オブ・ワンダーは生まれてこないと思います。世界初のものを作り出して、海外の研究者から『どうしてお前はこれをつくったんだ』と聞かれたら、『私はジャパニーズだから』と答えられたらうれしいなと思っています」

text:漆原次郎

矢野浩之氏

やの・ひろゆき
矢野浩之

京都大学生存圏研究所生物機能材料分野教授。農学博士。
長野県松本市出身。1982年3月、京都大学農学部林産工学科を卒業。1984年、同大学大学院農学研究科修士課程林産工学専攻を修了。1989年に論文により農学博士を取得。1986年から京都府立大学農学部助手、1992年から同大学講師を務める。1998年に京都大学木質科学研究所助教授に就任。2002年に秋田県立大学木材高度加工研究所客員助教授。2004年より京都大学生存圏研究所教授。主にバイオ系ナノ材料の研究・開発に力を注ぐ。2000年から植物の基本骨格物質となるセルロースナノファイバーを用いた材料開発を進める。研究分野はセルロース、ナノファイバー、ナノ材料、バイオマス、木材。
日本木材学会や日本材料学会、セルロース学会などに所属。ナノセルロースフォーラム会長。1989年に日本木材学会奨励賞、2005年にセルロース学会林治助賞、2009年に日本木材学会賞を受賞している。

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