日本人の2人に1人はがんにかかる。中でも転移や再発を繰り返す「進行がん」は死亡率が高い。東京大学先端科学技術研究センターの児玉龍彦教授は、その「進行がん」の細胞を狙い撃ちしピンポイントで薬を投与する技術の開発に挑んでいる。
スーパーコンピューターによるシミュレーションで人工的に設計した抗体と低分子化合物を利用し、薬を無駄なく患部に運ぶ。まだ動物実験の段階だが、国際特許も次々に取得しており、実用化されれば、抗がん剤の副作用に苦しむ膨大な数の患者にとって大きな福音となる。
児玉教授は2011年3月の東日本大震災による福島の原発事故以降、放射能で汚染された福島県南相馬市に通っている。放射線の専門家として、毎週南相馬市を中心とした被災地で除染活動に取り組み、放射線の測定方法や放射線量が局所的に高い「ホットスポット」の探し方を関係者らに指導し続けてきた。
がんの創薬への情熱と、放射線被災地の除染や復興に心を砕く児玉教授に、がん治療法開発の状況や、被災地でのその後の活動について伺った。

英科学誌『Nature』の「世界に影響を与えた科学者10人」に選ばれる

児玉龍彦教授は、冷静な洞察力を備えた科学者であると同時に、弱者への思いやりに満ちた熱い心の持ち主でもある。このインタビュー中も、「3・11」の原発事故以来放射能汚染に苦しめられてきた農家の人々が、除染された試験耕作田で、販路も定かでないコメ作りに懸命に取り組んでいる話になると、思わず声を詰まらせた。

児玉教授は2011年7月27日の衆議院厚生労働委員会の参考人招致で意見を述べ、最後に、次のように結んだ。
「汚染地で徹底した測定をしなくてはいけません。3カ月経っても全く行われていないことに、私は満身の怒りを表明します!」

この審議は中継されネットでも配信されたため、被災者に寄り添い行動する科学者の姿勢が世界の共感を呼んだ。同年末の英科学誌『Nature』は、「日本では珍しい熱血派の科学者」と紹介し、その年の「世界に影響を与えた科学者10人」に選んでいる。

児玉教授は今も福島を訪れる。原発事故以来、東大アイソトープ総合センター長として、毎週末南相馬へと400km車を走らせて、自ら除染指導にあたってきた。原発事故当時は自身の肝臓を妻に移殖し1年経過したばかりの頃だったが、その妻を残してのことだった。
「福島が抱える問題に正面から向き合うことで、新しい科学が生まれる」が信条だ。例えばコメの放射能汚染度を流れ作業で検査する装置は、ノーベル賞を受賞した田中耕一氏のいる島津製作所に協力を仰ぎ、チェルノブイリ事故当時の400倍の速さでセシウムの検査ができるようにした。これは世界のスタンダードになった。今は魚を対象とした検査機を開発中だという。 この辺りの話はインタビュー後編にご紹介するとして、まず教授が挑戦している進行がんを狙い撃ちする新しいがん治療法について語っていただく。

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がん細胞をピンポイントでマークし、薬がその細胞だけを狙い撃ちする

――スーパーコンピューターを駆使して創薬する児玉先生のがんの治療法が世界の注目を集めています。どういう仕組みなのでしょうか。

児玉 抗がん剤を患者さんに投与すると、がん細胞に達するまでに身体中を回り、正常な細胞にも悪い影響を与えます。がんの薬は、吐き気、抜け毛、食欲不振、全身の倦怠感などの副作用が出て体力が落ちます。がんそのものへの恐怖だけでなく、こうした治療への恐怖心をも患者さんに抱かせ苦しませてしまいます。
何とかしてこうした副作用をなくし、がん細胞だけをピンポイントで狙い撃ちできるような治療ができないかという発想が出発点です。2009年に政府の最先端研究開発支援プログラムに選ばれ、30億円の予算で研究を始めました。

この治療法は「プレターゲッティング治療」と言い、2段階に分かれています。
第1段階では、がん細胞にくっつく「抗体」(タンパク質)を体内に入れてがん細胞をマーキングし特定します。その上で、第2段階として、その抗体にくっつく「低分子化合物」に制がん剤やアイソトープなどの薬を持たせ体内に入れます。するとマーキングしたがん細胞に薬が届き、がん細胞だけを狙い撃ちすることができるのです。

私は、この第1段階の抗体をギリシャ神話になぞらえて「キューピッド」、第2段階の低分子化合物を「プシケー」と、呼んでいます。互いが「ダンシング・パートナー」のように求め合う関係です。がんに集積しなかった「キューピッド」は尿などとして排出されるので、1週間ほどすると、がん細胞の部位が正確に把握できるようになります。

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[図]プレターゲッティング治療の仕組み  出典:THE PAGE

スーパーコンピューターの高性能化で実現した技術

――その抗体と低分子化合物を設計するのに、スーパーコンピューターが活躍するわけですね。

児玉 そうです。抗体や低分子化合物は、がんの種類などいろいろな条件を組み合わせて作り出す必要があります。設計にはまさに天文学的とも言える膨大で複雑な計算が必要です。そのためスーパーコンピューターによるシミュレーションで、いろいろ試してみることが不可欠なのです。

幸い自然界には、体内で瞬間的にくっつくことが知られている物質の組み合わせがあります。ストレプトアビジン(放線菌が作るタンパク質)と、ビオチン(ビタミンの一種の低分子化合物)です。
抗体としてストレプトアビジンを選べば、がん細胞をストレプトアビジンでマーキングできます。その後ビオチンに薬を持たせて送り込めば、ビオチンがストレプトアビジンにくっつき、がん細胞に薬が届きます。このアイデアは30年ほど前に米国で考案されました。

ところが動物実験ではうまくいくのに、人間には使えませんでした。1つはストレプトアビジンを人体に備わっている免疫が異物として排除してしまうこと。もう1つは、ビタミンであるビオチンが人間の体内にもともとあるため、ストレプトアビジンを注入すると瞬間的にくっついてしまい、がん細胞に届かないのです。

そこで、スパコンによるシミュレーションでストレプトアビジンを「ヒト型化」する、つまりヒトのタンパクと同じ性質に改変して、免疫のアレルギーが起きないように設計します。またビオチンもそれに合うように改変することで、問題を解決しています。

スパコンで設計したタンパクが機能することは30年前に予測されていましたが、当時の演算速度では証明は不可能でした。ところが、今やスマートフォンが当時のスパコンをしのぐほどコンピューターは高性能化したために、予測の正しさが証明されました。

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個人個人の病状に合わせた「パーソナライズド医療」に道を開く技術

――すでに大腸がん向けの特許を出願しておられますが、他にどのような種類のがんに適用できるのでしょうか。また実用化の見通しはいかがですか。

児玉 ターゲットは再発や転移を繰り返す「進行がん」です。進行がんは小さいうちに内視鏡で摘出しても、全身に散らばってしまいます。いま可能性として考えているのは悪性リンパ腫、肺がん、肝臓がんなどです。

それらのがんのキューピッドやプシケーの候補がどんどん出て来ており、国際特許が成立しています。しかし、大切なことはまずは1つのモデルで実例として成功することなので、目下、大腸がんの治療法の確立を中心に進めています。
この治療法は薬ががん細胞に集中するので、少ない薬量で効果を発揮します。よく使われる抗体医薬品(身体が作る抗体ががん細胞に結合する性質を利用した薬品)は効き目が弱いという欠点があり、それを補うことができます。

まだ動物実験の段階ですので、安全性や副作用をしっかりと確かめなければなりません。人への適用は5年とか10年先になると思いますが、将来的には、個人個人の病状に合わせた「パーソナライズド医療」に道を開く技術と言えます。

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イノベーションを起こすには、新しい血と知を取り入れなければならない

――先生の研究にはタンパク質工学、薬学、生物構造学、分子シミュレーションなど多数の専門家が参加しています。異領域の学問が1つに結集するのが当たり前の時代になったのですね。

児玉 学問は分業ではなく融合しないといけません。特に異領域の若い人たちがチームを作って融合することがすごく大事です。自分の専門分野だけでなく他の領域を知っている人を仲間に取り込み協力し合うことに意味があります。
従来の考え方は、誰かリーダーがいて、その下に分業の人たちが集まっているという形ですが、これはうまくいきません。細かい情報や複雑なニュアンスの伝達、そのフィードバックがスムーズにできないのです。日本の科学技術が最近ちょっと停滞しているのは、そのやり方が一因となっていて、さまざまな分野で老化や固定化が起きているからではないでしょうか。

大学も企業も自分のミッションを固定化してしまう傾向は問題です。本当のニーズに応えるには違った要素を内側に取り入れる柔軟さがなくてはならない。それには若い人たちが新しいチームを作ることです。日本のこれからのイノベーションのために、今ほど新しい血と知が求められている時代はありません。

文: 木代 泰之

後編はこちらから

児玉 龍彦

こだま・たつひこ
児玉 龍彦

東京大学アイソトープ総合センター センター長 兼 東京大学先端科学技術研究センター教授
1953年東京都生まれ。医学博士。1977年東京大学医学部卒業。東京大学医学部助手、マサチューセッツ工科大学研究員等を経て、現在、東京大学先端科学技術研究センター教授(システム生物医学分野)、東京大学アイソトープ総合センター長兼任。 1997年「読売新聞社東京テクノフォーラム21」ゴールドメダル、1998年「ベルツ賞35周年記念特別賞」受賞。 著書:『考える血管』(共著、講談社ブルーバックス)、『逆システム学』(共著、岩波新書)、『新興衰退国ニッポン』(共著、講談社)、『内部被曝の真実』(幻冬舎新書)、『放射能から子どもの未来を守る』(ディスカヴァー携書)、『フクシマからはじめる日本の未来』(共著、アスペクト)など多数。


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