日本人の2人に1人はがんにかかる。中でも転移や再発を繰り返す「進行がん」は死亡率が高い。東京大学先端科学技術研究センターの児玉龍彦教授は、その「進行がん」の細胞を狙い撃ちしピンポイントで薬を投与する技術の開発に挑んでいる。
スーパーコンピューターによるシミュレーションで人工的に設計した抗体と低分子化合物を利用し、薬を無駄なく患部に運ぶ。まだ動物実験の段階だが、国際特許も次々に取得しており、実用化されれば、抗がん剤の副作用に苦しむ膨大な数の患者にとって大きな福音となる。
児玉教授は2011年3月の東日本大震災による福島の原発事故以降、放射能で汚染された福島県南相馬市に通っている。放射線の専門家として、毎週南相馬市を中心とした被災地で除染活動に取り組み、放射線の測定方法や放射線量が局所的に高い「ホットスポット」の探し方を関係者らに指導し続けてきた。
がんの創薬への情熱と、放射線被災地の除染や復興に心を砕く児玉教授に、がん治療法開発の状況や、被災地でのその後の活動について伺った。

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米国の大学は研究に関する限り「成果主義」ではなく、「原理主義」である

――先生の有名な業績の1つに動脈硬化の遺伝子発見があります。米国留学からの帰途にアラスカ上空で発見し、研究に対する考え方が変わったそうですね。

児玉 1985年にMIT(マサチューセッツ工科大学)の生物学部に留学し、動脈硬化の遺伝子研究に従事しました。当時、動脈硬化に関係する遺伝子があることは言われていましたが、誰も証明できていなかったのです。 実験用の牛の臓器からタンパク質を何度も何度も繰り返し取り出して調べるのですが、動脈硬化に関連する遺伝子は見つかりませんでした。

滞在期限が切れて日本に帰国する機上で、最後の日にやった実験の結果を9歳の息子に手伝ってもらいながら調べていて、飛行機がちょうどアラスカの上空にさし掛かった時、ついに遺伝子を発見したのです。私はその遺伝子に飛行機の便名から「PJAL5(ピー・ジャル5)」というニックネームを付けました。

――その遺伝子がきっかけとなり、後に動脈硬化を抑える薬が生まれ、先生は世界的な科学者となられたのですね。

児玉 同じように努力しても成功する人と失敗する人がいる。成功・失敗は「時の運」なのだと感じました。予測にないものに出会えば大発見ですが、それにいつ出会うかは、それこそ予測できない。大事なことは我を忘れてチャレンジできる時間と環境がどれくらいあるかです。
MITを始めとした米国の大学がすごいと思うのは、日本から来た一介の研究者に、成果が出るかどうか分からないのに集中して研究させてくれたことです。研究に関する限り、米国は成果にこだわらずとことんやらせる「原理主義」なんです。

放射線の専門家として被災地の除染と復興に先頭に立って取り組む

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――ところで、「3・11」大震災の後、福島の南相馬市で除染活動にあたられましたが、これはどういう思いからだったのでしょうか。

児玉 震災直後は東京に降る放射性物質や水質を測定していました。4月に東大のアイソトープ総合センター長に就任し、5月末に南相馬市に入ると、市長から「何とか小さい子どもを守ってください!」と頼まれました。そこでまずは幼稚園や小学校などから放射線を測定していき、緊急除染に取り組んでいったのです。

また、コメの放射線量を測定する検査機の開発にも取り組みました。2012年1月に流れ作業で検査できる装置を導入し、セシウムの測定感度を400倍に高めることができました。これは世界のスタンダードになっています。21世紀の科学は現場主義で、チャレンジングでなければいけません。

その翌年には常磐自動車道の除染に取り組みました。地域経済復旧のために真っ先にやるべきことは道路の除染と開通です。これで南北がつながった意味は大きいと思います。

現在、開発中なのは魚の放射線量を測定する検査機です。魚の検査機は流れ作業で低温・高湿下でも正確に稼働することが必要です。

試験耕作田で作ったコメを販売するプロジェクトにも取り組んでいます。汚染田は土壌改良や用水路の除染を徹底的にやっているので、かえって他の地域より安全とも言えるのですが、一度付いてしまった「放射能汚染地域」というレッテルはなかなかはがせない。農家が丹精込めて作ったコメも、「福島産」というだけで簡単には売れません。だから販路を確保するために、私のような放射線の専門家が「このおコメは大丈夫です」と言ってあげないといけないのです。

私は南相馬市、浪江町、楢葉町、人口で言えば10万人の地域の除染委員長などを務めていて、今も通っています。地元からおコメが600キロ単位で送られてくると、東大生協などを通じて販売します。国民の協力がなければ本当の復興は不可能です。

福島の放射能問題に真剣に取り組むことで日本は世界一安全な国になれる

――2011年7月の衆議院厚生労働委員会の参考人招致では、政府や国会の対応の問題点を厳しく、時に声を詰まらせながら指摘されました。

児玉 つい感情を抑えられなかったり、言い足りないことがあったり、自分ではだめだなあと思うのです。先輩の先生からは「君はよく言うねぇ。若いね。ちっとも変わらない」とからかわれました。
翌日、息子からメールが来て「お父さん、ネットですごいことになっているよ」と教えられました。私は知らなかったのですが、国会審議がネット中継されていて、大変な話題になっていると言うのです。世の中の情報の流れがすごく変わっていると感じました。

――研究実績のある科学者が社会に向けてメッセージを発信することは、日本ではあまり例がなく、「児玉龍彦現象」と言われました。

児玉 「現象」というのは、一時的に持ち上げて、すぐ叩かれて、賞味期限が切れてオシマイになります。大事なことは、ずっと被災地「フクシマ」の抱える問題を考え続けていくこと。そこに正面から取り組むことによって、新しい科学が生まれます。おコメの検査機はその一例です。
さらに魚の検査機が完成すれば、トレーサビリティの点で日本は世界の最先端を走れる。つまり放射能の問題を逆手にとり、世界で最も安全な国は日本ですよとアピールできるのです。

これからは「情報科学の時代」研究を分業に終わらせず、他領域との融合が大事

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――先生は、高校時代に生物の先生が「これからは遺伝子の時代だ」と熱く語られたのが研究者としての原点となったそうですね。今、若い後継者を育てる立場になられて、何を伝えたいとお考えですか。

児玉 その恩師は貝沼喜平先生という方で、生物部員だった私は実験を通して遺伝子工学の魅力に取りつかれました。おそらく先生は生物の情報が重要な意味を持つ時代が来ることを見抜いておられたのだと思います。この時に叩き込まれた遺伝子工学が私の研究の土台になっているのです。

これからは「情報科学の時代」だと若い人には伝えたいですね。データを集め、分析・処理し、通信する――そういう時代に我々はいます。生物とは結局は情報の集まりではないか。若い人にはそこを追究してほしい。
生物の情報には分子レベル、細胞レベル、固体レベル、社会学レベルと、いろいろな階層があります。研究を分業に終わらせず、自分から違う階層に踏み込んで内部化し融合していく。そうして初めて現実に直面する問題を理解できるようになるのです。

文: 木代 泰之

児玉龍彦

こだま・たつひこ
児玉 龍彦

東京大学アイソトープ総合センター センター長 兼 東京大学先端科学技術研究センター教授
1953年東京都生まれ。医学博士。1977年東京大学医学部卒業。東京大学医学部助手、マサチューセッツ工科大学研究員等を経て、現在、東京大学先端科学技術研究センター教授(システム生物医学分野)、東京大学アイソトープ総合センター長兼任。 1997年「読売新聞社東京テクノフォーラム21」ゴールドメダル、1998年「ベルツ賞35周年記念特別賞」受賞。 著書:『考える血管』(共著、講談社ブルーバックス)、『逆システム学』(共著、岩波新書)、『新興衰退国ニッポン』(共著、講談社)、『内部被曝の真実』(幻冬舎新書)、『放射能から子どもの未来を守る』(ディスカヴァー携書)、『フクシマからはじめる日本の未来』(共著、アスペクト)など多数。


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