ビッグデータ、それは世の中を革新する根源的な原動力だ(後編)

ビッグデータの利用が爆発的に普及し、私たちの社会にかつてない変化をもたらし始めた。膨大なデータの収集と解析によって、これまで漠然と捉えていた現象が 「従来の見える化という言葉では表現出来ないくらい、透き通るように細かく判るようになり」、生活や産業、交通、エネルギー、教育、ヘルスケアなどあらゆる分野でパラダイム・シフトが起きる可能性を秘めている。
国立情報学研究所の喜連川優所長(東京大学教授)は、「我々はいま歴史的な転換点の上を動いている」と語る。喜連川氏は内閣府の最先端研究開発支援プログラムである超高速データベース・エンジンの開発でも知られ、従来の1000倍の処理速度を実現した日本を代表する計算機科学研究者だ。
ビッグデータを活用した社会サービスはこれからどんな分野でどのように発展するのか、そこに限界はないのか。そしてインターネット特有の個人情報保護、著作権、セキュリティーの問題、さらには話題の人工知能などについて、喜連川所長に伺った。

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世界が悪戦苦闘している
著作権法との関係

――ビッグデータの活用ではオーナーシップや個人情報保護、コンプライアンスなどが問題になります。何かよい対応策はないのでしょうか。

喜連川 これは一番難しい課題ですね。特に問題になるのは著作権法との関係です。同法でグレーとされていた検索エンジンがホワイトとして認められたのは2010年1月でした。それ以前から日本企業は検索エンジンの技術を開発していたのですが、著作権者の側から「コンテンツの複製である」と指摘され、研究開発を先延ばしせざるを得ませんでした。先行者利益が圧倒的に高いITの世界では、大変な損失になりました。

しかし、今は日本語の音声認識を経由した検索システムが盛んに利用されるようになりました。システムの裏側にあるのは検索エンジンですから、もし著作権法でグレーとされたら、そのサービスを利用できなくなる心配があります。

ビッグデータ、それは世の中を革新する根源的な原動力だ(後編)

法制度をITの現実に合うように変えるのは難しいことは理解できます。なぜかと言えば、コンピューターは30年間に100万倍という速さで進化したのに対し、新幹線は速くなったと言っても、自転車の10倍程度。リニアモーターカーも100万倍には遠く及びません。
100万倍も速くなる技術変化と、人間の心理や法制度の間にはものすごいギャップがあるわけです。このギャップを埋めるためにどうすればいいのか。日本だけでなく世界のすべての国がルール作りに悪戦苦闘しているのが現状です。
桁違いの情報量を扱うビッグデータの時代を迎えた今、法制度の構築に関わる人々と、技術を担う人々が機動的に議論をし、お互いをよく理解することが大切だと感じる次第です。この種の課題は各所で論じられていますが、言っていてもダメだと感じ、私が会長を務めて参りました情報処理学会では、法律家を招いたワーキンググループを近々作る予定です。とにもかくにも IT屋も法制度についてしっかりと意識を高めてゆくことが大切だと確信します。

著作権者に対し、「検索エンジンによってコンテンツがコピーされて盗まれる」のではなく、「あなたのコンテンツを人々にもっと届きやすくするためのメカニズムです」ということを判りやすく丁寧に説明するという技術者サイドの努力ももっと必要だったのかもしれません。一方で、とりあえず現状を維持して、必要になったら変えればいいということではグローバルに勝っていけないのも事実で、国益を考えた深い議論が必要だと思います。

行く手を塞ぐ
サイバーセキュリティーへの対応

――インターネットの活用によって、ネット攻撃やデータ漏えいの懸念が増します。セキュリティー対応がますます重要になりますね。

喜連川 自動車がネット接続する時代になり、アタックされて、ドライバーの意図とは無関係に暴走するようなことが起こるかもしれない。では、どうすればいいか。実は自動車だけではなく、家庭のHEMSや工場の機器を始めほぼすべての制御システムがネットに接続されつつある今日、同様の不安はつのるばかりで、米国でも議会で多様な議論がなされています。

セキュリティーは、IoTの研究者にとって最も重要なテーマです。冒頭に「IoTはビッグデータを作るためのツールである」と言いましたが、IoTですべてのモノがインターネットにつながれば、セキュリティーの課題が最も重要な課題となることは言うまでもありません。

オバマ大統領のメールすら読まれていたというニュースが流れました。ましてIoTのような軽いデバイスに対してセキュリティーを強固にすることは大変難しい。その前提の上で、セキュリティーをどうデザインするか、セキュリティーの質をどう上げるのかという研究が、これからのIoT研究のほぼすべてだと思います。

技術の進歩の過程で常に、ある程度の不安要素があるのは当然であり、あまり縛ることは技術や産業が発展する上で望ましくないという考え方も、もちろんあります。この議論は今後のIoT時代において、真剣に議論を進めてゆかなくてはならない非常に重要且つ難しい問題でしょう。 

人工知能が進化しても
人間の仕事は無くならない

――IoTや人工知能の進化によって人間の役割が変化し仕事がなくなるという議論があります。先生のご見解はいかがですか。

ビッグデータ、それは世の中を革新する根源的な原動力だ(後編)

喜連川 これはシンギュラリティー(技術的特異点=コンピューターが人類の知性を超える未来のある時点)の問題としてよく話題になりますが、私にはなぜ今あわてて議論するのか必ずしも良く理解できません。IBMさんが初めてコンピューターを作ったとき、単純な経理をする人の数が減ることは目に見えていました。駅の自動改札、スイカやパスモが登場した時、切符を切る駅員が不要になることも分かっていたはずです。

人間は面倒くさいことはどんどん機械に任せるという大きな流れの中で、技術開発を続けてきました。切符係のことは気にもかけないのに、先々の人工知能の影響を受ける人のことを今になって急に心配し始めるという、気持ちが必ずしもよく分かりません。

「Watson」が2011年に米クイズ番組の「JEOPARDY」で勝ったことは、IBM創業100周年のシンボリックな偉業でした。小生は心の底からあっぱれ!と感じた次第です。

ただ、よーく考えてみますと、問題を作る人と答える人を比べた場合、実は問題を作る人の方がはるかに大変であることに気づきます。「答えはこれ以外にはない」ときっちり保証できる問題を作るのは予想以上に大きな労力が必要です。これは大学で問題を作っているといやというほど体験します。その意味では、「Watson」はもちろんすごいことをやってのけたわけですが、冷静に考えますと、極めて丁寧に作られた「答えが1つだけある」という問題に答えただけとも捉えることが出来ます。

いま人類が直面しているのは、むしろ答えがない問題、多様な答えがありどれが正しいか判断がとても難しい問題ばかりです。世界には解かなくてはいけないけれど解けない問題があふれています。

例えば「スマートシティー」は、人口が過度に集中している都市を効率的にしますが、衰退する地方はどうすればいいのか。教育分野では小中高校を経て蓄えてきた子どものポテンシャルを、我々はどのようにしてその子の人生に反映させればいいのか。
ヘルスケアでは、先進国のsmart healthはともかく、1日5ドル以下で生活する20億人の貧困層の人々の健康をどう改善すればいいのか。そんな問題に人工知能は答えられません。人間の役割がなくなることなどありえないのです。

もちろん単純な作業はソフトウエアで置き換えられてゆくのは当然です。すでに述べましたように、それは今までもそうでした。

ビッグデータ、それは世の中を革新する根源的な原動力だ(後編)

人工知能を、「難しい」問題に使うには、まだはるかに遠いレベルだというのが多くの研究者たちの感想だと思います。80年代知識工学がとてもはやりましたが、当時としては期待が大きすぎて、期待外れ感も大きくなった気がします。身の丈にあった姿勢も必要に感じるのは年寄研究者の戯言かもしれません。もちろんこれは研究をディスカレッジしているわけではありません。画像・映像理解も、言語処理も、音声認識も、過去、大きく進歩してきました。これらの飛躍的な進歩が人工知能の要素技術としては、さらにはばたくものと期待しております。例えば、NICTのWISDOM-Xは非常に面白い質問応答システムと言えます。深い基礎技術に裏打ちされた、キュートな(外見上いかにも知的と思わせる)サービスが今後多く出てくることを強く期待したいと思っている次第です。

テキスト:木代泰之

喜連川 優

きつれがわ・まさる
喜連川 優

 

国立情報学研究所所長、東京大学生産技術研究所教授
1978年 東京大学工学部電子工学科卒業。
1983年 東京大学大学院工学系研究科情報工学専攻博士課程修了。工学博士
1997年 東京大学 生産技術研究所 教授
2010年 東京大学 地球観測データ統融合連携研究機構長
2013年 国立情報学研究所 所長。情報処理学会 会長
主な受賞・褒章等: 2009年 ACM E.F.Codd Innovations Award受賞。2012年 IEEE Fellow。同年 ACM Fellow。2013年紫綬褒章。2015年 21世紀発明賞。


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