成功者とは、成長者。 ――人は諦めなければ、「絶望」を「希望」に変えられる

「創業以来、業績は右肩上り。順風満帆で、つまずき知らず」――という優等生経営者の話は、確かに1度は聞いてみたくなる。
しかし、「学校の勉強は苦手で高校を2度も中退したが、社会に出た途端に頭角を現し、その後は何度も人生の崖っぷちに立たされては、持ち前の情熱と行動力で、まさに不死鳥のように復活し成長してきた」――という社長の話は、何度でも聞きたくなる。
株式会社ネクシィーズ代表取締役社長 近藤太香巳氏の経営者人生は、まさに山あり谷ありだった。しかし今や同社は、LED照明のレンタルサービスや電子雑誌出版などを中核事業として業績好調。近藤氏はグループ10社を束ねる東証一部上場企業の社長としてさらなる成長を目指している。
「成功者とは、成長者」「人は諦めなければ、絶望を希望に変えられる」と語る近藤社長に、18歳の若者が、いかにして挫折や窮地を乗り越え、夢を実現してきたのかを伺った。

18歳で「人生終わった」と絶望

――高校を中退した頃、どうしても欲しかった車をようやく手に入れ、わずか17時間後に事故を起こしてしまったそうですね。

成功者とは、成長者。 ――人は諦めなければ、「絶望」を「希望」に変えられる

近藤 私は学校の勉強が嫌いで、高校を2度も中退しました。でも車が好きだったので、アルバイトをしながら、父に保証人になってもらい220万円のローンを組み、憧れの車を手に入れました。得意満面、喜び勇んで友達と六甲山にドライブに出かけましたが、山道で喧嘩を売られロードレースのようになってしまい、気が付いたら全損の事故。納車から、わずか17時間後です。2人とも大した怪我がなかったのは不幸中の幸いでしたが、車はそのまま廃車。幸せの絶頂から一転、奈落の底に転がり落ちてしまった。暗い部屋に閉じこもって、日々電卓で「220万÷17(時間)」の計算ばかりしていました。「俺はいったい1時間で、いくら使ったやんや……」周囲からはバカにされるし、私の人生、もう終わったと思いましたね。

――その落ち込みから脱出するきっかけとなったのは、何だったのですか。

近藤 JR大阪駅前を通りかかったときのことでした。当時付き合っていた彼女が憧れのバスガイドの職に就いて、バスを誘導している姿を偶然目にしたのです。ああ、輝いているなあ、それに引き替え自分は……。私は、ふらふらと一冊の求人情報誌を買いました。そこにあった広告こそ、私に夢をくれたのです。
「誰にでもできる簡単な仕事。NTT関連、人生を変える価値ある仕事がここにある。月収40万円以上!」。今考えるとメチャメチャ胡散臭いですよね。でも、当時の私は、「これや! これでもう1台、車が買える!」 と直感しました(笑)。

――どんな会社だったのですか?

近藤 そこは当時一般に使われていた黒電話(ダイヤル電話)を「プッシュホンに替えませんか」という訪問販売の会社で、完全歩合給でした。月収40万円など現実にはとうてい達成困難です。数週間後には同期入社50人のうち、残ったのは私ともう1人だけでした。
でも、お客様に何百回も断られながら、右のポケットに笑顔を確認する手鏡を、左のポケットに欲しい車の写真を入れて、玄関先でチャイムを鳴らす前に取り出して見ては、「こんな暗い顔で契約は取れない。笑え、この車が欲しいんだろ!」といつも自分を奮い立たせていました。うつむいて自信のない表情の訪問販売人が玄関先に立っていたら、お客さんは決して買う気にはなりませんからね。

私はこれを「運の管理」と呼んでいるんです。運気に乗っている人の周りには、明るく良い空気があり、人が寄って来ます。逆に、運が悪くて落ち込み、諦めきっている人の周りには悪い空気がどんよりと溜まっている。だから、良い運を呼べる自分でいようと意識することが大事。おかげで、半年後にはその会社のナンバーワンのセールスマンになれました。

営業力とは、表現力と企画力だ

――トップ・セールスマンになって、間もなく独立されましたね。

成功者とは、成長者。 ――人は諦めなければ、「絶望」を「希望」に変えられる

近藤 ただ売るだけの営業ではなく、もっと若者が買える低価格の電話加入権プランを企画し、それを売りたいと考えました。そこで、わずか50万円を元手に起業し、「テルミーシステム」は狙い通り大ヒットしました。

営業力というのは、表現力と企画力なんです。お客さんに伝える表現力と、商品に合った売り方を発見し、実際のビジネスにつなげる道を編み出す企画力。
当時、約7万円というNTTの電話加入権は学生や若者にとって高額で、電話を設置したくてもできない人がたくさんいました。レンタルというサービスもありましたが、それではいつまでも自分のものにならない。そこで、私は電話加入権をローンで分割購入できる「テルミーシステム」を考案。大ブレークし、瞬く間に会社は急成長していきました。

その後出てきた携帯電話は、当初新規加入料金や保証金を合わせると約20万円、基本料金が1万円もしていました。だから、もっぱら政治家とか、経営者とか、セレブたちのステータスシンボルでした。でも私は、便利な携帯電話を若者が持って、歩きながら話している姿がイメージできた。ぜひ、彼らに持たせたい! そのために、月々2,000円で手にすることができる「テルミーシステム」の携帯電話版を企画し、これも大ヒットしました。

――「テルミーシステム」はその後、携帯電話の普及を2~3年加速した、とまで評され、若者に携帯電話を持たせた仕掛け人として、近藤社長は一躍「時の人」となられましたね。

近藤 その後、電話機本体は無料にして通信料金で儲ける、というアイデアを出して、一気に携帯電話が普及していきました。

お客さんが欲しいのはチューナーじゃない

――そのアイデアと企画力の面目躍如が、衛星放送の契約セールスでした。

近藤 家電量販店でチューナーを買ってテレビにつなぎ、番組会社と契約してお金を払うというのが従来の仕組みです。でも、お客さんが欲しいのはチューナーではなく、映画やドラマやスポーツなどのテレビの番組。モノではなくて、コンテンツですよね。
そこで番組会社を回って説得し、いろいろな番組をセットにして月々の料金を定額制にしました。番組会社からは契約手数料をもらい、チューナーは無料で配る。お客さんにはモノではなく、価値を提供するのです。こうして、従来の仕組みを一変させて、契約増加数の8割を当社一社で獲得するほど爆発的に売り上げを増やしました。
この方式は後にソフトバンクの孫正義さんと一緒に、安くて速い「Yahoo!BB」を売るときにも、キャンペーンに組み込みました。2カ月間無料のお試し期間という僕が考案した企画で大ブレークしました。

上場を目指す

――近藤社長は「青年実業家」としてだんだんマスコミにも取り上げられるようになっていきましたが、この間、事業は順風満帆でしたか。

近藤 いえいえ。この間にも、事業パートナーに騙され何もかも失ったこともあったし、数々の失敗がありましたよ。
そう言えば、テレビの取材で、「夢は何ですか」と聞かれ、「夢は日本一、上場することです!」と言ってしまったことがありました。早速、周囲から袋だたきです。テレビを見た先輩からも次々と電話がかかってきました。
「アホか! お前の会社、何人や!」「資本金は、利益はいくらだ!」「上場の意味を知っとるのか」と。

でも私は、社長というのはアニメのヒーローのように、「ここでホームランを打つぞ!一発逆転だ!」と宣言し、予告ホームランを打つ。そんなカッコいい存在であるべきだと思っていました。正直なところ、上場がどんなに大変なことか当時は深く知りませんでしたが、「デッカイ夢を語って何がいけないのか」と思いました。
ただ、それを実現するには、みんなの熱い情熱、パッションがないと奇跡は起きません。成功は「やれる!」という企業全体のムードが盛り上がって、導かれる。
だから社員を全員集めて、「上場するぞ!」と宣言しました。
「上場って何ですか?」
「俺も詳しくは知らんけど、要するにトヨタやホンダや松下を目指すってことや。かっこええやないか!」
「よく分かりませんが、上場、カッコいいっすね!」とカッコいいが、こだましていきました。

ITバブル崩壊でまさかの「上場取り消し」に

――折しもベンチャーブームの真っただ中でした。

成功者とは、成長者。 ――人は諦めなければ、「絶望」を「希望」に変えられる

近藤 時代は21世紀を目前にして、新興企業の資金調達を支援すべく、NASDAQがアメリカから上陸し、大阪にナスダック・ジャパンが開設されました。これに対抗して東証にはマザーズを開設したのです。

上場のハードルは大幅に下がりました。そこで私たちの会社「ネクステル(当時の社名)」はマザーズへの上場を目指し、血のにじむような努力の結果の末、ついに上場申請が通りました。上場日は2000年4月25日、公募価格も決まり、社員みんなで本当に心の底から大喜びしました。カウントダウン用の日めくりカレンダーまで作って、ワクワクしながらその日を待ち望んでいたんです。

そして上場まであと2週間と迫ったある夜、証券会社から「近藤社長!至急お伝えしたいことがあります!」と連絡がありました。何事かと深夜に飛んで行ったら、なんと「今回の上場は諦めてくれ」と言われたのです。理由は、ITバブルの崩壊。僕たちに力がないからダメ、と言うのなら理解できます。しかし、世の中の情勢が変わったから突如上場取り消し、というのは理解できなかった。まるで空気と闘っているようで、あっけにとられ現実感のないまま、上場の目玉として準備していた企画のため海外出張へ飛び立ちました。

それからはまるで三流ドラマのように、嫌なことばかり押し寄せてきました。
「ネクステル、マザーズ第1号の直前上場取り消し」「取り消し後に復活した企業はない」とマスコミは書き立てるし、世の中からは生涯初めての猛烈なバッシングの渦です。手の平を返すとはこのことか。露骨な周囲の対応に成すすべもありません。そして最大の打撃が、銀行の全面撤退です。上場目前、拡大路線に乗っていた当社に対して、あれほど「借りてくれ、借りてくれ」と言っていた銀行が、みんな一転して貸しはがし。これをやられたら、あとは黒字倒産への坂を転がり落ちるだけです。

そして、もっと辛いことが待っていました。家族のようにいつも一緒に喜び、闘ってきた社員の死です。私は、自分を兄貴と慕ってくれる社員達がみんな大好きです。そんな社員の1人が癌になってしまい、迷惑をかけるから退職させてくださいと言ってきたのです。それを押しとどめて「闘う場所が病院に変わるだけだ。俺たちも頑張るからお前も病気と闘い、しっかり治しておいで。病院から帰ってきたら、お前も上場会社の社員だ」と送り出しました。その女子社員が亡くなる直前に書いた手紙と退職願いが、海外出張から帰国した私の机の上に届いていたのです。そこには、最後の力を振り絞ったらしく、震える筆跡で「社長に出会えて、私は幸せでした」と書かれていました。

その手紙を読んで、私は心が折れた。会社の事業や信用は、これから市場とも、銀行とも、世間とも、いくらでも闘って取りもどせる。だけど、命はもどらない。

人は諦めなければ、絶望を希望に変えられる

――言葉にもならないですね……。どうやって自分自身を立て直されましたか?

成功者とは、成長者。 ――人は諦めなければ、「絶望」を「希望」に変えられる

近藤 それは、本来、私が与えなければいけない社員たちが勇気をくれました。「あんな会社」と世間からさんざん罵倒されたのに、誰ひとり辞めなかった。それどころか「社長、絶対に上場しましょう! 自分たちは社長について行きます」と言ってくれた。自分にはこんなに素晴らしい社員がいるのだ、絶対に奇跡を起こしてやるぞと決意しました。

そこで、奇跡を起こすためにソフトバンク・インベストメントの北尾吉孝社長(当時)にアポイントを取り、出資のご相談をすることにしました。
北尾さんは私の話をじっと聞いた後、「君の目は輝いている。いつまでも青きロマンチストであれ」と言って、わずか15分で30億円の出資を決めてくださったのです。
もう、涙がこみ上げてくるのをこらえるので精いっぱいでした。北尾さんは私にとって一生涯の恩人であり、恩師です。

そのおかげで2年後の2002年3月にナスダック・ジャパン、さらにその2年後、2004年11月11日には、東証一部に当時最年少創業社長として上場を果たしました。

この直前上場取り消しで私が学んだのは、「人は諦めなければ、絶望を希望に変えることができる」ということです。無理だと思った瞬間、進歩は止まる。不可能だと口にした途端に、未来はつまらないものになる。
若い経営者は失敗を糧に、こうやってひとつずつ学んでいくのでしょう。そして、「成功者」というのは、たくさん失敗し、その度にいろいろなことを学んできた「成長者」なのだと思います。

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