食と酒のジオポリティクス     ――「個食」から見えてくる現代人のサル化現象

私たちが毎日当たり前のように口にする食物や酒。その起源を約700万年前にさかのぼり、人間との関わりや人間性の起源などについて探っているのが、山極壽一・京都大学総長だ。山極総長は、ゴリラなど霊長類の研究を通して人間の本質を探究する人類学者として世界的に著名で、この分野の第一人者である。
京都・滋賀・奈良の有識者による「比叡会議」*は、ここ2年続けて食と酒をテーマにさまざまな視点から議論を重ねている。会議の世話人の1人である山極総長は、当インタビューでも食と酒の奥深い歴史を解き明かし、「それはいつの時代もジオポリティクス(地政学)の対象として、政治戦略に使われてきた」と指摘する。
現代社会は家族で食卓を囲む機会が減り、それぞれバラバラに食事をする「個食」が増えている。「個食は人間がサル化している現象。それは人間性を形づくる家族のコミュニケーションの場を疎かにしてきた現代社会の負の側面でもある」と危惧する山極総長に、食と酒のジオポリティクスや、人間が本来持っている共感力や感性を取り戻し、心豊かな社会を作るための方策について伺った。

*比叡会議: 日本IBMが社会貢献の一環として長年議論の場を提供し、事務局を担っている13の「有識者会議」の1つ。各会議とも年に1度開催され、それぞれのテーマで熱い議論が展開される。最も古い歴史を持つ「天城会議」は、1970年にスタートし、45年間継続している。

食にまつわる4つの革命

食と酒のジオポリティクス     ――「個食」から見えてくる現代人のサル化現象

――山極先生は、霊長類や人類学の研究を通し、「食」について洞察してこられました。そもそも「食」とは、人間にとってどのような意味を持つ行為なのでしょうか。

山極 人間にとって、「食」は文化的な特質と生物学的な特質の両方を持っています。食材を調理し、器に美しく盛りつけ、いろいろな服装やマナーで食事する。これは文化そのものです。しかし、文化だけでは「食」は語れない。ヒトは他の動物と同様生き物であり、当然のことながら食べなければ生きていけないからです。

私がそこに興味を持ったのは、人間以外の動物を研究したからでした。グループや集団で食卓を囲む行為は人間だけのものです。サルも、ゴリラやチンパンジーのような人間に近い類人猿もしません。彼らにとって食べるという行為は原則として個的な行為であり、食物はケンカの元なのです。では人間はなぜ仲良く集い食べるのか。本来は他の類人猿のように、他の目を避けながら独りで自分の取り分を食べるほうが安全なはずです。

チンパンジーやゴリラを観察すると、たまに食物の分配行動をします。本当は分けたくないのだけれど、他のことで助けてほしいから、食べ物を利用して良好な関係を築きたいといったことが起きる。サルには起こらない。私はそこに人間の「食事」の起源を見ました。でもそこと人間の「食事」には大きなギャップがある。この間に起きた大きな変化を、私は食の「4つの革命」と呼んでいます。

――「4つの革命」とはどのようなものでしょうか。

山極 人間の祖先は今から約700万年前にチンパンジーの祖先と分かれたので、人間の「食」には700万年の歴史があります。チンパンジーは食物を採った場所でしか食べませんが、人間は採った場所から別の安全な場所に運び、そこで仲間と一緒に食べることを始めました。
すると、いろいろな木の実とか葉や茎など食物を持ち寄り「食」という場をアレンジすることができる。そこから人間の社会性が始まったと考えています。「食」の社会化によって相手との関係をつくることができた、この食物の「運搬」が第1の革命です。

第2の革命は「肉食」。今から約260万年前、人間は肉食を増やし始めました。肉食動物が食べ残した肉を食べ、骨を石で割って内部の骨髄を食べた。肉食動物は石という道具を使えませんから、骨を割ることはできない。骨髄は非常に栄養価が高いので、人間はエネルギーを多く消費する脳を大きくすることができました。霊長類では、集団の大きさは脳の大きさに比例します。脳が大きいほど、集団の社会的複雑さに対応できるようになるからです。こうして人間の集団は次第に大きくなっていきました。

第3の革命は火を使った「調理」です。火によってこれまで食べられなかったものも食べられるようになった。肉は焼くことで噛みやすくなり、消化が良くなりました。消化率の向上は胃腸を小さくできるという点で重要です。人間は消化に費やすエネルギーを節約でき、そのエネルギーで脳をさらに大きくするチャンスに恵まれた。採食にかける時間も短くなり、余った時間で社会的な行動ができるようになる。集団は大きくなって、脳を使う必要性が高まる。こうして人間の生活は複雑になっていきます。

第4の革命は「食料の生産」。これは約1万2千年前に起きた新しい革命で、植物を栽培し家畜を飼うようになった。それが可能になり、食料の「保存」もできるようになって「食」の進化が加速していきました。

こうして4つの革命を経て食文化が発達することにより、食事は人間の日々の社会行動にとって非常に重要な位置を占めるようになったのです。ただ、人間はサルやチンパンジーとまだ変わらない性質を引きずっているところがある。それは胃腸です。肉食動物のように食いだめができないので、毎日食べなければいけない。ですから、食事というものは人間にとって日常的なものです。そういった生物的な理由と文化的な理由があいまって、人間の日々の食生活は営まれています。

日本人は下戸が多い

食と酒のジオポリティクス     ――「個食」から見えてくる現代人のサル化現象

――では、現代における「食」についてお聞きします。比叡会議では、食や酒をテーマにいろいろ面白い議論があったようですね。

山極 比叡会議では、現代の「食」が置かれている状況を、参加者それぞれの立場から議論しました。面白かったのは、元南極越冬隊員の方から聞いた話です。基地では食事が毎日の一番大事なイベントであり楽しみで、日本で馴染んだ食べ物や酒が精神の支えになるという話でした。それはロシアなど他の国の隊員も同じで、結局、人間は自分たちの食文化を地球の果てまで引きずって行くというのです。

人間が味覚に慣れるのは3、4歳ごろが臨界期と言われ、その時期までに覚えた味はその人の原点として一生忘れられず、恋しくなります。食物には砂糖・油・うまみの3要素があり、それをどう味わうかによって食文化が異なります。日本人はあまり油を使わない代わりに昆布や魚介のダシなどのうまみを使ってきました。こうした味覚の文化は簡単に変えられるわけではないのです。

食に関する人間の遺伝子は、ここ1万年ぐらいの間に大きく変化しました。乳糖を分解する酵素は約1万年前に牛を飼い始めたころに登場しているし、酒のアセトアルデヒドを分解する酵素を持つ遺伝子は、その民族がどういう酒を飲んできたかによって異なります。1万年というのは生物の遺伝子の歴史では極めて短時間ですから、人間にはそれだけ素早い適応能力があると言えます。ちなみに、日本人はこのアセトアルデヒドを分解する酵素を持たない遺伝子の人が多く、酒が全く飲めない、いわゆる下戸の人の割合が他の民族に比べ多いようです。

「食」のジオポリティックス

 

食と酒のジオポリティクス     ――「個食」から見えてくる現代人のサル化現象

――「『食』は政治や経済を動かすジオポリティクス(地政学)の対象である」と書いておられますが、具体的に説明していただけますか。

山極 誰かと一緒に食べるという行為は、コミュニケーションを促進し、和解とか和平の成立を意味しています。動物であればケンカの元になる食物を、人間は一緒に穏やかに食べる。それは、「我々はケンカしません」と宣言しているのに等しい。私たちはその原点をすっかり忘れていますが、実は人間は今でも本能的にそのことに敏感に反応します。

例えば誰かが食事を共にしているのを見ると「彼らは仲がいいんだな」と感じ取る。食事を共にするのは、自分たちが良好な間柄であることを第三者に見せる「政治的な行為」でもあるのです。
2002年に小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問し、金正日総書記と会談した際、握手はしましたが食事は共にしませんでした。これを見て誰もが「双方ともまだ信頼には至っていないのだ」というメッセージを感じたはずです。「食」とはそれほど根が深いものです。

日本は雑食文化で、さまざまな食材を使いバラエティに富んだ食事を楽しみます。ところが食料自給率はカロリーベースで39%と低い。日本人の多様な食生活を満たすためには、それに見合った多様な食材を他国から大量に買う仕組みが必要です。しかも消費者が食物を自由に選んで調理できるように供給しないといけないので、常にスーパーやコンビニ、レストランなどから出る廃棄分も見込んで、多様な種類の食物を一定量確保しておかないといけない。これは政治を取り仕切る人たちにとって非常に重要な問題です。

以前、アフリカの難民キャンプに行ったことがあります。何十万人もの人々がテントで暮らしていますが、同じ食物を配給しても、決して同じようには食べません。配給された物をそのまま食べるのではなく、自分のテントの前で火を焚き、食物を温め直して必ず自分たちの手で「調理」し、配り直してみんなで食べる。与えられた物をそのまま食べるのであれば、それは単に「栄養補給」にすぎません。これが人間の「食事」というものの原点だと私は強い感銘を受けました。それを演出するのもポリティクスなのです。

酒が政府の管理下にあるのは、
政治権力と直接関わるものだから

食と酒のジオポリティクス     ――「個食」から見えてくる現代人のサル化現象

――「酒」についても、その魅力がジオポリティクスにさまざまに使われてきたと指摘されています。これについても解説をお願いします。

山極 酒が食と一番大きく違うのは、現実とは違う別の世界にトリップできるという点です。だから酒は昔から人間が天上界とつながるコミュニケーションの手段でした。そのため儀式に酒はつきもので、日本でも結婚式の三々九度、正月のお屠蘇、お通夜など、重要な儀礼では必ず酒が飲まれました。我々は自分を取り巻く人々の視線の中だけで生きているのではない。「人間を超越した存在」の目があって、それが我々の生活、道徳、善悪などを見ているのだという意識――それとお酒は関係があったと思うのです。

動物はお酒を飲みません。多摩動物園でボスの座を追われたチンパンジーにウィスキーを飲ませたら、気持ちが大きくなって、またボスの座に返り咲いたという話が報道されましたが、それは例外です(笑)。
人間でも狩猟採集民は酒の作り方を知りませんでした。酒の登場はイモや麦、トウモロコシなどの農耕が始まってからの話であり、文化の歴史が浅いのです。酒を知らないインディアンやアボリジニ、ピグミー、ブッシュマンたちが農耕民の所へ行って酒を飲み、いい気分になって土地や財産を失った悲劇はたくさんあります。

アフリカのコンゴ共和国の故モブツ大統領は30年間独裁者でしたが、国内を遊説して回っては、住民の要望に応えてビール工場を造りました。ビールは日常的に飲んで歌って楽しむ「晴れの日」の酒であり、雇用も増えるので、住民はビール工場を欲しがったのです。酒を支配すれば、国民の関心を引き付け人心を掌握できることをモブツ大統領はよく知っていました。
欧米では犯罪やアルコール中毒で命を落とす例も多かったことから禁酒法の時代があり、日本でも明治以降、酒の製造販売は酒税法によって政府の管理下に置かれています。それは酒が政治権力と直接関わるものだからです。

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