経済的・社会的に弱い立場に置かれた女性たちが、不要紙を使って美しいネックレスやイヤリングなどを作り、収入を得て自立への道を歩み始める──。そんな夢のようなプロジェクト「ペーパーミラクルズ」がパキスタンで注目されている。
このプロジェクトを立ち上げたのは高垣絵里さん。本業は開発援助コンサルタント会社経営。その多忙な業務のかたわら、文字通り“ミラクル”を起こそうと異国の地で奮闘する高垣さんに、プロジェクトの現状と将来展望について伺った。

きっかけはシェルターで暮らす1人の女性の言葉だった

 

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不要になったカレンダーやポスター、雑誌等を細長い三角形に切って、底辺から小さな爪楊枝にくるくると巻きつけていくと紡錘型の小さなビーズができる。これがペーパービーズと呼ばれるもので、紙の色や質、大きさ等の組み合わせを工夫すると、実に色彩豊かで独特な風合いが生まれる。このビーズを使ってネックレスやイヤリング、ブレスレットなどのアクセサリーを作り、販売するのがペーパーミラクルズだ。ビーズを作っているのは、2005年にパキスタンで8万人以上の犠牲者を出した大地震で被災した女性たち。大震災で脊髄を損傷し、下半身不随となっただけでなく、身寄りを失い、行く場をなくし、シェルターで共同生活をしている女性たちである。ペーパーミラクルズは彼女たちの自立支援を目標に始まった。

話は3年ほど前の2012年にさかのぼる。パキスタンで開発援助のコンサルタント会社を経営していた高垣絵里さんは、知人に「1度、シェルターに行ってみてほしい。バングラデシュなどで社会的弱者の自立を支援するプロジェクトなどに関わっていた絵里だったら、何かいいアイデアを提案できるのではないか」と頼まれた。

シェルターで暮らす女性たちは、信じられないことだが、障がい者になったがゆえに夫から暴力を振るわれたり、治療にお金がかさむという理由で自らの母親に家から追い出されたりと、各人が想像を絶する悲しい過去を持っていた。

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高垣 「当時、2年前に立ち上げた会社が本格的に軌道にのり大忙しで、新たに何か他の事をしようという考えはありませんでした。後学のためにと、シェルターを訪問しました。ところが、そこで出会ったサフィアという物静かな1人の女性の言葉が、私の生来の不屈の精神に火をつけました。『何でもいい。自分の手で何かしたい。自分の力で生きられるようになりたい』と切望する彼女の表情は忘れることはできません」

シェルターは寄付によって経費が賄われており、入居者たちは経済面でも、日常生活をおくる上でも、ありとあらゆる面で誰かの手を借りて生きざるを得ない。常に、誰かから施しを受けている現状から1歩踏み出したいと願っていたサフィアさんは、必死に打開策を模索していた。

高垣 「彼女の切羽詰まった気持ちがその瞳の奥からひしひしと伝わってきました。被災した当時、サフィアは大学生で、学校の先生を夢見ていたそうです。それが地震によって生活が一変。家族を失い、下半身不随になって夢をあきらめ、誰かの施しを受けながらシェルターで暮らすようになりました。10分足らずの短い会話でしたが、その夜、眠ろうとしても眠ることができない。彼女のあの大きな瞳が、私のすぐ目の前に何度も、何度も、浮かんでくるのです……」

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サフィアさん(左)

ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんが世界に強く訴えかけたように、パキスタンの女性は教育を受けるのが難しく、小学校や中学校にさえ行けない子が多い。ましてや、サフィアさんのように大学まで進学できる女性はごくわずかだ。だからこそ、女の子たちにもっと教育をと教育者の道を夢見ていたに違いない。それが、大地震によって、一瞬にして、家族も夢さえも奪い取られたのだ。

高垣さんは気が付いたら涙がポロポロと出てきて止まらなくなった。後述するが、彼女は多くの途上国で開発援助の仕事に携わり、最貧の現場をこれでもかと目の当たりにしてきた。少しくらいでは動じないはずだった。

高垣 「誤解されがちですが『かわいそう』という同情心ではなく、サフィアの決意の固さ、前向きな姿勢に深く感銘を受け、その感動と衝撃で涙が止まらなくなったのです。そこから、何か自分にできることはないか、何とかしなければいけないと一晩中考えました」

ベッドの中で過去に取り組んだプロジェクトや、読んできた資料を頭の中で総動員して、あれこれ考えた。シェルターで暮らす彼女たちが、仕事を持ち生活の糧を得て、自立できる方法が何かあるのではないか。下半身不随なため、オプションは限られてくる。頭の中で企画の提案と却下を何度も繰り返し、夜中の3時ごろ、ようやくペーパービーズというアイデアにたどりつく。かつて出張で訪れたアフリカのウガンダで、女性たちが楽しそうにペーパービーズ作りをしている姿を思い出したのだ。紙を丸める作業なら、車いすに座ったままでもできる。彼女たちの境遇に適しているのでないか。不要になった紙を使うからコストもかからないはずだ……。

すぐさまパソコンを開き、ペーパービーズについて徹底的に検索した。どんな細かい情報にも目を通し、一睡もしないまま朝を迎えた。「いけるかもしれない」。涙と睡眠不足で腫れあがった目をこすりながら、進むべき方向性が見えたと感じた瞬間だった。

まずは自らサンプル作りに日夜没頭する

高垣さんが次にシェルターを訪れたのは、この夜から1カ月後だった。この間、高垣さんはひたすらペーパービーズについて独学で研究を重ねた。

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高垣 『さまざまなトラウマを乗り越え、社会から疎外されて生きてきた彼女たちに、何かを提案し、期待を持たせて、それを安易につぶしてはいけないという気持ちが強かった。自分である程度成功させられるという自信を持ってから、彼女たちに提案せねばと思いました。ペーパービーズという新しいコンセプトを彼女たちに理解してもらえるためにも、実物を見せたかった。そして、それを見せ、『私にも自らの手でこんなにきれいな物が作れる。しかも収入の道が開ける』と実感してほしかった。そのためには、まずはサンプルを自分で作ろうと思い、すぐに着手しました」

イスラマバード中の日曜大工店を回って材料を集め(パキスタンでは手芸用品が日本のように簡単には手に入らない)、ビーズを固めるためのコーティングの配合、デザインにいたるまで死にもの狂いで研究した。毎晩、試行錯誤を続け、朝になると机の周りが紙くずだらけになっていた。本人ですら「完全にとりつかれていた」と振り返る没頭ぶりに、家の掃除をするヘルパーは後日、「あの時のマダムは本当に頭がおかしくなってしまったのかと心配になった」と明かしたという。

こうして1カ月後、高垣さんは自ら作ったペーパービーズ、さらにそれを加工して仕上げたアクセサリー類を携えて再びシェルターを訪れたのである──。

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