慶賀の見たオランダの日々 十番 蘭船出港図

日本コレクションは、日本の生活文化の諸側面を民族学者たちが研究するのを可能にし、鼓舞している。
彼らの諸発見は、新しい要素や解釈を加えることで、人工物をより理解できるようにし、我々の知識をより完全にすることができる。
―なによりも重要な部分を回復することである。

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 オランダのレイデン国立民族学博物館には、大型で重要な日本関係のコレクションが納められている。現実には、それはいくつかのコレクションからなる。膨大なフィリップ・フォン・シーボルト(1796〜1866)コレクション、イサーク・ティチング*(1740〜1812)コレクションその他で、多年にわたり収集された品々がこれに加わっている。これまでのところ全コレクションの一部しか研究されていない。本稿は、三代にわたり日本コレクションの保存にあたり、日本学と人類学を総合してきた人々の研究成果について、二、三の話題を纏めたものである。

* Isaac Titsingh: 外科医。出島オランダ商館長(1784年まで)、さらにベンガル長官、清国大使を経て、1796年末ヨーロッパに戻る。オランダ東インド会社(VOC)でも群を抜く学識をもち、3年半の滞日中に長崎通司の多くを始め、朽木昌綱、司馬江漢らとも親交があった。コレクション の多くは散逸した。

 日本コレクションの研究としては、素晴しく先駆的なものがあった。よく知られている例としてはT・フォルカーの『浮世絵クァルテット、版元・絵師・彫師・刷師』(1949年)がある。これは、当館の見事なコレクションにもなっている木版印刷の社会経済的背景に関する初期の研究に属するものである。最近この分野の収穫としては、M・フォラーの『永楽屋東四郎*、名古屋の版元』 (1985年)がある。これは19世紀日本の出版史に寄与する研究である。

* 名古屋本町七丁目で書林「東壁堂」を営み、狂歌名を文屋古文ともいった。宣長の『古事記伝』の版元でもあった。

 しかし、本稿で私が興味を寄せるのは、日本研究と人類学とを結合したキーパーたちの研究である。この人たちは日本コレクションの特定の収蔵品から刺激を受けて、その選んだ品々のデザイン、製作、用途について研究をするだけでなく、それらの意味や、それらを作り使った人々の生活や時代を包含する表象などについても、集中的に興味を寄せた。

 日本の芸術作品や日用品などあらゆる種類の品々に表象を見出していくという関心は、今世紀になって当時刊行された西洋研究の著作の中にすでに現われていた。今日よく知られているものとしては、1908年刊行のヘンリ・L・ジョリー著『日本美術における伝説―日本の古美術に図示された歴史的エピソード、伝説上の人物、民話、神話、宗教的シンボリズム』がある。もう1つは、1917年刊のエドワード・シルヴェスター・モースの『日本、その日その日』である。これらの研究は貴重なもので、観察はしばしば精確であった。時に後から振返って見るという利点もあってのことだが、これらの研究は単なる予言めいたもの以上になっている。

 こうした先駆者たちは対象領域の広大さと複雑さを十分に自覚していた。ジョリーはこう書いている。(同書13頁)。

含むべき領域の広さは、我々の知識が限られていることを弁解す るのに、実はうってつけなのである。すなわち、人々の日常生活の光 景、神道や仏教のシンボリズム、中国詩人や日本の武士たちの生涯に かかわる挿話、日本と中国の歴史に出てくる戦闘場面、物語やお伽話 あるいは芝居のヒーローたち、神話上の諸動物、ひしめく聖賢たちや 道教で著名な仙人たち、こうしたものがすべてまず尽きることのない 主題の蓄えを作り、それらを扱う芸術家や工芸家たちが、また、世界 中のコレクターやデイレッタントたちの興味や崇拝、あるいは羨望さ えも集めるような、力強いリアリズム、また示唆深い単純性を駆使し ているのである。……広域にまたがる本研究のさまざまな章節が、い つの日か、悉皆的なモノグラフで十分に扱われるようになることが望 まれる次第である。

 レイデン民族学博物館では、M・W・デ・ウィッサー、C・アウエハント、W・R・ファン・フーリックが、自分たちの保管する日本コレクションに刺激されて、そのような研究を実際に生み出している。

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