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いま、日本の伝統工芸が息を吹き返している。海外の有名ファッションブランドや、国内のアーティスト/デザイナーたちとのコラボレーションを皮切りに、その高い技術や自然と共生するような日本文化の独創性が海外で注目され始めたのだ。特にここ1年は大きな波が来ており、これは19世紀の日本美術の世界的流行にも匹敵する。

ファッションジャーナリストで、内閣府クールジャパン有識者会議委員を努める生駒芳子さんは、その仕掛け人の一人。時代に取り残されかけていた全国各地のクラフツマンシップを再発見しては、世界へ向けて発信し続けることをライフワークにしている。

社会全体がグローバル化・均質化の一途を辿る中で、我が国の伝統や文化はいかにして“ブランディング”をしていくべきなのか。プロデューサーとして、ファッションやアート、労働、ジェンダー、環境問題など、多彩なフィールドで活動を行う生駒さんが語る、「時代を編集するセンスと技術」とは。

常に時代を編集してきた

――生駒さんは以前、ファッション雑誌の編集者をされていたそうですが、やはり子供の頃から華やかな業界への憧れがあったのでしょうか。

そうですね。アメリカのロックミュージックが好きで、ファッションが好きで、海外への憧れが強い子供で、語学系の大学に進学しました。学生の頃からカメラも趣味だったので、卒業後は、旅行雑誌でカメラマン兼編集者として働いていました。ファッションジャーナリズムに入ったのは、フリーランスになった後、『anan』へ売り込みに行ったのがきっかけです。そのうちライターとしてパリやミラノのコレクションへ自費で通ったり、アートにも興味があったので『流行通信』や『シュプール』『フィガロ』にファッションやアートの記事を書き始めたり。

ただ、やりたいことを実現するにはフリーランスよりも編集部の中へ入った方がいいと感じていたんです。そんな矢先、『ヴォーグ』の日本版立ち上げに関わり、縁あって副編集長を努めました。ちょうど30代半ばで、出産を経験した後ですね。

――その後は『エル・ジャポン』や、『マリ・クレール』といったそうそうたる雑誌の編集長を歴任されていますが、現在はプロデューサーとして、日本の伝統工芸を世界に紹介したり、エコロジーや社会問題に関する執筆や講演をなさったりと、実に多岐に渡る活動をされていますね。

はい、ですが、さまざまな活動をしている中でも「時代を編集する」というスピリットは一貫しています。雑誌の編集以外の活動もコミュニケーションやアウトプットの方法は違うだけだと思っています。

私が『マリ・クレール』編集部を離れてフリーランスに戻ったのが2008年。ちょうどリーマンショックの直前でした。その後、さまざまな紙媒体がかつての勢いを失っていくなかで、自分にとって社会に情報発信する手段としてSNSが目の前に現れたました。そこでブログとかTwitterとかFacebookに登録して使いはじめたところ、これがとても面白かったんですね。新しい時代が始まる予感がしてワクワクした。まず、そういう環境の変化が大きかったですね。

伝統を革新することが大切

――2011年には、伝統工芸や地場産業の再生発信を目的にしたプロジェクト

「FUTURE TRADITION WAO」を立ち上げ、総合プロデュースを手がけられています。日本の伝統工芸品には昔から注目されていたのでしょうか。

いや、それがもう全然、でした。ティーンエイジャーの頃は極端に言えば、外国人になりたいというほど海外にばかり目が向いていましたし、出版社にいた頃もいつもパリ、ミラノと海外出張ばかりでしたから。和の世界とはほとんど縁がなかったんです。大きな転機が訪れたのは2010年。金沢へファッションコンクールの審査委員長として呼ばれたとき、現地の担当者から「生駒さんのような、いろんな世界に通じている人にぜひ金沢の伝統工芸を見てもらいたい」と言われて。ごく軽い気持ちで案内されるまま、加賀友禅、加賀縫い、それに金属を叩いて作る象嵌(ゾウガン)の工房を訪ね歩いたんです。そのとき、そのひとつひとつの圧倒的なクオリティに、雷に打たれたような衝撃を受けてしまいました。と同時に、非常に疑問も湧いてきたんです。こんなに一流を極めた技術が、どうして自ら発信しないのかと。

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――その原因はどこにあるのでしょうか。

工房では職人さんにもお話を伺ったんですが、聞こえてくるのは悲鳴ばかり。「販路がない」「後取りがいない」「未来がない」……。これはなんとかしなければと思って東京へ戻った途端、フェンディの日本支社から電話がかかってきました。「日本のクラフツマンシップとコラボレーションする企画を考えたい。生駒さんに協力してくれないか」と。これはもう運命だと直感しましたね。伝統工芸とラグジュアリーブランドとのコラボレーションという動きは国内外問わず、すでに起こっていたんですが、世界的に知名度のある京都に集中する一方で、金沢はまだ手つかずだったんです。そこで1週間後にフェンディのスタッフを連れて再び金沢へ赴いて、同じルートを回ってみたら、その場でトントン拍子にコラボレーション企画が決まってしまいました。

――翌年の2011年夏には工芸ルネッサンスプロジェクト「WAO」を設立し、百貨店の協力を得て展覧会を開催されています。

そうですね、ちょうど東日本大震災が起こった年の夏でした。ルイ・ヴィトン×輪島塗や、フェンディ×加賀縫い、バカラのクリスタル茶器など、さまざまなコラボレーションをご紹介しました。最近では、チームラボが手がけた有田焼や、名和晃平さんによる西陣織バッグなど、国内のクリエイターにも続々参加いただいています。

――伝統と新しいモノをミックスする。これもある意味「編集」と言えますね。

雑誌の現場にいた頃から「時代を編集する」という姿勢は変わりません。二次元が立体的になって、表現方法が変わったというだけ。ただ、私が独自の視点を持てたのは、ファッションという方向から入って工芸に取り組む人は多くなかったからです。工芸品というと、どうしても機能美ありきな日用品的発想が多いのですが、私の場合はまずは身につけられるモノ、かわいいモノ、素敵なモノに目がいってしまう。今日身につけているこれらのアクセサリーは全部、工芸品なんですよ(自身のネックレスやブレスレットを見せながら)。最近は、歩くショウルーム状態と呼ばれていますから(笑)。

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伝統を進化させることで新たなビジネスチャンスが生まれる

――日本にも素晴らしい職人の技が多く存在しているが、日本発の世界的ブランドが少ないのはなぜでしょうか。

フェンディやエルメス、ルイ・ヴィトンなどの世界的なラグジュアリーブランドも、もとを辿ればクラフツマンシップから生まれ、後にブランディングを果たし、現在はグローバル企業として成長しています。日本では似たような例はほとんどありません。デザインを含めた付加価値を高めるためのブランディングと、ビジネスモデルを作ることの両方が欠けているような気がします。

私ね、講演でも口癖のように言っているんです。「日本の伝統工芸をもっと高く売りましょう」って。そのためには、やっぱり現代に合わせた形に進化しないといけない。

ほとんどの伝統工芸品のデザインって戦前でストップしているんです。着物を羽織って日本家屋に住んでいる人のライフスタイルに合わせたままなんですね。つまり戦後半世紀近くの間に進化がないので、現代にマッチしなくなっているのは当たり前です。

――止まったままの伝統工芸をどうすればいいのか。

そもそも「伝統」は、2つの側面を持っています。ひとつは受け継がれるべき側面としての伝統。そして、もうひとつは、壊され切り捨てられていく側面の伝統。たとえばいま話題のカラフルな南部鉄器のティーポットは、中が樹脂加工されているので火にかけられない分、錆びも出ません。見かけがポップになるのと引き換えに。「錆びる(飲むと鉄分が取れる)」「火にかけられる」といった鉄器本来の機能をあえて捨てているんですよね。でも、だからこそ若い女性や海外の方が「錆びないのがいいし、かわいい」と言って買ってくれる。伝統をあえて手放し革新していくことで、新たなビジネスチャンスが生まれる可能性もあるということです。

昔から「用の美」と言われてきただけあって、日本の伝統工芸品は日常で使われてこそ価値が出るものです。歴史を振り返っても、生活と芸術との距離が近いことに気付きます。ふすま絵などはまさにそうです。お茶室は部屋まるごとアートだし。それと忘れてはならないのが、日本の伝統工芸やアートは、自然との共生の中で培われてきた点。そのオーガニックなあり方は、世界に類を見ないオリジナリティであり、強みだと確信しています。

160222_ikoma_04――日本の伝統工芸にはそこまでのオリジナリティがあるんですね。

大いにありますよ! 欧米の価値観がすでに飽和状態にあり、自然との共生をベースにしてきた日本文化への期待感が新たに芽生えているのかもしれませんね。欧米の方々にしてみれば、新しい価値観を作るためのヒントが日本文化にはたくさん眠っているような気がします。

日本ほど経営とデザインが遠い国はない

――生駒さんは経営者向けの講演も精力的になさっていますが、伝統工芸のみならず、いろんな業界がグローバル社会に対応していくための術を知りたがっているのではないでしょうか。

私が常々口にしているのは、「日本ほど経営とデザインの距離が遠い国はない」ということ。バーバリーは、デザイナーだったクリストファー・ベイリーが今やCEOになっています。いまやクリエイターが経営者になる時代、デザインが会社を動かす時代がやってきたということなんです。日本の場合、上場企業の経営陣がいますぐデザインを重用しする考え方へとシフトすることはなかなか難しいかもしれませんが、世の中はもの凄く早いスピードで変化しています。いまやみんな、毎日スマートフォンの画面を見ているでしょ? 私は“スマホ・シャワー”と呼んでいるのですが、5分おきに眺めるスマホの画面で、皆、美しいデザインとは何か、というシャワーを日々浴びているのです。今やデザインは生活の中に完全に溶け込んでいて、逆にデザインがないもの、優れていないものに対して、消費者は興味を示さない状況にもなっているといえるのです。消費者に取り残されないためにも、日本の企業にはもっともっとクリエイターを大事に扱ってほしいと思っています。

――現在は三重県のプロモーションにも関わっておられるそうですね。

はい。やっと行政レベルでもデザインの重要性が認知されてきたような気がします。そうでないと、一般の人々への訴求力も育ちません。スマホだけでいかにその魅力を伝えられるか、興味を持ってもらうか。そこを意識するだけでも自ずと経営自体も変わってくるのではないでしょうか。かつてはパリやミラノばっかりに行っていましたが、最近は三重をはじめ地方都市ばかり。三重では、牡蠣小屋で海女さんのコスプレをしながら新鮮な牡蠣を頂いたりして、楽しみながら、学んで、編集力を磨いています(笑)。

エシカルとは「地球にも人にも優しいものづくり」

――生駒さんがご自身の活動の軸に置いている「エシカル(ethcal)=倫理的」という概念についてお聞きします。どういったきっかけで、この概念が信条になったのでしょうか。

エシカルに私が興味を持った90年代後半くらい。ファッションショーの取材で毎年春秋にパリやミラノにずっと通いつめていて、気候の変動を肌で感じたのがきっかけでした。というのも、通い始めた80年代は寒くてコートやストール、ニット、ブーツは必需品だったのに、90年代後半になってくると暑くてたまらないほどになった。ちょうど地球温暖化が叫ばれ始めた頃ですね。そのとき直感したんです。近代社会の象徴でもあった「大量生産、大量消費」の時代は終わりを告げるんじゃないかって。以来、単にモードを追いかけるのではなく、地球の環境がどう変わるのかも含めて、観察をするようになりました。ファッション業界の中にもステラ・マッカートニーのようにステージをグリーンにしたり、シャンパンの代わりにハーブティーを使うような、先進的なデザイナーも出てきて、2000年前後にはクリエイティブな業界でもエシカルという考え方に関心が集まるようになったのです。

――エシカルという概念自体は、90年代のイギリスのブレア政権下でアフリカの貧困・飢餓対策のときに用いられたのが最初だと言われています。人道的な面も含まれているのですね。

160222_ikoma_05エシカルという言葉を私流で翻訳するならば「地球にも人にも優しいものづくり」。つまり、エコロジーと社会貢献を両方カバーしている概念です。その根底を支えているのが、トレーサビリティとサステナビリティ。生産の背景が見えてかつ、環境を破壊しない社会を目指すべきです。

――エシカルが単なるトレンドに収まらず、もっと世の中へ広まっていくにはどうしたらいいのでしょうか。

以前、音楽プロデューサーの小林武史さんと対談させていただいたときも「ワルがエコを本気で考える日が来ないと、エコは広まらない」といった話が出ました。もはや21世紀の時代精神として、みんなが意識すべき生活の基本的概念、哲学としてとらえるべきなのかもしれませんね。もうひとつ言えるのは「地球規模でモノを考えること」。異常気象や地域紛争などが絶えないなか、地球全体としてエシカルを考えないと、地球はもたない段階にまで来ている気がします。

TEXT:宗像幸彦

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いこま・よしこ

生駒芳子   ファッション・ジャーナリスト

兵庫県宝塚市生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業後、編集プロダクションを経て、フリーランスのライターとして雑誌、新聞でファッション、アートに関する記事を執筆。1998年に日経コンデナスト社に就職し、『ヴォーグ』日本版の創刊時に副編集長として就任。その後『エル・ジャポン』『マリ・クレール』日本版の編集長を歴任。2008年11月に独立後はフリーランスのジャーナリスト・エディターとして、ファッション、アート、クール・ジャパン、ライフスタイル、社会貢献、エコロジーなどに関する活動を展開。現在、進化形伝統工芸品の販売および伝統産業の後継者育成プログラムを目指す「FUTURADITION WAO」の総合プロデューサー、公益財団法人三宅一生デザイン文化財団理事、プロボロ普及のNPO「サービスグラント」理事、内閣府クールジャパン有識者会議委員、三重県アンテナショップ「三重テラス」プロデューサー他を努める。


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