東京がひとつになる日。

ランニングのあるライフスタイルが、近年日本にも定着してきた。今やランニング愛好家は全国で2000万人を超えると言われる。

今年で第10回を迎えた「東京マラソン」の影響は限りなく大きい。2月28日(日)、今年も街は色とりどりのランニングウェアに身を包んだランナー達で溢れ返り、東京マラソン2016は大成功を収めた。観戦するだけのレースから、自分も参加し楽しむ大会へ。まさに「東京がひとつになる日。」であった。

この大会を構想し、ここまで育ててきた立役者の一人が、2007年の第1回大会から運営に携わってきた東京マラソン財団事業担当局長で、レースディレクターの早野忠昭氏だ。

日本社会に大きな変革をもたらすとともに、世界最高峰の「アボット・ワールドマラソンメジャーズ」の仲間入りを果たした東京マラソン。その企画やグランドデザインはどのように生まれたのか。幅広い層を取り込む魅力の打ち出し方とは。また、スポーツが人生に与えるポジティブな影響や、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けた展望など、尽きせぬ熱い思いを早野氏に語っていただいた。

コロラド州ボウルダーで見つけたスポーツを愛する文化

160328_hayano_02――まず、早野さんとスポーツとの関わりについてお聞かせください。

早野 学生時代は陸上競技の400m走や800m走の選手で、ジュニアの日本代表にもなりました。その大会で海外の選手と顔を合わせたときに、カルチャーショックを受けたことが今の自分の原点です。夏なのにアウターを着こみ、汗だくになって練習している我々日本チームの隣で、彼らは音楽を聴き、ダンスをしながらウォームアップをし、楽しそうにトラックを走っていたのです。「僕らがやってきたスポーツとは違う」。そう思い、自分たちのやり方に疑問を抱くようになりました。

大学卒業後、郷里・長崎の母校で教員になり、陸上部の顧問になりました。インターハイで長崎県の男女総合優勝も果たし周囲からも期待が大きかったのですが、だんだんインターハイに連れて行くことが仕事のようになって、「本当に自分はこれでいいのか?」という疑問が再度頭をもたげてきました。 

そして、ついに30歳になるときに教員を辞め、ボウルダーにあるコロラド大学大学院へ入るため渡米。この時期、「決してお金や名誉のためではなく、純粋にスポーツが好きだからやっている」と心から言う人たちに出会いました。米国におけるスポーツはいろいろな意味で位置付けが高いと感じましたね。

また、ボウルダーの街には素晴らしいスポーツ文化がありましたので、次第に「大学院での研究よりも、ここで何か仕事ができないか」と考えるようになったのです。

そこでアシックス社に、「日本人選手や実業団のためにサービスを提供するオフィスを開設しませんか」という企画を提案しました。1996年に開催されるアトランタオリンピックに向けての高地トレーニングの基地を作ろうという計画です。そのようなプレゼンテーションを信じてもらえるかは未知数でしたが、幸いにも「面白いからやってみよう」ということになりました。

ちょうど高橋尚子さん、有森裕子さんらが現役の時代です。夜中に小出義雄監督から連絡があり、選手が腹痛を起こせば病院へ同行する、宿舎のディスポーザーが詰まれば配管工を呼ぶ、というように、日常生活を英語面も含めとことんサポートしました。オフの過ごし方までまとめた「ボウルダー・トレーニング・ガイド」を作って選手や監督に差し上げていたところ、いつしか「ボウルダーの早野」ということで有名になっていました。この頃にメディアや実業団との緊密な関係ができました。

アトランタオリンピック後は、1997年に帰国してアシックスの業績V字回復を経験したり、ニシ・スポーツで常務になったりしましたが、性分として物事がうまくいって褒められていると、次へ行って冒険してみたくなる。そんなわけで、2006年、東京マラソン組織委員会に参加することになったのです。

一人ひとりのストーリーが集まり、東京がひとつになる

スタート地点。紙吹雪が舞い散る。(写真提供:東京マラソン財団)

スタート地点。紙吹雪が舞い散る。(写真提供:東京マラソン財団)

――かつて日本では、マラソンやランニングを楽しむ層は今ほど幅広くはありませんでした。東京マラソンは社会に大きな変化をもたらしましたね。

早野 東京マラソンが始まった2007年以前を紀元前(BC)、以降を紀元後(AD)と言われるほどに違いがあります。

それまでの日本にもランニングブームはありましたし、”fun run”といったことも言われていました。でもそれはすでにある程度、走れる人たちの中での比較的限られた現象でした。また、健康志向という要素が先行しがちで、イメージはさほど魅力的ではなかったわけです。

一方、東京マラソンは、思いきり敷居を下げ、「どんな走り方でもOK」というスタンスを取りました。学校の体育の成績が5段階評価で2や3だったような人も完走して、決してスポーツエリートだけでなく誰もが主役になれる。誇らしげに完走メダルを首から下げて飲みに行ったりする。東京マラソンに出場した人々が、全国津々浦々で繰り広げるであろう、そんなシーンを思い描くところから始めました。また、当時の東京都知事の石原慎太郎氏が「(完走しやすい)7時間制限は譲れない」と押し切ったことも大きいですね。「7時間あれば、自分も完走できそうだから走ってみたい」と参加希望者が殺到するようになった。

折り返し点 (写真提供:東京マラソン財団)

折り返し点 (写真提供:東京マラソン財団)

マーケティング戦略として最初にやったのは、女性の気持ちを掴むことでした。雑誌『FRaU』などと組んで「走る女性は美しい」というおしゃれでポジティブなメッセージを打ち出しました。東京マラソンが始まる2年前に北青山ランニングクラブを作り、メディアへの露出を増やしていったことも、こうした取り組みの一環です。

あるとき、こんなことがありました。ニューヨークからのフライトで、女性と隣り合わせました。見ると胸にメダルを下げている。なんとニューヨークシティマラソンの完走メダルです。その人にとって大きな誇りですよね。だから飛行機の中でもずっと外したくない。これは、おそらく完走したすべての市民ランナーに共通する気持ちだろうと思い、強く印象に残っています。

東京マラソン2016からロゴを新しくしました。私たちは「東京の街」という真っ白なキャンバスをご用意しますので、ストーリーはあなた自身が自由に描いてください、といったメッセージが込められています。ランナーにとっての「走る喜び」、ボランティアやオフィシャルパートナーにとっての「支える誇り」、それから沿道の150万人にとっての「応援する楽しみ」。一人ひとりに思いがあって、いろいろなカラー、いろいろな角度、いろいろな幅があるはずです。一見するとみんなバラバラなようだけれど、俯瞰すると美しく織り上げられたタペストリーのように見える。年に1度、「東京がひとつになる日。」というコンセプトを表現したロゴです。

2016年から新しくなった東京マラソンのロゴ

2016年から新しくなった東京マラソンのロゴ

東京都からの資金に頼るのではなく、ほとんど自主財政で運営

――東京マラソンの裾野の広さは画期的でした。協賛している企業も多いですね。

早野 2016年は約3万7000人のランナーを募りました。この人たち一人ひとりにマラソンに賭ける思いがあるわけです。自分が走りたいのは好きな彼女にカッコいいところを見せたいから、完走後のうまいビールを飲みたいから、ファッションを見せたいから、キレイになりたいから、などさまざま。走ること自体は誰にとってもきついものですが、そこにはいろいろな動機や価値が紐付いてくる。これを僕は「フュージョン(融合)ランニング」と呼んでいます。「あなたオリジナルのランニングを作ってしまおう」ということ。

この考え方のもとでファッション、音楽、あるいはチャリティやボランティアといった社会的な要素を持ち込むことによって、大会を取材に来るメディアも従来のスポーツ誌や番組だけでなく、社会部、ファッション誌、音楽誌など多岐にわたります。

そうすると、それぞれのメディアに関連して、一般の人にも身近な化粧品会社、セキュリティー会社、旅行会社などの企業がオフィシャルパートナーになってくれます。大会運営上、そこに戦略的に取り組んでいます。まずは、裾野の広さを活かして、スポンサー企業であるオフィシャルパートナーを広く募ってきました。今では約30の企業が協力してくださっています。

――スポンサー企業が多いと、財政上運営しやすくなる。

早野 企業からの協賛金は2016年には18億円に上ります。当初は7.7億円程度でしたから、右肩上がりに増えていき、今では2倍以上になったわけです。

また、東京マラソン財団には、「ONE TOKYO」という会員組織があり、これまでに44万人以上の人が登録しています。そのうちの約3万人がプレミアムメンバーという有料会員です。

2010年6月に東京マラソン財団を作り、財政的にも自立した運営を目指しました。その結果、東京都に負担していただいているお金は安全対策費として年間1億円で、財団の運営費全体に占める割合は5%を切っています。東京マラソンは、東京都からの資金で運営していると思われがちですが、ほとんど自主財政で運営できています。

こうして得た資金を世界のエリート選手の招聘などに投資することによって、レースのレベルも引き上げていったのが今の東京マラソンです。東京マラソンが始まったときには、国内の他のマラソン大会と比べても、レースのレベルとして飛び抜けて高かったわけではありません。

東京マラソンはランナーの裾野が広く、競技レベルも高く、財政的にも安定しているのはこうした戦略によるものです。

先頭集団の斜め左後部をバイクで付けるレースディレクターの早野氏(バイクの後部座席で黄色いメガホンを持った白いヘルメットの人物)。ペースメーカーのペース・コントロールを行う。(写真提供:東京マラソン財団)

先頭集団の斜め左後部をバイクで付けるレースディレクターの早野氏(バイクの後部座席で黄色いメガホンを持った白いヘルメットの人物)。ペースメーカーのペース・コントロールを行う。(写真提供:東京マラソン財団)

ハコモノではなく心に残るレガシーを

――チャリティ事業で集まった寄付金は、どのようなことに使われているのですか。

早野 東京マラソンチャリティで集まる金額は毎年3億円に上り、国内最大のスポーツチャリティ団体だと思います。そのチャリティで集まった寄付金を使ってスポーツのレガシー(後世への遺産)を生み出そうという事業も始まっています。

スポーツレガシー事業には、アスリートの強化やスポーツ施設などの環境整備といったいくつかのテーマがあります。例えば、アスリートの強化ということでは、ジュニアの、これから伸びていく若手の有望株を発掘し選抜して、集中的に育成していくこともやります。畑でイモを掘っているおじさんや、商店街で総菜を売っているおばさんが寄付してくれたお金が選手強化につながる。「あいつは、俺が育てた」ってビール飲みながらテレビ見て言えるのは、気持ちいいですよね。

東京マラソンは、当日、ランナーを応援してくれる人向けのコンテンツも充実させています。

「ランナーアップデート」というサービスでは、ランナーの氏名やナンバーカードの番号を入力すれば、インターネット上で自分が応援したい人がどこを走っているのかをリアルタイムに把握することができます。それが分かれば、コースで応援する人は場所を決めやすいし、遠くからテレビで応援している人でも、自分も参加しているという臨場感が得られます。そうしたツールは、コンテンツの1つとして、今後とも充実していきたいと思っています。

2020年東京オリンピック・パラリンピックにしてもそうですが、多くの人が自分も何らかの形で参加したいという気持ちを持っていると言います。せっかく日本で開催されるのに自分は何もできないというのは寂しい。こういうみんなの「参加している感」に応えるのが「スポーツレガシー」事業です。形ではなく、人の心に残るものを作っていくのが理想です。

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運営のノウハウは地方の大会とシェア

――東京マラソン2016は第10回目の大会。財団化を経て、この10年の間にさまざまな施策を打ち出してこられました。

早野 最初の3年間は、ベースである「安全安心な大会運営のもと、約3万人のランナーを東京都内で無事に走らせる」というオペレーションに徹しました。4年目からは財団化とともに、人々に振り向いてもらうためのさまざまな施策を考えていく中で、「ONE TOKYO」という会員制を導入し、2012年秋からはワールドマラソンメジャーズ(現アボット・ワールドマラソンメジャーズ:AbbottWMM)に加入しました。ボストン、ニューヨーク、ベルリン、シカゴ、ロンドン、東京の6大会は世界最高峰のシリーズ戦と位置付けられています。また、地方のマラソン大会とノウハウを共有する「RUN as ONE – Tokyo Marathon」や、商業施設によるおもてなしの「東京マラソンウィーク」といったコンテンツを作ってきました。もちろん「東京マラソンチャリティ」や「スポーツレガシー事業」なども注目されています。

「RUN as ONE – Tokyo Marathon」は、10回のマラソン大会を経て一定の地位を得た東京と、地方のマラソン大会をつなぐ仕組みです。チャリティで集まる金額が毎年3億円ということもありますし、1万人のボランティアを束ねていること、マーケティングの成功、警備救護など、東京マラソンが持っている資金集めも含めた多角的な運営施策やノウハウを共有し、一緒に伸びていこうというのが「RUN as ONE – Tokyo Marathon」の考え方です。

地方から東京マラソンへ准エリート選手を招聘(各都道府県から50人程度。その他、海外からの準エリートおよび一般ランナーの招聘も行っている)していますが、世界のトップ選手と一緒に走ることで、自信と力を付けて、地元に戻ってからも記録につなげていくといったことを期待しています。

フィニッシュ地点(写真提供:東京マラソン財団)

フィニッシュ地点(写真提供:東京マラソン財団)

スポーツを愛する気持ちから「健康」を考える

――今後10年の展望をお聞かせください。

早野 東京マラソンはこれまで、「楽しい」「カッコいい」「かわいい」「社会に役に立つ」といった点を前面に訴求し、「健康」というキーワードはあたりまえすぎるし、あえて外していました。しかし、ここまで東京マラソンが普及し、人々のライフスタイルに影響力ができた今、この影響力を活かして、今後は日本社会が抱えている健康や医療費の問題に取り組んでいきたいと考えています。

企業の健康保険組合の9割が赤字で、その医療費の9割が生活習慣病に起因しています。そこを変えていくために、東京マラソンが広告塔になれるかもしれません。一挙に医療費を5割くらい減らすということもあり得る話。1万円の手術費用よりも、1万円のランニングシューズを、という選択が可能になるような、そんな社会に変えていくことができるかもしれない。延命治療のためにチューブでつながれた寿命ではなくて、健康寿命が伸びるように。そういうことを思い描いています。

学校教育でも、徒競走の速い遅いで評価するのではなく、スポーツを愛する気持ちを育むことがより重要になってくる。社会へと巣立ってからも、健康に気を配りながら、イキイキと仕事をする。60代になってリタイアしても、健康であればそこから先のコミュニティがきっとあるし、楽しい世界があるということです。そういう社会を作りあげるためのいろいろな企画に、我々東京マラソン財団は次の10年、積極的に取り組んでいきたいと考えています。

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――東京マラソンはアボット・ワールドマラソンメジャーズの1つとなりましたが、今後もさらに世界で注目を集めるマラソン大会であり続けるために、レースディレクターとしてどのような戦略をお持ちですか。

早野 2020年に東京オリンピック・パラリンピックが開催される頃には、東京マラソンが世界一のマラソン大会だと言われるようにしたいと思っています。これまで東京マラソンは1人も死者を出していないし、テロにも見舞われていません。安全安心なことでの世界一を引き続き守っていきます。

2016大会からは、車いすマラソンレースが国際パラリンピック委員会の公認大会として開催されました。パラリンピックに出場するための公認記録を取得できる大会になったということです。今後も国内外で活躍する選手が競い合う世界最高レベルの車いすレースを目指します。

ボランティアを始めとして温かいおもてなしの雰囲気があり、ランナーが世界一楽しめる大会、また、記録の出る世界一エキサイティングな大会を目指します。実は僕自身、面白がり屋ですし、人を驚かせるのも大好き。これからも”A rolling stone gathers no moss”(転がる石に苔むさず)という言葉のように動き続け、社会をアッと言わせ続けたいですね。

TEXT:伊川恵里子

早野忠昭

はやの・ただあき

早野忠昭 一般財団法人 東京マラソン財団 事業担当局長  東京マラソンレースディレクター

1958年、長崎県出身。1976年インターハイ男子800m走全国高校チャンピオン、筑波大学体育専門学群を経て高校教諭として勤務。その後渡米し、コロラド大学大学院に在籍。アシックスボウルダーマネージャーとして勤務。帰国後、㈱アシックス勤務を経て㈱ニシ・スポーツ常務取締役に就任。2006年、東京マラソン事務局広報部部長、2010年7月一般財団法人東京マラソン財団事務局長、2012年4月一般財団法人東京マラソン財団事業局長、レースディレクター、2013年4月一般財団法人東京マラソン財団事業担当局長、レースディレクター、スポーツレガシー事業運営委員長


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