企業の中にこそ必要な「デザイン思考」の今——慶應義塾大学・奥出教授インタビュー

近頃、ビジネスにおけるイノベーション創出の1つの手法として、「デザイン思考」という言葉が広く知られるようになってきました。デザイン思考とは、商品・サービスを使う実際の顧客ニーズに近づくとともに、プロトタイピング(試作)などを通じて市場の反応を見ながら、コンセプトをカタチにしていくアプローチ方法です。

慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(KMD)の奥出直人教授は、この言葉が世に広まる以前から、デザイン思考の実践的研究に取り組んできました。現在は企業向けのワークショップを通じて、次世代イノベーターの育成を行っています。

多くの企業がイノベーションの創出を経営課題として認識する今、デザイン思考はどんな役割を果たすのか。そして、企業の中で求められるデザイン思考とは一体どんなものなのか、奥出教授に話を聞きました。

デザイン思考とは?

——「デザイン思考」とはどのような手法で、なぜ最近になって脚光を浴びるようになったのでしょうか?

奥出 そもそも、19世紀末にヨーロッパで開花したアールヌーヴォーなどにしても、デザイナーは既存のモチーフを使い、アートと工芸の間で“人の生活に入り込めるもの”をどのようにつくればいいのかを考えていました。それが本来的な意味の“デザイン”で、デザイン思考も同様の考えを基にコンセプトを具現化していく手法です。

しかし、20世紀以降、本格的に大量生産・大量消費の時代に入り、次第にインダストリアルデザイン、グラフィックデザインの動きが活発になります。それらの領域が伸びていくにつれて、人材育成の場でも意匠的なデザインのみを教えるようになりました。そうした状況が現在も続いています。一方、例えばエンジニアは、図や色、形で考えるという訓練をほとんど受けていません。

「デザイン思考」とは

20世紀以降、デザインとエンジニアリングの狭間で、すっぽりと抜け落ちている部分。それが今、新規事業、あるいはイノベーションに求められる本来的なデザイン能力です。そのデザイン能力を抽出する言葉として、バズワード的に「デザイン思考」という言葉が多用されるようになっているのではないでしょうか。

——本日の取材は、白寿生科学研究所内の「白寿イノベーションスタジオ」にお邪魔しています。奥出さんは、ここで企業の幹部候補社員などを対象としたデザイン思考のワークショップを企画運営されていらっしゃいますね。

奥出 はい。企業内で新規参入事業が求められる中、デザイン思考を系統立てて実践的に習得してもらい、イノベーションの創出を担う人材育成や、新規事業の市場導入を視野に入れた戦略を進めています。

——ワークショップでの内容は後ほど伺うとして、そもそも奥出さんは、ものづくりの根幹となるフレームワークとして、長らく「デザイン思考」を研究されています。ご自身の活動の中にデザイン思考を取り入れるようになるまで、どんな経緯があったのでしょうか?

奥出 私はもともとデザイン評論に従事していましたが、ある時期からプロデューサー的な立場で、企業向けデザインワークショップを企画するようになりました。その過程で、IDEO社※のティム・ブラウンCEO(最高経営責任者)を通じて、海外で活動するデザイナーをワークショップに招聘するようになったんです。

※デザイン思考は元々、IDEO社のプロセスが注目されたことから広がってきたとされる。

——実際に、IDEO社のデザイン思考的なアプローチに触れ、どんなことを感じましたか?

奥出 面白いと思いましたね。私はもともとアメリカの大学で“建築家なしの建築”といわれる「ヴァナキュラーデザイン」「ヴァナキュラーアーキテクチャー」の研究に従事していて、フィールドワークで分析して再構成するというアプローチは、ヴァナキュラーデザインにも通じる部分がありましたから、身近に感じました。

“モノ”ではなく、新しい“事業”をつくる

——最近は日本国内の企業でもデザイン思考が注目を集めていますが、現場レベルのデザイナーやエンジニアに限らず、経営戦略においてもデザイン思考の需要は高まっていますよね。

奥出 私がかねがね思っているのは、新しいモノをつくること自体がイノベーションなのではなく、新しい“事業”をつくることがイノベーションだということです。

すなわち、経営戦略でいちばん大事なポイントは、イノベーションになりそうなものに投資決定できるかどうか。しかし、いざ「これ、当たるよね」というアイデアが出てきても、投資決定の段階になると躊躇してしまう経営陣が多いのも現状です。

奥出教授

もちろん、経営にコミットするところまでに至るデザイン思考が普及していないという実情もありますが、私は約20年間の活動の中で、「あのとき攻めていれば、すごいビジネスになったのに……」と思えるものをたくさん見てきました。

——そうしたこれまでのご経験は、いくつかの本にまとめられていますよね。

奥出 企業でのコンサルティングの経験をまとめた本を2冊上梓しています。1冊目の『デザイン思考の道具箱』(早川書房、2007年)は「イノベーションのアイデアをどのように出すべきか」をまとめ、2冊目の『デザイン思考と経営戦略』(エヌティティ出版。2012年)では、「意思決定されにくい中で、どうすべきか」「どうやったら経営幹部の心に刺さるのか」というのがテーマになっています。

イノベーション創出の場を、どうつくるか?

——さて、白寿イノベーションスタジオの話に戻りますが、ここではどのようなワークショップが行われているのでしょうか?

奥出 例えばある企業からの依頼では、フィールドワークや宿題などのオフタイムを含め、およそ250時間を割いてもらい、デザイン思考に取り組んでもらいました。そのおよそ半分は、コンテクスト(文脈・背景)を膨らませるプロセスです。

——“コンテクストを膨らませる”とは、具体的にどのようなワークなのでしょう?

奥出 フィールドワークで現場を観察し、分析する作業が中心となります。

多くの新規事業アイデアは、この“コンテクストを膨らませる”というプロセスをすっ飛ばしていて、そのことでアイデアが表層的になってしまいます。そして企業の中では、この部分に「人、時間、お金」を投資することの価値をわかっている人が多くはありません。

一般的な企業の商品開発でもフィールドワークのプロセスを踏んでいるケースはありますが、エスノグラフィー※の部隊だけが行っているパターンがほとんど。そうして出てきた分析結果は、得てして経験値のない壮大なレポートになってしまう。だから、その後のプロセスでデザイナーやエンジニアにバトンタッチしても、うまく進みません。

※文化人類学、社会学の用語で、集団や社会の行動様式をフィールドワークによって調査・記録する手法およびその記録文書。近年は商品開発やマーケティングの調査手法として注目され、人材育成やプロジェクトマネジメントなどの分野でも活用されるケースが増えている。

ここでは、デザイナーやエンジニア、営業、商品開発および研究者などあらゆる職種の人を直接フィールドに送り込みますから、コンセプト作りから全て自分自身でやらなければなりません。フィールドワークを実践していくと、“自分”の感覚が変わり、やがて世界が見えてくる。そのためのフィールドワークなんです。

奥出教授

——フィールドワークによりコンテクストが膨らめば、ターゲットペルソナ(理想の顧客人物像)も導かれていきます。それ以降の活動は?

奥出 後半は、サービスを提供する人間(企業)と、提供される人間(ユーザー)との間に、どんな価値が生まれるか、議論を重ね、プレゼンテーションなどを通して何回も確かめていきます。そして手を動かし、粘土などで形あるものをプロトタイピングしてみたり、劇で表現してみたりしながら、商品の新しいアイデアを考えていきます。それを細かくやっていくことで、かなり明確なコンセプトができあがっていくんです。

つくったものに意味があるのかないのか、それがコンセプトデザインの肝なのですが、このプロセスは必ず身体を介在させる必要があります。人間は意味を言葉ではなく、身体で感じる。だから手を動かしたり劇をやったりして、身体を動かしているんです。

——新規事業の市場導入を検討するワークショップの場合、最終的にどのようなアウトプットができあがるのでしょうか?

奥出 最終的には、コンセプトを伝えるムービーなどを制作してもらっています。例えば、これは某企業の参加者チームが制作したコンセプトムービーです。

(ここで、ビデオを見せていただく)

ムービー中に出てくるものは、このスタジオにあるものを使い、ワークショップの時間内で制作しています。スタジオにはレーザーカッターも3Dプリンターもありますから、ビデオに出てくるものすべてが手づくりです。映像中の人形劇に出てくる人形も紙粘土でつくられていて、音声はアフレコしていたり、自動音声読み上げソフトを使用したりしています。

——白寿イノベーションスタジオは、こうしたことがすべて1カ所でできるんですね。

奥出 はい。同じ場所ですべてできることが特徴で、実はこれがとても重要です。設備が整っていればいいかというと、そういうわけでもなく、議論する場、演劇の練習をするスペース、すべてが1カ所に集まっている必要があります。

優れたコンセプトは、意思決定の負荷を小さくする

——ムービーを見ると、かなりレベルの高いものに仕上がっている印象です。

奥出 これほどのレベルまで仕上がったコンセプトだと、社員から事業提案を受けた役員たちも、「あとは我々経営陣の決断のみだな」と納得するわけですね(笑)。逆に言えば、このクオリティーのものが完成すれば、経営に対する意思判断の負荷を小さくすることもできるわけです。

奥出教授

——そうした「意思決定のしやすさ」が、デザイン思考の効果なんですね。

奥出 そうですね。市場に投入できるイノベーティブな製品・サービスをつくるところまでは、間違いなくここでできると自負しています。しかし、繰り返しになりますが、その先の投資の意思決定が、なかなか企業の中でうまくいかない。

奥出教授

そもそも企業の創業者は、イノベーターそのものなんです。問題は、そうして企業を興した人が、次のイノベーターを輩出することを阻害してしまうこと。 経営者も本音では「今は食べていけたとしても、次の時代は食べていけなくなる」なんてことは十分わかっていて、利益が出ているうちに次の一手が欲しい。ですが、多くの企業はどうしても売れている商品にばかり目がいってしまい、もう一度売れている商品を出そうとします。だから、たとえイノベーションのアイデアが出てきても、「では何億になるのか」という議論に転じ、結果、二の足を踏んでしまいます。そうしてイノベーションのない状態が、何十年と続いてしまうのです。同様のことを、クレイトン・クリステンセンは企業経営理論『イノベーションのジレンマ』(原題:“The Innovator’s Dilemma: When New Technologies Cause Great Firms to Fail”)の中で述べています。

今求められていることは、まずは意思決定をし、少ない利益でもいいから市場に出してみること。そして、そこから顧客との共同価値を見つけることです。その先にイノベーションがあると考えるべきなのではないでしょうか。

TEXT:安田博勇

奥出直人(おくで・なおひと)

1978年慶應義塾大学文学部社会学科卒業、1986年ジョージ・ワシントン大学アメリカ研究科博士課程修了Ph.D.。1990年以降慶應義塾大学にて教鞭を執っている。文化人類学、現象学、メディア環境論などの幅広い研究業績を基盤に、現在はインタラクション・デザインやデザイン思考など、21世紀のモノづくりの根幹となるフレームワークを研究・開発。


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