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「インターネットの父」と言われ、日本におけるインターネット環境を作り上げた村井純氏。現在、慶應義塾大学環境情報学部長の村井氏が、インターネット環境の現在と未来をどう見ているのか。インターネット黎明期で目指したものを振り返りつつ、その軌跡を辿ってもらった。

始まりは100個のコンピューターのネットワークだった

僕達が最初にネットワークを作った年が1984年。NTT民営化、電気通信事業法改正が1985年で、その前年、「もうすぐ電話回線にモデムをつけて、コンピューターがつながる!」という時だったから、相当ビクビクしながらパソコンをネットにつないだのが、僕達にとって最初のネット体験だった。
当時は、まだインターネットの概念はなくて、アメリカ国防省が開発したAPRANETだったけれど、この体験は僕にとっては原点といえるもので、一生忘れない大切な年になった。だから僕は車のナンバーを1984にしているんだよね(笑)。

84年の時点で、全国で100ぐらいのコンピューターが電話回線でつながっていた。初めてネットの専用線をつなげようとした時、最初に考えたのが、「パソコンを何個つなぐことになるのか」ということだった。
最初はJUNET(Japan University NETwork)で、コンピューター・サイエンス学科のある大学の数を考えて、いや、やっぱり工学部がある大学だよな、それより全国の大学全部じゃないか、ちょっと待てよ、だとすると企業がつながらないわけがない、と考えていって、結局、世界中のコンピューターをつなげられるんじゃないの、と思った。そこがゴールだな、と。

世界中のコンピューターがつながるとどうなるかな、と考えた。この時から、目標が定まっていたんだよね。世界中のあらゆるコンピューターをつなげて、プラットフォームを作って、そこで起きるだろうあらゆることを可能にしようという。

目指したのは「地球の形をした分散環境」

僕のバックグラウンドは、UNIXのオペレーティング・システムなんです。オペレーティング・システムが目指しているのは分散処理で、どこにデータを置いておこうとか、ここが壊れたら代わりにこれが動く、といったことです。Widely Integrated Distributed Environmentの頭文字をとった「WIDEプロジェクト」というグループを1985年に作ったんだけれど、Widely Integrated Distributed Environmentは日本語では「広域大規模分散環境」といって、目指していたのは、地球上のコンピューターがつながって、ひとつのOSで動く、というイメージ。その状況が、ようやく今になってできつつある。

最初に電子メールを作った時、メールはコンピューター・サイエンティストが使うものだから、文字は英語でかまわない、と思っていたんだけれど、蓋をあけたら日本人同士がローマ字でやりとりしている。さすがにその状況はどうにかしなくてはならないから、8ビットに格納できるのは英語であって日本語は無理だ、というところから始まって、電子メールで日本語を使えるようにするために、OSをいじることになった。「みんな、フォントを手分けして手作りして著作権フリーのフォントを作ろう!」とか呼びかけたりして(笑)。

いわゆるインターネット黎明期、スマートフォントとか、ワイヤレスとか、予想できていたわけではなかったけれど、コンセプト的には、今の状況は、当時からイメージして目指したものと、そう変わりはありません。

「地球の形をした分散環境」がインターネットじゃないですか。ようやく準備完了、30年かかっちゃったな、という感じです。ありとあらゆる世界中のコンピューターがつながる環境に、たどりつくことができた。

欲しいブドウに向かって、飛び続けるキツネであれ

僕は1955年生まれで、バークレイの同級生は、サン・マイクロシステムズのビル・ジョイとか。ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブス、JAVAを作ったジェームズ・ゴスリン、みんな同じ年、1955年生まれなんだよね。1990年にSFC(慶応大学湘南藤沢キャンパス)を作ったけれど、90年、大学でインターネットの研究をしていたのは、日本組だけ。そのあと90年半ばになってもまだ大学にいるのは、世界中で、自分だけ(笑)。

僕以外のみんなは、ビジネスに行って金持ちになっている。90年代後半は、インターネット開発に関して日本が相当がんばっていたんだけれど、その理由は、日本人研究者がビジネスに行かなかったからなんだよね。僕は、自分自身が天才科学者になるとか、そういうことではなくて、次に来る人が、それを踏み台にして、次に手が届く、というような存在でいたいと思っていた。

イソップの寓話で、ブドウに飛びつくキツネの話があって、キツネは、ブドウに手が届かないから、あのブドウは酸っぱいんだ、といって諦めて立ち去ってしまう。けれど、これから若い人たちは、欲しいブドウがあって、そこに飛び続ける人間であってほしい。
飛び続けることができる環境が、コンピューター・サイエンス・プラットフォームであり、何かをやろうと思った誰かが、何かを達成できる環境が、今、整っているのだから。

text:野田香里

後編はこちらから

村井教授

むらい・じゅん
村井 純

慶應義塾大学環境情報学部長。1955年東京生まれ。1979年慶大工学部卒業、1984年同大理工学研究科博士課程修了。工学博士。専門はオペレーティング・システム。インターネット研究のパイオニアで日本の「インターネットの父」と呼ばれ、Internet Society(ISOC)による2013年インターネットの殿堂(Internet Hall of Fame 2013)入りを果たす。WIDEプロジェクトのファウンダーや政府の委員会メンバーとしても活躍している。


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