常識を覆す「運動」効果の解明に挑む ――筋肉がホルモンを出して糖尿病、がん、アルツハイマー病など    のリスクを防ぐ

これまで糖尿病の治療はインスリンを投与するのが常識とされてきた。しかし、首都大学東京大学院人間健康科学研究科の藤井宣晴教授は、運動をして筋肉が収縮すると、インスリンとは全く別のメカニズムが働いて血液中の糖を消費し、糖尿病の治療や予防に大きな効果があることを明らかにした。
研究はさらに進展し、これまで臓器だけが作るとされていたホルモンが、実は筋肉によって多種多様に作り出されていることを発見。これらのホルモンが血液の流れに乗って全身に届けられ、臓器などを健康にしている事実を証明しつつある。内閣府もこの研究に注目し、「最先端・次世代研究開発支援プログラム」に選んで後押しをしている。
運動をして筋肉を動かせば、糖尿病だけでなく、アルツハイマー病やがん発生のリスクを下げ、免疫機能を高めるといった効果があるうえ、健康を増進することによって、医療費の削減に貢献することが期待される。
筋肉の運動効果解明に挑戦する藤井教授に、これまでの研究の成果や「創薬」への期待について伺った。

鍵を握るのは筋肉細胞の中にあるAMPキナーゼという酵素

――まず、糖尿病の話から伺います。運動して筋肉を収縮させると、インスリンとは異なる経路で血糖値が下がる、という藤井先生たちの研究が注目を集めています。それはどのようなメカニズムなのでしょうか。

藤井 筋肉を収縮させると、血液中の糖が消費されて血糖値が下がる現象は以前から知られていました。しかし、そのメカニズムについては「筋収縮がインスリンの分泌を盛んにしているのだろう」と、間違って解釈されていました。
私たちの身体は多くのホルモンを作っていますが、血糖値を下げるホルモンはすい臓が分泌するインスリン以外にはないということで、そう推測されていたのです。しかし実際には、運動すると逆にインスリンの分泌が低下することも以前から知られており、本当の理由は解明されていなかったのです。

私は1999年に米ハーバード大学のジョスリン糖尿病研究センターに留学しました。その直前の98年、私の上司になるロ-リー・グッドイヤー博士が、「筋肉の収縮によってインスリンとは全く違う経路で糖が筋肉に取り込まれている」という画期的な論文を発表していました。それは、世界でもまだ数人しか気付いていない事実でした。
その後、グッドイヤー博士は筋肉細胞の中で何が起きているのかを詳しく研究し、筋肉細胞中の「AMPキナーゼ」という酵素が糖を取り込んでいる事実を突き止めたのです。私はその研究プロジェクトの主任として2008年まで参加しました。

細胞のエネルギーが減ると、AMPキナーゼが活性化して糖を取り込む

――そのAMPキナーゼとはいったいどんな物質で、どんな働きをするのですか。またインスリンの働きとはどう違うのでしょうか。

藤井 人が運動して筋肉を動かすときは、ATP(アデノシン3リン酸)というエネルギーの「蓄電池」を利用します。ATPがエネルギーを出すとADP(アデノシン2リン酸)という物質に変化し、更にエネルギーを出すとAMP(アデノシン1リン酸)に変化します。

藤井教授

こうして細胞内のATPが減ると逆にAMPが増え、それに応じてAMPキナーゼに活性化のスイッチが入ります。するとAMPキナーゼは血液中の糖を筋肉細胞に取り込み、低下したATPのエネルギーを補充する働きをするのです。
AMPキナーゼはもともと筋肉細胞に存在する酵素であり、細胞のエネルギー量を監視するセンサーの役目を果たしています。その存在は以前から知られていましたが、構造が複雑なこともあり、何のために存在しているのか、よく分かっていませんでした。それがようやく解明されたのです。

これに対しインスリンは、すい臓のランゲルハンス島という組織で作られて血液中に分泌されるホルモンで、筋肉細胞の外側から筋肉に糖の取り入れを促すという違いがあります。

話がそれますが、昔から糖尿病治療に使われているメトフォルミンという薬があります。ユリ科の植物から抽出する物質ですが、なぜ糖尿病に効くのか分からないまま使われていました。実はこの物質も、AMPキナーゼを活性化していることが最近になって判明しました。つまり運動がもたらす効果を模倣する物質だったわけです。
このようにここ10数年の研究で、AMPキナーゼ・ワールドと言われるぐらい、研究が進んできました。

藤井教授

インスリン以外の治療を諦めていた糖尿病患者に福音

――血糖値を下げるAMPキナーゼの研究が進んだことは、インスリンに頼るしかなかった糖尿病の患者さんにとって新たな希望になりますね。

藤井 そう思います。私たちの研究の第1のインパクトは、インスリン以外に筋肉に糖を取り込ませるメカニズムが存在することを示した点です。
第2にインスリンの働きが悪い糖尿病の患者さんであっても、運動すると健常な人と同じぐらい、筋肉への糖の取り込みが盛んになることを発見した点です。

糖尿病の患者さんは日本だけでも約700万人、その予備軍1300万人を合わせると総計2000万人いると言われます。すい臓の細胞が壊れるⅠ型と、インスリンの情報伝達がうまく機能しなくなるⅡ型がありますが、日本人の糖尿病のほとんどはⅡ型です。これまでインスリン以外の治療を諦めていたⅡ型の患者さんに新しい治療の道が開けたことは、とても意義のあることです。

脳や神経にとって糖は重要なエネルギー源

――ところで、人体の仕組みとして、血糖値を下げるホルモンはインスリンしかないのに、血糖値を上げるホルモンはたくさんあることが分かっています。これは生命の進化と何か関係があるのでしょうか。

藤井 糖は生命体の維持にとって極めて重要な物質です。特に脳や神経は糖のエネルギーで生きているので、血糖値が下がりすぎると人間を死に至らしめます。ですから地球生命誕生以来の進化の過程で、血糖値を上げるためのホルモンは何種類も備える一方、下げるためのホルモンはインスリン1つあれば十分だったのです。
ところが現代人は、手を伸ばせば簡単に食物を手に入れられる飽食の時代を生きています。飢餓から身を守ることが重要だった人類の長い進化の過程では、それはごく一瞬の異常な時代にしかすぎません。

藤井教授

日常の身体活動のレベルを、少しでも超えるものは「運動」と言える

――運動が糖尿病の治療や予防に有効であることは分かりましたが、どのような運動をすれば効果的なのでしょうか。

藤井 その点については私は専門外なのですが、低い運動強度でもAMPキナーゼが活性化されることがすでに確認されており、無理に頑張って激しい運動をする必要はありません。
運動が健康にいいことは承知しているのに、実際には運動しない人が多いことが問題です。「運動しなさい」と言われると、シューズやウエアを買ったり、気合を入れたり。こんなイメージでは、長続きしないのが当然です。

日常生活で必要とされる身体活動のレベルを、少しでも超えるものは全て「運動」と言えます。ある運動と別の運動の違いをうんぬんするより、運動するかしないかの違いの方がものすごく大きいのです。
2人並んで話しながら歩いているとしましょう。話しながら呼吸をちょっと意識する、あるいは心臓がドキドキ動いていることを自覚するぐらいの速度で歩く――これはもう運動であり、ふだん使わないレベルの身体活動をしている証拠と言えます。階段を2階や3階まで歩いて上がるとか、掃除をするといったことも運動です。この程度でも効果があります。
話しながら歩くことに負担を感じなくなったら、それは運動レベルに身体が適応した証拠なので、もう少し歩く速度を上げてみればいいでしょう。

ただ、運動は万能ではありません。糖尿病が重度に進行してしまうと、運動にできることは限られてきます。病気の早い段階でやるほど効果的です。糖尿病の研究や意識改革が進んでいる米国に比べ、日本の病院では患者さんにどのように運動をすればよいかを伝える努力が不足しているように思います。

藤井教授

運動の効果は脳、免疫系、肝臓、すい臓など全ての臓器に現れる

――米国では、運動することが糖尿病治療のための重要な柱、と位置付けられているのですか。

藤井 そうです。米国では「Exercise is medicine.(運動は薬なり)」というスローガンが普及しており、米医師会やスポーツ医学会が健康のために運動を推奨しています。米国は国民皆保険ではありませんが、それでも保険医療の金額がぼう大になり、国の財政を圧迫しているからです。
糖尿病に限らず、病気になった人を治すのではなく、病気にならないように予算を付けて仕向けて行くという意識が、米国ではとても高くなっています。

――運動の効果は糖尿病以外の面でも現れるのでしょうか。

藤井 はい。効果の出方は臓器によってそれぞれ違いがありますが、脳、免疫系、肝臓、すい臓など全ての臓器に運動の効果が現れます。また数種類のがん発生のリスクを低下させることも分かっています。

すでに筋肉が出す10種類以上のホルモンを発見

――なぜ運動の効果は全身に及び、しかも多様なのですか。

藤井 私たちの仮説は「筋肉から何か健康に良い“ホルモン”が分泌され、血液流に乗って全身に届けられ、各臓器に対して良い働きをしているのではないか」というものです。そして「そのホルモンは1種類ではなく、脳に作用するもの、心臓に作用するものなど複数あるのではないか」、そうした視点に基づいて今研究を進めています。

――これまでホルモンは臓器からだけ作られるとされてきましたが、実は筋肉からも分泌されていて全身に働きかけるという説は、従来の常識を覆す理論ですね。藤井先生たちのこの研究は内閣府の「最先端・次世代研究開発支援プログラム」の1つに選ばれましたが、研究はどこまで進んでいるのでしょうか。

藤井 運動が健康に良いことは昔から知られていますが、そのメカニズムはよく分かっていませんでした。この研究はそのメカニズムを突き止めようという趣旨で、ようやくメドが立ってきました。
筋肉から分泌されるホルモンは「マイオカイン」と総称して呼ばれており、私たちは10種類を超えるマイオカインを見つけました。マイオは筋肉、カインは作動物質という意味です。これらは未知の物質ではありませんが、まさか筋肉から分泌されているとは誰も知りませんでした。

濃度を間違えるという実験上のミスが新発見につながった

――筋肉がどんなマイオカインを分泌しているのかは、どのような方法で調べるのですか。

藤井 私たちは「培養細胞」を使って証明しようとしています。バイオ細胞とは1つひとつの筋肉細胞を培養して再合成したものを言います。これを人為的に収縮させることでマイオカインを分泌させ、その物質が何かを分析するのです。
この研究は私たちの研究室の眞鍋康子・准教授が取り組んでいますが、長い間、培養細胞にいくら電気刺激を与えても収縮してくれませんでした。

ところがある日、眞鍋さんが顕微鏡で何百個という細胞を観察していたら、たった1個だけ収縮している細胞が見つかったのです。何か良い条件が偶然起きたに違いないと考えて詳しく調べてみました。すると、バイオ細胞を作るときに加える成長因子の濃度を間違えて1000倍高いものを加えていたことが分かりました。偶然の間違いによって、筋肉が出すマイオカインを調べるための実験系が初めて確立できました。こうして10種類を超えるマイオカインを特定することができたのです。

運動分子生物学研究室の藤井宣晴教授(左)、眞鍋康子准教授(中)、古市泰郎助教(右)。

運動分子生物学研究室の藤井宣晴教授(左)、眞鍋康子准教授(中)、古市泰郎助教(右)。

ショウジョウバエでまず確認。次にマウス、そして創薬へ

――藤井先生は「私たちが最終的に目指すものは『創薬』である」と述べておられますね。

藤井 そうです。バイオ細胞から分泌されるマイオカインを特定したら、次はその作用を調べなくてはなりません。
その研究方法としては、ふつうは遺伝子操作によって特定のマイオカインが欠落しているマウスを作り、マウスにどんな影響が出るかを調べるのですが、マウスでは時間がかかり価格も高いので、私たちはショウジョウバエを使って同じ内容の実験をしています。ショウジョウバエは寿命が50日なので一生を観察しやすいのです。

ショウジョウバエのマイオカインの遺伝子を操作すると、寿命が短くなったり長くなったりします。体内で何かインパクトのある変化が起きていることが分かります。その変化がなぜ起きたのか、マイオカイン1個ずつについてその作用を調べます。

現在、2つのマイオカインについては確認が終わったので、より人に近い遺伝子を持つマウスの実験に進んでいます。他に4~5つのマイオカイン候補が浮上しています。
人に比べて遺伝子が3割以上少ないショウジョウバエで、マイオカインが人と同じような反応を見せることは、マイオカインの存在が地球生命体にとって大切な機能を果たしていることを示しています。

私たちの研究の目的は、身体に良い効果をもたらすマイオカインや、逆に身体に悪い効果をもたらすマイオカインを抑制する物質、すなわち運動がもたらす効果を模倣するような物質を見つけて、薬のカプセルの中に詰め込むことです。これが実現すれば、身体全体を健康にする最も強力な薬になるでしょう。これが私たちの目指す「創薬」です。
私は、このマイオカインの学問分野を新しい学術領域(運動調節性筋内分泌)として確立し、将来は創薬の他に、新医療方策、新運動療法の研究へとつなげたいと考えています。

高齢社会の医療費削減に向け、日本でもムーブメントを

――この研究によって運動の効果に科学的根拠が与えられたことは、国民のスポーツや身体を動かす習慣へのモチベーションになり、健康・予防医学の発展に寄与しそうですね。

藤井 運動がアルツハイマー病のリスクを抑えたり、がんの発症率を下げたりすることは、すでに疫学データで確かめられています。他にも免疫機能を高進させたり、すい臓のインスリン分泌機能を高めたりします。
そのメカニズムをマイオカインで解明すれば、人の1カ月後や1年後、3年後の健康状態を予測し、病気を避け良い方向に変えていくことができるようになります。

この分野の研究は注目度が高まって、ホットな競争が始まっています。ただ、話題先行の勇み足のような研究発表が行われている面もあります。1度間違いが流布すると、それが訂正されて正しい考え方が定着するには10年かかると言われます。もう少し落ち着いた検証をしないといけません。
運動の効果は、皆さんが考えている以上に広範囲で素晴らしいものがあります。糖尿病だけとってみても、運動をすれば投与するインスリンの量を減らすことができるので、医療費削減にも役立ちます。東京都をはじめ地方自治体では、運動教室を開くところが増えています。米国の「Exercise is medicine.」に倣って、日本でも大きなムーブメントが起きることを願っています。

TEXT:木代泰之

藤井宣晴  ふじい・のぶはる

首都大学東京 大学院人間健康科学研究科 ヘルスプロモーションサイエンス学域 教授。1967年、秋田県生まれ。 1994年 筑波大学博士課程体育科学研究科修了、1999年 ジョスリン糖尿病センター(米国)ポストドクトラルフェロー、ハーバード大学医学部(米国)ポストドクトラルフェロー、ハーバード大学医学部(米国)、ポストドクトラルフェロー、日本学術振興会 海外特別研究員。2001年 ジョスリン糖尿病センター Research Associate、ハーバード大学医学部 Instructor of Medicine。2008年より 首都大学東京 大学院人間健康科学研究科ヘルスプロモーションサイエンス学域 教授。