【ANTEPRIMA】“強く美しく生きる”荻野いづみさんが語る、ワイヤーバッグ誕生の秘密

虹のようにカラフルで、光を受けてきらびやかに輝くバッグ。ブランドの代名詞ともいえる「ワイヤーバッグ」で知られる「ANTEPRIMA(アンテプリマ)」は、女性であれば知らない人はいないほど有名なブランドです。ANTEPRIMAは1993年に創設されました。1998年にはアイコンともいえるワイヤーバッグが発売され、累計100万個以上を売り上げるという大ヒットを記録。その立役者が、ブランドの創設者でワイヤーバッグの生みの親でもある、クリエイティブ・ディレクターの荻野いづみさんです。

荻野さんは同年、ミラノコレクションに日本人女性として初めて公式参加。以降シーズンごとにファッションを通して、さまざまな女性のあり方を提案し続けてきました。2016年7月には、レストランが併設された新たな旗艦店を東京・銀座みゆき通りにオープンさせました。

今でこそ世界を股にかけて活躍する荻野さんですが、もともとは長く専業主婦生活を送っており、そこからイタリアンブランドの極東のオペレーションを任され、やがて自身のブランドを立ち上げることになったという経緯があります。一見すると驚異的にも見えますが、そのキャリアの歩みには、ただ目の前のことに一生懸命に向き合ってきた荻野さんの強く美しい生き方が感じ取れます。

習い事と社交界、アメリカで経験した優雅な生活と好奇心

――荻野さんがファッション業界という道に足を踏み入れた理由は、なんでしょう?

荻野 大学時代に結婚して学校を辞め、その後、夫の仕事の都合でアメリカに住むことになりました。日本に戻り、子供を出産して優雅な専業主婦生活を送っていたのですが、恥ずかしながら不良主婦でもありまして(笑)。夫が事業に成功していたので、高級車を乗り回し、毎日お稽古事を習いに学校へ通うという有閑マダムみたいな暮らしをしていました。子供をインターナショナルスクールに通わせ、家にはお手伝いさんがいる。自分自身はまだ20代だったので好奇心が抑えきれず、毎日いろいろな学校に行っていました。

――どんな学校に通っていたんですか?

荻野 宝石のデザイン、スタイリスト、英会話などです。あとはお料理学校、タイピングの学校にも通ったりしましたね。当時の私としては、若いうちに結婚して働いたことがなかったので、同級生たちが就職して忙しそうにしているのを見て、自分だけが置いてきぼりにされている気がして焦っていたのです。通っていた学校の生徒たちもみんな、就職や夢のために必死になって勉強していました。そんな環境の中で、自分も必死で目の前のことに取り組み勉強したことが、今の私の原点かもしれません。

――もともとファッションやクリエイティブなことに、興味はあったんですか?

荻野 祖父が銀座で帯屋を営んでいましたので、商人の血が流れてはいます。父も帯のデザインを手がけていて、実家でそうした光景を幼い頃から見ていたことで、ファッション業界も身近に感じていました。

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――専業主婦だったとのことですが、ファッション業界に飛び込んだ経緯を教えてください。

荻野 私の世代は就職する女性は少数派で、花嫁修業をして結婚する人が多い時代でした。そんな中、当時の夫と離婚することになった時、周囲から「タレントがもったいないから、何か仕事をした方がいい」と勧められました。働いたことがないので不安でしたが、「大丈夫、いづみさんなら絶対にできる」と言われ、宝石と毛皮のセールスを頼まれ、パーティを開催してそれらを販売することになりました。偶然かもしれませんが、それがすごく売れたのです。

――初めてのお仕事は、高級品の販売だったんですね。しかも大成功とは……。

荻野 やはり商人の血が流れている、ということを意識しました。その後、「あるイタリアのブランド事業を展開するので、海外1号店の店舗運営を香港でやってほしい」という依頼があり、「香港の荻野という事業家に出資を頼んできてくれ」と頼まれました。そのような経緯で現在の夫となる荻野に出資してもらうことが決まり、イタリアブランドの極東1号店を担当することになりました。

販売経験ゼロ、未経験の女性が、香港で任された店舗運営

――本格的な販売経験もない中、まずは何から始めたのですか?

荻野 右も左もわからないという状況だったので、周りのブランドショップの社長を訪問し、ご教示願いました。「すみません、何も解らないので教えてください」と素直に話したところ、皆さん本当に優しく対応してくださいました。日本人が来たという珍しさもあったのかもしれませんが、ある方は、なんとカスタマーリストまで貸してくれました。「ここにDMを出していいよ」と。また、別の方は社員向けの接客マニュアルを見せてくれ、「こういうものから、きちんと作らないとダメですよ」と。

――本当に重要な情報ですね。誰にでも教えるものではないと思うのですが……。

荻野 とにかく必死だったので、その思いが伝わったのではと思います。それまで働いたことがなかったので、営業中はずっと立ち続けていました。足がパンパンになって困っていた時、隣のショップに休憩用のスペースや椅子を見つけ、初めて休憩時間をつくることに気づいたくらい、本当に何も知らなかったのです。私が店舗運営を任されたそのブランドは、今でこそ誰もが知るほど有名ですが、当時は本社にすら販売マニュアルがありませんでした。

だから、イタリア本国に「ユニフォームはこれでいいですか」と確認したり、お財布がリラ札仕様だったので、日本円のお札が入るお財布を送って「このサイズで作ったほうがいいですよ」と商品開発を提案したり、ディスプレイも自己流でやってみたり。そうして無我夢中でやっていたら、その結果、すごく人気が出ました。お客様が行列をつくり、そのブランドのバッグは大ブームになりました。私も評価されて極東のみならず、日本、シンガポール、ハワイなどに次々と店舗をオープンさせていきました。イタリア本社もその勢いに乗り、パリ、ニューヨークと欧米展開を広げていきました。

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――荻野さんの香港店が大成功を収めたことが、世界的展開につながったんですね。本社にも重用されたのではないですか?

荻野 ところがある時、イタリア本社から「アジアも自分たちでやるから極東の権利を返すように」と言われたのです。全身全霊を注ぎ込んで、朝から晩までそのブランドのためにやっていましたから、大きなショックを受けました。ただ、「今まで頑張ってきてくれたから、自分のブランドをつくっていいよ」と言ってくれて、デザイナーも工場も使わせてもらえることになり、そこで始めたのが「ANTEPRIMA」でした。

最初は天国でした。一流のデザイナーや工場を共有できて、自分が思い描いた商品が出てくるんですから(笑)。しかし、そのイタリアンブランドが別のブランドを立ち上げることになり、ANTEPRIMAとの共同生産ができなくなってしまいました。ANTEPRIMAを立ち上げてから、2年ほどたった頃のことでした。

――これからという時に、デザイナーと工場を取り上げられてしまう。厳しい状況ですね。

荻野 正直、どうしようかと思いましたね。ですが、極東の権利を返還したことで、まとまった資金が確保できたので、それを元手にANTEPRIMAを継続することにしました。でも、デザイナーや工場が使えなくなってしまったので、ミラノに飛んで、現地で再スタートを切ることにしました。

――ミラノには、スタッフを引き連れて行かれたんですか?

荻野 私ひとりです。デザイナーや広報などのスタッフは、現地で採用しました。最初に雇ったのは広報です。また、パリ・コレクションにも参加している、著名な日本人デザイナーのヨーロッパ法人副社長にも手伝ってもらいました。とにかく人をたくさん紹介してもらい、知り合いを増やしていきました。でも、ブランドとしては悲惨な再スタートだったと思います。デザイナーが替わったので、思ったようなデザインがなかなか出てこない。そんな時、ワイヤーバッグが大ヒットしたのです。

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崖っぷちで生まれた商品「ワイヤーバッグ」が大ヒット

――現在のANTEPRIMAの代名詞ともいえるバッグですね。どんな経緯で生まれたんですか?

荻野 何かアイコンになる強い商品をと模索している中で、夫が持っているニットの工場を見てひらめきました。夫の会社は日本のニット製品の中で一番のシェアを持つ会社が母体だったので、強みはニットであることに気づきました。そこで、編むバッグを作ってみようと思い立ち、デザイナーと一緒に素材を探すうちに、イタリアの素材展でワイヤーコードにたどり着きました。

もともとは、メガネのストラップに使用することを想定された素材でした。それまでも、レザーやファブリックなどを編んで試作していましたが、どうしてもプリミティブになりすぎてしまう。しかし、ワイヤーコードに出合って、編むという手法に未来的な素材がコントラストとなり、今までにないバッグが生まれました。

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――ワイヤーバッグが大ヒットした理由は、どこにあると思われますか?

荻野 最初はスタッフにも「商品にならない」と言われましたが、私はワイヤーバッグを思いついた瞬間から、これは絶対に人気が出ると確信していました。前のブランドでナイロン製のバッグを出してヒットしましたが、その時も、私だけがナイロンのバッグは日本で働く女性には受け入れられると確信していたのです。

なぜなら満員の通勤電車だと、普通のレザーバッグはきっと潰れてしまう。でも、ナイロンバッグなら電車で潰れても元に戻りますし、シンプルなデザインなら仕事にも使えます。そして、そのまま夜も出掛けられるような上品さも兼ね備えている。そのように考えて、一日を通してナイロンバッグを使う女性のストーリーをつくり上げていました。

だから、ワイヤーバッグも同じように考えました。デザインはシンプルでも、ワイヤーコードが乱反射して、ビーチなどでは太陽の光を受けてキラキラと輝く。日常生活の中で濡れても大丈夫だし、旅行が多い人ならスーツケースの中にかさばらずに収納できる。「生活のシーンにワイヤーバッグがあったら」というストーリーをいくつも思い描いていったのです。

――ANTEPRIMAは1999年春夏からミラノコレクションに参加されました。バッグやシューズだけでなく、アパレルも展開したというわけですね。

荻野 ANTEPRIMAはイタリア語で「デビュー前」という意味で、女性にとってデビューに年齢は関係がないという想いを込めています。何か新しいことに挑戦する女性を、ファッションを通じて応援したいと考えていたので、バッグとシューズだけでなく、洋服も含めたトータルでライフスタイルの提案をしたいというのがきっかけです。

また、ラグジュアリー・ブランドの動向を見て、トータルイメージを向上させていくためにはアパレルが必要ということも理解しました。バッグだけが売れて大衆的になったブランドが、新進のデザイナーを起用してブランドを蘇らせていることは良く知られていることかと思います。

――アパレルを始めるというのは、新たにブランドを立ち上げるぐらいの大チャレンジですよね。

荻野 今思えば少し早すぎたようにも感じますが、確実にブランドイメージは向上したと思います。コレクション発表をしているブランドには、派手にアート性を出すイメージが強いです。売れるかどうかよりも、新しいことにチャレンジしている。そんなチャレンジが私も大好きだし、それができる方々を尊敬もしていますが、「ANTEPRIMA」は女性が実際に着る、ウェアラブルであるということをとても重視しています。そのため、私はいつも、「今シーズンどんな女性でいたいのか?」という着る側主体のところからコレクションのテーマを決めています。

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――その際、荻野さんがイメージするのは、どんな女性なのでしょう?

荻野 コントラストのある生活を送っている女性が好きです。朝ゆったりと起きて朝食をとり、出勤して会社で一生懸命に働き、夜はちょっと華やかで特別なお店に行くこともある。一日の中に全然違うシーンを持ち、それぞれを楽しんで生きる女性に魅力を感じます。また、特別な一人の女性というよりも、普通に生活する女性にそれぞれのシーンで着てほしい服、という視点でもの作りを考えています。

――ANTEPRIMAの2016年秋冬コレクションは、どんなテーマになるのでしょうか?

荻野 薔薇をモチーフに使ってレトロ感を演出しています。現代的でありながらも、古き良き時代を思い起こさせる、コンテンポラリー・ノスタルジックなコレクションです。クラシカルな中に、グリーンやイエロー、パープルといったカラーを印象的に使ってコントラストを効かせています。

コレクションは薔薇を思わせる「赤」の照明で始まりますが、実際に薔薇をモチーフにしたプリントは黒と白のみでモダンに仕上げました。薔薇が似合う女性を思い浮かべた時は、ジャクリーン・ケネディ・オナシスを連想しました。最後までジャーナリストとして自分の仕事を全うし続けた方で、彼女へオマージュを捧げるため、今彼女が生きていたら着てほしいという意味を込めています。

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――銀座に新しくオープンされた旗艦店には、ANTEPRIMAが初めて手がけるレストラン「ANTEPRIMA Casa Cucina」も備えています。

荻野 20代の頃にお料理学校に通っていた経験や、世界中で美味しいものを食べてきていることもあって、レストランはいつか挑戦してみたい事業のひとつでした。今はさまざまな分野がオーバーラップして生み出される相乗効果が生きる時代でもあります。主人が香港で高級スーパーを経営している関係で、世界中から食材と食の情報が集まってくることもあり、それを生かしたいとも思いました。ANTEPRIMAの商品はインターネットでも買えますが、レストランという場を提供し、お客様にその世界観を実際に体験していただくこともブランドにとっては大切だと思っています。

また、レストランでコンセプトやメニューを考えるにあたり、「私が食べたいもの、好きなものを提供したい」ということが原点になりました。その原点は、洋服も含めたANTEPRIMAのブランド全体に通じている必要があると思っています。ブランドの規模が拡大していく中で、私自身の目が届かないところも出てきています。今回、レストランという事業の準備を進める中で、その原点を思い出し初心に帰ることができました。

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――最後に、荻野さんご自身の、これからの野望を教えてください。

荻野 最近は、女性がナチュラルに若々しくいられるにはどうしたらいいかをよく考えるので、そのためのビジネスに携われたらと思っています。また、1年で100回以上は飛行機に乗り、世界各地を行き来しているので、それをビジネスにつなげたいという夢もあります。海外旅行のツアーには、もっと幅のある面白い企画があってもいいのではと思っています。

香港のツアーを例にとると、三ツ星レストランもあれば、もっと庶民的で美味しい店にも行けるような、そんなコントラストをつけたセンスのあるツアーを監修してみたいと思っています。デビュー前を意味するアンテプリマというブランドを始めて、20年以上が経ちます。これまでもこれからも共通しているのは、何かに挑戦する女性を応援していきたい、という思いです。それはずっと変わらないでしょうね。

荻野 いづみ(おぎの・いづみ)

ANTEPRIMAクリエイティブ・ディレクター。東京都出身。1980年代に香港に渡り、イタリアンブランドのアジア展開を成功させる。1993年、ミラノにて自身のブランドANTEPRIMAを立ち上げる。1998年、日本人女性として初めて、ミラノコレクションに公式参加した。現在、世界に80店舗以上を展開している。