通訳は見た! ――異なる言語を行き来する同時通訳は、職人+アスリート

「71年前、雲一つない晴れ渡った朝に、死が空から降ってきて世界が一変しました」
2016年5月27日、現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏によるスピーチは、聴く人の胸にそれぞれ大きな感慨をもたらした。
「さまざまな批判を超えて、オバマ大統領の広島訪問は『よく来てくれた』という歴史的記憶となって、多くの人々の心に残った」と著書で振り返るのは、第一線で活躍する同時通訳者の袖川裕美氏だ。17分間に及ぶ大統領の真摯な言葉と、そこに込められた深い思いを、あの日、日本語で伝えた本人である。
NHK・BS、BBCワールドニュース(東京)、CNN、日経CNBCを中心に放送通訳や会議通訳を手がけ、政治・経済から芸術やスポーツまでジャンルを問わず、歴史を動かす大舞台を縁の下で支えてきた。
通訳とは、もがきながら技を磨き、経験を重ね、ただ1回の本番にかける、職人とアスリートを合わせたような職業であると語る袖川さんに、通訳から見た世界と日本についてお話を伺った。

衝撃が走ったオバマ大統領の広島演説

――オバマ大統領の広島訪問。記憶に新しいこの日の演説ですが、BBCワールドニュースの生中継放送の同時通訳は、袖川さんが務められたのですね。

袖川 はい。この演説は最初の一文からして、私たち同時通訳者にとっても、大変衝撃的なものでした。当初、世界平和について述べる、ほんの数分の短いスピーチになるのでは、というのがおおかたの予想でした。私も淡々としたビジネス・ライクな語りを想像していたのです。ところが実際の演説では17分と予想を覆す長いもので、格調高く、文学的で、理念があり、しかも魂が込められていました。訳していて感動しました。
問題は、練りに練った文学的な言葉を同時通訳することは大変に難しいという点です。こうしたスピーチでは、言葉の密度が高くて、無駄がなく、言葉の組み合わせや展開が独自のものとなるのです。それに加えて、この日は私の知る限りどの放送局も、事前に原稿を入手できませんでした。結果的に、私を含め多くの同時通訳者にとって、この日の通訳はとても難しいものとなりました。

袖川さん

――通訳泣かせのスピーチだったのですね。

袖川 そうなのです。スピーチライターのローズ大統領副補佐官が、後日、演説原稿の一部をブログに掲載し、オバマ大統領が自ら何度も推敲したことを明かしましたね。オバマ氏は演説の名手なので、原稿をただ読み上げるようなことはなく、必ず聴衆に向かって語りかけていきます。今回も、大統領は心から語りかけていた。推敲の跡を見ると、細かい言葉づかいまで手を入れた様子がうかがえます。

ちなみに、アメリカ大統領の演説の場合、一般教書演説などについては、直前ではあるものの、主要な放送局にはあらかじめ原稿が渡されます。大統領就任演説も同様です。ところが、私が8年前に同時通訳させていただいたオバマ氏の大統領選勝利宣言の際は、事前に原稿を手に入れることができませんでした。もちろん陣営としては勝利宣言も敗北宣言も用意しておくのでしょうけれど、当落の判定が付くまでは公表できませんよね。今回の広島演説も、アメリカ国内の世論への配慮からか、直前になっても原稿はもちろんのこと、何の情報も入ってきませんでした。

人間性に触れる「逐次通訳」、技能面で面白い「同時通訳」

――通訳という仕事の醍醐味やご苦労についてお聞かせください。

袖川 外国語を話す人と日本語を話す人の間で言葉を仲介するのが「通訳」で、同時通訳、逐次通訳などの形式があります。同時通訳の場合は、聞くことと話すことをほぼ同時に行うことから、やや特殊な印象を持たれるのではないでしょうか。“同通”は通常、放送局や国際会議のブースなどに完全にこもった状態で行い、表に出て行くわけではありません。一方、逐次通訳は、人に接しながら行うスタイルです。

2014年、当時ラグビー日本代表を率いていたエディ・ジョーンズ監督がテレビ番組に出演する際、通訳をする機会に恵まれました。このときは、逐次と、小声で伝えるウィスパリングといった一種の同時通訳形式を織り交ぜて対応することになり、キャスターや解説者など収録の現場にいる皆さんの発言はウィスパリングで監督に同時通訳し、監督の発言は皆さんに対して逐次通訳するという方法を採りました。収録当日、打ち合わせの部屋に入っていくとジョーンズ監督は立ち上がり、まっすぐに私を見て握手を求めてこられました。温和で包みこむようでありながら、すべてを見通すような強いまなざしに、私は一瞬にして呑み込まれました。後に、監督のことは、あちこちで大きく取り上げられますが、本当に魅力的な方でした。このように、相手と対面して行う逐次やウィスパリングといった通訳は、溢れ出る人間性に直接触れることができるところが非常に面白く、やりがいも感じています。
それに対して、同時通訳はブースにこもり、離れた相手に向けて行うものなのですが、技能的な面では、こちらが断然面白い。それぞれに難しいところも異なりますが、私はこれまでどちらの通訳形式もやってきました。

袖川さん

――通訳というのはそもそも直訳なのか意訳なのか、ということが気になります。

袖川 話者の話すスピードにもよりますが、話されているすべての情報を盛り込むことはできず、聞いたことを「編集」して言わなければなりません。意訳するというのでもなく、要旨を掴み、要点が出やすいようにしていくというようなイメージです。
また、ある意味では邪道かもしれませんし、私だけがしていることかもしれませんが、同時通訳中に論旨を明確に伝えるために、ある時点ではっきりと、話し手はこういうことを言っている、という言葉を差し挟んだりします。ある瞬間を少し犠牲にして、明確にメッセージを示すという方法です。伝わることが大切だと思うので、私は時には逐次通訳でもこうしたことを行なっています。

成功のカギは、音声、集中力、事前の準備

――通訳として評判の袖川さんですが、現場では、並大抵でない集中力が求められるのでしょうね。

袖川 こんなことがありました。リーダー不在の世界を2011年に「Gゼロ」と表現したアメリカ気鋭の政治学者イアン・ブレマー氏へのインタビューを、通訳することになった時のことです。ブレマー氏は、ベストセラー『「Gゼロ」後の世界―主導国なき時代の勝者はだれか』の著者で、グローバルな政治リスクの分析や調査研究をリードする専門家集団「ユーラシア・グループ」の社長でもあります。
旬の論客との仕事にワクワクして臨んだのですが、ヨーロッパ諸国講演の合間に、ロンドン郊外のホテルに滞在中のブレマー氏と東京のオフィスとを電話でつないで行うインタビューということで一抹の不安がありました。というのは、通訳にとって音は生命線だからです。

そして迎えた当日、いやな予感が的中してしまいました。回線の状況が非常に悪く、ブレマー氏の電話の音声が割れてブツブツ切れ、何を言っているのかほとんど掴めない状況なのです。その場に居合わせたスタッフ全員が凍り付きました。まず、ブレマー氏に音声の状態が悪いのでゆっくり話してほしいと頼むところからインタビューが始まりました。
普段は早口のブレマー氏が減速してくれたこともありますし、幸いインタビュアーはあらかじめ質問リストをブレマー氏や通訳である私に送るとともに、入念な下調べをしてあって、私もその資料を丹念に読み込んでいました。また、明確な主張を持ったブレマー氏の話はそもそも論理的です。最初は点のようだった音が、徐々につながり、意味を成していったことで、インタビュー自体は何とかうまくいきました。この時は同時通訳ではなく逐次通訳だったのですが、1時間半のインタビューが終わると、私は意識が朦朧とするほど疲れ切っていました。それでも、後から思うと、ブレマー氏ほどの論客への直々のインタビューを通訳できたことは本当に恵まれた経験でした。

そもそも人間にとって、「ずっと集中を切らさずに聞いている」というのは、非常に不自然な状況です。通常、人は会議中などでもいろいろなことに思いを巡らせたりするものです。この時間が終わったらやるべきことについて考えたり、別のことを思い起こしたり。それでも会議で交わされる話自体はちゃんと聞いているわけですし、自分が参加すべきところには参加しています。ところが通訳者の場合は、そうはいきません。通訳はその場で交わされる一言一句に全神経を注ぎながら、集中し続けなければなりません。そのため、同時通訳のときは、パートナーと組んでブースに入り、およそ10~15分ごとに交替しながら通訳していくことになっています。通訳とはこれほどまでに集中力を要し疲労するものだということは、この仕事に就かなければ、なかなか分かりにくいかもしれませんが、そのおかげで、人の話をものすごくよく聞くようになったかなと思います。

袖川さん

――通訳にとっては音が生命線であり、また集中力を切らさないことが必須である、ということですね。通訳を成功させるために、他にどのようなポイントがありますか。

袖川 話し手との事前の打ち合わせを持ちたい、といつもお願いしています。資料を見ながら2~3点確認するだけの10分程度の打ち合わせでも、本番における伝達力は格段に高まります。そもそも専門家同士の話を、その分野の専門家でもない者が仲介するという無理を恒常的にやるのが、通訳の仕事です。通訳の出来・不出来に利害を左右されるクライアントのためにも、事前の打ち合わせや資料はぜひ必要なのだということを強調しておきたいと思います。

通訳者は、みな、事前に資料を読み込み、単語帳を作るなどして専門分野について勉強しないとならないのですが、私はいつも直前まで単語を確認するなどしていて、現場にはサッと入って雑談であまり気が散ることがないように気をつけています。本番は1回しかなく、相手は毎回違うので、自分だけではコントロールできない不確定要素があります。話し手にもいろいろな特徴があり、誰もがブレマー氏のように論理的で明快な話し方をするわけではないので、苦しいときもたくさんあります。また、逐次通訳では、万一、相手の言っていることが分からなければ、「もう一度言い直していただけますか」とか、「それはこういう意味ですね」と確認するなど、ごまかさずにやるしかない。結局、誠実に謙虚に仕事をするしかないと思っています。

袖川さん

――グローバル時代では、それぞれの国の訛りのある英語を訳すことも多くなったでしょうね。

袖川 英語に聞こえないような英語の場合は、つらいですね。それで思うのは、日本人が英語を話す際も、内容が良ければ発音に関しては「どうでもいい」わけではないということ。アメリカやイギリスのネイティブ・スピーカーの発音を真似して流暢に話さなければいけないというわけではありませんし、文法通りでなければいけないとも思いませんが、丁寧できちんとした英語を話す努力は必要でしょう。
というのは、英語に限らず、やはり聞き取りやすく分かりやすい言葉でなければ、聞く側はコミュニケーションのスイッチを切ってしまうことになりかねないからです。

そういう視点で見ると、例えば日銀総裁の黒田東彦氏はとても知的な英語を話されます。文法的にも正確で、雑なところがない英語だと思います。また、2012年にノーベル医学・生理学賞を受賞された京都大学の山中伸弥教授も優れたスピーカーだと思います。ユーモアのセンスに溢れた、引き込まれるようなプレゼンテーションを、日本語で行うのと同じように外国語でされる方です。
言葉は話の内容とともに、その人の知性や人となりをも伝えるものなので、日本人が英語を話す場合、このお二人のような丁寧な英語が模範となるのではないでしょうか。

袖川さん

交渉力も、伝える外国語も、まずは母国語での思考力や教養あってこそ

――丁寧できちんとした英語を話す努力とともに、日本人にとっては、交渉や討論(ディベート)もハードルが高いように思います。

袖川 討論の場合、相手の論理の弱いところを指摘しなければいけないので、多くの日本人には少しつらいですね。日本人は理屈で押して、相手の不備な点を指摘するのも苦手ですが、指摘されるとつい感情的になってしまいがちです。一方、欧米の人々などは、はっきりと指摘されると、「そこに関してはあなたの言われるとおりだ、負けたよ」と折れることがあります。
討論に関してはおそらく、日本語での訓練が足りていないのでしょう。外国語のディベートの真似をするのではなく、「やんわりと鋭く」といった形の日本流ディベートが構築されると良いと思っています。小学校から英語教育をするよりも、日本語での訓練をすべきかもしれません。幼少期に英語圏の国で育ったりしない限り、どんなに勉強しても英語のネイティブ・スピーカーにはなれないし、なる必要もない。それよりも、母国語である日本語での思考力や教養をしっかりつけるのが先だと思います。
ビジネス上、例えば英語のプレゼンテーションを外国のコンサルタントから学ぶことも、洗練されたテクニックを磨くうえで決して悪くないのですが、やはりそれ以前に内実があることが一番です。そういう話し手の発言は通訳もしやすく、通訳というパイプを通していても、相手に話がしっかりと浸透していくのが分かります。
これこそが私が「通訳者になって良かった!」と喜びを感じる瞬間です。

――グローバル化と、それぞれの国や地域に固有の伝統や文化との関係については、どのようにお考えですか。

イアン・ブレマー氏が、「アメリカ主導のグローバリゼーションは終わった」「今後の数年間は主導国のない“Gゼロ”の世界が続くだろう」と指摘されたように、気が付けば、グローバル化さえ欧米中心でもなければ米中主導でもなくなり、まさに「Gゼロ」の時代が現実になりつつあります。そうしたなかで、情報はますます国境を瞬時に越えて飛び交い、人と人との距離は近くなっています。
一方でグローバル化が進めば進むほど、誰しも生まれ育った土地に対する愛着や、独自の伝統・文化を大切にしたい気持ちがあるわけです。世界と交流することと、自国文化の独自性を守ること。それらのバランスをどう取っていくかということは、今後私たちがあらゆる分野で直面し、考えていくべき大きなテーマなのではないかと思います。

TEXT:伊川恵里子

そでかわ・ひろみ
通訳 / 愛知県立大学外国語学部英米学科 大学院国際文化研究科 准教授

東京外国語大学フランス語学科卒業。ブリティッシュ・コロンビア大学(カナダ)修士課程修了。1996年から4年間、BBCワールドサービス(ロンドン)で放送通訳を務める。帰国後は、NHK・BS、BBCワールドニュース(東京)、CNN、日経CNBCを中心に放送通訳や会議通訳を行う。2015年から愛知県立大学外国語学部英米学科准教授を務める。 著書: 『同時通訳はやめられない』(2016年8月、平凡社新書)