いま注目の「コミュニティ・スクール」とは? ――地域とともにある学校が、「少子化・日本」の明日を元気にする

人は人との関わりの中で生き、子どもたちはそこで明るくたくましく育っていく。
「昔に戻れ」という意味ではないが、いつの時代もみんなで支え合い、助け合って生きていく社会が必要ではないか。――そんな思いを胸に公立小・中学校の教育改革に取り組む貝ノ瀬滋氏は、「地域に開かれた学校」から一歩踏み出し、「地域とともにある学校」をつくってきた。学校と地域住民、家庭が力を合わせて運営する公教育の場は、東京都三鷹市において、日本のコミュニティ・スクールの先駆けとなった。
その後、三鷹市教育長に就任した貝ノ瀬氏は、コミュニティ・スクールを基盤とした小・中一貫教育を市内全校に拡大する道を開き、2016年7月からは文部科学省参与として、日本の教育改革の一翼を担い精力的に活動している。
教育の原点であり、また地方創生のプラットフォームともなるコミュニティ・スクールについて、貝ノ瀬氏に、伺った。

三鷹市の公立小学校で始めた教育改革

――コミュニティ・スクールとは、どのような学校でしょうか。

貝ノ瀬 コミュニティ・スクールとは、ひとことで言えば、「保護者や地域住民が一定の権限を持って運営に参画する新しいタイプの公立学校」です。
2004年に「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」第47条が改正され、各学校に学校運営協議会を置くことができるようになりました。この学校運営協議会を設置している学校のことを、コミュニティ・スクールといいます。
イギリスやオランダにもコミュニティ・スクールがありますが、諸外国と日本では制度が異なります。イギリスの場合、全国津々浦々の学校ごとに、選挙で選ばれた5~6名の理事からなる理事会があります。経営や人事に関する権限は理事会が持っていて、日本の私立学校に近いイメージです。校長は理事会に任命され、その方針に従って学校運営をすることになります。

ところが日本の場合は、コミュニティ・スクールとなっても従来と変わることなく、学校の最高責任者は校長であり、また予算や人事については教育委員会が握っています。その中で学校運営協議会は3つの働きを持ちます。1つ目は、校長が作成する学校運営の基本方針について承認することで、これは必須です。2つ目は、学校運営について教育委員会や校長に意見を述べることができること。3つ目は、教職員の任用に関して教育委員会に意見を述べることができることです。

貝ノ瀬先生

――貝ノ瀬先生がコミュニティ・スクールを始められた経緯をお聞かせください。

貝ノ瀬 1999年4月、三鷹市立第四小学校(現・連雀学園三鷹市立第四小学校)の校長に着任しました。三鷹という町は、16平方キロメートルほどの土地に約18万人の人口を持つ住宅地です。僕自身は北海道の炭鉱町で育ち、隣近所の人たちが助け合って生活するのが当たり前、という環境で育ちました。その経験から見ると、都会の住宅地では隣近所が干渉することもない代わりに助け合うことも少ないようで、そこがやや寂しく感じられました。
子どもたちは塾やお稽古ごとに通うのが一般的です。みんなそれぞれに良い感性を持っているし、のびのびしていて明るい反面、ガッツが無くて傷つきやすい子が多い。また、まだ世の中を知らない子どもたちですから仕方がないけれど、将来への夢が画一的なように見受けられました。この子たちが将来、日本を背負う屋台骨になっていくことをイメージすると、非常に心もとない。世の中をリードし、社会を背負っていく、そういうたくましい大人に育ってもらいたいと思いました。
もうひとつ気になったのが、子どもたちにとっても大人にとっても、学校での生活と放課後の生活に、見えない垣根があると捉えているように見受けられたこと。例えば、着任早々、こんなことを耳にしました。
「地域のクラブ活動(野球やサッカーなど)に参加している子どもたちが、他地域との交流試合で優勝した。それを学校の朝会で校長が褒めるのはまずいのではないか」という。目の前にいる子どもたちの24時間の出来事なのに、学校、地域、家庭での生活は、それぞれが責任を持って指導すべきと仕切りをつけてしまっているのです。
また、ある放課後、学童クラブに通う子どもたちが校庭の隅の方で遊んでいました。なぜもっと校庭の真ん中に行ってのびのびと遊ばないのかと指導員に尋ねると、「学校をお借りしているのに申し訳なくて広く使えない。校庭を使わせていただくだけでも本当にありがたい」などと言う。学童クラブの子どもも同じ第四小学校の子どもであるわけで、さっきまでは校庭を広く使って自由に遊んでいたのに、学童に行くと急に萎縮した遊び方になるというのはどうしたことか。下校してしまうと学校というのは異質な存在になってしまうのか。見えない垣根をもっと低くしたり取り払ったりして、地域の学校としての機能を働かせなければ、それこそもったいない。
このような課題を数々目の前にして、「よし、学校の在り方を変える教育改革をやろう!」という決意が固まったのです。

貝ノ瀬先生

公立学校の授業に参加するボランティアとは

――学校の在り方を変える教育改革とは、具体的にはどのように行われたのですか。

貝ノ瀬 まず手始めに「教育ボランティア制度」をつくりました。これは、地域の方や保護者の皆さんに学校にどんどん来てもらい、子どもたちの教育に参加してもらう仕組みです。「夢育の学び舎(むいくのまなびや)」というネーミングで、第四小学校は学校改革の道を歩み始めました。具体的には、授業に入るStudy Advisor(SA)、総合的な学習の時間に入るCommunity Teacher(CT)、それからクラブ活動に携わるきらめきボランティアの3つを登録制にして、保護者、地域の方、学生などから募集しました。

根底にある発想は、後に取り組むことになるコミュニティ・スクールづくりと同じで、「先生方の負担を軽減しながら、子どもたちにガッツを持たせたい。さまざまな仕事や暮らし方をしている地域の人たちと触れ合うことで、子どもたちに多様なものの考え方を伝えていきたい」というものです。
きらめきクラブという活動は、先生方が顧問を務める必修クラブとは別に20種類ほどあって、参加は自由。書道、バレエ、茶道、英会話、韓国語、各種スポーツなどいろいろあり、地域のボランディアの方々が教えてくださいます。放課後や早朝、土日もやっているので、学校に来れば楽しめるし、子どもの居場所ができます。地域の人とふれあいながら学ぶことで、社会とのつながりやそれぞれの感性が伝わるメリットもあります。広い意味で健全育成につながると考えています。

――ボランティアが学校に入ることについて、先生方や保護者の反応はいかがでしたか?

貝ノ瀬 1999年当時、こうした取り組みは国内のどこにもありませんでした。私は校長会などでも白い目で見られていたと思います。「貝ノ瀬さんは教育者としてプライドが無いのですか。地域の人に授業を手伝ってもらうとか、ボランティアを入れるというのは、自分たち教師の力量が無いと言っているようなものじゃないですか」などと言われたこともあります。現場でも、最大の抵抗勢力は先生方でした。これは日本で共通して言えることですが、先生たちは、自分の授業を見せたがらないという傾向があります。恥ずかしいというよりも、誰かにチェックされるようで抵抗感があるのかもしれません。他人が授業に入ってくると、子どもたちが落ち着かなると反対する人も多い。また、「教育ボランティア制度」によってさらに教員の負担が増えるのではないか、という懸念を抱く先生も多くいました。
そこで、ある年の夏休みすべてをかけ、当直で1人登校している先生に順次じっくり時間をかけて説得しました。教育ボランティア制度やコミュニティ・スクールの仕組みというのは、地域の人に学校応援団になってもらうものなのだということを伝えました。教育ボランティアの形で地域の人に入ってもらうということが制度化されるわけですから、先生方の負担軽減につながると訴えたのです。

教育ボランティア制度の1年目にボランティアで参加していた方々にアンケートをお願いして、学校を評価してもらいました。「子どもたちが楽しく授業に臨んでいるか」などを問い、学校運営の改善に活かしていくのが目的です。ふたを開けてみると、学校や教員に対して批判的な意見をたくさんもらいました。それらを包み隠さずに教員に見せたところ、先生方もさすがに頭にきたようで、「校長先生、だから言わないこっちゃないですよ」と。
ところが、2年目になると状況は大きく変わりました。ボランティアの皆さんは授業に参加する中で、学校の先生方は大変だということが経験として分かる。すると、「先生方はよくやってくれている」といった評価になり、アンケートの内容が建設的になってきて、先生方も教育ボランティア制度のもたらす効果に納得していました。このようにして、教育ボランティア制度は2年目から定着したのです。

そうしているうちに、マスメディアが三鷹第四小学校の教育ボランティア制度について報じるようになりました。すると今度はボランティア希望者も増え、登録してくれる方も150名を超えました。また、ボランティアとして地域の方々が授業に入ることで、教員には一定の緊張感が生まれ、教材研究をしたり、授業をより良くしようと準備にさらに力を入れたりするようになりました。

貝ノ瀬先生

子どもの問題を解決することは、地域の問題を解決すること

――保護者や地域の皆さんを、どのように説得したのですか。

貝ノ瀬 大きく言うと、地域の子どもたち一人ひとりの豊かな人生を育むために、地域のみんなで応援していきましょう、結果的に自分たちも人間的に成長していきましょう、ということを伝えました。学校の先生は職業として教育に携わっているが、地域住民の皆さんも子どもの教育、子どもの未来については共同の責任がある当事者なんだ、ということです。
中には「勉強を教えるのは学校の先生の仕事で、それを保護者や地域の住民に手伝ってほしいと言うのはおかしい。学校の責任放棄ではないか」という反対意見もありました。それに対しては「教員はやるべき仕事を100%やる。その上でボランティアの方々が20の力を足してほしい。120の力で一緒に未来を担う子どもを育てる教育を目指しましょう」とお話ししました。

私が狙った「夢育の学び舎」の姿は、保護者会ではありません。あくまでも地域の人が地域の子どもを育てるということが理念ですから、学校に子どもを通わせていない方々にも参加をお願いしました。結局、教育ボランティア制度もコミュニティ・スクールも、市民力アップにつながる取り組みなんですよ。子どもの問題を解決することは、地域の問題を解決することにもつながるわけで、それに真剣に取り組むのは、教師はもちろんですが、地域の皆さん方の幸せや勉強にもなるということです。得られる果実は、みんなの人間的な成長なのです。

貝ノ瀬先生

地域を見つめる起業家教育

――アントレプレナーシップ教育に挑んだ「三鷹四小アントレプラン」について教えてください。やはり学校と地域の交流が生まれたそうですね。

貝ノ瀬 これはもともと経済産業省の発想ですが、私もアントレプレナーシップ教育(起業家教育)の重要性について知るようになり、高学年の授業から取り入れ始めました。「まずは自分の住んでいる地域に目を向け、そこから何か仕事を創りだす。それを一人でやるのではなく、会社をつくってみんなで手がけ、利益を出す」という活動を促しました。

具体的な例をお話ししましょう。三鷹四小の校庭の端には銀杏の木があって秋になると実を落とします。臭いので子どもたちは近づかなかったのですが、ある放課後、近所のお年寄りが手袋をして銀杏の実を拾いに来ているのを見つけたのです。「拾っている!泥棒じゃないか」などと騒いだので、「いや、そうじゃないよ。ちょっとインタビューしていらっしゃい」と先生が勧めました。すると、「これは食べ物で、美味しいんだよ」とお年寄りから教わる。「そういえば僕も茶碗蒸しの中に入っているのを食べたことがある」と言う子が出てきます。
「学校で銀杏の実がたくさんなるのだったら、それをみんなで集めて、ほしい人に買ってもらったらどうだろう?」という先生の提案で、「じゃあ会社をつくろう」ということに。そのときに地元の青年会議所や銀行、商店街の方々の協力を仰ぎ、授業をサポートしてもらうことができました。経理、営業、宣伝などについてアドバイスをもらい、銀杏の商品化に漕ぎ着けたわけです。子どもたちが集めた銀杏をセロハン紙で包んで商店街で販売したところ、すぐに完売。保護者には「買わないでください。売れないということも経験させないと」と伝えていたのですが、それでも売れてしまいます。この「銀杏屋」では少し儲けが出たので、それをどうするかをクラスで話し合ったりしました。

このように自分の暮らしている地域、つまり足元をよく見て考えることは、地方創生や地域再生にも密接に結びつくと思います。こういう感覚に加えて英語力やITの力があれば、日本中どこにいても、世界に向けてビジネスができるはずです。こうしたアントレプレナーシップ教育は、全国どこの学校でもやったほうがいいでしょう。そして、それを小学校だけで終わらせないで、中高へとつなげていくことができれば理想的です。だから小・中一貫教育が必要になってくるわけです。
要するに、故郷を足元から見つめるという意識が大切です。コミュニティにおける有機的な人間関係を新しく作り直すことがいま求められていると思います。かつての日本には、生活上のいろいろな必要もあって自然発生的に存在していたような地域のつながりは、今はなかば作為的にやらないとなかなか築けないのかもしれません。

貝ノ瀬先生

校長はタウンマネージャー

――理想の学校教育に近づけるために、貝ノ瀬先生は周囲を巻き込んで、校長としてマネジメント能力を発揮されました。どのような思いで取り組んでこられたのですか。

貝ノ瀬 会社でも学校でも同じだと思いますが、今ある現場の状況に対して泣き言を並べても何も始まりません。教員にも保護者にも癖のある人はいますし、設備だって十分とは言えない。ですから、いかに現場を最大限に活躍させて効果を出すか、そのために工夫あるのみです。みんなが心をひとつにして一致協力する、先生方に対しては「あなたは何のために先生になったのか」と繰り返し問う、といったことに心を砕いてきました。

また、足りないところを助け合うためにも、地域の人や教育委員会を巻き込むことに意味があります。学校の中でも地域の中でも共鳴してくれる人は必ずいるので、そうしたキーパーソンを見つけることですね。校長は飲み会や行事を含めいろいろな会合に参加するなど、どんどん地域に出て、いろいろな人たちとのつながりを作って、学校を取り巻く地域社会を動かしていくことも必要です。校長のコーディネートで学校と地域をつなぐ、タウンマネージャーのような動き方ができると良いでしょう。そうした学校運営のセンスのある人には、早い段階で校長として学校を任せることができるような仕組みも必要になってきていると思います。

貝ノ瀬先生

――世界情勢は不確定です。その中で日本では深刻な少子高齢社会が進行していますが、コミュニティ・スクールはどのような一石を投じるのでしょうか。

貝ノ瀬 資源の無い日本の唯一の資源は、はっきり言って子どもという「人財」しかないといふうに考えています。一人ひとりのマンパワーを上げていかないといけません。イノベーションを起こせる人材育成のためには、教育にもっと投資しなければいけない。バカロレア教育を取り入れて、思い切って国際標準に近づけることも進められていますね。
コミュニティ・スクールとは、子どもの問題と地域の問題を併せて捉えることにつながり、また地域づくり、地方創生にも資するという私の主張がだいぶ浸透してきています。コミュニティ・スクールは、子どもたちの成長のみならず、地域社会を活性化し、元気にし、地域の皆さんの自立につながっていくというふうに見ています。

今、地方教育行政法の「コミュニティ・スクール設置」について「設置することができる」という規定から「設置を努力義務とする」にする動きがあります。個人的には、コミュニティ・スクールが全国で10,000校くらいに増えたら、法律が「必置する」という規定になることを期待しています。今後も粘り強く、地域のすべての人にとっての新「おらが学校」としてのコミュニティ・スクールづくりを通して、この国の明日を担う明るくたくましい子どもたちを育くんでいく流れを浸透させていきたいと考えています。

TEXT:伊川恵里子

かいのせ・しげる 貝ノ瀬 滋 文部科学省参与

1948年北海道生まれ。中央大学卒。電気通信大学大学院博士後期課程中退。都内公立学校教諭、東久留米市教育委員会指導主事、東京都立教育研究所指導主事、東大和市教育委員会参事などを経て、1999(平成11)年4月から三鷹市立第四小学校長となり、教育ボランティアの活用を中心とした開かれた学校づくりを進めるなどして、その実践が全国的に注目を集める。2004(平成16)年10月より三鷹市教育長、2012(平成24)年10月より三鷹市教育委員長を務め、同市の「小・中一貫コミュニティ・スクール」を推進。2011年2月から第6期中央教育審議会委員を務め、2013年1月には「教育再生実行会議」の委員に就任。全国コミュニティ・スクール連絡協議会会長。2016年7月から文部科学省参与を務める。 著書:『校長の実践経営術25の鉄則』(学事出版、2013)、『校長の実践対話術25の鉄則』(学事出版、2013)、『小・中一貫コミュニティ・スクールのつくりかた 』(ポプラ社、2010年)。