今を生きる人たちとともに——江戸切子職人・三代秀石 堀口徹がつくる「伝統」とは

青や赤の色ガラスに伝統の文様を刻み込んだ「江戸切子」。光が差し込むとキラキラと輝き、色あざやかな影を落とすその姿は、私たちの食卓や生活を豊かにしてくれる。そんな江戸切子だが、各時代の職人たちが、その時の流行や色使い、形をデザインに映してきた。

代々の職人たちが、その技を磨きあった東京の下町において、現代に生きる人たちをイメージした白黒のグラスをつくったり、透明のガラスに一本のカーブを切った作品など、斬新な「今」の形を刻む江戸切子職人が堀口徹氏だ。江戸川区松江に白を基調とした「White Base」と名付けた工房を構える堀口氏の、伝統を継承しつつ、新しい息吹を与える創作活動の秘密に迫った。

堀口さん

32歳で「三代秀石」を継承

——株式会社堀口切子の代表で、ご自身も切子職人である堀口徹さんの名刺には、「三代秀石(しゅうせき)」の文字があります。

堀口 「秀石」とは、1921(大正10)年創業の「株式会社堀口硝子」に代々伝わる、切子職人の号(名跡)のことなんです。

——堀口さんは1976年「初代秀石」である堀口市雄氏(1912〜1983年)のお孫さんとして生まれ、1999年には、大学卒業とともにお父さまが経営する「株式会社堀口硝子」へ入社されています。そこで「二代目秀石」である須田富雄氏(1924〜2013年)に師事し、2008年、堀口さんが32歳のときに「三代秀石」を継承されています。江戸切子の作家を目指すようになったきっかけは?

堀口 中学3年生のときです。以前から伝統工芸への憧れはありましたが、中学校のホームルームで将来の職業に関する進路指導の時間があり、将来的に家業を継ぐことをそのとき初めて意識するようになりました。初代秀石である祖父は、自分が小学1年生のときに他界していますが、もともと住まいのすぐそばに堀口硝子があり、物心ついたときからたびたび出入りしていました。ただ、就職するまで江戸切子のことはあまり理解しておらず、漠然とした憧れのみ……という状態でした。継ごうと決心したものの「やはり自分には合わなかった……」という事態もあり得ましたが、幸いこの世界に合っていたのか、今も続いています。

——二代目秀石である須田さんと当時20代だった堀口さんはどのような師弟関係でしたか?

堀口 かなり年が離れていて、おじいちゃんと孫のような関係でした。私が堀口硝子に入社したことをとても喜んでくれ、師匠には一度も怒られた記憶がありません。

——二代目の教えで一番記憶に残っていることなんですか?

堀口 硝子との向き合い方です。切子職人は3〜4年もすると、たいてい細かなカットも上手にこなせるようになりますが、同時にディテールばかりに注視してしまいがちです。師匠の教えは、「上手にできるようになっても、決しておごることなく、一歩下がって全体のたたずまいを見てみることが大切である」ということ。職人は技術の追求に陥りやすいのですが、それはあくまで一面であり、全体を俯瞰するという考え方は、今も身にしみて感じていることです。

堀口さん

切子職人はスポーツ選手に近い——焦りから本格的な創作活動へ

——堀口さんは、秀石を継承した2008年に独立し、「堀口切子」を創業されています(2012年に株式会社化)。

堀口 堀口硝子では一職人として働いていたのですが、家業でもありましたので、切子職人としての仕事以外にも業務の範囲はさまざまな事柄に及んでいました。1カ月で数時間くらいしか切子の加工場に入れないことがざらにあり、そこに少し焦りを感じていました。

「職人」と聞くと、おそらく多くの人が年配の方を想像すると思いますが、切子職人の仕事はスポーツ選手に近いところがあり、視力や体力が結構なウェイトを占めます。だから自分の感覚では、35〜55歳くらいがピーク。独立当時からそう考え、今のうちからもっと作品と向き合い、経験を積んでおく必要があると思いました。

堀口さん

——独立を果たしてからの作品づくりについてうかがいます。堀口さんがこれまでに手がけたグラス、ぐい呑、酒器、食器などを拝見すると、「これも江戸切子なのか?」と思わず驚かされるカットパターンが散見されます。

堀口 そもそも「江戸切子」は、自分も在籍している江戸切子協同組合(ガラス加工業に従事する事業所・職人で組織された組合)の登録商標です。その制作工程は、まずガラス生地にペンを使ってカットパターンの割り出しを行い、ダイヤモンドホイールでガラスを削りながら大まかなデザインを決めていきます(粗摺り)。その後、「三番掛け」と呼ばれる工程で細かなカットを施し、石掛け(*1)、磨き、バフ掛け(*2)により仕上げをしたら完成となります。

(*1)天然石や人工砥石で作られた円盤に水を付けながら回転させ、カット面をよりなめらかに均一化させる作業

(*2)フェルトや綿など繊維の回転盤に研磨剤を付け、磨きの仕上げをする作業。羽布掛けとも呼ぶ

江戸切子の条件

そんな江戸切子の条件として、江戸切子協同組合では次の4つを掲げています。

本組合の組合員が作成した「江戸切子」以外の製品に「江戸切子」を使用することはできません。また、「江戸切子」とは、次の条件に基づき作成された切子製品を意味します。これ以外の条件に基づき作成された製品に「江戸切子」を用いることはできませんので、ご注意ください。

  1. ガラスである
  2. 手作業
  3. 主に回転道具を使用する
  4. 指定された区域(※江東区を中心とした関東一円)で生産されている

※区域の指定は、江戸切子協同組合に帰属します。

——江戸切子協同組合ホームページより 

——かなり自由度が高い条件のようにも感じます。

堀口 そうですね。極端な話、この場所でガラス瓶にひとつ傷をつけるだけで、江戸切子と呼んでもよいということになる——。

条件を策定する当初、組合員の中でも「あまりにシンプルすぎる条件なのでは」との議論もありました。しかし、使い手の方に分かりやすく説明できる定義であること。また、自分たちは「江戸切子」を大切にしている、自分たちは粗悪なものに「江戸切子」とは使わない。性善説に立つべきだという話になりました。自由度の高さが受け止められるようになることで、江戸切子という伝統工芸の見られ方もきっと変わるはずです。また、今は組合員同士の横の繋がりもよく、若い世代も新しい伝統をつくり上げていこうという意識も強いです

堀口さん

伝統とは「残す」だけでなく「つくる」もの

——格式を重んじることが求められそうな伝統工芸の世界で、新しい作品づくりにチャレンジしている堀口さんですが、伝統的なパターンの作品も多く製作されています。

堀口 自分が「伝統」というテーマと向き合うときに意識しているのは、「残す・加える・省く」の3つです。よいところは当然残すべきですが、必要であれば新しいものを加えることもあるし、不必要なら省くこともある。それを試行錯誤しながら、作品づくりを代々続けていくことで、第三者から「伝統あるもの」だと認識されるようになる——。それは、江戸切子に限らず、どんな分野でも同じであり、「伝統」は残すものというより、案外つくっていくものなのかもしれない——そう思っています。

江戸切子などの伝統工芸は、もっと時代と寄り添えるものになればよいと考えており、自分は現代に生きる人たちのために、日常生活での使い勝手、映えるデザインを意識して制作しています。例えば、江戸切子と聞くと、ぐい呑をイメージする方も多いと思いますが、堀口切子では、重さを少し軽くしたり、持った時に指の腹が自然とかかりつつ、唇が触れたときに違和感を感じない工夫をして、日常で使ってもらえるものを目指しています。そして、当然使い勝手だけではありません。ガラスの内側と注がれたお酒が反射しあって万華鏡のように変化したり、照明が当たることでテーブルに美しい陰影が残るようなカッティングを施しています。

黒被万華様切立盃 (くろぎせまんげようきったてはい)

黒被万華様切立盃 (くろぎせまんげようきったてはい)

他にも「束(たばね)」と名付けたグラスは、縦にカットを施した透明なガラスと黒いガラスを半々にしたデザインです。江戸切子というと、伝統的な文様でカッティングされたものを想像されがちですので、その姿や色使いを見て驚かれる方も多いです。こちらは、人を束ねるような方はさまざまな物事を瞬時に判断、白黒付けていくというイメージでつくりました。目上の方への贈り物などにしていただきたいですし、貰った方にも日常で使いたいと思ってもらえるように、重さや手触りに加え、洗いやすさといったメンテナンス性も意識しています。

「束」(たばね)

日本橋大伝馬町のビードロ屋・加賀屋久兵衛による発祥から、およそ180年。何百年と伝わる伝統工芸の中で、江戸切子の歴史は比較的浅く、歴史をつくっていく初期段階にあります。もっと成熟させていくためにいろいろとトライしてみてもよいのではないでしょうか。

また、江戸切子には代々伝わってきた文様がいくつもあり、江戸・明治・大正・昭和……と時代が流れるなか、その時々で流行のパターンが生まれました。今はそのうちのひとつの期間にすぎません。江戸切子はこの期間が30〜50年で入れ替わっていて、ちょうど今は時代が切り替わろうとしている過渡期にある。もしも「30〜50年」に作家としての人生がすっぽりと収まるものだったら、時代の変化に気づけなかったかもしれず、変化を感じられなければ、江戸切子の伝統は変えてはいけないものだと錯覚していたはずです。だから「時代を学ぶ」ということはとても大切で、これからもどんな経緯で今に至っているのかまで考え、作品に向き合いたいと思っています。

作品たち

職人としての人生と後継者育成

——多くの伝統工芸の世界が抱えている「後継者の育成」についてお聞かせください。

堀口 自分のつくっているものが「これも江戸切子なの?」と驚いてもらえることもありますが、それは「本流」があればこそ。それだけの恩恵にあずかっているなら、その本流に報いることも必要です。作品をたくさんつくることも、売り上げで貢献することもその報いの一つですが、人材を育てることも大きなテーマです。

今、堀口切子には、三澤世奈という私の弟子がおり、共に働いています。彼女のほかにも、今年4月には、高校を卒業したばかりの新スタッフが入社し、自分を含めた3名による新体制がスタートしました。

切子職人がもしも100名いて、その全ての職人が1人でも後継者を育てれば、時代が経ってもその人数は減っていないはずです。だから、堀口切子では将来後継者育成をすることが入社の絶対条件。今は三澤がそれを担ってくれていますが、もちろん、自分自身もまだまだ後継者を育成していきたいです。50〜60歳になって弟子をとるより、早い段階であれば、失敗や苦手な部分も含め、一職人としての成長の過程までも伝えていけると思っています。もし、自分が職人として完成しきったところで弟子をとれば、どこまで大切なことを伝えきれるかどうか不安です。早い段階で共にやっていくことで、伝えやすいこともあると思います。

堀口さん

——現在41歳。ご自身が思い描く職人としてのピークのただ中にありますが、今後の創作活動については?

堀口 年齢を重ねていけば、体力や視力の衰えにより、これまでは下書き通りに合わせることができたカットパターンも合わせられなくなる日が来るやもしれない。しかし、江戸切子の世界では、そうして合わなくなったものを「味がある」とは評価しないのです。現在のような幾何学的なパターンのみではなく、作り手の感性に問いかけるようなデザインを確立できないものかと考えています。例えば、「よろけ縞」と呼ばれる、感覚に頼って故意に線をよろけさせるカットパターンがあるのですが、こうした作品づくりを今から始め、一生をかけてつくってみればどうなるか———。70代、80代になったときに、味がある表現として認められたら、すごくロマンがあると思うのです。

堀口さん

 


堀口切子の会社案内には、3つのキーワードが掲げられている。

「Traditional」(伝統的)
「Authentic」(本物)
「Redefined」(再定義)

堀口氏のチャレンジは、まさに「本物」の価値を探求し続けるためのものであり、江戸切子の価値を「再定義」するものといえるかもしれない。

TEXT:安田博勇

堀口 徹(ほりぐち・とおる)

1976年、東京都生まれ。二代目秀石(須田富雄 江東区無形文化財)に江戸切子を師事した後、三代秀石を継承、堀口切子を創業する。日本の伝統工芸士(江戸切子)認定。「三代秀石 堀口徹 ガラス作品展」(日本橋タカシマヤ)等の国内における展覧会はもとより、ニューヨークやパリ、ロンドン・在英日本国大使館など海外においても作品を発表し、高い評価を受ける。オルビスグループCSR賞社長賞、江戸切子新作展最優秀賞、グッドデザイン賞等受賞歴多数。