「人類未踏の地」。宇宙にこそふさわしい言葉のように思えるが、地球の生命が誕生した場とも考えられている海の底も、人類にとっては未知の領域だ。例えば、世界一高い山であるエベレストにも匹敵する約8,000メートルの深海に潜ることは、現在の科学力をもってしても非常に困難とされている。

その要因は、想像を絶する環境にある。水圧は水中へ10メートル降下するごとに1気圧ずつ増えていく。さらに海水には塩分などが含まれているので、水深6,500メートルの海底では681気圧にまで達する。表現を変えれば、指先に軽自動車1台を載せるほどの圧力がかかる。さらに、水温は約2~4度と冷たく、太陽からの光は届かず、暗黒の世界が広がる。

そんな過酷な環境下でも、日本には人を乗せて探査が可能な潜水調査船が存在する。その名も、有人潜水調査船「しんかい6500」。1989年に三菱重工業の神戸造船所で完成し、以後、改良を重ねながら2016年5月まで、1,466回の潜航を成功させてきた。現在、同程度の深度まで潜航可能な有人潜水調査船は、世界に7隻しかないといわれている。今回、「しんかい6500」を所有する「海洋研究開発機構(JAMSTEC)」に取材し、そのミッションや功績、現在の取り組みなどについて関係者に話を聞いた。

提供:JAMSTEC/NHK

現役パイロットが語る、海底での仕事とは?

はじめに「しんかい6500」の前潜航長である、海洋工学センターの吉梅剛さんに話を聞いた。吉梅さんはこれまで、潜航回数300回を超えるベテランのパイロット。「しんかい6500」を自在に操るためにはシステムや構造を熟知する必要があり、自ら整備も行っている。取材当日は偶然、「しんかい6500」が5年に一度の整備期間中で、貴重な骨組み状態の姿を見ることができた。 

5年に一度の整備で骨組み状態となっている「しんかい6500」

――「しんかい6500」では、何名ほどの人員で探査に行かれるのでしょうか?

吉梅 コックピットに乗組員が搭乗しますが、基本的にパイロット2名と研究者1名、計3名が定員です。かなりコンパクトなので、大人3人で乗り込むと、足を伸ばしてくつろぐのが難しいほど狭い空間です。

JAMSTEC 海洋工学センターの吉梅剛さん

しんかい6500のコックピット内部。大人3名が乗り込むのがやっとの広さ(写真は展示用の実物模型)

コックピット内部から見上げてみると、その閉塞感を実感できる

――思っていたより、狭い印象です。6,500メートルの海底まで潜っていくことを考えると、ワクワクするような、怖いような…。

吉梅 最深6,500メートルまで潜航するには、所要時間が約2時間30分。水深200mを超える深海では、太陽光が届きませんから、毎分約45メートルのスピードで暗闇の世界を潜っていきます。ただ、ずっと漆黒の闇かというとそうでもなく、ときおりプランクトンなどが発光し、ぶつかって光がはじける様子などが見られて非常に神秘的です。海底に降りてからは、7つの投光器で周囲を照らします。ひとつで自動車のヘッドライト3〜4個分の明るさに相当するくらい強力ですが、投光器すべてを起動させても、視界は10メートルほどです。

深海では投光器により周囲を観察する。写真はオオイトヒキイワシ。  提供:海洋研究開発機構 

――その光だけを頼りに、探査を行うのですね。周囲の様子は、どうやって確認するのでしょうか?

吉梅 コックピットの前方と左右に、合計3つの覗き窓がついており、そこから深海の様子を肉眼で観察できます。窓は透明度が高いメタクリル樹脂でできていて、円錐台の形状をしています。厚さは約14センチあり、これを船体の外側からはめ込むと、深海の水圧でぴったり窓枠に密着するようになっています。

しんかい6500、コックピットに装着されている覗き窓

また、海底にいる生物や、岩石を実際に採取するときには、「腕」であるマニピュレーターを使います。水中であれば約100キロまでのものなら持ち上げることが可能です。

しんかい6500の「腕」であるマニピュレーター。生物や岩石を採取する際に使われる(写真は模型)

深海では非常に高い水圧がかかるため、「しんかい6500」には船体を守るためにさまざまな技術が使われています。まず、コックピット(耐圧殻(たいあつこく))は、軽くて丈夫なチタン合金製です。水圧はあらゆる角度から均一にかかるため、真球度は1.004(直径のどこを測っても0.5ミリ以内の誤差)という精度で製造されています。

カップ麺の容器の場合、深海6,500メートル地点では元の大きさの約1/8ほどに縮んでしまう。また、縮んでも字が読み取れることから、水圧は各部均一にかかっていることが分かる

また、電気系統の配線は電線の金属部分が水圧で潰れないよう、電線をポリウレタンチューブでカバーをし、その中を油で満たしています。このような構造は均圧構造と呼ばれています。仮に同じことをゴムなどの耐圧素材で実現しようとすると電線の直径が大きくなり、メンテナンス性の低下や重量の増加など潜航そのものに影響してしまいます。

油の入ったチューブ内を配線が通る。深海の高圧から電気系統を守るための構造

――2012年3月、建造以来最大となる改造を行ったとありますが、具体的にはどんな点が変わったのでしょうか?

吉梅 大きな変更点は、船尾の主推進器、モーターなどの動力系に改造を加え、加速や制動のレスポンスを、より向上させました。また、水平方向の姿勢を制御するためのスラスターを後部にも1台増設し、回頭性能(※船首の向きを変えること)もグレードアップしています。これまで、Uターンしなければ方向転換が行えませんでしたが、船の頭を軸に回転できるようになったことで、狭いスペースでの調査もスムーズになりました。

――機動性を改善させることは、研究調査にどのようなメリットがあるのでしょうか?

吉梅 海底調査は単純に言ってしまうと「進んで、止まって」の繰り返しです。いま説明した方向転換のためのUターンという動きも、積み重なれば貴重な作業時間のロスにつながります。

現在、1日の海底調査オペレーションは全行程で8時間ですが、6,500メートルまで潜るのに2時間半、浮上に2時間半かかることを考えれば、海底で作業できる時間は2~3時間が限度です。限られた調査時間をより有効に使うためには、機動性を高める必要がありました。

「特別なことはするな」。パイロットとしての心構え

――研究のため、「しんかい6500」も進化を遂げてきたということですね。吉梅さんご自身も、もともと深海への興味があってパイロットを志したのでしょうか?

吉梅 私は商船高等専門学校出身で、JAMSTECに入ったときは、母船(編集部注:「しんかい6500」を調査海域まで運ぶ船のこと)の乗組員のつもりでした。しかし、実際に乗船することになったのは潜水船で、すべてを自分の目で見て、覚えていくしかありませんでした。我々の上の世代は、「見て覚えろ」という世代だったので、当時は暇さえあれば膨大な量になる潜水船の図面を読み漁っていました。

――パイロットも、技術について学ぶ必要があると?

吉梅 はい、パイロットは潜航に必要な、あらゆる知識を身につけなければなりません。船であれば選択や決定は船長の裁量ですが、潜水船の潜航中は2名のパイロットにすべての裁量が委ねられ、あらゆる状況に対応していきます。電気系統や油圧といったシステム面の知識のほか、深海調査中の内部の環境についてなど、幅広い知識を持つ必要があります。

――運転、操作技術だけではない、膨大な知識量が必要…となってくると、一人前のパイロットになるには、どれくらいかかるのでしょう?

吉梅 コ・パイロット(操船補助者)になるまで3年から4年、最終的にパイロットとして独り立ちできるのは、だいたい7年から8年といったところでしょうか。

――実際の潜航の中で、想定外の事態が起きることはありますか?

吉梅 海の中では、当初の計画通りに進むことは、まずないと思っています。むしろ、そうした状況にどう対処するかが、パイロットの腕の見せどころでもあります。あるときは、マニピュレーターが動かなくなり、研究のために持ち込んだ資材を海底に設置できなくなったケースもありました。結果、断線が原因だと判明しましたが、既に潜航した後で、その場ではどうすることもできません。そこで、同乗していた研究者にも相談し、マニピュレーターは諦め、深海の観察に切り替えました。

このように、限られた時間を有効に使うため、その場の最善策を考えるのもパイロットの仕事です。研究者にできるだけ多くの成果を持ち帰ってもらうには、パイロットが現実的な思考で冷静に対処しなければなりません。

――パイロットという立場から、吉梅さんが今後の「しんかい6500」に期待していることはありますか?

吉梅 少しでも長く、海底に滞在できればと思います。現状、深海6,500メートル地点に到達するには、行き帰りだけで5時間かかります。海底での時間を増やすためには、コックピットを広くし、休憩スペースも必要ですが、そうなれば船体はどんどん巨大化していきます。また、それだけ大きな潜水船が、強力な水圧に耐えられるかどうかという問題も発生してきます。一方で、今よりも深い海域で安全な調査を行うとなると、小型・軽量化の技術革新も実現していかなければなりません。

また、機体性能よりも大事なことは、研究者の意向にどれだけ寄り添えるかです。これまでの改修も、研究者の希望を反映させてきたケースが多く、事実、次の改修ではパイロットを1人にして、研究者を2人乗せることを検討しています。1人での運航を可能とするために計器の配列などを変える必要はあるかもしれませんが、パイロットの習熟やマニュアルの整備など準備をして、来年から導入したいと考えています。


「今後も、深海は限られた人しか行けない場所だということを忘れることなく、パイロットを続けていきたい」と吉梅氏。パイロットを引退するのは「恐らく、薄暗いコックピットで計器の細かい文字が見えなくなったとき」だと笑いながら話してくれた。

6,000メートルの潜航能力があれば、海洋の97%は探査できる

続いて、「しんかい6500」を所有し、吉梅さんが所属するJAMSTECの歴史や目的、意義について、広報部の監物(けんもつ)うい子さんに話を伺った。JAMSTECの歴史は1971(昭和46)年、海洋技術の開発という産業界の悲願を受け、認可法人として前身である海洋科学技術センターの設立によって始まった。

監物 JAMSTECは「海洋国家である日本が海を知り、利用することを可能とする海洋科学、研究開発を推進する」という理念の下に設立されました。

案内してくれたJAMSTEC広報部の監物さん

設立当初、JAMSTECの活動は、深海高圧下で人が安全に作業できるような飽和潜水の技術開発からスタート。水圧が人体に及ぼす影響や、海中居住基地の居住性調査を目的とした「シートピア計画」などを推進した。「しんかい6500」につながる深海探査にまつわるプロジェクトは、1970年代中盤から計画された。

監物 一足飛びに6,000メートル級の有人潜水調査船を建造するのではなく、まずは2,000メートル級の調査船「しんかい2000」が建造されました。日本初の本格的な深海の有人潜水調査船として1981年に完成し、20年以上の長期にわたって第一線で活動しましたが、2002年に活動を休止しています。

役目を終えた「しんかい2000」の模型

その後、「しんかい2000」で得られたノウハウや、チタン製耐圧殻(たいあつこく)の製造をはじめとする技術の向上により、当初の目標であった6,000メートル級の有人潜水調査船として「しんかい6500」が完成、1990年から運用が開始された。

海底奥深くに潜航可能な「しんかい6500」の模型

監物 目標水深が6,500メートルに設定された理由として、一つには、6,000メートルの潜航能力があれば、海洋のほぼ97%を探査できるという理由があります。もう一つが、世界有数の地震国である日本の地勢的要因です。巨大地震のメカニズム解明のためには、プレート同士がぶつかり合う海溝域、特に太平洋プレートにおける水深6,200〜6,300メートル部分を調べる必要がありました。

現在、JAMSTECでは、「しんかい6500」のほか、AUV(自律型無人探査機)と呼ばれる「うらしま」、「じんべい」、「ゆめいるか」、ROV(遠隔操作型無人探査機)の「かいこう」、「パイパードルフィン」など、さまざまな研究機材を保有している。また、それらの機材を活用しながら、地震メカニズム解明のほか、並行して7つの分野で研究が進んでいる。

深海巡航探査機「うらしま」(左)、無人探査機「ゆめいるか」  提供:海洋研究開発機構

監物 1つ目の研究分野は、海底資源の調査です。2つ目は、地球規模の環境変動を捉えるため、海水温の調査やセンサーを積んだブイから収集したデータを解析し、スーパーコンピューターを使ってシミュレーション研究を行う「地球環境変動研究」。3つ目と4つ目がそれぞれ、海溝型地震のメカニズムを研究する「地震発生帯研究」、海底にすむ微生物を含む深海生物を研究する「極限生物研究」。5つ目は、海底下の地質を掘削調査する「深海掘削研究」、6つ目が、先進的なプロセスモデルの開発やシミュレーション研究を行う「情報科学」、そして最後の7つ目が、先端技術の研究を支える各種観測機器の「技術開発」です。

7つの研究を支えるJAMSTECという組織も当然ながら大規模で、常勤職員は約1,000名、そのうち約半数を研究・技術職が占めている。施設面では横須賀にある本部のほか、横浜市や青森県むつ市、高知県南国市、沖縄県那覇市に研究所を構え、それぞれが海洋に関する基礎研究や技術開発を続けてきた。

横須賀にあるJAMSTEC本部(左)、取材当日に停泊していた深海調査研究船「かいれい」(右)

監物 例えば、東日本大震災によって被災した東北の漁業復興に貢献することを目的とした「東北マリンサイエンス拠点形成事業『海洋生態系の調査研究』」では、東北大学を中心に、JAMSTECと東京大学大気海洋研究所が一緒になって、震災が海洋生態系に与えた影響や回復過程を科学的に解明しています。

具体的には、小型無人探査機等を使って、震災後に海底がどう変化し、生物がどのようにすむ場所を移していったのかを、科学的に調べることを進めています。調査によって得られたデータは、各自治体にも共有し、持続的な漁場の利用のためや、漁業の発展に活用してもらっています。

高圧下の深海へ安全に潜航、作業するため技術の粋が結集された「しんかい6500」

では、数多くのミッションや目的がある中、「しんかい6500」の任務とは、一体どんなものなのか?

監物 1つ目は、巨大地震の発生場所であるプレートが沈み込んでいる一帯を調べ、地球内部の動きに関わる現象を解明することです。2つ目は、地球内部から湧き出す数百度の熱水に含まれる硫化水素やメタンをエネルギー源とする「化学合成生態系」などの生態系を調べ、生物の起源や進化の過程を解明すること。また、地球を取り巻く環境変動に関するデータも採取しています。

特に数年前から、「深海」や「深海魚」に人々の注目が集まっている。「しんかい6500」は、未知の世界の探査によって、これまで多様で独自性に富んだ生物群や化学合成生態系の存在を明らかにしてきた。また、今後人類が直面する食料問題などに備え、深海生物資源の持続的な利用や、多様な生理機能を有する深海生物の遺伝子研究も、「しんかい6500」が担う重要なミッションとなっている。


後編となる次回は、「しんかい6500」に乗り込み、深海生物の研究に取り組む研究者にスポットを当てる。

(――後編に続く)