書籍やテレビ、ラジオでの最新デジタル環境に関する啓蒙活動や、自らブログメディアを立ち上げるなど様々な活動を行っているジャーナリストの津田大介氏。審議会やシンポジウムなどイベントの様子をSNSで実況する「tsudaる」は時代を表す流行語にもなった。
メディア・アクティビストとして、進化するデジタル環境にあわせた生き方を常に紹介・実践する津田氏に、ハードウェア、ソフトウェアなど加速する情報化社会の中で、人はどう生きるべきなのか――そのスマートな生き方のコツを聞いた。

メディアに興味を持つきっかけ

現在、テレビ、ラジオ、ニコニコ生放送、Ustreamなど、さまざまなメディアを使って仕事をしていますが、メディアに興味を持つきっかけとなったのは高校の新聞部での体験ですね。僕はいわゆるゲーム少年でした。学校では成績が悪いわけではないけれど、どの教科でも一番にはなれなかった僕が、ゲーム以外のことに興味を持ったのは、中学三年の時です。父親が原稿を書く仕事をしていたこともあって、僕が書いた宿題の作文にアドバイスをくれたんですね。書いた作文が学校で褒められ、その時に初めて、自分にも一番になれることがあるんじゃないかって思ったんですね。

高校の新聞部では、2人しか部員がいなかったから、ひとりが部長でもうひとりが副部長(笑)。自分たちで何でもやりましたが、学校から毎年出る部活の予算で、当時最新のワープロと、一眼レフカメラを買いました。活動としては年2回印刷屋に出して新聞を出せば良かったんですけど、それだけじゃ飽き足らなかったのでワープロ印刷した記事をハサミと糊で切り貼りして、印刷のDIYをできるようにしたんです。楽しかったですよ。記事の内容は、吹奏楽部の会計処理の不正を暴いたり(笑)、湾岸戦争ヤバイんじゃないかっていうコラムを書いたり……今読むと「若かったなぁ」と思います。

広告取りもしましたね。商店を回って、今まで新聞部がしていなかった新規開拓の営業をして、高校生としては画期的だったんです。手探りでいろいろやり、紙媒体の発行に関しては一通りのことをして何でもできる、という自信がつきましたね。自由な校風の高校だったこともあって、大学に入ったら、かえってつまらなくなりました(笑)。周りのみんなは大学で急に解放された感を味わっていたけれど、「なんだ、高校で全部やってきたことじゃないか」っていう感じでした。

24時間、すべてを投げ打って情報発信を続けた震災後の日々

僕自身を大きく変えた出来事は、東日本大震災です。地震があった3月11日、学会に出ていたのですが、パネリストとして壇上にいながら、ツイッターで流れる情報に目が釘付けになっていました。学会では会場にテレビもなく、現地の情報は会場にいる人たちには入っていなかったのではないかと思いますが、ネットを通じて次々と情報が飛び込んできて、これは大変なことになった、と1人でやきもきしていました。そして終了後、すぐにニコニコ生放送に出演することになりスタジオに向かいましたね。

津田大介氏地震があった日から、僕にできることは、24時間、情報を提供し続けることだと決めました。3月11日の夜、ニコニコ生放送の特番の司会をやってくれと頼まれたのを皮切りに、3日間連続でニコニコ生放送の特番をやりました。その後、仕事場にこもり、1人だと情報を24時間出し続けるのは無理なので、3月12日から友人にアシスタントを頼みました。「官房長官会見があったら起こしてくれ」と、睡眠時間1、2時間で記者会見や、現地の情報をツイッターで出し続けました。

自分にできることはこれしかない。情報を出し続けながら、自分は東京にいて、どれだけ事実を伝えられているかと、無力感、焦燥感にかられていたことも事実です。初めて現地を取材したのは1カ月後の4月11日。新潟経由で救援物資を車で持って行きつつの取材だったのですが、気仙沼、陸前高田で見た光景に衝撃を受けました。自分が今まで出していた情報は何だったのだろう、現地の情報を伝えたといっても、東京にいる限り、あくまで東京という遠い場所から発信できるものでしかなかった、とつくづく思いました。それからですね、被災地に通い始めたのは。6月には福島でイベントも行いました。

震災以降の10年でやってきたことが、その人の価値を決めるのではないか。このことは、震災直後の2011年3月20日に哲学者の東浩紀さんとすでに話していました。僕自身、震災で本当に変わりました。日本の未来をどうするんだろう、と本気で考えるようになったことと、人とつながって何かをやることの重みを実感したことが、もっとも大きな変化です。僕は、73年生まれの団塊ジュニア世代ですが、若過ぎず、歳を取り過ぎてもいず、あと10年ぐらいコミットできます。震災以後何をするか、という点で、今、自分たちが試されている、と感じています。

若者と政治をつなぐ、ネットメディアを作りたい

政治が重要だと感じたのは、被災地での復興をこの目で見てきたことが大きかったと思います。ただ、それ以前にも、何度か政治とメディアの関係を考えさせられる出来事があり、これからの時代はネットがますます重要になってくると感じていました。

たとえば2009年秋、民主党政権になった時、民主党は記者クラブを開放するというマニフェストを守らなかった。この件で、ツイッターで民主党が炎上し、多くの人の注目を浴びました。ツイッターでの状況を藤末建三議員がパソコン画面をわざわざプリントアウトして民主党本部へ持って行き、粘り強く交渉し、記者クラブに属さない記者を入れるようになったんです。

ツイッターで世の中を動かすこともできる、と痛感しました。ネットに「可視化された世論」が存在する時代になった。これは面白いから新しいネットメディア作りに取り組みたい、と思っていた矢先に東日本大震災が起こりました。震災後、だから本気になったのです。被災地支援をする一方で、ネット上の政治メディアを作ると公言して、動き始めました。特に今年はネット選挙が解禁され、7月の参院選では注目が集まりました。

長い間、勧められてもなかなか有料メルマガを出さなかった僕が、有料メルマガを出すことにしたのは、震災後、本気で政治と若者をつなぐネットメディアを作りたいと思ったからです。若い人たちに、政治にもっと関心を持ってもらいたい、そのためのメディアをインターネット上に作りたい、と思い、そのために動いています。

ネットメディアを作るのにはお金が必要なんです。2011年9月から始めた僕の有料メルマガを購読してくれる人には3つタイプがあって、第一に、僕の発信する情報を得たいという人、第二に、政治メディアを作るという僕の計画に賛同し、金銭的に応援しようと思ってくれている人、第三に、僕個人を応援しよう、と思ってくれる人です。もし読者が、どれか1つのグループしかいなかったら、今、読者は8000人ぐらいですが、これほど多くの人が有料メルマガをとってくれることはなかったと思いますね。

text:野田香里

後編はこちらから

津田大介氏

つだ・だいすけ
津田 大介

ジャーナリスト/メディアアクティビスト。1973年生まれ。東京都出身。メディア、ジャーナリズム、IT・ネットサービス、コンテンツビジネス、著作権問題などを専門分野に執筆活動を行う。ソーシャルメディアを利用した新しいジャーナリズムをさまざまな形で実践。大阪経済大学客員教授、早稲田大学大学院政治学研究科非常勤講師なども務める。日本IBM有識者会議「富士会議」メンバー。
公式サイト:http://tsuda.ru/


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