しんかい6500後編

(メイン画像)提供:JAMSTEC/NHK

「海洋研究開発機構(JAMSTEC)」と、「しんかい6500」のパイロットに焦点を当てた今回の取材、後編は「しんかい6500」に乗船し、深海生物について調査・研究を進める海洋生物学者・渡部裕美さんにインタビューを行った。

(前編はこちらから)

海洋生物多様性研究分野技術主任の肩書を持つ渡部裕美さんは、海洋生態学を専門分野とし、生物の多様性がどのようなメカニズムで創出されるかをテーマに研究を続けている。水圧が高く、太陽光が届かない低温の環境下は、深海生物の餌も少ない。そんな過酷な環境下でも、数百度の熱水が噴出する海底の「熱水噴出孔」に含まれる化学物質の酸化・還元エネルギーから生成された栄養分を摂取している生物がいる。渡部さんが研究するのは、そうした「化学合成生態系」の基礎的な研究だ。

生物の起源は深海にある

――まず、海洋生物学者としての経歴を教えてください。

渡部 JAMSTECに入ったのは、大学院の博士課程を修了した2005年です。大学院の修士課程までは古生物の研究室に所属していましたが、実際に生物たちが生きている様子を調べてみたいと思い、徐々に海洋生物の生態へ興味が移っていきました。

ですので、海洋生態学を始めた年齢は、他の研究者と比べて少し遅かったと思います。少し特殊な例ではありますが、貝の研究には幅広い世代の人たちが取り組んでいて、10代前半からすでに研究活動を行っている人もいます。

渡部裕美さん

――海洋生物といってもさまざまな種類が存在しますが、わざわざ深い海の生物を研究対象とする意味は?

渡部 ひとことで海洋生物といっても、どれくらいの種類がいるのか私たち研究者でさえ正確には把握できていません。まだまだ未知な部分が多いのですが、深海生物は、生命の起源を探るという意味で重要な研究対象です。オゾン層のない太古の地球では、紫外線が直接降り注ぐ陸地には生物が存在していなかったと考えられています。そのため、太陽光が届かない深海に、生命の起源があったと考えられています。生命の起源に「水」はとても重要な要素で、地球以外の惑星に目を向けても、必ず「水」の存在から生命の存在を推測しています。

生命は恐らく、太陽の光を必要とせず、地球内部から出てくるエネルギーを使って生命活動を維持する生物から始まりました。彼らが地球上で最初に生まれ、それが多様化していくことで現在、地球上にあるような生態系の構築につながっていきました。

深海世界に生物の多様性の手がかりが隠されている

――「生命の起源を探る」という点で、どんな研究をされていますか?

渡部 私自身は、生物が種分化によって多様化していく過程を研究しています。熱水噴出孔の周りには「化学合成生態系」が構築されていて、他の深海とは異なる生物群が生息しています。海底にすむ貝やカニなどの生物も、卵から孵化(ふか)する子ども(いわゆる幼生)はプランクトンとして過ごします。

化学合成生態系は深海底に島のように分布しています。私はプランクトン幼生が海の中をどのように旅をし、新しい集団を構築し、さらに新しい種が構築されていくかを調べています。最初にターゲットとして選んだ研究対象は「フジツボ」です。陸上での飼育が容易という点で選びました。

ネッスイハナカゴ

渡部さんが研究していた深海性のフジツボ(ネッスイハナカゴ) 提供:海洋研究開発機構

フジツボは圧力耐性が高く、浅い海だけでなく深海にも生息しています。実際、深海にすむフジツボの幼生を陸上で飼育することもできますし、浅い海にすむフジツボの幼生を加圧下で飼育することもできます。しかし、子ども時代に表層と深海の双方で生きることのできる生物が、何を決め手に親として生息する海域を選んでいるのかは、まだまだ解明されていません。それでも、研究を通じて、深海生物でも表層の海流に乗って遠くまで分散し、すむ場所を探して旅をしている生態がわかってきました。

事実、水深約1,000メートルに生息する深海生物の幼生が、表層で採取したプランクトンに混じっていることも知られています。ですが、そこからどのように深い海へ戻っていくのかは明らかになっていません。また、昼間は深海に生息していても、夜間になると表層域へと300メートルほど移動する生物もいます。

――そのほか、深海生物が持つ特有の生態はありますか?

渡部 例えば、深海底の「熱水噴出孔」に密集する深海生物には、その場所を特徴付ける化学物質を検知する受容体(センサー)が備わっていると考えられています。深海生物はセンサーによって熱水に含まれるメタンや硫化水素などを検知し、その場所に集まってくるようです。ですが、具体的な検知のメカニズムは、まだ解明されていません。

熱水噴出孔

熱水噴出孔 提供:海洋研究開発機構

オハラエビ

熱水噴出孔に集まるオハラエビ 提供:JAMSTEC

残念ながら、深海生物にはまだまだ謎が多く、そのほとんどが解明されていません。陸上の動物が移動するような横方向に加え、深海生物には深度という縦方向の移動も考えられます。そうした3次元の生態については、陸上の2次元で生活する私たちには、なかなか想像がつかない部分が多いということが原因かもしれません。

「しんかい6500」乗船。自分の目で深海を見て得られた発見

――「しんかい6500」に乗船しての研究活動は、どのように行われていますか?

渡部 初めてしんかい6500に乗船したのは2006年で、南太平洋のパプアニューギニアのビスマルク湾にある、水深2,500メートルの熱水噴出域を調査しました。しんかい6500に乗船できるのは3名ですが、そのうちパイロットが2名、研究者は1名です。時間が限られる潜航中にひとつでも多くの成果を持ち帰るため、研究者はすべてをひとりで判断し、パイロットの協力を仰ぎます。

――初めて深海の景色を自分の目で見て、どんな思いを抱きましたか?

渡部裕美さん渡部 乗船時、コックピットのハッチが閉められて外の音が遮断されたときは緊張しました。それでも、海底に着くと、深海のさまざまなものが見えた高揚感で、緊張はどこかに吹き飛んでいました。研究者は生きた生物を採取しますが、実際に見た海底には死んでしまった貝殻が無数に転がっていて、生物の一生を垣間見た気がしました。

しんかい6500の覗き窓から見る景色は、想像していたより広く、それまで自分が見てきた映像は、カメラが切り取った一部分なんだと実感しました。また、しんかい6500の中には空調設備がないため、潜水船の内部は周りの海水と同じくらいの温度(深海の水温は2〜4度)になります。そのため、「深海生物たちは、こんな冷たいところに生きているんだ」と実感したほか、体が痒いのか、しきりにかくような仕草をする生物を見て、「人間でもこんな仕草をするなあ」と思ったのを覚えています。

ジュウモンジダコ

ジュウモンジダコ。頭にある耳のようなヒレを使って泳ぐ深海にすむタコの一種。 提供:JAMSTEC

実は普段、深海生物のサンプルを他の研究者から提供してもらう機会も多く、実際に自身の目で見ていないものを分析、解析して論文を書くこともあります。サンプル採取であれば、しんかい6500のような有人調査船でなくても行えます。

それでも、実際に深海生物が生きている姿を、自身の目で見て、感覚で捉えることが大事だと思います。深海生物がどうやって生きているのか、研究者自身がその姿を見ることができるように、しんかい6500に乗る機会が増えればいいですね。

渡部裕美さん

海洋生物が「終の棲家」を見つけるメカニズムを明らかにしたい

――深海で採取した生物を、地上でどのように研究するのでしょうか?

渡部 採取したサンプルは、深海での状態を保つため、海底で薬品で固定する場合もあれば、生きたまま陸上に持ってくる場合もあります。その後、どんな環境でどう育っていくか、どうやって生息場所を見つけようとするのかを、飼育しながら研究していきます。

低い水温で飼育すると、卵が孵化するのに数カ月かかる場合もありますが、生物が持っているDNAを調べることで、遺伝子を交換している集団がどこに存在するのかが明らかになるので、海洋生物の多様性を読み解くヒントになります。これまで私たちが行ってきた研究では、海流シミュレーションなどから、海洋生物がどのように海を漂い、過ごし、一生を終えるのかがわかってきました。今後はさらに研究を進め、海の生物が長い旅の末に「終の棲家」をどのように見つけているのか、そのメカニズムを明らかにしていきたいです。

地球温暖化の影響で深海の水温も上昇傾向にあり、深海の低温域の生態系が変化する可能性もあります。陸上とは異なり、海中の環境変化は可視化が難しく、影響範囲を特定しにくいですが、私たちの研究によって将来の影響を推測する手がかりが得られればと考えています。

 


1970年代中盤から始まったJAMSTECの深海探査プロジェクトは、「しんかい2000」から始まり、「しんかい6500」へと受け継がれた。そのしんかい6500も、1990年の運用開始から既に27年の歳月が経過し、多くの成果をもたらした。

「人類未踏の領域」――海の奥深く、底へ底へと目指す旅は、まだ発展途上だ。世界で最も深いとされているマリアナ海溝・チャレンジャー海淵は、深度1万911メートル。まだ見ぬしんかい6500の後継機が目指す先に、人類がいまだ解明できていない謎への鍵が隠されているかもしれない。