美しき「日本の面影」と 豊かな精神文化の水脈を探る

米国出身のフォトジャーナリスト、エバレット・ブラウン氏が日本に移り住んで30年近く経つ。ブラウン氏は現代の日本が失いつつある美しい日本の面影と、豊かな精神文化の水脈を私たちに示し続けてきた。
この春に上梓した『Japanese Samurai Fashion』(赤々舎)では、福島県相馬地方で約800年にわたって受け継がれてきた祭礼、野馬追(のまおい)に「出陣」する人々を、幕末の頃に普及した技法で撮る湿板光画写真に収めた。被写体は間違いなく現代の人々だが、いにしえの相馬武者の面影がそこにあり、感動を覚える。私たち1人ひとりの足下に流れる時間と日本人の血脈そのものの存在を語るような、魂に訴えかける写真だ。
ブラウン氏はさらに、そうした日本文化への「気づき」にもつながる場を、有志の仲間たちとともに立ち上げた。中世の昔から身分の違いを超えた文化交流の場であった「会所(かいしょ)」を現代によみがえらせる試みである。所属する組織や肩書などを超え、1人ひとりが個人として集い、日本の伝統文化を学ぶ。
また、料理研究家である妻、中島デコ氏とともに千葉県いすみ市の田園地帯でカフェ、宿泊、イベントなどを行う「ブラウンズフィールド」を主宰し、昔ながらの知恵をヒントに、豊かな食を中心とした心地よい暮らしを提案している。
いずれも、単なる懐古趣味とは一線を画し、本来、日本人が受け継いできた自然からの知恵や豊かな精神文化に気づき、これからの日本を考えようとするものだ。新緑のブラウンズフィールドを訪ね、お話を伺った。

私たちは毎日、「今の時代の新しい歴史」を創っている

――湿板光画写真に力を入れておられます。日本では幕末に盛んになった技法と聞きますが、湿板光画写真で、どのようなことを伝えたいとお考えですか。

ブラウン 湿板光画写真は撮影直前にガラスへ感光剤を塗り、数十秒かけて露光した後に現像、定着させるという、たいへん手間のかかる古典的な技法です。でも、こうした写真を見ると、「これは古い写真だな、歴史的な写真だ」と瞬間的に感じるでしょう。僕が湿板光画という技法を使っている理由は、そこにあります。
普通に考えると、歴史は古いものだと捉えられがちですが、実は、歴史って古いだけではない。僕たちは毎日、「今の時代の新しい歴史」を創っているのです。1人ひとりが日々、個人の歴史や家族の歴史を創っている。その1人ひとりが、社会の大きな歴史にどこかでつながり、影響を与えているかもしれない。つまり、誰もが今、現代史に参加している、ということなんです。僕は、このことを写真で伝えたいのです。

『Japanese Samurai Fashion』より  写真提供:エバレット・ブラウン氏

『Japanese Samurai Fashion』より  写真提供:エバレット・ブラウン氏

それでは、僕たちはどのような歴史を創るのでしょうか。歴史に消極的に参加するか、それとも積極的に関わるか、ということが問われています。明治時代の日本人は、新しい日本を生み出そうとしました。戦後の日本人も、やはりそうでした。150年前、あるいは70年前の日本人は、自分たちの手でこの国の新しい時代の歴史を創ろう、という気持ちを持っていたのだと思います。

ところが今、特にこの20年ほどの間、僕たちが抱えている情報はどんどん増え、そのために身体的な感覚が弱くなり、また時間軸を捉える歴史的な視野が非常に狭くなっています。時間的な視野をもう少し広く持ち、情報を取捨選択することが大事だと思います。
例えば、子どもたちに何を伝えたらいいか、自分はどんな歴史を創るのかということを、もっと考えていきたいですね。家族の歴史やご先祖様に目を向けることも、その1つです。

ブラウンさん

――写真を拝見すると、古い日本の面影や精神文化へのブラウンさんの眼差しを感じます。

ブラウン 日本に暮らすようになって間もない頃の1989年、民俗学者・宮本常一先生の一番弟子である映像民俗学者でドキュメンタリー映画監督の姫田忠義先生に出会いました。姫田先生が所長を務めておられた、新宿二丁目にあった民族文化映像研究所(民映研)で、毎週金曜日に民俗映画の上映会が行われていたのです。この上映会に、毎回できる限り参加しました。民俗学者、民俗学に詳しい人たち、さまざまな変わった人たち(笑)が集まって、いっしょに映画を鑑賞し、その後でディスカッションをするという形の上映会です。約5年間にわたって毎週のように通いつめ、130本ほどある姫田先生のドキュメンタリーをすべて観ました。同じ作品を何度も観ましたし、英語への翻訳も手掛けました。
それらの映像を通して、僕はいろいろな場所へ行くことができたと考えています。また、姫田先生から直接、行くべき土地についてアドバイスをいただき、実際に現場に足を運んで撮影したり、人に会ったりする機会も得ました。こうした日々が、僕の民俗学の勉強の原点です。映像を見て、それから監督の話を聴いて、現地に足を運ぶ、という勉強をジャーナリストの視点で続けてきました。振り返ってみれば、こうした経験のすべてが、今の僕の財産になっている。すごくありがたいことだと感じています。

日本の原風景は、温かく迎えてくれた東北

――初めて来日された時は、最初に青森県の下北半島を訪れたそうですね。

ブラウン そうなんです。下北半島のとある無人駅で、こんなことがありました。1人でずっと列車を待っていた時、遠くに見える売店のおばあちゃんが雨の中を僕のところまでやって来たのです。きっと「かわいそうに」と思ったのでしょう、僕に牛乳とパンを持ってきてくれたんですよ。「この人は外人さんだから、おにぎりよりも牛乳とパンのほうがいい」ということまで考えたのでしょうか。おばあちゃんのその優しさが、異国を独りで旅する僕にはすごく嬉しく、かわいいんですよ。その時以来です、日本の魅力にはまっていったのは。

僕にとっての日本の原風景は東北です。特に青森、下北半島のおじいちゃん、おばあちゃんたち・・・。恐山の夏祭りにはほぼ毎年通いました。当時は、みんなでお寺に寝泊まりしたものです。一緒に露天風呂に入ったりもしました。あの頃、僕はあまり日本語が上手くなくて、しかもいわゆるズーズー弁は聞き取りにくかったけれど、言葉を介さなくても気持ちが、優しさが、通じ合ったんですよ。
ところが1991年、恐山に観光施設ができ、周りが整備されて、お寺に泊まることが禁止されてしまった。地元の人たち、特におばあちゃんたちがすごくがっかりして、本当にその年に一気にたくさんの方々が亡くなってしまいました。1つの楽しみが無くなり、1つの時代が終わった。僕もその年から恐山には行かなくなってしまいました。

――その後も、フォトジャーナリストとして、日本探求は続けてこられた。

ブラウン そうです。一方に映像民俗学者の今は亡き姫田監督、そしてもう一方に日本文化研究者で編集者の松岡正剛さんという2人の師匠がいます。松岡さんに初めてお会いしたのは、1992年頃だったと記憶しています。障がい者向けの講演会にいらしていた。僕はそれ以前から彼の著作を読んでいました。とても難しかったけれど、この人が持っているメッセージはすごく重要だと思い、一生懸命に読みました。また、松岡さんは、僕の外国人の視点、「マレビト(稀人・客人)」の視点を気に入ってくれたんですよ。
姫田さんはどちらかというと、事実を素直に記録する手法を取られました。一方、松岡さんは、日本のさまざまなテーマについてコンセプトを広げて分析しますが、その時に面影とか、歴史に潜むものとか、目に見えないものを追求します。僕はその両方の視点から、影響を受けています。また、松岡さんのおかげで、多くの素晴らしい文化人に出会うこともできました。

ブラウンさん

文化的な交流の場「会所」の可能性

――「会所プロジェクト」について伺います。これは「日本の伝統と現代を結びつけることを目的とした交流の場」ということでしょうか。

ブラウン 「会所」とは中世の頃に存在した文化サロンのようなものです。当時の貴族、武家、僧侶、町人などが身分を隠して参加した連歌会などがそれにあたり、室町時代には茶道や香道などの芸道の礎になった文化的な活動です。
この会所をヒントに現代によみがえらせようと発足させたのが「会所プロジェクト」です。国籍や性別、年齢などにかかわらず、志がある人なら誰でも参加できる交流の場を作り、豊かな日本の精神文化の水脈や多様性を探り、再現していこうと発足させたものです。

日本IBMが30年以上前から続けている有識者会議の1つに「伊豆会議」というのがあります。僕もメンバーの1人なんですが、そこでは、さまざまなジャンルの有識者が年に1度集まり、1泊2日で1つのテーマについてじっくり考え、活発に討論し、お互い触発しあっています。昨年の「伊豆会議」のテーマは「グローバルとローカル ーー私の幸福」というものでした。
目的はちょっと違いますが、どちらも職業や地位を超え、さまざまな人たちが集まって真剣に語りあい、触発しあうという点に意味があると思っています。

明治時代、地方からすごく優秀な人たちが都会に集まって、いろいろな化学反応を起こし、新しい事業が次々と生まれました。戦後にも同じようなことが起きています。地方からダイバーシティ(多様性)に富んだ人材が集まって、新しい事業を起こしたんです。
しかし現在、日本国内のダイバーシティは、もはや廃れようとしているのではないでしょうか。すでにさんざん言われていることですが、同じテレビ番組、同じ漫画、同じ音楽に触れている青森の受験生と鹿児島の受験生の違いはあまりない、というような意味で。文化の進展には、多様性はすごく大事なのですが・・・。

――今の時代こそ、会所プロジェクトのような交流の場に大きな意味がありそうです。

ブラウン 1つのキーワードは、シンパシー(共感・共鳴)がどうやってこれから育っていくかということにあると思います。もともと日本には非常に濃いシンパシーがあったでしょう。1980年代に下北半島で出会ったおばあちゃんたちとは、言葉が通じなくてもシンパシーを感じることができました。今の日本、特に都会では、そんなシンパシーの感覚が弱くなっているように思います。

ブラウンさん

ブラウンズフィールドでは米や野菜を作ったり、味噌などの発酵食品を作ったりして、日本人が古来培ってきた知恵や素朴で素敵な生活を体験する場を提供しています。そういうふうに自然の中で過ごすことや、あるいは、じっくり小説を読んだり、文化、芸術に触れたり、といったさまざまな経験が重要です。1人ひとりがそれぞれ、日本の文化という地下水を汲み上げる井戸を掘り、そこに自分にふさわしい、自分でやれる範囲の「手のひらから生み出すことのできる日本」を体験したり創って行けたらいいなと思っています。

ブラウンさん

深い精神的な「水脈」は私たちの足下にある

――この春に刊行された『Japanese Samurai Fashion』では、伝統的な祭礼である相馬野馬追を受け継ぎ守っていこうとする人々を湿板光画で捉えています。写真集の表紙や後半のカラー写真のページでは、騎馬武者たちの装束や鎧(よろい)、兜(かぶと)などが非常にファッショナブルで素敵ですね。

『Japanese Samurai Fashion』より      写真提供:エバレット・ブラウン氏

『Japanese Samurai Fashion』より      写真提供:エバレット・ブラウン氏

ブラウン この写真集も、一種の会所プロジェクトです。言葉を寄せてくださったのは、皇族の彬子女王殿下、ファッション業界の滝沢直己さんとコシノジュンコさん、そして松岡正剛さんの4名です。
福島県相馬地方の伝統的な祭礼、野馬追を受け継いでいる44名の皆さんを湿板光画で撮影しました。800年の歴史を持つ旧相馬中村藩主家の34代当主・相馬行胤(みちたね)氏は、これからの800年を考えています。僕は、これからの日本、特に地方を元気にするために、こうした地方の古い家柄を受け継いでいく30代、40代の人たちの肖像写真を撮っていくつもりです。

『Japanese Samurai Fashion』より        写真提供:エバレット・ブラウン氏

『Japanese Samurai Fashion』より        写真提供:エバレット・ブラウン氏

――伝統を受け継ぎ、今の時代の新しい歴史を担っていく1人ひとりの肖像ですね。

ブラウン こういう言い方をすると、ちょっと違和感があるかもしれませんが、ほとんどの日本人はサムライ精神を持っていると思います。東日本大震災の日、僕は東京の地下鉄銀座線に乗っていました。上野広小路駅のあたりで車両が激しく揺れて、地下鉄の乗客がさーっと静かになった。みんなの意識に、「大地震だ」という暗黙の了解が広がったんですよ。誰もがものすごく冷静で。これは、とても不思議な感覚でした。

明治時代に入ってから、日本人はある意味でハイブリッドになり、そして戦後、またさらにハイブリッドになったわけですが、日本の長い歴史を見ると、この150年や70年はそんなに長い時間ではない。現代の日本では、毎日いろいろな情報を処理しなければならないので、普段はそういうことを感じることもありません。でも、例えばちょっと神社とかお寺とか田舎に行くと、そういう深い精神的なものの水脈が、わりとすぐ出てくるんです。僕の友人たちも、普段は会社でとても忙しくしているけれど、何かあった時にふと冷静沈着なサムライ精神が感じられたりする。

ブラウンさん

――日本の精神文化の水脈というのは、忘れられつつあるようでも、ちゃんと私たちの足下や血脈に流れているということですね。海外からの視点や大きな時間軸で過去や未来を見つめると、面白いですね。

ブラウン 僕は今、縄文文化にすごく興味があります。あの時代にここまで優れた装飾芸術を持った文化は世界のどこにもないのではないか。その頃から、日本には独特の美的センスや一種の匠精神があったと言えるのではないでしょうか。

例えば、縄文土器と原宿の女子中高生が持っているスマホ飾り。メーカーが作ったシンプルなスマートフォンにあんなにたくさんの飾りをつけてしまうのは、どう見ても合理的ではない。でも、あのようにモノを飾って自分の命を吹き込むというやり方は、日本人以外にあまり例を見ないように思うのです。
日本人は、モノを特別なモノにします。それを「守破離」の考え方で見ると、例えば、海外から新しい流行やモノが入ってきたら、まずはそれをまねするのが「守」。機能を徹底的に分析し理解したら、型を破って工夫をするのが「破」。でもそこだけで満足せず、何かまたさらに、そのモノやコトをもっと良くするのが「離」ですね。現在は、もともと日本人が持っていた守破離を極めていくやり方のうち、「離」の部分がともすれば問題探しとかアラ探しに終始しがちに見受けられ残念です。
しかし、そうではなくて、縄文土器の時代からスマホを飾る女子高生たちに至るまで脈々として受け継がれている「しつらえ」精神や、モノやコトを特別なものへと極めていく匠精神が、日本の仕切り直しのカギを握ると思うのです。

TEXT:伊川恵里子

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エバレット・ケネディ・ブラウン/Everett Kennedy Brown
湿版光画家、ブラウンズフィールド代表

1959年、アメリカのワシントン D.C.生まれ。88年から日本に定住。epa通信社日本支局長を経て、現在は湿版光画家、ブラウンズフィールド代表として活動。国内の媒体を始め、「ナショナル・ジオグラフィック」「GEO」「家庭画報 」「ル・モンド」などに広く作品を寄せる。日本IBM有識者会議「伊豆会議」メンバー。著書に『俺たちのニッポン』(小学館)、『日本力』(松岡正剛 氏との共著・パルコ出版))『Japanese Samurai Fashion』 (赤々舎出版)他多数。日本文化デザインフォーラム会員、文化庁主催「文化芸術立国の実現のための懇話会」会員、経済産業省クール・ジャパン官民有識者会議委員など。2011年官邸の依頼でダボス会議に日本の震災復興写真を展示。文化庁長官表彰被表彰者。