世界初のミドリムシ屋外大量培養、501回目の企業プレゼン。ユーグレナ、出雲充社長の「不屈の美学」

直径わずか0.05ミリの微細藻類・ミドリムシ——学名を「ユーグレナ」という。

すべての動物は自ら栄養を生産できない「従属栄養生物」だが、ミドリムシは植物のように光合成で自らエネルギーを獲得する「光栄養生物」。かつ、鞭毛(べんもう)運動で動き回るため、動物的性質も持ち合わせる。

「ひなたぼっこをしているだけでおなかがいっぱいになり、動けるようになる。誰もが憧れるような話ですよね」——。ミドリムシの生き物としての魅力をそう語るのが、東大発のベンチャー企業、株式会社ユーグレナの代表取締役社長・出雲充氏だ。

出雲氏はユーグレナ設立後の2005年に、世界で初めてミドリムシの屋外大量培養に成功。人間が必要とする59種類の栄養素を含有し、たんぱく質の消化吸収もしやすいことから、食品関連市場で広く知られるようになった。2014年には東証一部上場も果たし、さらには「国産バイオ燃料」という新たな“ミドリムシ市場”の開拓を見据えている——。そんなミドリムシのパイオニアである出雲氏に、同社の最新動向を伺った。

ミドリムシ屋外大量培養に成功するまで

——かつては「国連の職員になる」と夢見て、大学1年時の夏休みにバングラデシュのグラミン銀行(※1)でインターンシップを経験されています。そのときのご経験が、後の人生に大きな影響を及ぼしているとお聞きしました。

(※1)ムハメド・ユヌス氏が、貧困者を対象に小口融資を行うために設立したマイクロファイナンス事業を行うバングラデシュの銀行。この功績により、ユヌス氏は2006年にノーベル平和賞を受賞した。

出雲 そうですね。渡航前の私は、バングラデシュは貧しい国で、人々はお金もなく食べ物もわずかしか得られない——。だから、みんな空腹で苦しんでいると思い込んでいました。

ところが、実際はカレーやビリヤニといった米料理が豊富にありました。ただ、肉、魚、野菜などが乏しく、街中の市場に出回る食材は、貧しい人々には高価で手が出せません。貧困層向けの市場もあるにはありますが、線路の上で開催されており、汽車が通過するたびに荷物をどかしているありさま。しかも、商品とはとても言えない、腐りかけの野菜などが売られていました。

おなかは満たされていても、栄養バランスが極端に悪く、人々が命の危険にさらされている……。バングラデシュではそんな現実を目の当たりにしました。

出雲さん

——帰国後、出雲さんは東京大学の文系学部から農学部へ転部されます。ここで栄養素の高い“素材”としてミドリムシ——すなわちユーグレナと出合い、大量培養実験をスタートさせています。

出雲 ミドリムシは、究極的に優れた栄養価を持つ素材です。しかし、その栄養価の高さゆえ、わずかに混入した雑菌やバクテリアに、たちまち食い尽くされてしまいます。私が注目する以前から、農学系の学者の間でその優位性は広く知られていましたが、「ミドリムシ“だけ”を大量に培養するのはとても難しい」という理由で、半ば手付かずの分野でした。

卒業後は銀行に入行しましたが、週末にミドリムシの研究を続けながら東大で一緒に研究していた鈴木健吾(現・ユーグレナ取締役、研究開発担当)らとともに、2005年8月に株式会社ユーグレナを立ち上げました。

当初、ミドリムシの大量培養には先述したような課題がありましたが、「ミドリムシ以外の生物が生きられない、特殊な環境を生成する培養液開発」という逆転の発想で、会社設立から4カ月後の2005年12月、沖縄県石垣島でミドリムシの屋外大量培養に成功しました。

余談ですが、屋外でのミドリムシの大量培養に成功したあと、アメリカのとある学会に参加したことがあります。そこで、屋外大量培養ができるようになったことを発表したのですが、ミドリムシ研究者からは「ありえない」という反応が多くて。その学会に参加していたある研究者と次の機会にお会いしたとき、「論より証拠」とばかりに2キロのミドリムシパウダーを持参しました。当時、一般的には1カ月で10グラムつくれればいいというのが定説でしたから、さぞ驚いたことでしょう(笑)。

商談501回目でつかんだ、起死回生のご縁

——屋外でのミドリムシの大量培養に成功して以来、御社の開発商品である「緑汁(みどりじる)」やサプリメント、基礎化粧品等の販売に加え、原料供給によりミドリムシの食品関連市場を急成長させてきました。しかし、2005年の屋外大量培養の直後は、大変なご苦労があったと聞いています。

出雲 日本のビジネスシーンでは、やはり“トラックレコード”が肝心です。当時、ミドリムシ市場には過去の前例・実績と呼べるものがまったくありませんでした。そのため、約500社にミドリムシに関する話を持ちかけても、1社も商談成立に至りませんでした。しかし、2008年5月、それまでずっと交渉を続けていた伊藤忠商事から出資を受けたのをきっかけに、次々と企業がお声を掛けてくれるようになったんです。

——受難の時期にあっても、ミドリムシの可能性は疑いようのないものです。国内企業の反応が薄かったとき、海外資本は視野に入れなかったのでしょうか?

出雲 農芸化学や発酵学の分野は、間違いなく世界中で日本が一番進んでいます。屋外でのミドリムシ大量培養の成功も、日本企業の醸造技術や発酵技術というベースがあればこそ。それだけ進んだ科学技術を持つ国の大学発ベンチャーが、国内企業に採用されないからとアメリカに持って行くのは、日本人野球選手がさらなる高みを目指して大リーグに挑戦するのとはワケが違います。最初から日本を出て海外へ、という選択肢は根本からあり得ませんでした。

出雲さん

——では、501回目の国内商談を成功させた秘訣は、なんだったのでしょう?

出雲 秘訣というより、できるまで何度も繰り返す姿勢が大切だと思います。501回目に何かが急に変わるのではなく、500社を相手にプレゼンを繰り返していると、お客様からさまざまなフィードバックをいただけるようになる。そのプロセスにおいて商談のクオリティーは一定以上のものに仕上がるでしょうから、あとはご縁に恵まれるかどうかです。無論、挑戦し続けなければ、成功は望めません。

出雲 「2年半で500社へ商談を持ちかけた」と話すと、経営者の皆さんはとても驚かれます。その後、大抵こう言うんです。「1社目から最良の出会いを見つけるには、どうすればいいのか」とーー。私は「そんなことはできるはずがない」と回答しています。当社にとって伊藤忠商事は間違いなく“最良のご縁”でしたが、たまたま潜在的なミドリムシファンの社員と出会うことができ、その方が社内で周囲を説得して流れを変えてくれたという経緯があります。しかし、根気よく探していけば、どんな企業相手でもそういったキーパーソンは見つけられると思うし、そのためにはとにかくいろいろな方にお会いして、自分の熱意を伝えるしかありません。魔法のような一手は、そもそも存在しないんです。

ベンチャーとはギャンブルではなく、科学である

——2014年には、リバネスやSMBC日興証券、その他大企業とともに、地球や人類の課題解決を目指すリアルテックベンチャーを対象としたベンチャーキャピタルファンド「リアルテックファンド」を立ち上げています。設立に当たっての背景をお聞かせください。

出雲 ベンチャー企業という言葉が世の中に浸透してずいぶん久しいですが、またまだその成功は宝くじのようなものという社会的な風潮を感じます。しかし私は、ベンチャービジネスは“科学”でなければと考えているんです。

ミーティングルームの壁には、会社のビジョンを表す言葉が刻印されている。

ミーティングルームの壁には、会社のビジョンを表す言葉が刻印されている。

科学というのは同じプロトコルで、誰がやっても再現できるもの。そうでなければ、“ギャンブル”と言われても仕方ありません。「ベンチャーは紛れもなく科学である」という想いを発信しながら、リアルテックファンドを通じて第2、第3のミドリムシ、つまり地球や人類にとって大きな可能性のある分野を、日本中で育てていきたいと考えています。

——今、多くのベンチャーやスタートアップを支援するような一種のエコシステムの構築が求められています。出雲さんは、この状況をどのように分析されていますか?

出雲 いちベンチャー経営者として、周囲の支援体制などについて1つ申し上げるとするならば、企業側の気概が問われると切に感じています。

例えば、ベンチャーキャピタル(以下、VC)や銀行にかけ合っても、なかなか融資を取り付けられない。そんな相談を、他のベンチャー経営者から受けた経験がたくさんあります。そんな方々に、「何社くらい交渉に行きましたか」と聞くと、一番多かったケースでも20社程度でした。

一般財団法人ベンチャーエンタープライズセンターが発行している「日本ベンチャーキャピタル等要覧」には、VCだけで数百社の連絡先が掲載されています。銀行も加えれば、その数はさらに多くなる。国内にあるVCや銀行のすべてに出向いても、資金を調達できなかった——。仮にそうであるならば、ベンチャー企業を取り巻く環境に構造的な問題があると言えるかもしれませんが、先ほどの20社であればそうは考えにくい。

つまり、情熱や自信をもってあきらめずに行動すれば、必ずうまくいく。そのように確信しています。

2020年、バイオ燃料のフライト就航を目指して

——ホームページでも発表されている経営戦略の中で、ミドリムシの多様性を「用途」「ビジネスモデル」「素材・技術」の3つで捉えておられます。なかでも「地球にやさしいバイオ燃料」の本格的な実用化は、世界中で期待が高まることでしょう。

出雲 2014年に、いすゞ自動車との「DeuSEL(デューゼル)プロジェクト」(ユーグレナ由来の次世代バイオディーゼル燃料の実証実験)をスタートし、同年7月から神奈川県のいすゞ藤沢工場と湘南台駅の間を、ミドリムシのバイオ燃料で走るシャトルバスが定期運行しています。

これまで安全上の問題は発生しておらず、ミドリムシのインフラ的な側面を印象づけられたのではないかと確信しています。加えて、国産バイオジェット・ディーゼル燃料の実用化計画(国産バイオ燃料計画)も始動し、2018年10月の完成を目指す実証プラントも現在、神奈川県横浜市で着工中です。

——エネルギー市場での展開として、ユーグレナ社の今後の目標は?

出雲 お伝えしたいことは山ほどあるのですが、かつてアメリカの研究者に2キロのミドリムシパウダーを持参したときと同じで、「論より証拠」だと思うんですよ。つまり、あれこれ言葉を並べ立てるのでなく、実現に向けてひた走らなければならない。

現在、日本の店頭では、ミドリムシの飲み物や食べ物がすでに販売されているし、DeuSELバスも走行を続けています。すべて、論より証拠です。

出雲さん

2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けてインバウンド熱が高まる中、今後日本はあらゆる面で注目を集めるでしょう。諸外国からすれば、日本が国産エネルギーに乏しい国であるのは周知の事実です。だからこそ、国産バイオ燃料の計画実現は意義のあるプロジェクトと位置づけ、製造面、運用面ともに着実に準備を進めています。

これまでもそうだったように、今後も実績を一つひとつ積み重ねていきます。そして、近い将来、「あの飛行機はミドリムシの燃料で飛んでいるんだよ」と、すでに実現した姿を見ていただき、国内外の人たちを驚かせたいですね。

TEXT:安田博勇

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いずも・みつる
出雲 充

株式会社ユーグレナ 代表取締役社長 東京大学農学部卒、2002年東京三菱銀行入行。2005年8月株式会社ユーグレナを創業、同社代表取締役社長。同年12月、世界初となる微細藻類ユーグレナ(和名:ミドリムシ)の屋外大量培養に成功。米スタンフォード大学『アジア太平洋学生起業家会議』日本代表(2000年)、米バブソン大学『プライス・バブソン』修了(2004年)、内閣官房知的財産戦略本部『知的財産による競争力強化・国際標準化専門調査会』委員(2010年)等を務めた。世界経済フォーラム(ダボス会議)Young Global Leader選出(2012年)、第一回日本ベンチャー大賞「内閣総理大臣賞」(2015年)受賞。 著書に『僕はミドリムシで世界を救うことに決めた。』(小学館新書)がある。