救急搬送中の「たらい回し」をなくしたい ――日本初、個人経営の救急クリニックをつくった熱血医師の挑戦

個人病院は数あれど、救急医療を主軸に据えた個人病院は日本でもごくわずかしかない。埼玉県川越市にある川越救急クリニックは、上原淳院長が2010年に日本で初めて開業し、医療の世界に新風を吹き込んだ。
あれから7年、このクリニックが年間に受け入れる救急車の数は1600台から1700台、地域の救急医療を支える存在にまで成長している。
かつて埼玉医科大学の高度救命救急センターで医局長として活躍していた上原院長は、どんな思いで自ら救急医療のクリニックを立ち上げたのか。そしてその思いは7年の歳月を経て、どのような形で地域医療において実現されているのか。救急医療の現場が抱える問題からクリニックの将来像まで、現代の“赤ひげ先生”に伺った。

人間は限界を超えないと限界が分からない

救急医療の現場は言うまでもなく忙しい。休みはなく、患者が途切れたわずかな時間に慌ただしく食事をとり、あるいはソファで仮眠する…。実際にインタビュー当日、上原院長は「昨日は10時間寝ましたから今日は元気です」と笑顔を見せたが、前日の様子を聞いてみると「やはり」と思わずにはいられなかった。
「昨日は臨床救急医学会の学会に出席しました。一昨日はと言うと、夜中の2時半まで患者さんを診て、それから学会発表に使うスライドを作り始めました。それが5時に終わり、1時間寝て、6時に起き、お台場で開かれた学会に出席しました。帰ってきたら患者さんがたくさん並んでいて、そのまま診療。終わったのが夜の10時。さすがに疲れて、朝まで泥のように眠りこけてしまいました(笑)」

上原淳院長

川越救急クリニックの外来診療時間は、夕方4時から夜の10時まで。一般の病院が閉まっている時間をあえて診療時間とし、ほぼ年中無休で開院している。救急車の受け入れは1年間に1600台から1700台。埼玉県の救急指定病院の平均が1病院あたり700台程度というから、倍以上の台数を受け入れていることになる。

救急車のサイレンと赤色灯は、私たちに緊迫したイメージを与えるが、運ばれてくる患者は必ずしも重症者ばかりではない。不意に具合が悪くなり驚いて救急車を呼んだが、診察をしてみると命には別状のない人の割合が非常に高いのだ。
また救急車ではなく、夜間に開いているからと家族に付き添われてタクシーや車で来る人や、緊急性はないけれど、日中時間がないため夜に川越救急クリニックを訪れる人も多い。
「8割から9割は、翌朝まで様子を見て来院しても大丈夫な人たちです。昼にちょっと調子が悪いなと思い、病院に行こうかどうかと迷っているうちに夜になり、不安になって病院に来る患者さんが多くいます。こういうケースでは安心感を与えることが大事なので、診察しながらよく話を聞いてあげて、本人が希望する検査をしてあげます」

入れ替り立ち替わりやってくるそういった患者の合間に、救急車で運び込まれる患者を受け入れ、場合によっては夜中の2時、時には明け方まで診察が続く。開業当初には、医師は上原院長だけで、あとは看護師3人だけだったというから恐れ入る。
「そんなに忙しくて、先生の体がもたないのでは?」。これまでに何度も尋ねられた問いだそうだが、上原医師は動じない。
「まだ1回も体は壊れていません。私のモットーは『人間は限界を超えないと限界が分からない』。ほとんどの人が自分で勝手に限界の線を引いていると思います。だからまだ僕の限界じゃないのですよ」

現在では医師2人、常勤の看護師5人、非常勤の看護師10人、救急救命士5人、週末にローテーションで仕事する放射線技師が3人という体制になったが、患者数がどんどん増えているため、忙しさは変わらない。

上原淳院長

救急医療は患者を重症度に応じて3段階に分けている

上原院長は東京の日本橋生まれ、千葉の市川育ち。開成高校から福岡の産業医科大学に進み、福岡で麻酔科医として働いたのちに救急医療の道に進んだ。その後、救急医療をもっと勉強しようと、埼玉医科大学高度救命救急センターに職を求め、現場で日々人の命と向き合った。3年目で医局長に昇進すると、対外的な付き合いが増え、救急医療が抱えるさまざまな疑問を感じるようになったという。

「高度救命救急センターに軽症者が運び込まれてきたとき、私たちは『救急医療の担当すべき患者ではない』ということで、その患者さんを内科など各科に回すわけです。実は救急で埼玉大学の高度救命救急センターに来る患者さんの大半が、こうした軽症者です。その結果、各科の医師たちが来る日も来る日も、救急で受け入れる軽症者の治療をする事態になります。そのため医師の疲労は極限に達し、若手医師の多くが去って行ったことが、病院内で大きな問題になっていました。大学病院の医師は、専門医としてのミッションを果たすためにここにいるのだから、何とかしてほしいと」

救急医療は患者を重症度に応じて3段階に分けている。1次救急は比較的軽症者で、入院の必要がなく徒歩で帰宅可能な患者。2次救急は入院治療を必要とする患者。そして3次救急はICUでの加療を必要とするような重篤な患者、となっている。3次は医療設備の整った大学病院クラスが受け持ち、埼玉医大はもちろん3次救急を担う医療機関である。
どうして1次、2次の患者が大学病院に集まってしまうかというと、本来であれば1次、2次を担うべき病院が、実際には救急車の受け入れを断るケースが多いからだ。
救急車が到着して患者を収容したものの、受け入れ先が見つからない「たらい回し」という問題の、大きな原因がここにある。埼玉県は当時、たらい回しで全国ワースト2位という不名誉な立場に甘んじていた。

上原淳院長

救急専門医の偏在こそが、「たらいまわし」の大きな原因

そもそも、たらい回しの原因は何か。医療機関が自分たちの都合で「拒否」しているわけではなく、「別の救急患者を治療しているため、仮に患者さんを受け入れても治療を行えない」、「専門医が不在なので対応できない」、「ベッドが満床のため受け入れる余地がない」というやむを得ない事情もある。
だが、埼玉県の場合、他にも大きな問題を抱えていると上原院長は言う。
「埼玉県で働く救急専門医は110人ほど。うち約60人は重症を専門に診る大学病院などの3次施設にいて、183カ所もある入院可能な自治体病院レベルの2次施設にはわずか28人しかいない。こうした偏在こそが大きな問題なんです」

究極のケースは2013年に久喜市で起きた死亡事故だろう。75歳の男性が救急車を呼んだものの、25病院、36回にわたり受け入れを拒否され、亡くなってしまった。これは上原院長が個人病院を始めて3年目のケースで、まだ認知度の低かった川越救急クリニックに受け入れの要請はなかったという。
この事件を受け、埼玉県もたらい回し防止に向けて本格的に取り組んだ。救急隊が空きベッドや診療科目などの情報を一目で分かる救急情報システムを採用し、たらい回しはだいぶ改善された。現在は「連絡して受け入れ先が決まるまでは、多くても14、5件というところでしょう」(上原院長)というから、良くなっているとはいうものの、まだまだ改善の余地はあるということだ。救急医療の抱える問題点を上原医師は次のように指摘する。

「救急患者の8割が1次救急の軽症者、約2割が2次、3次はわずか1%しかいません。救急医療を充実させるというと、よくドクターヘリの導入などがニュースで伝えられますが、これは3次救急の話。救急医療では、9割以上を占める1次や2次の患者をどうするか、ということが大きな問題です」

このような問題意識から、埼玉医大の高度救急救命センターで経験を積んだ上原医師は、「誰もやらないなら、自分がやるしかない」と自ら救急病院を開業し、1次、2次救急を担おうと決意した。

上原淳院長

いざふたを開けてみると、思わぬ障壁が次々と…

救急という看板を掲げて開業する医者は、確かにいなかった。逆に言えば救急で開業して成功すれば、研修医にも夢を与えられるのではないか。この頃は麻酔科で開業する病院が出始めた時期でもあった。「ペインクリニック」といって、治療ではなく、痛みを取るという新しいスタイルの病院だ。社会が変化し「痛みを取ってほしい」というニーズが生まれたのだ。ならば救急のニーズも高まっている今、救急での開業もあり得るのではないだろうか…。最も心配な経営面についても、最初から赤字覚悟というわけではなく、それなりにやっていけるという感触をつかんでいた。

「私なりに救急医療の現状について調査しました。すると大学病院の救急医療は大きな黒字を出していることが分かった。市場にニーズもあります。銀行や不動産関連の会社に打診すると、『ぜひ開業してほしい』という返事です。じゃあやってみようということになりました」
自己資金が乏しかったため、銀行から「毎月30万円、1年間貯金してください」というアドバイスを受け、その通りに貯金を続けて自己資金を貯めた。「ということは、それまで月30万円浪費していたということです」と上原院長は笑うが、こうして銀行の信用も得て2億円の資金繰りがつき、川越救急クリニックは、日本初の個人救急病院としてスタートを切ることになった。

しかし、いざふたを開けてみると、少なくとも経営的には厳しい障壁が立ちはだかっていた。誤算があったのだ。例えば大学の救命救急センターは、救命加算がつくため、1日入院すると1人あたり10万円が病院に入る。川越救急クリニックだとこれはつかない。救命救急センターではないからだ。センターまでいかなくとも、救急指定病院に指定されれば、救急車を1台受け入れて8000円が入るのだが、スタート時は指定を受けられず、こうした補助金も入らなかった。
医師会に入ることができず、行政との連携がうまくできなかったことも、計算外だった。当初の理想は全国の模範となる「川越モデル」を作ることだったが、その狙いは早々に頓挫した。

このため、上原院長は昼間は麻酔科医として、他の病院でアルバイトをしながらクリニックをなんとか運営した。備品もお金をかけないように工夫した。現在、クリニックが所有する救急車は、ヤフーオークションを通して80万円で落札した中古車だ。これを知り合いに頼んで、格安で塗装し直してもらった。微笑ましくも涙ぐましい努力を積み重ね、何とかクリニックを続けてきたのである。

上原淳院長

「3年目に救急指定病院にしてもらい、徐々に上向いてきました。ただ、私の月給が開業当初と同じ20万円という現実は変わらないですね。看護師の給与も最初はよそに比べて8掛けくらいで、それを標準まで上げないといけない。患者さんが増えて、救急救命士や放射線技師も雇いましたし、借金も返済しなければなりません。私の給料は増えませんけど、スタッフは増え、2億円あった借金は7年で半分に減りましたよ」

経営的にもっと成功すれば、川越救急クリニックに続く病院も誕生するのだろうが、志のある医師たちも、上原院長の現実を知ると、なかなか初めの一歩を踏み出せないのだという。
「マスコミがたくさん取り上げてくれて、多くの医者が『こういうのをやりたい』と見に来てくれましたけど、僕がこのとおり貧乏だし、お金の面で自分が踏み出すのは難しいと考えるようです。私も経営を誰かに任せ、医療に専念できたら一番いいと、最初から思ってはいるのですけどね」

医療はサービス業だ

常に頭にある「正しい医療をしたい」という思いも、経営面から見るとマイナスに働くこともある。
「不必要な検査をすれば、それだけ収入は上がるんです。頭をぶつけた子どもが来たら、必ずCTを撮ればいいのです。そうすれば大黒字です。でも、それが正しい医療かといえば絶対に正しくありません。18歳以下はなるべくCTは撮らないほうがいい。子どもは放射線に対する感受性が高く、CTの放射線による発がんの可能性は成人の数倍であることが分かっているからです。だからホームページで書いているんです。僕が突然CTをたくさん撮りだしたら、金もうけ主義に走ったと思ってくださいと(笑)。 
世の中には良心的な医者のほうが多いと思いますから、みんな分かっていると思います。医療費が削られている現状では、病院を維持するために、削られた分を補てんせざるを得ず、検査が1つ増えるんです」

話を聞いていると、経営が大幅に上向くことは今後も難しそうだ。それでも、上原院長は地域に根差した救急医療に従事する日々を「楽しい」と表現する。子どものころから憧れていた地域住民の健康を守る町医者としての矜持が、多忙な日々を支えている。

「僕は医療をサービス業だと信じています。サービス業なんかじゃない、という先生もたくさんいますが、医療が第3次産業に分類されている時点で、誰が何と言おうとサービス業なんですよ。僕らは患者というお客さんからお金をもらって生活しているんです。アルコール中毒の患者さんや、精神的に疾患のある患者さんを敬遠しがちな医者もいますが、僕はそれはしたくない。ずっとそう思っています」
日本の救急医療、国の医療政策を憂いながら、上原院長が真っ先に目を向けているのは目の前の患者だ。1人でも多くの患者を救うためには、いま置かれた状況で、クリニックを充実させていくしかない。

上原淳院長

「スタッフが増えて、病院が手狭になってきたので移転を考えています。脳梗塞や心筋梗塞の急性期に対応するため、MRIも導入したいと考えています。例えば脳梗塞であれば、明らかに麻痺があれば救命救急センターに行きますが、そうでない場合はうちに来ることがあります。脳梗塞は発症から治療できる時間が限られています。そうした事態に対応するためにも、MRIが必要だと考えています」

開業医の平均年収が3000万円とも4000万円とも言われる中、月収20万円の上原院長は、今日も夜遅くまで患者の治療にあたる。現代の赤ひげ先生は「そんな立派なもんじゃないですよ」と謙遜しながら、次のように語った。

「僕は医療しかできませんから、それをやるしかない。1人ひとりが、この国を良くしようという考えがあれば、日本はもっといい国になると思うのです。難しいかもしれないけど、それを僕は救急医療を通して少しでも実現したいと思っています。
急激に高齢化が進む日本ですが、埼玉県は2025年には全国で最も高齢化率が高い県になる見込みです。つまり、埼玉は日本の未来図なのです。今は埼玉だけの問題でも、いずれは全国で起きる。救急医療と高齢社会といった面も、ここが抱える問題を解決できるなら、日本の未来は守れるのです」
上原院長の奮闘は、まだ始まったばかりと言えるかもしれない。

TEXT:渋谷淳

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上原 淳 (うえはら・じゅん)   川越救急クリニック 院長

1963年東京都生まれ。1989年産業医科大学を卒業後、麻酔科医として、産業医科大学病院、門司労災病院(現・九州労災病院門司センター)、九州厚生年金病院(現・JCHO九州病院)に勤務し、麻酔科指導医を取得。福岡市立こども病院・感染症センターなどを経て、1998年から九州厚生年金病院で救急担当医となる。2001年から埼玉医科大学総合医療センター高度救命救急センター勤務。2010年に国内で初めて、救急科に特化した個人病院の川越救急クリニックを開業。 2015年NPO法人日本救急クリニック協会を設立し理事長に。