元『海猿』、人命救助にかける思い ――「特殊救難隊員」の高度な技術や専門知識・経験を国際貢献に

日本の領土面積は約38万平方キロメートルと世界で61位に過ぎないが、領海と排他的経済水域はその12倍もあり、世界でも6番目の広さを誇る。
その広大な海を守り、国民の安心と安全のために日夜活動しているのが海上保安庁の職員だ。
警備救難部管理課付の稲葉健人氏は、入庁以来、主に潜水士、後にはその中で特に選抜される「特殊救難隊員」として、人命救助の場で責務を担ってきた。高度な救助技術と専門知識を必要とする特殊救難隊については、2002年に『海猿』としてNHKでテレビドラマ化され、04年には映画化されて大ヒットしたことから、ご存知の方も多いだろう。
稲葉氏は特殊救難隊を卒業し陸に上がってからも、国際緊急援助隊の一員として大規模災害の現場に赴くなど、国際貢献の現場で汗を流してきた。
『海猿』として危険と向かい合った海での人命救助の現場、そして文化の違いをまざまざと体験した国際貢献の現場とは、いったいどのようなものなのか。人の命と向かい合い続ける稲葉氏に伺った。

中学生の時に見たテレビ番組の影響で、特殊救難隊員を目指す

『中村敦夫の地球発22時』――。そもそもの始まりは、1980年代のこの人気ドキュメンタリー番組だった。
「ちょうど特殊救難隊を特集していて、それを見てかっこいいと思ったのがきっかけです。父親が大正15年生まれで満州にも出征しており、その経験を折に触れ聞いて育ったので、その影響もあったのかもしれません。大人になったら何か人のために働きたいという気持ちが、どこかにあったと思います」

海上保安庁の船

写真提供:海上保安庁

澄み渡った青い空のもと、海上保安庁の白い船が大海原を進んで行く。画面は一転、海難現場での過酷な救助作業。厳しい条件のもと、隊員たちが力を合わせて行方不明者を救い出す姿は、当時中学生だった稲葉少年の心をがっちりとつかんだ。

吊り上げ救助を行う特殊救難隊員(左)、 救急救命措置を行う救急救命士(右) 写真提供:海上保安庁

吊り上げ救助を行う特殊救難隊員(左)、 救急救命措置を行う救急救命士(右) 写真提供:海上保安庁

高校卒業後、迷わず広島県呉市にある海上保安大学校に入学。最初は航空機のパイロットを志したが、学生時代にラグビーの試合で負った頭蓋骨陥没骨折の治療が原因で、あえなく検査に不合格となる。パイロットになるのに何ら不都合はないようにも思えたが、これも何かの運命か、中学生時代に抱いた初志を貫徹する形で潜水士になった。

今でこそテレビや映画の『海猿』の影響もあって希望者が大幅に増えた潜水士だが、当時の様子はだいぶ違っていたという。
「今では各管区で選抜試験を行っていますが、当時はメンバーの中に泳げない人もいたくらいでした。ちなみに私も息をこらえるのが苦手。苦しいのはダメなんです(笑)。最初の頃はおしっこを漏らしそうになったりもしました。当時の研修期間は1カ月半。確かに訓練は厳しかったですけど、同期は14人で、みんな若かったですから、毎日が合宿のようで今では楽しい思い出です」

稲葉氏

自分たちの存在意義はどこにあるか

こうして研修を終えた潜水士たちは、それぞれ船に乗り、任務にあたることになる。稲葉氏は瀬戸内の海が割り当てられた。今でも鮮明に覚えているのは、初めて遺体を収容した時のことだ。高齢者がバイクを運転していて島の桟橋から落ちてしまった。夜中の通報だった。
現場に急行した稲葉氏のチームはさっそく捜索活動を開始した。高齢者が落ちたと思われる地点の海上から海底に軸をたらし、その軸から水平にロープを張る。ロープに一定の間隔で潜水士が配置され、軸を中心に円を描きながら人を探す環状捜索という手法だ。新米の稲葉氏は内側を担当した。
「ロープから離れてもいけないし、浮き上がってもいけない。また沈みすぎて足に装着したフィンで泥を巻き上げてもいけない。新人だった私はそんなことばかり考えていました。そうこうしているうちに、ふと前を見るとバイクに絡み付いたブルーシートが見えて、人の手が出ていたのです。ぎょっとして、慌てて一緒に捜索していた先輩を呼びました」

このことをよく覚えているのは、遺体を見つけた衝撃が大きかったという理由だけではない。その後、先輩たちと開いた反省会の内容が深く心に残ったからだ。
「われわれの存在意義というのは、ご遺体であろうと生体であろうと、行方不明者を家族のもとに戻してあげること。そういう気持ちで探さないと、見つかるものも見つからない。ロープから離れちゃいけないとか、そんなことばかり考えている奴にこの任務など果たせるわけがない、と言われた。自分はご遺体を発見した時、どちらかと言うと『見つけちゃった』という気持ちでした。どうして『良かったね、おじいちゃん、一緒に家族のもとに帰ろう』ととっさに思えなかったのか。頭をガーンと殴られたような思いでした」

稲葉氏

特殊救難隊員に抜擢

やがて潜水士として場数を踏み、潜水教官を経て、特殊救難隊員に抜擢された。全国に150人ほどいる潜水士から、特殊救難隊員に選ばれるのはわずか36人。選りすぐりの精鋭部隊である。
任務は転覆した船内や火災を起こした危険物積載船等に取り残された人々の救助や、荒天下で座礁船に取り残された人たちの救助等で、全国で発生する高度な知識や技術を必要とする前述のような特殊海難に24時間出動できる体制をとっている。まさに海難救助のスペシャリストだ。36名の特殊救難隊は6隊で構成され、海難救助の最後の砦として、航空機やヘリコプターを使用して全国の海難現場に駆け付ける。稲葉氏は、後に6部隊の1つの部隊長として活躍している。

特殊救難隊員の活躍ぶりはテレビや新聞で報じられることもあるが、稲葉氏は実際の現場は「それほどカッコいいものではない」という。
「隊員にとっての苦労は、賞をもらうとか、大々的に報道されるとか、そういうことで量ることはできないんです。例えば大きな海難事故で人命救助に成功すれば、多くの方々から称賛されるでしょう。すばらしいことですが、実はこうしたケースでは、達成感も手伝って比較的苦労とは感じない。本当に苦労するのは、延々と探しても見つからないとか、船舶火災でずっと消火活動をしているのに消えない時です。こういう場合は仕事を終えて帰ってきても、ものすごく疲労が残ります」

稲葉氏

あわや海の藻くずとなりかけた経験

特殊救難隊時代、他の隊員の模範となるような数々のすばらしい実績を積んできた稲葉氏だが、今でも決して忘れることができない大きな失敗もしている。沈没船に潜り込み、行方不明者を探していた時のことだ。あろうことか出口を見失ってしまい(ロスト)、あやうく海の藻くずとなりかけた。少し長くなるが紹介しよう。

転覆船内の捜索を行う潜水士

転覆船内の捜索を行う潜水士 – 写真提供:海上保安庁

3人で沈没船の捜索をしていて、残りの行方不明者はあと1人、という時の出来事である。

ボタンの掛け違いは海に潜る時に始まっていた。3人で海底に向かっている途中で、1人が「耳抜きができない」といったん水面に上がった。捜索は40メートルという深度であり、時間は限られている。先頭のバディと稲葉氏の2人は時間を惜しんで捜索に向かい、船内に入って行った。
捜索する区画は2つ。先頭のバディが最初の部屋に入ろうとしたところで、耳抜きで海面に上がっていた3人目が追い付いてきた。稲葉氏は先頭のバディに「3人目が追い付いた」と手振りで合図。先頭は「分かった」の合図で応えた。

ところがである。このやり取りがしっかり伝わっていなかった。
先頭のバディは自分の区画の捜索を終えて出てくると、耳抜きで遅れてきた3人目のバディに「急いで帰ろう」と合図。3人目のバディをすっかり稲葉氏だと思い込んでしまったのだ。3人目は稲葉氏がまだ戻っていないことを知る立場だったが、「帰ろう」と言われ、てっきり稲葉氏は後ろから付いて来るものだと思った。暗い船内の狭い通路での出来事のため、後ろまで確認できなかった。2人は水面に出て、初めて稲葉氏を置いてきてしまったことに気が付いた。

一方、先頭のバディを追い越し、2つ目の区画の捜索を実施していた稲葉氏は、同区画内で遺体を発見。さっそく収容して部屋から出てきたところ、あろうことか待っているはずの2人が見当たらない。「まずい!」と思い、直ちに自分もロープを伝って船外に出ようとした。だが、ロープが切れている。やむなく別の基準をもとに脱出を試みるが、これも失敗。初めて「ロスト」してしまったことを認識し愕然とする。
もう時間がない。絶体絶命のピンチだ。稲葉氏は思い切って遺体をいったんその場に置き、焦る気持ちを抑えながら必死で出口を探す。手探り状態でようやく入ってきた経路とは別の出口を見つけ、何とかことなきを得たが、九死に一生を得る体験となった。

「プロフェッショナルとしては本当に恥ずかしい話です。1つひとつ確認しながら次のステップに進まなくてはいけないのですが、緊急の場合、厳しい条件のもとでは、確認を省略するわけではないけれど、その時の経緯で分かった気になって作業してしまうことがあり、これが命取りになる。この時ばかりは本当に反省しました」

稲葉氏

国際緊急援助隊の一員としてアルジェリアへ

時に失敗もしながら、海難の現場で人命と向き合う仕事はやりがいがあった。できるなら潜水士として、特殊救難隊員として、長く現場で仕事をしたい。そう考えていた2003年、国際緊急援助隊の一員としてアルジェリアで起きた大地震の現場に向かうよう命令が下る。特殊救難隊の6つある隊の1つで隊長を務めていた時のことだった。
国際緊急援助隊は外務省の団長をヘッドに置き、警察庁、消防庁、海上保安庁の職員が混成部隊を作り、海外で起きた大規模災害で救助活動を行うチームだ。その多くは陸上災害であるが、総勢70名程度の隊員のうち、海上保安庁からも14名程度が救助のプロとして派遣される。

救助作業はもちろん日本と同じというわけにはいかない。燃料は現地で調達しなければならず、機材やキャンプの安全管理も自分たちの仕事だ。バックアップはなく、自己完結型で現地に入るため、当然仕事の量は増える。風土や慣習の違いも、大きな障壁となることもある。

アルジェリアに派遣された稲葉氏のグルーブは到着するとすぐにがれきの山に向かい、行方不明者の捜索にあたった。すると、海上保安庁の救急救命士が生存者のかすかな声を耳にする。生存者がいた! 同じく現地入りしていたトルコ・チームと力を合わせ、発見から2時間半かけて、少年を救出するという大役を果たした。

国際貢献とは何か

しかし、稲葉氏の心により強く残ったのは、こうした成功談ではなく、国際貢献とは何か、という大きなテーマだった。
「例えば、アルジェリアの人たちは、がれきの山をブルドーサーでかき分けてご遺体を発見しようとします。日本チームはそれをすぐに止めさせました。もし、そのがれきの下に生存者がいたらどうするのか。たとえご遺体であっても、できるだけきれいな体でご遺族のもとに帰すことが、ご遺体に対しても、ご遺族に対しても思いやりであり、礼儀なのではないか。日本人はそう考えます。
ところがアルジェリア人の考えは違うのです。ご遺体が多少傷つこうとも、早く掘り起こしてあげたほうがいいと考える。早くご遺体を収容すれば、それだけ早く葬儀もできるし、他の行方不明者を探す時間も増える。最後は手で1つひとつ石をどけていくような日本のやり方は、少なくともアルジェリアでは馴染まなかったのです」

また、安全管理上の理由から、アルジェリア国軍や警察と日本チームが一緒に作業できないという状況も、現地の不満を募らせた。ブルドーザーの使い方など安全管理に対する決まりややり方が違うので、一緒には作業が難しいのだ。そのため担当する場所を分けたり、ローテーションを組んで交代で作業をしたりすることになるが、こうなると捜索に来ているアルジェリア国軍と警察は、ただ待機する時間ができてしまう。
市民が見ている前で、自国の軍人が手をこまねいていたらどう思われるか。日本で災害が起き、同じような事態になることを想像すれば、答えは言うまでもないだろう。

「捜索に加われないアルジェリアの軍人から『がれきの中にオレたちの友だちがいるんだ、探させてくれ』と言われました。最初は安全管理の規定上できないと突っぱねましたが、気持ちはよく分かったので、小隊長だった私は最終的には彼らにも加わってもらいました。すると彼らの目の色が変わった。ものすごく元気になったし、私たちも元気をもらった。最初は分からなかったのです。
ブルドーザーの件にしても、最後に帰る時に通訳の方から、『この国では、日本と違い、少しくらいご遺体が損傷したとしても、ブルドーザーで早く収容して家族のもとに返してあげ、一刻も早く葬儀をするほうが優先されるんです』と言われて、そういうことなのかと初めて分かりました」

日本チームは高性能な機材を持っている。救難の技術力や安全管理意識も高い。「助けてやるんだ」という傲慢な気持ちがあったわけでもない。通訳は事情を説明するにあたり「日本チームにはみんな本当に感謝している」と前置きした。それは事実だとしても、結果的にその行動は現地の人たちの思いや考えを深く理解しようとせず、少なからず上から目線になっていたのではないだろうか。そんな疑問が稲葉氏の心から離れなかった。
「現地の人たちに寄り添わずして、国際貢献はないと思います。アルジェリアでの経験は、今後も国際貢献をやっていきたいと思う気持ちのターニング・ポイントになりました」

アルジェリア地震を経験した稲葉氏は、04年のモロッコ地震やスマトラ島沖地震、15年のネパール地震でも国際緊急援助隊の一員として現地に派遣された。スマトラ島沖地震後は、日本の文化を見直す機会を得たいと自ら在外公館勤務を希望し、08年から約3年間在クウェート日本国大使館に赴任もした。

稲葉氏

最新テクノロジーは、人間の“肌感覚”との融合でこそ危険を回避できる

いつの時代も海難事故や大規模災害はゼロにはならない。これからも海上保安庁の救助活動は続くだろう。今後はAI(人工知能)を含めた最新のテクノロジーが救助の現場でも大いに活躍することが期待される。
「すでに安全保障分野、領海警備等の監視業務ではドローン(無人飛行機)が導入されています。もし、ドローンやAIS(自動船舶識別装置)などを使って、どういう地域でどういう事故が起きているか、どういう犯罪が起きているかという情報を集めれば、その情報を基に、人命救助や犯罪抑制に最も効果的な人材の配置などができるようになるかもしれません」
ただし、最新テクノロジーの積極的な活用は、人間の持つ“肌感覚”と融合させてこそ、より大きな意味を持つとも考えている。

「私たち海上保安庁は、尖閣諸島で中国海警局の船と対峙していますが、まさに対峙している距離感で良いバランス感を認識し、紛争などにエスカレートしないようなバッファーとしての役割も果たしています。そこには現場の肌感覚があります。一方で、世界各地で発生している現代の紛争は、ややもすると、画面の中のバーチャルな世界で物事が進んでしまう危険性を秘めています。やはり現場における人間の肌感覚はすごく大事ではないでしょうか」

稲葉氏は今年、マレーシアの海上法令執行庁に派遣され、人材育成などの任務にあたることが決まっている。内外の海と陸で経験した高度な救助技術や専門知識を活かし、現地に寄り添いながら、新たな国際貢献の一翼を担うことにチャレンジする。

稲葉氏

TEXT:渋谷 淳

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いなば・たけひと  稲葉健人  海上保安庁 警備救難部 管理課付

1972年生まれ。
1995年 海上保安大学校卒業
2005年 海上保安庁警備救難部管理課運用司令センター運用係長
2006年 海上保安庁警備救難部警備課第二係長
2007年 横浜海上保安部巡視船いず首席航海士
2008年 海上保安庁総務部国際・危機管理官付
2009年 在クウェート日本国大使館一等書記官
2012年 横須賀海上保安部警備救難課長
2013年 海上保安庁総務部国際・危機管理官付専門官
2015年 海上保安庁警備救難部救難課専門官
2016年 海上保安庁総務部国際・危機管理官付課長補佐
2017年 海上保安庁警備救難部管理課付
■海外派遣実績:
2003年 アルジェリア地震
2004年 モロッコ地震
2004年 スマトラ島沖地震(タイ)
2015年 ネパール地震
日本IBM有識者会議「富士会議」のメンバー。