20万人を動員する演劇界の最先端集団「劇団☆新感線」の新たな挑戦

大阪で、大学演劇の仲間と立ち上げた小さな劇団。つかこうへい作品の完全コピーから始まった彼らの演劇活動は、現在まで35年を超えて続き、年間20万人もの観客動員を誇るモンスター劇団として、この国で唯一無二の輝きを放っている。

「劇団☆新感線」。彼らが存在する以前と以後では、日本の演劇史に境界線が引かれ、新感線はもはや「一ジャンル」と言っても過言ではない規模の舞台作品を、創作・上演し続けている。そんな劇集団が2017年春、また新たなフロンティアに足を踏み入れた。日本初、客席が360度回転する劇場「IHI STAGE AROUND TOKYO」(東京・豊洲)での連続公演という、過激なチャレンジだ。その渦中に立ち、屋台骨を支える劇団代表、演出家・いのうえひでのり氏の目にいま、映る風景とは。

スクリーンが自在に動くことに驚いた

――オランダから日本に初上陸した“約1300の客席が360度回転する劇場”。そこで劇団初期の代表作であり、これまでもリ・クリエイションを重ねてきた代表作『髑髏城の七人』を、キャストや演出を変えた5バージョンで通年演出し続ける、という未曾有の企画が進行中です。現地へも視察に行かれたのですか?

いのうえ 行きました。オランダの劇場が開場して以来、ロングラン公演しているヒット作『女王陛下の兵士』と、回転させずに使っている『アンネの日記』の2本を観ました。正直“オランダの演劇界”と聞いても、具体的なイメージは何も湧いてこなかったのですが(笑)、まずは現物を見てみなければ、と。

「客席が回る」ということがどういうことか、自分なりのイメージは持っていました。結果的に現物は、そのイメージを超えるものではなかったし、舞台の奥行きも当たり前ですがあまり深くなく、どうしたものかなと。ただ、舞台前面を覆う形で開閉するスクリーンがあって、それが自由自在に動くことには驚かされました。この劇場の利点は間口の広さでしょうね。新橋演舞場二つ分くらいのドーンとしたセットが建てられますし、そこに加えてスクリーンの映像が加えられますから。

――そこからすぐ、“回転する劇場”でやってみたいと思えましたか?

いのうえ 具体的な作品名ではなく、「一度はやってみたい」という気持ちは湧きました。ただ、主催者(TBS)側からは「やるなら一本ではなく年単位で」と言われてしまい、躊躇しました。僕らには東京だけでなく、大阪や福岡など各地に待っていてくださるお客様がいます。各地での旅公演も入れた全体で70~80ステージということはあっても、1カ所でそれほどの数はこなしたことがありません。また、シングル・キャスト(公演中、一つの役を一人の役者が演じる)ということも、ロングラン公演できるのか不安に思っていた理由の一つです。

いのうえひでのり氏

――その躊躇を乗り越えさせたものは、いったいなんなのでしょうか?

いのうえ やはり「まだ誰もやったことがないこと」ということに心ひかれました。それにいま、僕らが公演するのにちょうどいい規模の劇場がないんです。いわば常打ち小屋(じょううちごや=いつも公演をする劇場)になっていた青山劇場が、2015年に閉館してからずっと抱えている問題です。他の大手劇場は母体が製作部門を持っているので、そこで公演するためには提携など、何らかの協働が必要になります。そんな状況で舞い込んできた依頼だったので、「これはやれということか」と思い定めたところはありますね。

真っ先に思いついた演目が『髑髏城の七人』

――作品として『髑髏城の七人』を選び、「花・鳥・風・月・極」の5期にわたる上演形態になった経緯を教えてください。

いのうえ 先ほどもお話した通り、シングル・キャストが前提の新感線公演では、一年間同じ作品を上演し続けることが難しくなります。かといって、作品ごとに舞台美術を変えるというのは、費用や手間の点で問題が多すぎます。特に客席が360度回転する今回の劇場では、工事のような作業が必要になるので。

ならば、同じストーリーボード(物語の筋や場面が書かれた絵コンテのようなもの)でも、演出やキャストで変化が見せられる作品をアレンジして上演するのが望ましいと考え、真っ先に思いついたのが『髑髏城の七人』(初演は1990年)でした。この作品は以前にも『アカドクロ』『アオドクロ』(いずれも2004年)、『ワカドクロ』(2011年)などの別名をつけ、座組みや場所を変えて上演を重ねてきた演目です。遊郭や荒野、要塞のような城など、見せ場たっぷりに場面も変わります。

――「いのうえ歌舞伎(新感線の演目の中で、ストーリーラインが明確にある時代劇シリーズの呼称)」の中でも、最も数多く上演されている作品ですね。

いのうえ そうですね。メイン級を含め、どの役も演じる役者が変われば新たなキャラクターとして造形できる振り幅があるため、繰り返し上演できるし、観客にも求められ続けるのでしょうね。役としても若者からベテランまで網羅していますし。

――第一弾の「花」(2017年3月~6月)を経て「鳥」(同6月~9月)が終わり、「風」が幕を開けました。ステージアラウンド(360度回転する今回の劇場)を使ってみての手応えはいかがですか?

いのうえ やはり、やってみてわかることが多いですね。たとえば、シーンの並べ方です。従来の劇場であればセットや道具を動かして場面を転換しますが、ステージアラウンドでは客席が回転して次のシーンへと向かいます。どうしても無駄に回さなければならないことも出てきますが、それをなるべく避け、滑らかに先へと進めるため、この劇場ならではの展開のさせ方を習得しつつあります。それらを加味し、新たな演出に変えている最中ですね。そうしないと、基本は同じ戯曲ですから、自分自身が「この絵、前も観たな」という印象から抜け出すことができません。

――ご自身の、演出家としての手つきを見つめ直すことになりますね。

いのうえ 自分のできること、程度なんて大体わかっていますけどね(笑)。手を変え、品を変え、持てる手管は出し切るつもりで臨まなければ、この企画はやり抜けません。それだけ手を加えても芯が揺るがないのが『髑髏城の七人』という作品の魅力です。ベースには黒澤明の映画『七人の侍』があるのですが、一見、無名無力の人々が集まって巨悪に立ち向かう物語や、歴史の隙間を想像で埋める醍醐味など、日本人の好きなポイントが作品にいくつもあるからでしょうね。

いのうえひでのり氏

「新感線がやらなければ」という使命感

――この企画に先駆けた2015年、劇団は35周年を迎えました。同じ年の7月には全キャスト歌舞伎俳優で創作した、歌舞伎NEXT『阿弖流為<アテルイ>』を新橋演舞場で上演しましたね。

いのうえ 歌舞伎の世界に入っていっての創作は本当に刺激的で面白かった。『阿弖流為』はそもそも僕らの作品に市川染五郎さんを迎えてつくったものです(2002年上演)が、オール歌舞伎キャストで再創造することで、さらなる可能性を感じられました。今後も続けていきたいと思っています。

——さらに2016年初頭には、ご自身の演劇的ルーツである、つかこうへいの代表作『熱海殺人事件』を、つか氏と共に歩んで来た俳優・風間杜夫、平田満の出演で演出されました。一連の“流れ”をどう感じていらっしゃるのでしょうか?

いのうえ 『熱海殺人事件』は1980年、新感線の旗揚げに上演した作品です。口立て(稽古中、その場で俳優に口頭で台詞を伝えながらつくるスタイル)で稽古するつか作品は戯曲が存在しないので、舞台を録音したテープを手に入れて、そこから写経のように台本を起こして自分たちで稽古しました。そんな作品を、つかさんと同時代を走り抜けた風間さんと平田さんのお二人とやれるのは、そりゃあ感慨深いものでした。でも特別な意味づけはしていないんですよ。“流れ”というか、そういう機会に恵まれただけだと思っています。

新感線の旗揚げ公演『熱海殺人事件'81~野獣死すべし』(1980年)。左が出演しているいのうえ氏。 credit:ヴィレッヂ提供

新感線の旗揚げ公演『熱海殺人事件’81~野獣死すべし』(1980年)。左が出演しているいのうえ氏。ヴィレッヂ提供

——ステージアラウンドでの新たな挑戦もその流れの中にあるのでしょうか?

いのうえ 使命感のようなものを感じているのかもしれません。ステージアラウンドでの長期公演は、まだ誰もやっていないことで、誰にでもできるというものではありません。だとしたら、これまで一緒にやってきてくれたスタッフを含めた総合力で「新感線がやらなければ」、という気持ちはありますよね。もっとも、現在はちゃんと見届けている感覚がなく、達成感を味わうのはこのシリーズをすべて終えてからになりそうです(笑)。

人との出会いがモチベーションを上げる

――大学時代から本格的に始まった、いのうえさんの演劇人生も37年目を迎えましたが、ご自身の演劇に対する想いや熱量に変化はありますか?

いのうえ 時期や場ごとにある人との「出会い」が、僕が演劇を続けるためのモチベーションとして非常に大きなものなんです。「この人とならアレができるかも」「この人とこういうことがしたい」、あるいは「昔こういうものが好きだったけど、最近観ないな。でもこの人がいればできるんじゃないか」というようなことを常に考えていて、そこから広がることが多い。

最近では、先にも話した歌舞伎界、歌舞伎俳優との出会いは大きな刺激になりました。着物の着こなし、所作ひとつをとっても、いまの日本を生きる僕らとはまったく違うものを持っている。そういうものを取り込んだ舞台を、もっとつくりたいと思います。

――「出会い」を契機に新たな創作への道をひらき、それを連鎖させていく。その大きなエネルギーの源となるものは、なんなのでしょう?

いのうえ 基本は、好きなことしかやれませんからね(笑)。ただ、インプットは必要なので時間の許す限り、舞台や映画を観るようにしています。年間で舞台は80本くらい、映画は100本以上観るでしょうか。ライヴは最近行けていないですけど。

――間断なく稽古と公演をしながら、その数は驚異的ですね。

いのうえ 多いときは一日3作品、根性で観ます。最後のほうは居眠りまじりのこともありますが(笑)、それでも作品が面白ければパッチリ目は開きます。そういう時は楽しみつつも、「コレどこかで使えるかも」というネタ探しに余念はありません。休みはだいたい、そうやって過ぎてしまいます。好きなことを追求していくと、仕事もオフも境目がなくなるんですね、きっと。

いのうえひでのり氏

細分化が進む最近の演劇シーンの意味とは?

――新感線は間違いなく、日本の演劇の最前線を走る劇集団のひとつだと思います。それを率いるいのうえさんから見て、いまの日本の演劇シーンはどのように見えているのでしょうか?

いのうえ 僕らが演劇を始めたころに比べると、日本の演劇シーンも随分変わりましたよね。僕らも特殊な例だとは思いますが、劇団を設立した当初は松尾スズキさんの「大人計画」、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんの「ナイロン100℃」など、方向性はバラバラなのに、どこか「小劇場」という言葉でくくれる感じがしました。でも、最近は細分化が進み、ひとくくりにできないさまざまな枝葉が伸びて、規模もカラーも多様な小集団が非常に増えている感じがします。

――確かに、若くて劇団自体は小さくても、戦略的に活動している集団が増えた気はします。

いのうえ そうですね。若い子たちが賢く立ち回っている印象は確かにあります。インターネットなどのメディアをどう使うかを含め、劇団活動から「どうしたら俳優として売れるか」まで、マニュアル化されている感じもしますよね。僕らは「熱量だけは誰にも負けない!」と、何も考えずに30代くらいまでやってきてしまいました。それではいまの時代、生き残れないのかもしれません。

――演劇界の変化に合わせた方向性の変更なども、考えることはありますか?

いのうえ 結局、僕は自分が本当に面白いと思う、好きなことしかできないんですよ。幸いなことに、それを楽しんで下さるお客様が、ずっと一緒に走り続けてくれています。だから当面は、自分の求めるところに嘘をつかず、つくり続けるしかないと思っています。

――その結果、動員とともに作品や公演の規模も膨らみ、現在はチケットの料金も1万円を超える、決して安くない価格になっています。そのことは、どうお考えですか?

いのうえ 確かに手ごろとは言えない価格です。僕も、歌舞伎を観にいくたび「たっかいなぁ」と思っていた時期がありました。でも、あの舞台の幕が開くまでにどれだけの人が働き、本番中も相当数のスタッフが稼動し続けていることや、歌舞伎俳優の生まれた時からすでに始まっているような修練の時間を考えると、このくらいの対価は払わなければと思うようになっていきました。

古典芸能にたとえるのはおこがましいですが、結局、僕らには支払っていただいた金額に見合った、満足していただける作品をつくることしかできないんです。一人でも多くの方に満足していただけるための努力と研究は、手も気も抜かずに続けていかなければいけないと思っています。

――IHI STAGE AROUND TOKYOでの公演が終わったあと、その先にやりたい企画などはありますか?

いのうえ いやぁ、目の前のことで精一杯です。全公演を終えたら……みんな疲弊しているだろうなぁ。むしろ「やっとシャバに出られる!」と弾けた気持ちになるかも知れない。何せ通う場所が豊洲1カ所なので、ちょっと閉じ込められている感があるんですよ(笑)。豊洲の公演が終われば、お預けだった旅公演もできるわけですし、再び世界が開かれて、新たに旅立てる感覚はきっと気持ちイイんじゃないですかね。

TEXT:尾上そら

【関連記事】

いのうえひでのり

1960年、福岡県生まれ。大阪芸術大学在学中の80年に、舞台芸術学科の学生を中心に「劇団☆新感線」を旗揚げ。『熱海殺人事件』『飛龍伝』など、つかこうへい(1948—2010)の作品を上演した。84年に「グッバイ―ミスターつかこうへい!!」3作一挙上演を最後に、オリジナル作品路線に転換した。オリジナル路線の第1作『宇宙防衛軍ヒデマロ』(84年)では、83年から劇団に参加していた古田新太がデビュー。関西屈指の人気を誇る劇団となった。 88年、『星の忍者—風雲乱世篇—』で、初めて東京で公演。2000年、市川染五郎を主演に招いた『阿修羅城の瞳』を、東京・新橋演舞場と大阪・松竹座で上演。稽古場や運営会社を東京に移した。娯楽性をはらんだ作品に、時代にマッチした実力と個性を兼ね備える客演陣を迎えることで劇団作品の強化を図り、動員はうなぎ上りに。年間動員20万人を超す、劇団としては規格外の作品をつくり続けている。 ドラマ性に富んだ時代活劇“いのうえ歌舞伎”、生バンドが舞台上で演奏する音楽を前面に出した“Rシリーズ”、自身で脚本も手掛け、笑いをふんだんに盛り込んだ“ネタもの”などを柱に、エンターテインメント性にあふれた多彩な作品群で“新感線”という新たなジャンルを確立させた。劇団公演以外にも、外部プロデュース作品の演出を多数手掛けており、近年の主な作品には歌舞伎NEXT『阿弖流為<アテルイ>』(15年)、『熱海殺人事件』(16年)などがある。