1914年、C-T-R社の社長となったワトソン。彼は事業の拡大と社員のクオリティ維持を両立させるために、様々な改革を行います。そして、就任から10年目の節目を迎えた1924年、ついに社名の変更を決断するのです。

社員に帰属意識をもたせる数々の改革

ワトソンが就任以来努力したことは、社員が会社に誇りを持ち、献身的に働こうという意欲を持つようにすることでした。企業が順調に規模を拡大する中でも、重要なのは社員の心だと信じていたのです。「心を込めて仕事をしてもらいたい。心に仕事を抱くことだ」。彼は常々、社員にそう語っていました。
社員の心を掴む。そのためにワトソンが行った改革は、多岐に渡ります。社員の家族も連れた、カナダへのピクニック。野球などスポーツのチーム結成。そして、音楽。社内にブラスバンド、オーケストラ、グリークラブなどを結成させたほか、社歌の制定も主導しました。さらにこの社歌「Even Onward」のメロディーをもとに、オペラ「じゃじゃ馬ならし」などで知られるイタリア系アメリカ人の作曲家、ヴィットリオ・ジャンニーニによる交響曲まで作らせたのでした。仕事以外の時間も、ともに歌い、遊び、楽しむ。こうして、社員の愛社精神と士気は高まっていったのです。

進む国際展開、そして「IBM」へ

もちろんワトソンが進めたのは、社内の福利厚生ばかりではありません。本業のビジネスにおいても、その後の繁栄を準備する、積極的な事業拡大を行いました。1920年までに、事業所はカナダ、ブラジルのほか、ドイツ、フランスなどのヨーロッパ数カ国にまで拡大。1924年には、社員数3,384名、収益は創設時のおよそ13倍にあたる1,100万ドルにまで成長を遂げました。そして1924年2月、ワトソンを含むC-T-R社取締役会はついに、全社員に向けて社名変更を伝える手紙を出します。新しい社名は、1917年からカナダで先行して使われていた名称、「International Business Machines Corportaion」。IBM社が誕生した瞬間でした。変革を続けるその姿勢にふさわしい、新しい社名を得た会社は、ますます発展のテンポを早めていきます。