「マウスの脳や全身透明化」の成功で何が見えてきたか――睡眠、がん、うつ病などの解明や治療に、高まる期待

脳や臓器を透明にして全細胞を1つ1つ観察し、睡眠や病気の研究に役立てるという画期的な技術がある。開発者は東京大学大学院医学系研究科教授で、理化学研究所生命機能科学研究センター・チームリーダーの上田泰己博士。透明化は約100年前から研究されてきたが、実用化には難点があった。上田教授は2014年、安全で効率よく透明化する新たな試薬(CUBIC)を発表した。世界は全身透明なマウスの画像に驚いた。この技術により、0.5グラムのマウスの脳は、約1億の細胞で構成されていることが初めて明らかになり、がんの全身転移の様子や抗がん剤の効き方などを細胞レベルで直接観察することが可能になった。
さらに昨年(2018年)、もともと睡眠・覚醒の研究者である上田教授は、レム睡眠(身体は休んでいるが、脳は起きている状態)に必須の2つの遺伝子を発見した。「うつ病等に悪影響を与えるレム睡眠をうまく制御すれば、病気の解明や治療の道が開ける」と語る。
全細胞を透明化して観察する技術は、デジタルの進化によって格段に向上した。従来の分子レベルでの観察とは異なる新たな地平を切り開く上田教授に、研究の現状と展望を伺った。

身体の全細胞をカタログのように整理したい

――生物の脳や臓器を透明化する技術は、睡眠や脳の研究、がんなどの医療に画期的な進歩をもたらすと期待されていますが、そもそも透明化とはどのような技術なのでしょうか。また、科学や医療にとってどのような意味があるのか、分かりやすく解説をしていただけますか。

上田 透明化したマウス(写真1)を見ていただくのが、分かりやすいと思います。脳や臓器、筋肉や骨の部分を含め、細胞を1つも失うことなく全身が透明になっています。
細胞は脂質、水、たんぱく質によって構成され、光が通過する速度が違うために光が散乱して不透明になります。そこで散乱を抑える化学的な工夫をすることによって、透明化試薬(CUBIC)の開発に成功したのです。
生命科学の分野では2000年ごろからゲノムの研究が一気に進みましたが、人間を理解するにはたんぱく質のような分子だけでなく、身体の全細胞をカタログのように整理し、1つ1つ見て解析することが必要です。当時、理化学研究所の研究員の洲崎さんと2010年頃からそのような研究に取り組みました。
そのころ私達は睡眠を手掛かりに脳の時間の研究を開始したのですが、脳の時間の問題を解明するには脳全体の細胞の動きを観察・解析することが不可欠だと思ったからです。そこでその手段として細胞を透明化する研究を始めました。
最終的には、脳や全身の臓器を試薬に1週間から2週間程浸しておくと丸ごと透明になり、これを染色すると、1個1個の細胞を観察できるようになります。こうして哺乳類(マウス)の全身透明化を世界で初めて実現することができました。

写真1:マウス全身の透明化(左:成獣、右:幼獣)  写真提供:上田泰己教授

細胞の脂質も血液の赤色も抜くアミノアルコール

――透明化には長い研究の歴史があったと聞きます。誰も成し得なかった理想的な試薬の開発をどのようにして達成されたのでしょうか。

上田 透明化に最初に挑戦したのはドイツの解剖学者のスパルテホルテという解剖学者です。1911年に有機溶媒を使って透明化を試みました。ただ、試薬の安全性やたんぱく質の機能が失われるなど問題がありました。1990年代半ばにはロシアのツーチンという人が水溶性の化合物を使いましたが、透明度は十分ではありませんでした。その後、さまざまな開発が世界中の研究者により行われてきました。当時、大学院生の村上さんが候補となる1600種類の化合物を1つ1つスクリーニングしていきました。その結果、アミノアルコールという化合物が高機能で安全・簡便に透明化できることが分かったのです。先人たちは透明化の物理学を確立し、私たちは化学を確立することに貢献したと思っています。

――開発には具体的にどのような工夫があったのでしょうか。

上田 ポイントは2つありました。1つは脂質、水、たんぱく質の光に対する性質の違いをどう克服するか。まずアミノアルコールで細胞の袋に含まれている脂質を取り除きます。次に水にさまざまな化学物質を混ぜ、光の速度をたんぱく質と同じになるまで遅くします。こうして光の進み方をそろえてやると散乱が起きず、透明化するのです。
もう1つのポイントは、肝臓や脾臓(ひぞう)のように血液が多い組織の透明化でした。血液中には赤血球があり、これが光を吸収してしまいます。従来はまず血液を抜いてから透明化するのが常識でしたが、たまたまトイレで一緒になった隣の研究室の学生さんが、「血の付いたままの肝臓をアミノアルコールの中に浸したら、透明になりました。先生、すごい試薬ですね」と言うのです。見に行くと、無色だった試薬がオリーブ色に変色していました。当研究室で講師をしてくれていた田井中さんがいろいろと調べてみると、血液の赤色の源であるヘモグロビンのヘム色素が溶け出していることを突き止めました。つまり、脂質を抜くアミノアルコールが血の赤色も抜いていたのです。これを全身に応用したところ、アミノアルコールが脳の透明化だけでなく、血液を大量に含む他の臓器や全身の細胞を透明化できることが立証できました。試薬はその後も改良を続け、2017年に市販を開始しました。

――2014年の最初の研究発表への反響はいかがでしたか。

上田 世界中からたくさん問い合わせが来ました。アメリカの国防総省傘下にあるDARPA(米国防高等研究計画局)は、さっそく研究資金の提供を申し出てきました。「報告書は特に書かなくても論文でいい」という話でしたが、DARPAは軍事研究につながる組織なので、東大の方針に沿ってお断りしました。

がんの転移や薬の効き方を細胞レベルで観察できる

――試薬は今、世界中で脳や臓器の全細胞観察などに応用されています。具体的にどのような病気の研究や治療に貢献できるのでしょうか。

上田 1つはマウスでがんの転移を調べる研究で、東大の宮園浩平教授のグループと共同で行っています。当時、大学院生の久保田さんが「全身が透明化できるのなら、脳や睡眠の研究だけではもったいない。がんの研究にも使いたい」ということでがんへの応用を行いました。がんの転移はいまだ解明されていない部分が多いのですが、透明化することで、がんが身体のどこにどのように広がっているかを一目で見ることができます(写真2)。

写真2:透明化することで可視化されたがんの転移  写真提供:上田泰己教授

さらに、抗がん剤を投与した後に残るがん細胞の様子も見ることができます。残ったがん細胞はがん再発につながるので、これを予防することが大切です。この研究はBBCやニューズウィークなどのメディアでも大きく報じられました。
がんは1つの細胞のエラーが身体を壊す病気ですが、同じようにして起きる自己免疫疾患(免疫が自分自身を攻撃する病気)の研究でも、非常にパワフルな解析ツールになると期待しています。
また脳の全細胞を透明化すれば、薬を飲んだ時、脳のどの細胞が薬に反応しているかを一目で見ることができます。当時、東大医学部の学部生の多月さんや理化学研究所研究員の幸長さんが実現し、2016年に論文で発表しました。

常識を覆す。カルシウムは脳のブレーキ役だった

――薬の作用を脳の細胞で観察できるのはすごいですね。2016年の論文ではどのような成果を報告されたのでしょうか。

上田 この論文は、脳とカルシムの関係について、これまでの常識を少し覆すことができたと思います。脳が興奮すると、カルシウムが脳細胞の中に入って行くので、従来、カルシウムは脳のアクセル役だと思われていました。
しかし、私たちは透明化した全脳の細胞を観察し、カルシウムを抑えると逆に脳が暴走することを確認しました。つまりカルシウムはアクセル役ではなく、実は脳のブレーキ役であることを実証したのです。考え方が180度変わりました。
うつ病の患者さんがカルシウムを抑制する薬を飲むと、脳が元気になってうつ病が改善することが以前から知られていました。私たちの研究はそれを裏付けるデータでした。
今はマウスで実験していますが、もっと大きなラット、サルについても、全細胞解析を進めて薬の効果を確かめたいと考えています。薬を飲んだ際の効能の広がり方、脳内での反応の順番などを見ることができます。
また、ヒトについては亡くなった方の脳を調べることにより、生前の脳の状態が分かります。法医学の先生からは突然死や亡くなられた方の脳内で何が起きていたかを調べて、研究や治療に役立てたいという提案も来ています。

もともと睡眠の研究からスタートした透明化ですが、今ではいろいろな応用が考えられています。マウスだけでなく、ヒトの心臓や肝臓、脾臓などの臓器(写真3)、カニやダンゴムシを透明化して調べている研究者もいます。

写真3:CUBIC-HLを用いたヒト臓器の透明化  写真提供:上田泰己教授

「光シート顕微鏡」で撮影し3次元画像を作る

――先生は「デジタル化の進歩が研究を後押しした」と述べておられますが、これはどういうことなのでしょうか。

上田 脳の全細胞を観察するには「光シート顕微鏡」という特殊な顕微鏡を使います。レーザー光をシート状に広げて横から照射し、上から撮影します。この画像を縦方向に何段も積み重ねて、3次元のイメージングデータを取得します。
この原理は1903年にコロイドを観察するために発明されましたが、当時はデジタル化技術が未発達で3次元画像を構築できませんでした。1990年代以降発達した最新のエレクトロニクス技術を駆使して、東大物理を卒業したばかりの真野さんが全細胞の3次元画像を高速に撮影できる顕微鏡を構築してくれて、高解像度の画像が取得できるようになりました(写真4)。その後、大阪大学基礎工学科の学部生の堀口さんらと正確かつ高速な画像解析プログラムを開発し、マウスの脳が約1億個の細胞で構成されていることを突き止めたのです。透明化や光シート顕微鏡の発想は約100年前に先人たちが生み出しました。現在その2つが合わさって生命科学に貢献しているのです。

写真4:マウスの脳細胞の3次元画像  写真提供:上田泰己教授

うつ病になると睡眠と覚醒が浅くなるメカニズムを解明

――先生は2018年、マウスでレム睡眠に必須の遺伝子を発見され、「PTSDやうつ病、統合失調症に悪影響を与えるレム睡眠を抑制すれば、治療に役立つ」と述べておられます。そのメカニズムや研究の方向性を説明していただけますか。

上田 睡眠の研究に当たっては3つの技術をつくろうと考えました。1つは先ほどからお話ししている脳の全細胞を見る技術です。
2つ目は睡眠を簡便に測る技術です。実は動物の睡眠はとても測りにくいのです。脳波や筋電の測定に必要な電極等を嫌ってかみ切ったりするからです。そこで、当時理化学研究所研究員の砂川さんと箱の中に動物を入れ、呼吸による気圧の微小な変化をセンサーを用いて低ノイズで測定する技術を開発しました。
3つ目は動物の遺伝子を簡便に改変する技術です。マウスでは今まで1~2年かかっていたのを、当時の理化学研究所テクニカルスタッフの蓼沼さんやユニットリーダーの隅山さんと3カ月でできるようにしました。
これまでの研究で、脳のブレーキ役であるカルシウムが脳の神経細胞に入らないとノンレム睡眠(意識がない深い眠り)が減ることが分かりました。うつ病の場合、睡眠や覚醒が浅くなり、レム睡眠とノンレム睡眠の境目があいまいになって、レム睡眠の時間が増えることが知られています。それぞれの睡眠をより深くして回復させるにはどう制御したらいいか。カルシウムに関する知見を生かして挑戦して行こうと思っています。

細胞の状態を自由自在に変える技術がこれから必要になる

――先生は「最も難しい課題の1つは、『意識』を支える脳の細胞群の同定」と述べておられます。意識の解明にはどのように取り組まれるのでしょうか。

上田 この辺りは難しい課題なので、まだ手が着いていません。ただ、私たちの研究室のミーティングでは、マウスのそれぞれの遺伝子が何の機能を持っているか、というデータが毎週のように報告されています。
そういう状態を細胞レベルでも作り出すことができれば、「この細胞は覚醒や意識に必要」といった報告がどんどん出るようになるかもしれません。
これまで、睡眠とは脳全体が眠っていると考えられてきましたが、研究が進むにつれ、1細胞あるいはある部分だけが眠っている、逆に起きている時でも脳のある部分は眠っているといった現象になっていることが分かりつつあります。
そこを解明するには、細胞の状態を自由自在に変える技術がこれから必要になります。遺伝子改変の場合と同じように、一部の細胞の状態を変えることで、睡眠や覚醒にどんな影響が出るかを調べて行けば、脳のどの部位に覚醒や意識の回路があるかが分かるはずです。

体内時計は24時間で一周する地球のモデル。温度補償性の謎が解けた

――先生は大学院生の頃、体内時計の研究で遺伝子を分析し、脳で101個、肝臓で397個の遺伝子が24時間周期で変動することを突き止められました。その後、研究はどこまで進んだのでしょうか。

上田 体内時計は24時間で1回りする地球のモデルそのものです。細胞はそのモデルに合わせるために、実は化学的に相当無理をしています。地球は暑い赤道上でも寒い南極でも1回り24時間ですが、生物の化学反応は細胞分裂を始めとして温度によって決まります。温度が高ければ反応は速く進み、寒い所ではゆっくり進みます。温度が10度変わると、反応速度は2倍から3倍にも変わります。
しかし、現実には生物は温度に関係なく24時間周期を維持しています。この機能を「温度補償性」と言いますが、なぜこういう機能が働くのか、1950年代からずっと謎でした。
私は大学院生の頃、遺伝子同士の関係を調べた結果、朝・昼・夜のスイッチの役目をする遺伝子があり、他の遺伝子を制御していることを発見しましたが、この謎は解けないままでした。ようやく2009年に理化学研究所の研究員の礒島さん、中嶋さん、鵜飼さんらと体内時計の周期を決めるリン酸化酵素という重要な酵素には、温度が変わっても化学反応の速度が変わらないようにする仕組みがあることを突き止めました。2017年には、理化学研究所の研究員の篠原さん、小山さんらとともに酵素の構造を詳細に調べることに成功し、温度補償性の仕組みがようやく解けてきました。

――先生の研究チームには生物、医学のほか、化学、物理、情報処理などさまざまな専門家が集まっておられます。最後に、多様な組織を主導するために心がけておられることがあれば、お聞かせください。

上田 異分野の融合は結果であって、目的ではありません。分野の異なるメンバーが1つ屋根の下で研究することがとても大事なのです。研究の初期は、問題を解くのにどの分野の知識が必要になるのか予測できませんが、局面の進展に応じて各専門家が難点を解決して行きます。毎週のミーティングでは異なる専門の人が話を共有し、2~3時間議論しますが、とても大切な時間です。

TEXT:木代泰之

上田泰己(うえだ・ひろき)

東京大学大学院医学系研究科教授、理化学研究所生命機能科学研究センター・チームリーダー。 1975年生まれ、福岡県出身。2000年、東京大学医学部医学科卒業。在学中の1997年よりソニーコンピュータサイエンス研究所研究アシスタント、98年ERATO北野プロジェクト研究アシスタント。2004年東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 大学院在学中の2003年に、理化学研究所 システムバイオロジー研究チームリーダーに就任。2009年、同研究所プロジェクトリーダー、2011年 同研究所グループディレクターなどを歴任。その間、東北大学、徳島大学、大阪大学、京都大学などの客員教授なども兼務し、睡眠の研究グループを率いて世界をリードする成果を挙げ続けている。2013年10月より現職。 2009年度日本IBM科学賞受賞。日本IBM有識者会議「富士会議」メンバー。