近年日本の農業は、高齢化や労働力不足がますます深刻さを増している。長年培われてきた高品質の農作物を作る「技」が衰退すれば、日本にとって大きな損失になる。打開策としてICTを活用する「スマート農業」が注目されているが、導入はまだ一部にとどまっている。
その問題解決のため、慶應義塾大学 環境情報学部の神成淳司教授(内閣官房 副政府CIO)が構築を進めるのがWAGRI(ワグリ:農業データ連携基盤。内閣府 戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)第1期 次世代農林水産業創造技術の一環として実施)である。企業や官公庁から気象、土壌、生育予測など多様なデータをクラウド上に集約・統合し、農家や企業向けにサービスを提供する。
今年4月に稼働を始めたWAGRIには、農機メーカーやICT企業など約400社が参加し、高付加価値の日本型農業を海外展開する「メイド・バイ・ジャパン」も視野に入れる。
農業生産だけでなく、流通・加工・消費まで一貫してデータでつなぐ「スマートフードチェーン」プロジェクトも、2023年に運用を開始する計画だ。
「農業は今がチャンス」と力説する神成教授に、WAGRIや技の継承、日本農業の未来について伺った。

大きなポテンシャルを持つ日本型農業は投資の価値がある

――日本農業の担い手の平均年齢は67歳、就業人口も30年前に比べて6割減少などの残念な数字が目に付きますが、本当はどんな状況にあるのか、先生のお考えをお聞かせください。

神成 私の専門は、熟練技能の継承や高度化のためのデータ活用です。元々、金型や板金分野などのモノづくり分野で取り組みを進めてきましたが、一般の商品を生産するために必要な技術は既にコモディティ化しています。一方で、農業分野はまだまだ伸びる余地があります。
相手は生物ですから、同じタネをまいても同じようには育ってくれません。生育環境への依存性も高く、作物自身の状態を踏まえた作業が必要とされます。

私は、日本の農業は品質と収量のバランスの点で、世界有数の農業国だと考えています。よくオランダのトマトの収量の多さが話題になりますが、そのトマトの味は品種の味そのままです。
一方、日本では同じトマトの品種であっても、農家により酸味や糖度は全く違います。育て方が違うのです。露地栽培のミカンも、篤農家(とくのうか)が作るミカンとそうでないミカンは、糖度が大きく異なります。
私は今、佐賀県でキュウリのハウス栽培に関わっていますが、同じハウス1棟で年間売上げが700万円の農家もあれば、2000万円を超える農家もあります。この差は品質と収量をバランスさせる技の違いから生じるのです。この技が日本農業の素晴らしさです。
こうした技は「水やり10年」という言葉が示すように、経験によって継承されてきました。しかし、核家族化が進む中で、親はわが子を「10年我慢しないと食えない仕事」に就かせたいとは思いません。こうしてせっかくの技が引き継がれなくなり、日本農業の強さが失われつつある。これが現在、高齢化以上に大きな問題になっています。

将来、日本の人口が1億人を切り、マーケットも縮むことを考えると、輸出も見据え、やはり農業の生産性や効率性を高めると共にこういった優れた技を継承していくことは不可欠です。農業に限りませんが、多くの産業がグローバルな対応を迫られているのです。
労働力の不足は、大きな変革を志す人々の登場を促す点で、むしろ良いことと捉えています。品質と収量の優れた組み合わせが特徴である日本農業は大きなポテンシャルを持ち、産業として投資する価値があります。現状を変えざるを得ないからこそ、日本の農業は今がチャンスなのです。

図1:WAGRIの仕組み  資料提供:神成淳司教授

図1:WAGRIの仕組み  資料提供:神成淳司教授

アジアは、「メイド・バイ・ジャパン」と一緒にやりたい

――先生は、付加価値の高い日本型農業を海外展開する「メイド・バイ・ジャパン」を提唱されています。その狙いを解説していただけますか。

神成 例えば日本車は、日本国内で製造された車だけでなく、海外で製造して海外で売る車もあります。これと同じように、日本型の農作物の作り方を世界各国に提供するのが「メイド・バイ・ジャパン」です。
日本の農業が現在おかれている厳しい状況は、逆に海外展開するチャンスだと言えます。少子高齢化だからこそ、これまで自分の中に蓄えていた優れたノウハウを後継者に伝えようという機運が出てきています。
優れた栽培技術は、現状では個々の農家の知見に留まっていますが、これをソリューション・ビジネスとして世界展開することが考えられます。イチゴも世界で一番おいしいのは日本産です。メイド・バイ・ジャパンは、アジアの国々から「一緒にやりたい」という声を頂いています。
こうした農業へのICTサービスのスケールを広げたい、それも企業間の協調と競争を両立する形で進めていきたいという思いがあり、2017年にWAGRI(農業データ連携基盤)の取り組みを始めました。

神成淳司氏

参入障壁を低くしてプレーヤーの数を増やす

――WAGRIにはさまざまな業界の企業や公的機関が参加していますが、どのような活動を行っているのでしょうか。

神成 参加企業はいま約400社ですが、実際にお金を出して利用を始めているのは約40社です。自治体、農機メーカー、気象データ会社、研究機関、保険・金融も入っています。設立してまだ2年ですから、いい線かなと思っています。
活動は図2にあるように、民間企業や官公庁が気象、農地、地図、生育予測、土壌、各種統計データをWAGRIにデータとして提供します。これらはクラウド上で集約・統合・標準化された上で、農機メーカーやICT企業が自社サービスの一環として利活用可能な形で提供され、これら組織が用途ごとに農家にサービス展開します。各組織がこれらのデータをバラバラに備えたら、コストがかさみますが、WAGRIを活用することで、低コストで利活用可能な環境が整備されたことになります。
世界最大の農機メーカーである米ジョン・ディアは、「マイ・ジョン・ディア」という自社単独での類似サービスを展開しています。個々の企業がデータ利用のために個別に投資をするのではなく、協調することでコストを抑え、その分を自社の競争領域への投資へと展開することで、国際競争力を高めていただきたいと考えています。

ただ、これまで縦割りの世界で競争してきた組織が多いため、どうしても「総論賛成、各論反対」や「将来、そのようにしなければいけないのは理解できるが、今のビジネスモデルが崩れるのでは?」という意見が出てきます。
このプロジェクトも最初は反対意見ばかりでしたが、「共通基盤を一緒に整備しましょう」と皆さんに繰り返し訴え、内閣府の研究プロジェクトにも位置づけていただき、協議会を立ち上げオープンに議論を進めることで、次第に賛同する企業が増えてきました。

産業を活性化するには、参入障壁を低くしてプレーヤーの数を増やすことが大切です。これは特定の企業が支配力を持つのを防ぐためにも、また資金循環を活発にするためにも必要なことです。私のようなアカデミズムの人間が責任者を務めているのは、あくまで中立的に運営するためです。
農水省は現在、全国69カ所でスマート農業の実証実験を行っており、そのデータもWAGRIを通して連携します。WAGRIは、地域の農業の活性化に資する取り組みを進めていきたいと思います。

図2:WAGRIで実現を目指す農業の将来図  資料提供:神成淳司教授

図2:WAGRIで実現を目指す農業の将来図  資料提供:神成淳司教授

プラットフォームの中でビジネスが競合し価格が決まる

――先生は、WAGRIは「BtoBtoC」をビジネス基盤にすると述べておられます。これについて解説していただけますか。

神成 WAGRIでは、手書き文字認識や音声認識の技術を持つAI分野等の企業が、農機メーカーなどに「BtoB」でソリューションを提供しています。また各種のデータを持っている企業は、農機メーカーやICT企業にやはり「BtoB」でサービスを提供しています。そのサービスを受けた企業は、最終的に農家を対象に「BtoC」でサービスを提供するのです。
このようにWAGRIは組織間の「BtoBtoC」ビジネスの基盤であり、サービスの取引市場としての役割を果たします。WAGRIが独自に農家向けサービスを展開することはありません。取引量が増えれば、プラットフォームの中でビジネスが競合し、価格は市場メカニズムで決定されるようになるでしょう。

例えば気象データの場合、気象庁が提供するデータは無償で利用することが可能ですが、1kmメッシュで数時間に1回更新するような気象データを使いたい方は、そのデータを提供する企業と契約して有償で使うことになります。そうすると、気象データ会社の間で価格の競争が起きます。WAGRIはいろいろな企業が参入できる基盤を作ることを目的としています。農業を産業として活性化するためにWAGRIが果たす役割をまとめると、次の3点になります。
1) データの共通基盤になる部分のコストを最小にする
2) 連携を多くしてサービスの競合を生じやすくする
3) 参入障壁を低くして参加者を増やすことで活性化し、多様なサービスを提供する

神成淳司氏

ソリューションで学習し、判断能力を身に付ける

――高付加価値の農作物を作る熟練農家の「技」は、どのような方法で継承するのでしょうか。

神成 熟練農家のノウハウを言語化すればいいという人がいますが、そのやり方では継承は難しいと考えています。どのような環境でどのように作物を育てるかを言語化しようとすれば、無限とも言えるほど膨大な種類の言語化が必要となるでしょう。異なるアプローチを考える必要があります。

大事なことは、作物の状態をきちんと把握して適切な農作業が出来るかということです。1つの作物を育てる際にはさまざまな作業が必要ですが、その中には、作物の状態に即して作業を変える必要があるものと、同じように作業をすればよいものがあり、前者が適切に出来るかどうかが、熟練農家の「技」なのです。熟練農家は、長年の経験を培うことで「技」を習得してきました。私は今、必要とされる作業を選別した上で、「技」を習得するための経験を効果的に短期間で培うことができる教育ソリューションを、ソフトウェア・サービスとして構築することに取り組んでいます。
例えばミカンの摘果作業。ミカンの樹には、たくさんの実がなります。間引かずにいれば、個々の実はあまり大きくはならず、糖度も上がりません。ただ、間引きすぎると収量は減ります。さらに、どの実を間引くかで、残された実の大きさも糖度も異なります。熟練農家は長年の経験に基づき適切な判断ができます。また、親から子へは、繰り返し、目の前で説明されることで、徐々に「技」が継承されるわけです。

私たちのソリューションは、スマートフォンに摘果前のミカンの樹の一部の写真が出てきて、どの実を間引くかを選択すると、正解が示されます。たくさんの問題がランダムで出されるようになっており、毎日数十問ずつ解くことで、短時間で摘果の判断能力が身に付きます。
ブドウも粒が大きい品種だと粒同士がぶつかって割れてしまうので、間引かないといけません。どの粒を間引くかはノウハウです。またタネなしにするために薬を付けるのですが、薬は成長を抑制する副作用もあるので、タイミングを間違えないことが重要です。これもソリューションで学習すれば、状況に応じた適切な判断能力が身に付きます。

――ミカンやブドウの他にはどんな作物を手掛けておられるのですか。

神成 キュウリ、トマト、イチゴ、リンゴ、オリーブ、マンゴーなどに取り組んでいます。その他にも、いろいろと相談を受けています。

現在、UターンやIターンで地方に行き、農業に取り組む方が多くいらっしゃいますが、このような方に、土地だけでなく熟練農家のノウハウを提供すれば、失敗される方は減るでしょう。定年後の人が年収1500万円を稼ぐこともあり得るでしょう。

神成淳司氏

コスト最適化が本質のオランダ農業は、日本に不向き

――日本の食料自給率は38%程度(カロリーベース)で、もっと高めるべきだという議論がありますが、どのようにお考えでしょうか。

神成 食料自給率を高めるためには、稼げる農業を実現することが重要です。新規就農者が早期に稼げるようになれば、着実に自給率は上がると思います。
日本の人口が9500万人になる2050年には、世界人口が今より20億人多い97億人に増えています。品種改良には限界があり、単位面積当たりの生産性は頭打ちです。所得が上がれば、美味しいものを食べたいという欲求は出てきます。品質と収量を両立した我が国の農業によるメイド・バイ・ジャパンは、これからの世界に必要なのです。
すなわち、日本型農業は世界で通用するビジネスモデルです。メイド・バイ・ジャパンで海外生産した農作物は、広義で捉えれば、国産と言えます。国内で作ったものだけを生産量としてカウントするだけではなく、もう1度定義し直してもいいのではないでしょうか。

このような点を踏まえますと、私はオランダ型の農業を日本に広げることにあまり賛成してはいません。オランダ型農業の本質は、コストの最適化です。オランダは欧州の物流拠点であり、コストを抑えて、いかに効率よく生産するかがポイントであり、栽培設備や品種改良もそれに合わせて最適化されています。
もちろん学ぶべき点は多くありますが、島国であり輸送コストが高い点やエネルギーコストがあまりに違う点を踏まえると、単純にオランダ型の農業を導入しても同じ結果は得られないでしょう。

神成淳司氏

「スマートフードチェーン」で需給調整し鮮度を管理

――WAGRIの次の段階のロードマップとして、川下の流通・加工・消費のデータとひとつなぎにする「スマートフードチェーン」のプロジェクトが昨年から始まっています。その目的や活動についてお聞かせください。

神成 生産から消費までデータをつなぐと、消費者のニーズに対応した生産管理や販売戦略が可能になります。その効果を確かめるため、すでに6月に実証実験を行いました。今秋には輸出まで含めた大規模な実証を行います。輸出に関しては、ブランド価値を落とさぬよう、「鮮度」をきちんと管理するトータルな仕組みが必要になります。そのためのセンシング・デバイスも開発中です。

現状の問題点は、農作物の需要と供給のマッチングがうまくできていないことです。両者がバラバラに動くために豊作貧乏になったり、作物の廃棄を招いたりします。廃棄されることがあらかじめ読めれば、事前に別の売り先を考えることができます。需要に応じて出荷スケジュールを調整する栽培手法に関する取り組みも、プロジェクトの一環として進められています。
2023年の実用化が当初からの目標ですが、可能な限り前倒しして、社会実装を進めていきたいと考えています。

図3:スマートフードチェーンの将来図  資料提供:神成淳司教授

図3:スマートフードチェーンの将来図  資料提供:神成淳司教授

TEXT:木代泰之

神成淳司(しんじょう・あつし)

慶應義塾大学 環境情報学部 教授、内閣官房 副政府CIO / 情報通信技術(IT)総合戦略室長代理、国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構 農業情報連携統括監。
1971年静岡県生まれ。1996年慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了、2004年岐阜大学大学院 工学研究科 後期博士課程修了。博士(工学)。2007年慶應義塾大学着任。現在、環境情報学部 教授。 政府の公職を歴任後、2011年内閣官房着任(併任)。現在、内閣官房 情報通信技術(IT)総合戦略室長代理 / 副政府CIO、健康医療戦略室次長。2018年10月より、国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構 農業情報連携統括監を併任。 専門は、情報科学(産業応用、知識情報科学)、農業情報科学、サービスサイエンス、情報政策。
著書:「計算不可能性を設計する(Wayts 2007)」、「スマート農業(NTS、監修 2019)」、『ITと熟練農家の技で稼ぐ AI農業』(日経BP社 2017)他。
日本IBM有識者会議「富士会議」のメンバー。