原田香奈子氏

体の表面に開けた小さな穴から人体の奥深くロボットアームが入って行き、手際よく手術をこなす。熟練した医師たちの高い技術を学ぶために、あらかじめ精巧な人体モデルを使って訓練を重ねることができれば、ミスも少なくなり患者の負担も小さくできる――そんな新しい医療を実現しようと、選りすぐりの大学や企業が参加したプロジェクトがある。内閣府のImPACT革新的研究開発推進プログラム「バイオニックヒューマノイドが拓く新産業革命」(2016~19年)だ。
バイオニックヒューマノイドは、センサーを内蔵した人体の「精巧な偽物」である。プロジェクト全体をまとめるプログラム・マネジャーを務めたのは原田香奈子・東京大学大学院准教授。発想も専門用語も違う医師とエンジニアからなるチームをまとめ、3年という短期間で、脳モデル、眼球モデル、血管モデル、頭部3DCG、手術ロボット(スマートアーム)などを開発した。
産業ロボットやセンサーなど優れた要素技術を持つ日本だが、それらのインテグレーションでは他国の後塵を拝してきた。ImPACTのプロジェクトには、その劣勢挽回の願いが込められている。
「精巧な偽物」という発想は、福祉や農業など医療以外のさまざまな産業への応用も可能にする。原田准教授に、プロジェクトの到達点と今後の産業応用の展望について伺った。

人や動物の代わりに犠牲になってくれるロボット

――バイオニックヒューマノイドという言葉はあまり馴染みがありませんが、どういう装置なのか、説明していただけますか。

原田 バイオニックヒューマノイド(写真1)は「生体忠実性を有し、センサーやアクチュエーターを搭載した精巧なモデル」です。さまざまな場面で人や動物の代わりに犠牲になってくれる新しいタイプのロボットを提案しています。ヒューマノイドというと、人を模倣して動くロボットが一般のイメージですが、バイオニックヒューマノイドは、人や動物の精巧な身代わりとして、手術の練習台にもなってくれるのです。

バイオニックヒューマノイド

写真1:バイオニックヒューマノイド  写真提供:原田加奈子准教授

手術では試行錯誤が許されません。これまでは先輩医師の見よう見まねで経験を重ねるというのが実情でした。動物モデルも使われていますが、体の構造や臓器の物性が人間と違いますし、倫理的な問題もあります。どの程度、手術スキルが向上したかを数値で判断することもできません。新しい医療機器の研究開発にも同様の問題があります。医師の要望を把握したり、機器を評価したりするためのリアルな環境がなく、試行錯誤に膨大な時間を費やしています。そうした問題をできるだけ解決することにバイオニックヒューマノイドが役立つのです。
もし医師がバイオニックヒューマノイドを練習台として、リアルな環境で立体的な感覚を掴みながら、また内蔵したセンサーを使って数値でスキルを確認しながら手術の練習を重ねられたら、動物実験も減らせますし、患者も安心して手術を受けられます。また、バイオニックヒューマノイドを使えば、医師の要望も正確に把握できますし、医療機器の性能や安全性も正しく評価できますので、革新的な医療機器の研究開発を加速することが可能となります。このようにバイオニックヒューマノイドは大きな可能性を秘めています。

原田香奈子氏

微細手術を可能にするバイオニックヒューマノイドを開発

――バイオニックヒューマノイドは、具体的にどのような手術を想定して開発されたのでしょうか。

原田 バイオニックヒューマノイドは、さまざまな手術を対象とすることができますが、プロジェクトでは3年という限られた期間で早期実用化につながる成果を出すため、要素技術の開発に加えて脳モデル(Bionic-Brain)、眼球モデル(Bionic-EyETM)(写真2)、血管モデル(Bionic-Vasculature)(写真3)という専用機器の開発に注力しました。これらは主に脳神経外科や眼科の微細手術において、手術の練習や医療機器の評価に使える動物モデルがない疾患を対象としています。
まず眼科ですが、黄斑円孔の治療には、眼球の中に直径0.5 mmほどの細い術具を差し込み、眼底にある内境界膜という薄い膜をはがす手術を行います。今は練習するためのリアルな環境がありませんが、このBionic-EyETMを使えば練習が可能になります。圧力を測定するセンサーが眼底部に取り付けてあるので、眼底への負荷を小さくするような操作を習得することができます。何度も練習できるようにとBionic-EyETMの眼球モデルは使い捨てになっており、いろいろな疾患の眼球モデルも搭載することができます。他には緑内障手術用の眼球モデルも作りました。眼科の学会会場に何度かBionic-EyETMを持ち込んで、多くの眼科医のフィードバックを得ながら改良を進めています。Bionic-EyETMには三井化学株式会社の新材料技術も活用されており、現在、事業化を進めています。

眼球モデルBionic-EyE™

写真2:眼球モデルのBionic-EyE™  写真提供:原田加奈子准教授

血管モデル(Bionic-Vasculature)は、脳の動脈瘤のカテーテル治療を対象としています。カテーテルを脳まで押し進めるとき、血管の曲がりが強いところで血管の内側に力がかかります。そこで、まずは血管内でのカテーテルの滑りやすさが人の血管とかなり近い材料を使って血管モデルを作りました。そのモデルに内蔵したセンサーを使って血管への負荷を確かめながら練習することを提案しています。この血管モデルは東北大学がベンチャー企業を設立してすでに販売を始めています。

血管モデルBionic-Vasculature

写真3:血管モデルBionic-Vasculature  写真提供:原田加奈子准教授

脳モデル(Bionic-Brain)(後述)は、脳神経外科の経鼻内視鏡手術を対象としています。この手術では、鼻から細長い術具を鼻腔内の狭小な空間に挿入して脳の腫瘍を取り、その後、脳を包む硬膜を縫い合わせます。患者さんの負担が小さい手術で今後の普及が期待されますが、練習するためのリアルな環境がありません。
Bionic-Brainの研究は、世界で最も高精細な頭部3DCG(コンピューター・グラフィックス)を開発するところからスタートしました。MRI(磁気共鳴画像)は21万画素のモノクロ画像で、厚さ0.5ミリ以下の硬膜は撮像すらできないので、CGによるモデル化が有効なのです。この頭部3DCGをもとにBionic-Brainの構造を決定し、硬膜の物性を再現した硬膜モデルを搭載しました。
ちなみに、この3DCGは商用でなければ誰でも無償で利用できるよう一般公開しており、要素技術も社会に還元しています。

頭部3DCG

頭部3DCG  画像提供:東京大学/金太一助教

バイオニックヒューマノイドの特徴は、リアルな環境で、その操作を数値化しながら練習ができるということです。神の手と言われる卓越した技術を持つ医師しかできなかった困難な手術を、多くの医師ができるように普及させたいと考えています。また、このようなリアルな環境を活用して、さまざまな医療機器の研究開発に貢献したいと思っています。

スマートアームを短期間で開発できる実力を証明

――プロジェクトでは、手術ロボット(スマートアーム=写真4)も開発されました。これについても説明していただけますか。

原田 バイオニックヒューマノイドにより医療機器開発を加速するという構想を具現化するために、スマートアームを開発しました。 脳モデルBionic-Brain(写真4)を用いて、医師の要望を正確に理解し、また試作機を評価しながら開発を進めたことで、3年という短期間で世界最高水準のスマートアームができ、バイオニックヒューマノイドが新しい手術ロボットの研究開発を加速することを実証しました。
この分野では米国製手術ロボット「ダ・ヴィンチ」が有名で、主に腹部の手術などに使われています。スマートアームはダ・ヴィンチでは対応できない難度の高い微細手術にも使うことができます。
体内に入れるツールの直径は、ダ・ヴィンチは8ミリですが、スマートアームは3.5ミリと細く、また自動で衝突を避けることができるので安全です。ツールを付け替えることで、脳神経外科だけでなく、眼科などの他の手術にも使えるという汎用性があります。

頭部3DCG

写真4:脳モデルBionic-Brainを用いてスマートアームを操作する様子
写真提供:原田加奈子准教授

バイオニックヒューマノイドやスマートアームの要素技術として、さまざまなセンサーも開発しました。名古屋大学が開発したセンサーは10の6乗というワイド・ダイナミック・レンジを持ち、極小の力から大きな力まで1つのセンサーで測定できます。これは数ミクロンの膜の物性を測定する際にも使用しましたし、眼球モデルの底部にも入っています。東北大学が開発したセンサーは、光ファイバーの先に取り付けるごく小さな圧力センサーで、血管モデルの中に入って血管のわずかな変形を検出しています。

感覚的な医師の表現と、定量化したいエンジニア

――医工の連携では、「医師とエンジニアのコミュニケーションが課題」とよく言われます。使う用語も発想も異なる両者間で、知識や感覚を共有するのは大変だったのではありませんか。

原田 確かに医師は感覚的で定性的な表現が多く、その暗黙知や価値観はエンジニアと共有しにくい面があります。医師の表現は例えば「鼻の奥の硬膜を縫うのは、すごく狭い空間で革ジャンを縫うような感じ」など感覚的ですが、エンジニアとしては、空間の狭さや膜の硬さについての数値が欲しい。また、医師にとっては患者さんの治療が一番大事で、そのためなら工学的進歩性は不要ですし、当初の計画が途中で変わってもかまわないという「臨機応変の文化」があります。エンジニアとしては、やはり性能が優れるものを作りたいという気持ちが強いですし、要求仕様にあわせてモノを作るという計画と結果の一貫性が重視されます。このようなコミュニケーションのギャップというか難しさゆえに、これまで医工連携がつまずいていたのだと実感しました。
また、医工連携では、医師とエンジニアだけでなく、企業や行政との連携が不可欠です。研究者は1点の試作で満足しがちですが、企業は低コストで量産して品質管理もしなければいけない。「患者さんのためになればいいのだから、金もうけなんか考えなくてもいい」とおっしゃる方もいらっしゃいましたが、収益を上げてこそ、継続的に患者さんたちに貢献できます。
さらに行政は、膜をきれいに縫えたというような機器の性能だけでなく、その結果として入院期間短縮などの患者のベネフィットにどう貢献できたかという視点でも評価しますので、その違いを事前に把握しておくことは極めて重要です。

原田香奈子氏

プロジェクトでは共同研究を進め、人材育成に貢献

――各セクターの立場や発想の違いを認識しておかないと、プログラム・マネジャーの役は務まりませんね。

原田 幸いにも私は大学工学部、企業、病院、海外の大学で働いたことがありますので、それぞれの暗黙知や文化の違いを体験したことがあるという強みがありました。
かつて滞在した欧州では、他の国と共同研究ができる人材を戦略的に育てようとしています。例えば、イタリアのロボットとドイツのロボットを合体させて動かすというような半強制的な共同研究を行っていました。当然意思の疎通ができるまでには大ゲンカもあるのですが、大変勉強になりましたし、人材育成としても優れた手法だと感じました。
その体験を生かして、今回のプロジェクトでは、複数の機関が共同研究をしないと成果がでないような体制としました。例えばスマートアームも、アームは株式会社デンソー、その先に搭載するツールは九州大学と株式会社高山医療機械製作所が作り、さらに東北大学のセンサーを載せ、名古屋大学のユーザーインターフェースを使い、東京大学のシステムで統合して動かしています。このような体制で育った若手が今後、人脈を生かしながら活躍してくれると期待しています。
暗黙知や文化の違いに配慮し、常に先回りして問題に対処しながら各セクターをつないでいくことが、プログラム・マネジャーの大きな仕事でした。知的財産の扱いで多少の苦労はありましたが、とてもやりがいのある楽しい3年間でした。

――バイオニックヒューマノイドは医学教育に大きな影響を与えそうですね。

原田 医師のトレーニングは今も「見て盗め」が中心です。バイオニックヒューマノイドなら何回でも練習できますし、いろいろな疾患を再現することもできます。バイオニックヒューマノイドに搭載されたセンサーで医師のスキルを数値で示し、また熟練医のスキルを目標値とすることで努力を促すことが可能です。医学系の学会における認定制度にも活用できると思います。
最近は、大手の医療機器会社や大学、自治体などが医師向けのトレーニングセンターを設置しています。バイオニックヒューマノイドは、そういう施設でも活用できます。

――ところで原田先生はこの3年の間に出産されたそうですが、プログラム・マネジャーと子育ての両立は大変だったのではありませんか。

原田 ImPACTの採択が決まった直後に結婚し、出産し、産休の後は保育園探しと格闘しながらプログラム・マネジャーを務めてきました。今、女性の活躍が叫ばれていますが、誰もがやりがいと責任を持って仕事に取り組み、楽しみながら子育てをするには、もっと保育施設など環境を拡充することが不可欠だと実感しています。
でも、子育ての喜びがあったからこそ、プログラム・マネジャーの重責に対しより積極的に取り組んで来られたのだとも思います。

原田香奈子氏

アメリカの国防総省が巨額の開発資金を出した「ダ・ヴィンチ」

――日本の医療機器産業は輸入超過で、ロボット、センサー、ITなど日本の高度な「ものづくり技術」を生かしきれていないと言われます。なぜ「ダ・ヴィンチ」に遅れをとったのでしょうか。

原田 ダ・ヴィンチはアメリカ国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)が、戦場で負傷した兵士を遠隔治療することを目的として、巨額の開発資金を投じて支援したことがきっかけで開発されました。軍事関係の研究は予算の規模が大きく、多くの優秀な人材を巻き込んだ開発が可能でした。
私がまだ学生だった頃は、日本でも大手メーカー数社が手術ロボットを研究していましたので、日本が技術的に大きく遅れていたわけではないと思います。タイミングよく資金的・人的なリソースを一気に集中できなかったことが原因の1つではないでしょうか。
こうしたハイリスクの研究開発を企業努力だけに頼るのは、どうしても限界があります。今回は内閣府がImPACTで支援したからこそ、資金面でも人的にも研究機関が協働して総合力を発揮でき、これほど短期間に大きな成果を出せたのだと思います。

失敗を恐れる日本社会、チャレンジする海外勢

――やはり、こういった革新的な研究開発には国の強力な支援が不可欠ですね。

原田 日本は研究開発段階での試行錯誤が多く、実用化までに時間がかかっていたと思います。また、規制が厳しい上に、成果を評価する側が開発側をエンカレッジしない傾向があるようにも感じます。海外の共同研究先では、必ず最初に1度褒めた後に「こうしたらもっと良くなるよ」という建設的なアドバイスを出してくれる先生が多いのです。文化的な違いも影響しますが、グローバルな人材交流が多い昨今、「ダメ」と言われるだけでは萎縮してしまいますね。
医療を診断と治療に分けると、日本は内視鏡のような診断機器は強いけれども、リスクの高い治療機器はまだ弱いです。日本は失敗したら2度目が困難な社会なので、リスクに対する恐怖が大きく、なかなか危ない橋を渡りたがりません。失敗を糧に、再び気軽にトライアルができる海外のようにはいかないのです。ImPACTは、まさにハイリスク・ハイインパクトな研究開発を促進するためのプログラムでした。今後も国が研究者たちのチャレンジを支援していく必要がありますし、若手が挑戦的な研究に集中できるように雇用の安定化も進めなければなりません。

原田香奈子氏

作用される側にセンサーを付けて、その視点を生かす

――先生は、「バイオニックヒューマノイドで実践したセンサー付きの“精巧な偽物”を、もっと社会に役立てたい」と述べておられます。医療以外の産業への応用は、具体的にどのような事例がありうるのでしょうか。

原田 例えば福祉分野があります。高齢者を介護するとき、介護者が慣れないと介護される高齢者は痛い思いをすることがありますが、介護者が慣れてくると痛みは減ります。バイオニックヒューマノイドを活用すれば、実際の人間を相手にする前に、センサーをたくさん取り付けたダミーの人形を使ってスキルを数値化しながら十分に練習できると思います。このように実際の人間が実験台にならずにすむ方法を学問として確立できないかと考えています。農業の分野でも、例えばセンサーを埋め込んだ果物の“精巧な偽物”を作れば、ハンドリング技術の数値化や技術向上に役立つかもしれません。
これまで作用する側だけに付けていたセンサーを、対象物である作用される側に付けることで、対象物の視点からスキルを数値化してイノベーションを起こす。これがバイオニックヒューマノイド構想の応用だと思います。

TEXT:木代泰之

原田香奈子(はらだ・かなこ)

東京大学大学院工学系研究科 准教授 バイオエンジニアリング専攻/機械工学専攻(兼担)
2001年 東京大学大学院 博士前期課程修了
2001~04年 株式会社日立製作所
2005~07年 (財)医療機器センター 流動研究員
2007年 早稲田大学大学院 博士後期課程修了 博士 (工学)
2007~10年 イタリア聖アンナ大学院大学 博士研究員
2010~12年 東京大学大学院 特任助教
2012~15年 東京大学大学院 特任講師
2015~18年ImPACTプログラム・マネジャー
(2016~19年 東京大学 准教授、東大/JST間のスプリット・アポイントメント、エフォート90%)
大学・企業・病院・海外での研究経験を有し、薬事や標準化にも携わる。工作機械やロボットの国際共同研究プロジェクトのマネジメント経験も有する。