そのEV(電気自動車)は、東京モーターショー2019の中でもひときわ異彩を放った。
愛称は「ItoP」(アイトップ=Iron to Polymer)。重い鉄などの金属やガラスなどの使用を極限まで減らし、かつ丈夫さが求められる構造材には、柔軟でありながら壊れない新素材「しなやかなタフポリマー」が使われた。ポリマーは全重量の47%を占める。この使用率は従来の車の4倍にあたる。
ItoPは、内閣府の「革新的研究開発推進プログラム」(ImPACT)」の成果の1つ。東京大学大学院新領域創成科学研究科の伊藤耕三教授を中心に、30を超す大学や国の研究機関、大手化学メーカーなどが参加した。
ImPACTでは、車体構造材、リチウムイオン電池、燃料電池、透明アクリル樹脂、タイヤなど、ポリマーを使う全てのパーツで画期的な高性能を実現した。ItoPの温室効果ガス排出量(10万km走行時)は製造工程も含めて11%減らすことにも成功している。しかも、形だけのコンセプトカーと違い、実際に最高時速145 kmで走る。まさに日本の最先端素材開発の底力を示した成果である。
開発者で、このプロジェクトのプログラム・マネージャー(PM)を務めた伊藤教授に、具体的な成果や意義、今後の見通しなどを伺った。

化学メーカー5社や大学・研究機関のスーパースターが集合

――プロジェクトには、13の大学と理化学研究所に加えて、東レ株式会社、三菱ケミカル株式会社、住友化学株式会社、AGC株式会社、株式会社ブリヂストン、旭化成株式会社、宇部興産株式会社の化学メーカー7社、そして日産自動車株式会社、東レ・カーボンマジック株式会社が参加しています。その概要を説明していただけますか。

伊藤 このプロジェクトは、自動車用の新しいポリマーを開発するのを目的に、2014年10月にスタートし、2019年の3月に終了しました。コンセプトカーが完成したのは2018年の9月です。正式には「超薄膜化・強靭化『しなやかなタフポリマー』の実現」というプログラム名を付けました。図1にあるように、プログラム・マネージャー(PM)に任命された私は、テーマごとに開発グループを作り、その分野で産学官のスーパースターといわれる研究者や技術者の皆さんに集結してもらうことに決め、スタートしました。

プログラム参加機関

図1:プログラム参加機関。テーマごとにその分野のスーパースターである大学や化学メーカーのメンバーが参加
出典:伊藤耕三教授

大学の研究者は皆さん基礎研究が専門で、産学連携の経験がない方も少なくなかったのですが、意外性のあるアイデアを出されたりして、終わってみれば、素晴らしいブレークスルーを達成することができました。
本プログラムの最終目標として、この成果を国民の皆様にどのような形で見てもらうのがよいかが話題になりました。飲み屋に集まって相談した結果、コンセプトカー「ItoP」を作ってアピールしようとなったのです。
ItoPはリチウムイオン電池で走る3人乗りのEVです。重量は850kgで、従来の同サイズの車より40%も軽い。全長4.28m、幅1.93m、時速は最高145kmで、航続距離は約200kmです。自動運転は費用がかかるので今回は取りつけていません。
独特のスタイルは、しなやかさや自己修復性のあるトカゲをイメージし、実在する「しなやかトカゲ」を参考にしました。ItoPは国内だけでなく、将来は海外でも展示する予定です。

ItoP外観

ItoP内部

どのテーマも「現状より10倍の性能向上を目指す」が目標

――「複数企業が参加する国家プロジェクトは、運営が難しい」という声を聞きます。その問題をどのように乗り越えられたのでしょうか。

伊藤 確かに1つのテーマに複数の企業が一緒に取り組む形では、各企業が互いにけん制し合ったり、企業機密の問題もあってデータを出さなかったりして、力を発揮できないことがあります。
そこで今回はテーマを5つに分け、1テーマに参加企業は1社という割り振りをしました。大学や理研の研究者は自分が関係するテーマに適宜参加します。私はこれを「マトリックス方式」と呼んでいます。こうすれば、各社は思う存分力を発揮できるだろうと考えました。
当初は人数が少なかった企業も、最終的には40~50人の方が関わってくれました。本気になると日本企業は本当に強い。5つのテーマのうち3つぐらい成功すればいいかなと思っていたら、結果は5つとも大成功でした。「自社の強みを発揮し、何としてもしなやかなタフポリマーを使った最高の車を作る」という共通の目標があったことが大きかったと思います。

伊藤耕三氏

リチウムイオン電池や燃料電池も性能が大幅アップ

――各テーマではどのようなブレークスルーが達成できたのか、個別に説明していただけますか。

伊藤 東レは車体構造材を担当し、土台になるモノコックボディ(写真1)の製作には、子会社の東レ・カーボンマジックが協力してくれました。樹脂を炭素繊維で強化したCFRP製で、重量を大きく減らすことができました。
CFRPには、強度を高めるほど逆に壊れやすくなるという悩ましい性質があります。今回、私たちは後で説明するポリロタキサンを加えることで、衝撃に強く、かつ疲労に対して3倍も壊れにくい理想的な構造材の開発に成功しました。スプリングやホイールは、現在の金属からこの構造材に取り換えて軽量化しました。
また車に加わる衝撃を吸収するクラッシュ・ボックスは、ポリロタキサンを加えたポリアミド樹脂とグラスファイバーの複合体で作り、車の側面と前部に設置しました。

ItoPモノコックボディ

ItoPモノコックボディ

写真1:ItoPのモノコックボディ  出典:東レ・カーボンマジック(株)

ブリヂストンはタイヤを担当し、新しいゴム素材を開発してタイヤの膜厚を2分の1にすることに成功しました。このゴム素材は二重のネットワーク構造を採用しており、亀裂が進展しにくいのが特長です。摩耗が60%減ったので、薄くても耐久性があります。重さも11kgから6kgへと約半分の重量に減らすことに成功しました。ただ、走行時に若干ノイズが出るので、これを減らすのがこれからの課題です。

三菱ケミカルはリチウムイオン電池のセパレーター(膜)を担当しました。厚さを従来の25ミクロンから5ミクロンに減らす一方、針を突き刺す試験で強度を3倍に高めることができました。しかも、セパレーターの微小な穴のサイズが均一になり、イオンの通りがよくなったので電池容量が20%増え、小型化が可能になりました。充電時間も短くなります。

AGCは燃料電池の電解質膜を担当しました。今回のItoPには搭載していませんが、電解質膜の厚さを従来の25ミクロンから5ミクロンまで5分の1に薄くすることに成功しました。従来は車が発進・停止すると膜が水を吸って伸び縮みし、いつか破れるのですが、新しい膜はこれだけ薄くなったにもかかわらず耐久性が5倍に向上しました。

住友化学は丈夫な透明樹脂の開発を担当しました。ガラスに替わるもので、非常に難しい課題でした。従来の透明樹脂は、警官の盾に使われているポリカーボネートが一般的ですが、柔らかくて傷つきやすいのが問題でした。今回は、特に丈夫な透明アクリル樹脂の開発に成功し、ItoPでは後部の曲面のリアウインドーに使っています。

プロジェクトには日産自動車も参加しましたが、車を製造するためではありません。役割は2つあり、1つは性能向上の目標設定です。車メーカーの視点で見て「これはすごい!真のイノベーションだ」という内容にしたかったのです。日産が提示した目標は「どのテーマも現状より10倍の性能向上、あるいは1/5の薄膜化を目指す」という非常にハードルの高いものでした。
もう1つの役割は、できた新材料を試験して車で使えるかどうかを評価してもらうこと。とても厳しい試験で、ダメ出しされて何度もやり直したこともあります。

ItoP試験の様子

――わずか4年間で、これほどたくさんの成果が出たことに驚きます。他の産業分野でもこのように成果を出せれば、日本の製造業はもっと活気が出るでしょうね。

伊藤 企業や大学がみんな競い合い切磋琢磨して、本気で努力してくれたからだと思います。予算面ではImPACTの資金は約50億円でしたが、5社ともそれでは足りずに計30億円程度を持ち出して開発に当たってくれました。開発に伴う知的財産は各社に帰属するので、今後の商品化に向けて各社にメリットがあると思います。
ImPACTのやり方は、他の国家プロジェクトとはだいぶ違います。普通はリーダーがいてチームのメンバーを全部決めてから政府に申請しますが、ImPACTではまずリーダーだけが決まります。その後4カ月程度の作り込み期間が与えられて、メンバーを選んでからスタートしました。予算額は毎年査定されて上下するので、気を抜けません。

伊藤耕三氏

輪の中を軸が移動する「滑車効果」で力を分散し破壊を防ぐ

――ところで、そもそも「しなやかなタフポリマー」とはどんな物質なのでしょうか。また先生のこれまでの研究の歩みをお聞かせください。

伊藤 ポリマーはペットボトルや消しゴム、洋服、スマホの画面カバーなど身近に使われていますが、薄くすると破れやすく、固くすると脆くなるという弱点を持っています。これを薄くしても破れず、固くしても脆くならないポリマーにすることができれば、用途は大きく広がります。それがプロジェクト名にある超薄膜化と強靭化を併せ持つ「しなやかなタフポリマー」の意味です。

最初に私がこの分野の研究に関わったのは、1995年に中国で開催された国際会議に参加した時、超分子化学を専門とする大阪大学の原田明助教授(現・教授)に初めてお会いしたのがきっかけでした。
原田先生が1990年に初めて合成された「ポリロタキサン」は、「軸」の構造を持つ高分子「ポリエチレングリコール(PEG)」と、 「輪」の構造を持つ環状分子「シクロデキストリン(CD)」、ストッパー分子の3つの分子から構成されています。シクロデキストリンとポリエチレングリコールを反応させると、輪が軸に自動的に入って行く現象が起きるのです。このネックレスのような構造をした高分子がポリロタキサンです(図2)。
この現象は物理の原則である「エントロピー増大の法則」に反するので、最初は信じられませんでした。しかし、原田先生から帰りの飛行機の中で、詳しい説明をお聞きすることができ、私は帰国後、それまでの研究テーマをこの面白い現象の解明に切り換えました。原田先生には、今回のプロジェクトでも「分子結合制御の新手法開発」という役割を担っていただいています。

ポリロタキサンの構造

図2:ポリロタキサンの構造
出典:伊藤耕三教授

――ポリロタキサンを使うと、なぜ「しなやかでタフな材料」ができるのでしょうか。

伊藤 その後、私の研究室では、このポリロタキサンを応用し、架橋点が自由に動く高分子材料(環動高分子材料,:スライディング・マテリアル)を創製することに成功しました。
ポリマーは元々、弱い材料、脆い材料とされてきましたが、ポリロタキサンは外から力が加わると、輪が軸に沿って移動して力を分散させます。力が1点に集中することを緩和して壊れるのを防ぐ働きをするのです。これを「滑車効果」と言います。
架橋点が自由に動く環動高分子材料では、高分子が架橋点を自由に通り抜けることができるため、高分子鎖の張力が均等になるような位置に架橋点が移動し、ゲル全体の構造および応力の不均一性を分散することが可能です。
柔らかいゲル状のものは押しても潰れず、ハイヒールで踏んでも壊れないなど、これまでにない優れた性質を持っています。このスライディング・マテリアルが、「しなやかなタフポリマー」の代表例の1つなのです(図3)。

スライディング・マテリアルズの構造

図3:架橋点が自由に動くスライディング・マテリアルズの構造
出典:伊藤耕三教授

いろいろなポリマーに「しなやかなタフポリマー」を加えると、元のポリマーの特質を残したまま、しなやかで強靭なポリマーに作り替えることができます。これを例えば塗料にして塗ると、表面に付いた小さな傷が自己修復します。

研究室として初めて特許を申請したら、海外企業が大変興味を持ち、大金で特許を売ってほしいと訪ねてきましたが断りました。そして自分たちで東京大学発ベンチャー「アドバンスト・ソフトマテリアルズ」を設立して、周辺特許も獲得しました。

伊藤耕三氏

当面の利用はスマホ、メガネフレーム、ロボット、スポーツ用品など

――先生は「最終的には車にもっと多くのポリマーが使われるようにしたい」と述べておられます。見通しはいかがですか。

伊藤 自動車業界ではこれまで「ポリマーは軽いけれど、脆くて信頼性が低い」と言われていました。そのため主要な構造部分はほとんど鉄などの金属で作られています。もし、そういう部分に「しなやかなタフポリマー」を使うことができれば、車の重量を半分、燃費を2倍にすることができ、世の中は大きく変わります。それがImPACTのプロジェクトの狙いでした。
今回の5つのテーマのうち環動高分子は東レが採用し、ItoPでは、モノコック、クラッシュボックス、スプリング、ホイールなどに使われています。他のテーマでは、他の大学や企業が保有する別の技術が使われています。環動高分子にこだわらず、各材料に最適な技術を使うことで、各テーマとも目標が達成できました。

 ItoPというコンセプトカーは、「ポリマーを目いっぱい使うとこんなにすごい車ができますよ」というイメージを示すために作ったものです。ポリマーは車の体積の90%、重量の47%を占めており、この辺りが限界かなと思います。モーターなどは金属以外に考えられないからです。

車は技術的にもコスト的にも非常にハイエンド(最上級)のものが要求される商品です。ポリマーが採用されるまでの関門がとても厳しいだけでなく、現在販売されている車の使用率は重量で10%程度しかありません。実は、ポリマーにとって車は最も難しい存在なのです。だからこそ、挑戦する意義がありました。
このため一般車に「しなやかなタフポリマー」が利用されるようになるのは、10年ぐらい先かなと思っています。
それまでの間はスマホのカバーやパソコン、メガネ、ロボット、スポーツ用品、ベルトコンベアなどでの利用が考えられます。スマホのカバーは現在ガラス製で、よく割れているのを見かけますが、「しなやかなタフポリマー」が使われれば、割れる心配は無くなります。またポリマーはリサイクルして使えるので、この点も今後の研究対象になります。

伊藤耕三氏

金属やセラミックスより歴史が浅いポリマーは、伸びしろが大きい

――プロジェクトでは大型放射光施設のSPring-8やスーパーコンピューターで高分子の構造を解析し、「30年間停止していた分子結合の破壊の学問が発展して、戦略的な分子設計が可能になった」と述べておられます。究極の新素材開発に挑む抱負をお聞かせください。

伊藤 SPring-8は283日も使わせていただいて感謝しています。これが強力なツールになり、学問的な解明がずいぶん進みました。その1つが、ポリマーが引っ張りによって壊れるときの様子を観察できたことです。
例えば同じ透明樹脂でも、種類によって強靭性はまるで違います。なぜそうなのか未だに分かっていなかったのですが、その理由が解明できそうになってきました。この解明にはスーパーコンピューターによるシミュレーションも大きく貢献してくれました。

今回いろいろなポリマーの破壊のメカニズムが分かってきましたが、これはポリマーをタフにするための処方箋が手に入ったことを意味します。将来は例えば、車向けとして、ぶつかっても人を傷つけないようなポリマーを開発する余地は大いにあります。
また今後は、石油に頼らない生物由来のバイオプラスチック(例えばポリ乳酸)のように、もろくて使いにくいポリマーを「しなやかなタフポリマー」にする研究開発も進めたいと思います。そうすれば、日本の化学産業の国際的な競争力維持に貢献できるのではないかと思っています。
ポリマー研究の歴史は浅く、ポリマーがヒモ状だと分かったのは、たかだか100年前です。数千年の歴史がある金属やセラミックスに比べるとごく短いので、今後も性能が伸びる可能性は大いにあると思っています。

TEXT:木代泰之

伊藤耕三 (いとう・こうぞう)

東京大学大学院新領域創成科学研究科教授
1986年 東京大学大学院博士課程修了。1986~91年 繊維高分子材料研究所 研究員、2003年~ 東京大学大学院 教授。2005年~ アドバンスト・ソフトマテリアルズ株式会社(ASM)取締役。
2014年~ ImPACT プログラム・マネージャー。
1999年に、架橋点が自由に動く高分子材(スライドリング・マテリアル:SRM)を発明。同材料の驚異的なタフネス特性に着目し、2005年にASMを設立。新材料の開発とともに、事業化に向けたマネジメントにも従事。