アフリカ布×浴衣――日本人起業家がベナンで目指す「寄り添う」ソーシャルグッド

西アフリカで流通する伝統的なアフリカ布、パーニュ。近隣諸国では年々使われる機会が減っている中、ベナンでは今も多くの人たちがパーニュで仕立てた服を着ている。しかし、ベナン国内においては需要を上回るほど多くの仕立屋が存在するため、技術を持ちながら仕事を得られないでいる女性が少なくない。

そこでパーニュの活用先として日本の伝統衣装である浴衣に着目したのが、株式会社シェリーココ代表の川口莉穂氏。クラウドファンディングを活用しながら、浴衣以外にもデザイン性の高い商品を生み出し、現地の雇用創出を実現させている。公的機関ともNPOとも違う、ビジネスを通した新しい支援の在り方について、同氏に話を伺った。

タイ留学が灯した、途上国支援への消えない情熱

――川口さんは大学卒業後の2014年から2016年にかけて、JICAの青年海外協力隊の隊員として西アフリカのベナン共和国で活動されました。そもそも途上国支援に関心を抱かれたきっかけは何だったのでしょう。

川口 高校2年のとき、交換留学生としてタイの田舎町に行ったことです。当時の私には特に将来の夢はなく、タイ留学も母や姉に背中を押されて決めたに過ぎませんでした。ですが、現地の友人の質素な暮らしぶりや、私と同世代の女の子たちが客引きをする姿に衝撃を受けて、途上国の抱える社会問題に目が向くようになりました。帰国後は児童売春について調べたり、それを題材にした映画を見たりと、関心が途切れることはなく、大学入試の面接でも「児童売春を解決したい」という話をしました。

――大学ではどんなことを学ばれたのでしょうか。また、青年海外協力隊への参加はいつ決められましたか。

川口 ソーシャルイノベーションや子どもの心理について学んでいました。大学で4年間を過ごしても、途上国支援の道に進みたいという気持ちに変化はなく、就職活動中も同様で、唯一就職したいと思ったのがJICA(独立行政法人国際協力機構)でした。ただJICAは不採用になってしまいまして……。そこから青年海外協力隊へ目を向けたのは、大学卒業後のことです。「JICA職員にはなれなかったけれど、青年海外協力隊というものがあったな」と思い出し、応募しました。2年間現場に入れる協力隊はとても魅力的だなと思ったので、参加を決めたんです。

川口さん

――青年海外協力隊はさまざまな国で活動を行なっています。ベナンに行くまでにどのような経緯があったのでしょうか。

川口 応募の際には希望する国を3つと、それぞれの志望理由などを書きます。私はタイで活動している自分しかイメージできなかったので、第一希望以外は空欄にしました。タイ語が喋れたので即戦力になるだろうという思いもありました。

ところが、蓋を開けてみると、派遣先はなぜかベナンだったんです。それもまったく知識のない学校保健の担当でした。公用語のフランス語ももちろん話せませんでしたし、正直、いまでもどういう基準で私がベナンに選ばれたのかはわからないままです。

――ベナンではどこでどんな活動をされていたのですか。また、実際に現地に行って驚かれるようなことはありましたか。

川口 私が赴任したのは、ナイジェリア寄りの内陸にあるアジョウンという小さな町です。途上国にはタイで慣れていたせいか、カルチャーショックはそれほど感じませんでしたね。ただ、一番驚いたのは、ベナンの人たちがすごく親切で人懐こいことでした。家族や親戚、友人だけでなく、はじめて会う人でも何かあったらすぐに手を差し伸べる、とても心優しい人々だったんです。

現地での私の仕事は、週に5日、地域の小学校をまわっての手洗いなどの保健指導や、各家庭を訪ねるマラリア予防の啓蒙活動などでした。夕方には仕事が終わるし、土日はお休み。意外と空き時間がありましたね。

人との出会いが生んだアフリカ布×浴衣ビジネス

――その中で出会ったのが、「パーニュ」というアフリカ布だったのですね。

川口 そうです。パーニュのようなアフリカ布は、アフリカのどこにでもあります。衣服用としては、Tシャツに取って代わられている国もありますが、ベナンではまだ半分以上の人がパーニュで作った服を身にまとっています。特徴は、見ているだけで元気になってくるカラフルな色彩と多彩な柄です。ベナンは綿花栽培が盛んなこともあって、市場に行くとパーニュがそれこそ何千何万と並んでいるんですよ。私は無地の服が好きなのですが、そんな自分でも「かわいい」と感じるパーニュがたくさんありました。なので最初は個人的に購入し、ワンピースや浴衣にしていました。

ベナンのパーニュ市場

ベナンのパーニュ市場  提供:川口莉穂氏

――最初から浴衣を作っていたわけですか。

川口 はい。浴衣を日本から持参していたので、それを仕立屋さんに持ち込んで「同じ物を作ってほしい」と頼みました。後でわかったことなのですが、ベナンの職人は下手に型紙を見るよりも現物を見た方が作れるようです。また、これも偶然なのですが、浴衣は袖の一箇所を除けば全て直線縫いで、浴衣を知らない外国人でも縫いやすい形状をしています。もちろん、このときはまだパーニュの浴衣を日本に輸出しようなどという考えはなく、単に自分用に作っただけでした。

――それがどうしてビジネスにつながっていったのでしょうか。

川口 きっかけは、人々との出会いでした。現地で私が住んでいた家の近所に、ベルアンジュという中学生の女の子が住んでいて、何度も顔を合わせている間に仲良くなったんです。そうしたら、ベルアンジュの家に出入りしているメメという3歳の男の子と、そのお母さんとも知り合いになりました。メメのお母さんはシングルマザーで、仕立ての資格を持っているけれど今は仕事がなく、ベルアンジュの家族からお金や食べ物を分けてもらって生活しているというのです。そこで、ベルアンジュと「メメ親子のために何かできることはないだろうか」と相談して閃いたのが、浴衣ビジネスでした。パーニュで浴衣を作って、それを日本で売れば彼女の収入になると思ったのです。

そこで協力隊の仕事をする傍ら、浴衣の縫製を始めることにしました。2015年に日本のクラウドファウンディングサービスを使って資金を募ったところ、75人の方から合計70万円以上の支援をいただくことができたので、これを元手にミシンを購入し、同年にはアトリエを構えることができました。当初のスタッフは、縫製担当がメメのお母さんともう一人、パーニュの仕入れやアトリエ運営担当はベルアンジュというごく小規模なものでした。

シェリーココのスタッフたちとその家族

シェリーココのスタッフたちとその家族  提供:川口莉穂氏

――川口さんは現在どのくらいの頻度でベナンに行かれているのでしょうか。

川口 年に3回くらいは現地に行っていて、一度につき1〜2ヶ月は滞在します。その間にパーニュを仕入れたり、新しい職人を雇ったり、提携先と打ち合わせをしたりと、現地でしかできない仕事をしています。パーニュは、アトリエのある町から1日かけて大きな町に赴き、仕入れます。パーニュだけが売られている市場で使えそうな柄を探すのですが、私はこだわりが強いのか、1日中見ても気に入った柄が見つからない日もあって(笑)。

ここ数年、アフリカ布は日本でも人気が出始めているのですが、私が目指しているのは、アフリカ布のファンではない日本のお客様にも「かわいい」と感じてもらえる商品作りです。そこを意識して、日本で好まれるような花柄などの布を選ぶようにしているので、実際、アフリカ関連のイベントで他社さんの製品と並ぶと、シェリーココだけちょっと浮いていたりしますが、自分ではそれでいいと思っています。

「日々の生活に寄り添う」中で「世界を変える」支援の形

――アトリエを開いた翌年に、青年海外協力隊の任期終了に伴って帰国されましたね。2017年には法人化されていますが、個人事業主ではなく株式会社にしたのはなぜでしょうか。

川口 すでに実態としての事業があるので、社会的な信頼を得る意味でも法人にした方がいいと思ったのです。また、シェリーココの商品は、単純に「かわいい」ものだから売るのであって、「開発途上国を助けてあげよう」というような動機で買ってもらうものにはしたくなかった。商品の背景を知らなくても購入していただけるようなビジネスとして成立させたいという思いを持って、会社にしたんです。そして売る以上は、日本のお客様が納得するクオリティでなければいけない。だから、その点も縫製スタッフにきちんと説明して、丁寧な仕事を心がけてもらっています。

――起業されて3年目になります。事業の現況について教えてください。

川口 商品のラインナップは浴衣だけだったのですが、どうしても売れる時期が夏に限られてしまうので、現在は雑貨やアパレルといった、年間を通して需要がある物も作っています。最初はクラウドファンディングのリターンとして送るのみでしたが、自社オンラインショップを中心に、リアルの場では商業施設の催事場や、アフリカ関連のイベント会場に置くなど、販売経路も拡大しています。おかげさまで認知度も向上してきており、友人や知り合い、あるいはそことつながりのある方が買ってくれる程度だったのが、まったく知らない方からの注文が増えてきました。また、ベナンでも自社アトリエのほかに、いくつかの仕立屋とも提携し、商品にバリエーションを出しています。

――実店舗として、直営店を持つ予定はあるのでしょうか。

川口 実は一度、実店舗を持つことを目指して生産量を増やしたことがあります。ところが、待っていたのは非常に忙しい毎日で、気がつくと私もベルアンジュも仕事量のキャパシティを超え、精神的余裕を失ってしまいました。メメのお母さんを含めスタッフたちにも、長時間の作業をさせてしまうことになり……。そのとき、「これは自分が目指していたものとは違う」と感じて一旦計画を白紙に戻したのです。シェリーココの事業はベナンにいる女性たちの日々の生活や、自立を支援するためのものであって、無理に会社を大きくすることが目的ではない。だから、店舗を持つのはまだ先でいいと決めました。

川口さん

――働いている人が幸せでないと意味がないですものね。ところで、日本だけでも、さまざまな形で途上国支援を行なっている方々がいらっしゃいます。彼らの活動や、従来の国際支援の在り方について、何か思われていることはありますか。

川口 アフリカを見ていると、最近は私と同じくビジネスという形での支援をお考えの方が多いようです。しかし、依然としてお金や物資の支援だけで終わっている方々もいます。もちろん、災害などの緊急時にはそういった支援が必要なので完全に否定はしませんが、個人的には疑問を感じる部分もあります。

先日もベナンに行った際、いきなり路上で「お金をくれ」と現地の男子学生に言われました。話を聞くと、住民にお金を渡している日本人が同じ町にいたそうなのです。そのせいで、彼の中では「外国人はお金をくれる存在」ということになってしまった。こうした行為は、結果的に彼らの自立を妨げることになってしまいます。支援をするのなら、本当の意味で現地の人の役に立つ支援を考えなくてはなりません。ただ、その方法は現地に深く入り込まないことには見出せない気もします。

――川口さんは現地に深く入り込み、アフリカ布製品の市場開拓とベナン人女性の雇用創出を両立されています。易しいことではないと思いますが、ご自身のモチベーションはどこから生まれているのでしょうか。

川口 大学時代までの私には「世界を変えたい」といった大きな夢がありました。けれど、ベナンに来て現地に入り込めば入り込むほど、その思いは形を変えていきました。私が出会った現地の人々は、大きな未来といったものは見ていなくて、日々の生活を懸命に送っています。

そして、経済的には裕福ではないけれど、困った人がいればすぐ手を差し伸べる。赤の他人でもお金に困っている人がいれば、自分が借金をしてまで用立ててあげる姿もみてきました。最初にお話した通り、やはり親切で人懐こい。私はこうしたベナンの人々の姿勢がとても好きですし、ベルアンジュやメメのお母さんたちとの関係を大切にしたいと願っています。彼女たちがいるからこそ、シェリーココの活動もできる。逆に言うと、「世界を変えたい」というような大きな目標をモチベーションにしていたら、ここまで続けることはできなかったように思います。

川口さん

川口 実は日本に戻った頃、はたして私はこのままでいいのだろうか、と悩んでいた時期もありました。そのとき、JICA職員として働いている友人が「JICAもシェリーココも目指しているところは同じだよ」と励ましてくれました。JICAは遠い先を見通して事業を行なっている。一方、シェリーココは近い未来を見ながら毎日を積み重ねている。見ているところは違うけど、結果としては同じ場所につながっているのではないか、という友人の言葉で、とても気持ちが楽になりました。

もちろん、ベナンという国がもっと良くなれば嬉しいですし、できることなら世界をいい方向に変えたいです。でも、それはあくまで結果であって、いまの私のモチベーションは、自分を支えてくれるシェリーココの仲間たちと前に進んでいくこと。ですから、彼女たちとの関係が崩れない限り、この活動は続けていくと思います。

私の場合は、どちらかというと、大きなことを話し合う場にいるよりも、現場で泥臭く活動する方が合っているようです。これからもそうした姿勢で現地に寄り添って生きていきたいですね。シェリーココの取り組みを通じて、お金や物資だけじゃない国際支援の方法があると若い世代に伝えることには、大きな意義があると考えています。

川口さん

TEXT:中野渡淳一、PHOTO:山崎美津留

川口莉穂(かわぐち・りほ)

株式会社シェリーココ 代表取締役社長
1990年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。高校2年生のときに留学したタイでの経験から国際協力、途上国支援といった分野に興味を抱く。同大卒業後の2014年に青年海外協力隊の隊員として西アフリカ・ベナン共和国に渡る。現地で青少年活動に従事するかたわら、現地女性の雇用創出に取り組む。2015年よりアフリカ布を用いた浴衣の製作を開始。日本帰国後の2017年、株式会社シェリーココを設立。現在、同社代表取締役社長。