林業で食べていく!木材の未来を切り出す東京チェンソーズ

東京都多摩地域西部に位置する東京都檜原村。面積の93%を林野が占めるこの村を拠点に、新たな林業に取り組んでいる会社がある。従業員19人、平均年齢34歳の東京チェンソーズだ。木の可能性を追求し、従来は廃材として捨てられていた部位に価値を見いだす。「消費者自らが机を作る」「30年かけて苗木から育てる」といった“木を通じた体験”を商品化する。こうしたさまざまな取り組みを通して「稼げる林業」を目指す同社は、補助金頼みの公共事業と揶揄されてきた日本の林業に風穴を開ける存在だ。

同社が企業理念として掲げるのは「東京の木の下で、地球の幸せのために、山のいまを伝え、美しい森林を育み、活かし、届ける」こと。代表の青木亮輔さんの話からは、これからの林業のあり方だけでなく、地域との共生や持続可能な開発など、今、世界中で取り組んでいる社会課題へのヒントが見えてくる。「地球の幸せのため」という理念も決して大げさではない。

日本の林業には可能性がある。むしろまだ何も始まっていない

——まずは日本の林業の現状と可能性について、どのように考えているかお教え下さい。

青木 可能性は大いにあると思います。むしろ、まだ何も手がつけられていないといってもいいかもしれない。ここ数十年、日本の林業は「維持する」ことが中心でした。林業の歩みを少しお話しすると、日本では戦前、戦中と木材の需要が高く、一時は全国が禿山だらけになってしまうと思えるくらい伐採されました。戦後、各地で植樹が行われましたが、木はすぐに育つものではありません。そのため、高度成長真只中だった日本は輸入木材に頼るようになり、この間に林業の担い手は減り、国内産木材の値段も下落しました。

一方、木は植えたら後は放ったらかしでいいというわけではありません。適当に間引かないと1本1本がきちんと根を張らず、光を求めて上に伸びていくだけの弱い木になってしまいます。また、森林は国土の保全や水源のかん養機能の役割を担っています。戦後、荒廃した山で災害や水害が頻発したのはそのためで、災害防止の観点から公益性が高い森林整備には国から補助金が出るようになりました。こうした諸々の事情によって日本の林業は、植樹、下草刈り、間伐など「山の手入れ」をする公共事業的な仕事を主とした補助金頼みの産業になったのです。

つまり、植樹からの60年は木を「育てる時代」だったともいえます。そして、ようやく伐採ができる状態になった今、いかに人材を確保し育てるかが大事になっています。

——青木さんが、「緊急雇用対策事業」によって東京都檜原村森林組合に臨時採用され、檜原村で働き始めたのは2001年ですね。それから約20年、環境に変化は感じていますか。

青木 変わりましたね。僕は、林野庁の「緑の雇用」事業(林業労働力確保のために、研修生らの給料の一部や研修費用を国が負担して森林組合や林業経営体を支援する)の第1期生でもあるんです。この事業のおかげで若い人たちの参入が増えました。

それに伴って、各地域の林業が見えやすくなりました。僕がこの仕事を始めた当初は、隣の奥多摩町でさえ、誰がどのように働いているかわかりませんでしたから。各現場がそれぞれ、「親方のやり方が絶対」という閉鎖された世界だったんです。それが、「緑の雇用」事業で複数の森林組合が一緒に研修を受ける機会ができたことで横につながれるようになりました。もちろん、SNSなどインターネットの影響もあります。新たに林業に入ってきた若い人たちがSNSで発信することで、情報の共有も活発になりました。

ただ、若者の参入が増えたとはいえ、離職率も高く、林業に携わる総人口は25万人といわれたピーク時の5分の1程度。林業人口を増やしていくには、この世界に入った若い人たちが働き続けたいと思える環境、つまりは生活できる・儲かる業界にしないといけません。簡単ではありませんが、さほど手がつけられていない分、可能性は大きいと思っています。

——2006年に東京チェンソーズを立ち上げられていますが、その歩みを見ていると、まさに「稼げる林業」へのプロセスだったように思います。ただ、20年前の林業の実情を考えると、そこに飛び込むのは勇気がいることだったのではないでしょうか。

青木 たとえば日給月給制など、不利な実情もありましたが、当時は結婚もしていなかったので待遇については二の次でした。それに、僕が森林組合に入った当時は就職氷河期でもあったので、あまり待遇には期待していなかったんです。それより自然の中で働きたかった。どうせ期待できないのなら、やりたいことをしたほうがいいなって(笑)。実際、山で働いてみると、ものすごく気持ちが良かったんです。間伐など人の手を加えることによって荒れた山の環境が改善する、そんな様子を目の当たりにできる仕事にやりがいも感じました。

ただ、自分の後に入ってきた若い人たちの中には子どもがいる人もいて、現状の待遇では、いくら仕事に魅力を感じたとしても、続けていくことは難しいと思うようになりました。そこで、森林組合に待遇交渉してみたものの状況を大きく変えるには至らなかった。それなら独立して自分たちが理想とする会社、業界にしていこうと、4人のメンバーで東京チェンソーズを立ち上げたのです。

——林業を続けるという選択をされたのですね。収益性に不安はなかったのでしょうか。

青木 森林組合と交渉する中で、自分たちが実際に現場でどれくらいのお金を稼ぎ出しているかを数値化していたので、独立してもやっていけるという予測は立っていました。森林組合に、広域合併によって内部をスリム化して業務を外注化する動きが出始めていたこともあり、独立自体はスムーズでしたね。良好な関係のまま独立できました。

もちろん、楽観視はできない状況でしたが、林業自体に対するネガティブな感情はまったくありませんでした。高齢化の進むこの業界で、若い僕らが頑張らなくては、という気持ちも強かった。組合への待遇交渉も独立もすべて、この仕事を続けていくためにはどうしたらいいのかという課題解決のための行動でした。林業を続けていくため、常にそう考えて、ここまできたと言えるかもしれません。

木を切り出して、初めて肌で感じた林業の現状

——独立後しばらくは、森林組合からの下請け仕事が100%だったそうですが、2010年に元請けにシフトしていますね。それはどのような経緯だったのですか。

青木 独立したとき、「月給制」「社会保険加入」は絶対に取り入れると決めていたので、そこから逆算して月の売上目標を決め、いかに効率的に仕事をこなすかを考え、仕事のクオリティを上げていきました。ただ、3〜4年も経てば限界はきます。当初の目標はクリアして、経営は安定していたのですが、自分たちが企業理念として掲げていた「美しい森林を育み、活かし、届ける」の実現のために活動したり、そのための人を増やしたりするまでの余裕はありませんでした。そこで、次の段階として元請けにチャレンジすることにしたのです。

東京都で4番目となる林業経営体の認定も受けましたが、いきなり元請けにシフトしたわけではありません。「緑の雇用」対策事業を利用して人を育てながら、下請けで経営を安定させつつ、徐々に信用を得て元請けの割合を増やしていきました。2014年ごろからは伐採・搬出にも挑戦しています。

——林業というと、「木を伐採し、製材として市場に出す」ことを漠然と連想しますが、伐採・搬出を始めたのは、この段階だったのですね。

青木 そうです。これまでは「育てる時代」でしたから。実際に伐採して市場に出す仕事を始めて、あらためて林業の陥っている現状を、身をもって知ることになりました。森林から木を切り出し、丸太のいい部分を3〜4mに玉切りして、トラックに積んで市場に運び、競り(せり)にかけるのですが、この1本がいくらで売れると思いますか? ……3,000円です。60年かけて育てた重い木を苦労して運んで、高級フルーツ1個分ほどの値段でしか売れない。産業が成り立つわけがありませんよね。

こんなふうに丸太を売る林業からは脱却しないといけない。そのためにどうするかを考えました。市場価格を上げることは自分たちだけではできません。そこで、1本の木の価値を高める方法を模索したのです。たとえば、丸太を薄く輪切りにすると、子どもの遊び道具や石畳のような素材として使えます。それを1枚600円で売ると5枚で丸太一本分になる。樹皮を剥き、表面を滑らかに仕上げるとさらに高く売れます。枝や樹皮、根などこれまで捨てていた部位も活用することにしました。葉のついた枝は、ディスプレイやリースの材料として使ってもらえます。これまでの大量生産・大量消費の時代には、建材には規格が求められ、曲がった木や、丸太以外の部位は捨てられましたが、今はむしろ個性ある木材へのニーズが高まっています。こうした素材を単価とともにリストにして「一本丸ごとカタログ」という冊子を作りました。

一本丸ごとカタログ

当社では、10ヘクタールの社有林と、管理を委託されている周囲の林を合わせて25ヘクタールの森林に対して、「森林管理(FSC®︎-FM認証)」を受けています。また、その森林から消費者に林産物を届けるために、「加工・流通過程(FSC®︎-CoC認証)」も取得しています。それら認証に則って計算すると、当社が伐採できる木は80立米(㎥)ほど。市場に持っていけば、わずか80万円にしかなりません。それを独自の直販ルートや1本丸ごと商品化するなどで最低3,000万円、ゆくゆくは5,000万円程度で売り上げるようにすることが僕たちの目標です。

——資源の利活用からも夢のある事業だと感じます。他にも「東京美林倶楽部」「森デリバリー」など、従来の林業からの脱却ともいえる取り組みをされていますが、それぞれ目指しているものをお聞かせいただけますか。

青木 当社の規模だと、製材の分野で他の会社と差別化することは難しい。そこで小ロットで付加価値を高め、オーダーメイドに近い「顔の見える林業」を目指そう、というのが僕たちの考え方です。それらの取り組みは、その一環ですね。

「森デリバリー」は、素材(木材)を持って各地の商業施設やイベント会場、幼稚園などに出向き、木を使って、ぶんぶんごまやスプーンをつくるワークショップを行ったり、素材を販売したりするものです。多くの人に木の良さを伝え、使ってもらうために、こちらから出向いて使い方の提案をしようという試みですが、いざ始めてみると、お客さんから逆に提案を受けたり、イベント会社から声がかかって別のイベントに招かれたりと、思いもよらない効果もありました。大手企業との接点にもなっています。2019年に無印良品とのコラボで商品化が実現したのも、「森デリバリー」がきっかけでした。

「東京美林倶楽部」は、3本の苗木を30年間かけて育てていくプロジェクトです。1口5万円の入会金と年会費1,000円をお支払いいただくと、苗木の植え付け、下草刈り、枝打ち、間伐など、節目節目に林業の作業体験をしながら、30年後に、3本のうち2本を家具や建材などに自由に使っていただけます。そして残りの1本を山に残してもらうことで、東京に美しい森林をつくる。現在、約230家族に参加いただいています。このように、木に関わりたいと思ってくださる人たちとの縁が最低でも30年という長きにわたって続くことは、僕たちにとって非常にありがたいこと。檜原村のイベント情報を送ったり、檜原村産の木材製品の案内をしたりと、いろいろな形でお付き合いができています。

森デリバリーに使われる車

——「檜原村トイビレッジ構想」も、そうした活動の延長線上にあるものですか。

青木 日本には、家具の産地として知られる場所はありますが、木のおもちゃで知られる場所はありませんよね。東京都(島しょ部除く)で唯一の村である檜原村が、ドイツのザイフェン村のように、「木のおもちゃの村」として認知されたら面白いのではないか。そう考えて村に提案を続けたところ、「檜原村トイビレッジ構想」が立ち上がったというのが経緯です。

今、檜原村の人口は約2,200人。僕が移住した20年前が約3,500人だったことを考えると、とても早いペースで減少しています。村の将来を考えたとき、木のおもちゃは非常に可能性のある商材です。木製品は、安心安全という観点から子育て世代の関心が高いし、子どもの出生にともなって新たな購買層が生まれる。今、木のおもちゃの国内自給率は5%程度で、大きな伸び代もあります。

——2019年11月に村の「おもちゃ工房」が稼働したと伺いました。

青木 はい、その運営を当社で担っています。2021年には、その隣に体験型ミュージアムとなる「森のおもちゃ美術館」が建設されますし、近隣に他のおもちゃ工房が移転してくる計画も進んでいます。

子どもたちは、これからの日本の社会を作っていく存在です。そんな子どもたちに木の魅力や森林のことをきちんと伝えることができれば、彼らが大人になったとき、木に親しんでくれたり、檜原村を「木のおもちゃで有名な村」と認識してもらえたりする。産業として発展すれば、地元の子どもたちが大人になった時に働くことができるかもしれない。人口が減少する檜原村を盛り上げるためにも、子どもたちは、僕たち林業に従事する者だけでなく、村にとっても重要な訴求先なんです。

工房で作られる贈答用のおもちゃ

林業での成功事例が少なすぎる。僕たちがそれをつくっていく

——木の成長にかかる年数を鑑みると、林業は非常に長いスパンで考えるべき仕事であり、近年、社会課題のキーワードになっている「持続可能な開発」も、林業においては当たり前の考えとも言えるかもしれませんね。

青木 僕たち林業に従事する者が、特段「持続可能な開発」を意識して仕事をしているかというと、そうとは言い切れません。キャッチフレーズも大事だと思いますが、林業においていちばん大切なのは、それぞれの地域でしっかり山や森林を整備し、そこから切り出される素材をきっちり使えるものにすることだと思っています。林業に真面目に向き合った結果が、社会課題の解決につながっていくんだと思います。

——テクノロジーの発展著しい今、林業の役割とはどのようなことだと思いますか。

青木 もちろんAIもIoTもこれからどんどん進化するでしょうし、進化すべきだと思っています。ただ、その反面、そうした進化や変化に疲れている人も少なくないのではないでしょうか。デジタル化が進めば進むほど、その対極ともいえる自然との触れ合いが大切になる。あと40年経てば、東京の山は樹齢100年の森林になります。そのとき、森林が産業の場であるとともに、美術館や博物館と同じように気軽に行ける学習や癒しの場所となっていてほしい。そのために、僕たちがすべきこと、林業の役割は多いと思っています。その第一歩が「森デリバリー」や「東京美林倶楽部」、「檜原村トイビレッジ構想」なのです。

農業や漁業では、若い人たちも頑張ってさまざまな取り組みを進めていますが、林業に関しては成功事例があまりにも少なすぎます。本来は、各地に個性の強い林業会社があっていいはず。僕たちは、林業会社として地に足のついた仕事をし、多くの人に共感してもらうことで、林業が変わるきっかけをつくりたいです。東京都の約3割強、国土の約7割を森林が占めるということは、林業には、まだまだ潜在的な可能性があるということ。日本の林業がもつ可能性について多くの人に知ってほしいし、その可能性を産業としての成功に結びつけていきたいですね。

TEXT::佐藤淳子、PHOTO:山﨑美津留

青木亮輔(あおき・りょうすけ)

株式会社 東京チェンソーズ 代表取締役
1976年生まれ。大阪府此花区出身。東京農業大学林学科卒。1年間の会社勤めの後、2001年、檜原村森林組合に入る。2006年に独立し、東京チェンソーズ設立(法人化は2011年)。「東京美林倶楽部」「森デリバリー」といった独自の取り組みで注目を集める。内閣府規制改革推進会議農林WG専門委員。檜原村木材産業協同組合代表理事。檜原村林業研究グループ「やまびこ会」役員。(一社)TOKYOWOOD普及協会理事。ツリークライミング®ジャパン公認ファシリテーター。日本グッドトイ委員会公認おもちゃコンサルタント。東京未来ビジョン懇談会メンバー。東京都西多摩郡檜原村在住。