化学者は究極のものづくりに挑む ――“美しい”分子には世界を変える無限の可能性がある

高校の化学の時間、きれいな六角形をしたベンゼンに魅せられて以来、ナノカーボン科学で世界的な業績を上げ続けている研究者がいる。名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所(ITbM)拠点長を務める伊丹健一郎教授である。
2016年には、世界の化学者が60年間誰も実現できなかった「カーボンナノベルト」の世界初の化学合成を達成。19年には破格の物性が期待できる「グラフェンナノリボン」の完全精密合成に成功した。
ナノカーボンは次世代の新素材と期待されるが、異なる構造やサイズのものが混在することが悩み。伊丹教授が単一構造の純品を作る製造法を確立したことの意味は大きい。「美しいものには機能が宿る」を信念とし、シンプルで無駄がなく美しい形をした分子の合成にこだわり続けてきた。
拠点長を務めるITbMは、理学部、農学部、工学部とのコラボレーションも盛んだ。その相乗効果は顕著で、アフリカで穀物に甚大な被害を与え、「魔女の雑草」と呼ばれる「ストライガ」を駆除する物質の開発や実用化を共に進めている。
「大学時代は遊びに忙しすぎて、あまり勉強しなかった」という伊丹教授は今、世界の最先端を独走する。ナノカーボンの新領域に挑戦し続ける意気込みを伺った。
(この取材は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言発令中、Web会議システムを介して行いました。)

カーボンナノベルトは均一カーボンナノチューブ生産のカギ

――先生のご専門である合成化学とはどういう学問なのか、最初に分かりやすく解説していただけますか。

伊丹 合成化学をひと言で言うと、「ナノ(10億分の1)メートルの世界の建築学」と理解してもらえばいいと思います。私たちの身体はたんぱく質などいろいろな材料からできていますが、材料を小さくしていくと、最後は原子になります。原子と原子がつながったものが分子で、それをレゴの部品のように組み合わせてより大きな分子にします。分子のサイズは大体ナノメートルサイズです。どういう形のモノを作るかを設計し、化学反応を工夫して部品同士を組み合わせ、何らかの機能を持たせる。そういう学問です。
アルファベットに例えるなら、A、B、Cなどの文字は原子です。その文字に意味はありませんが、適切につなぐと単語になって意味が出てきます。例えばF、A、C、Eという文字をつなぐとFACEという意味のある単語になります。これが分子です。合成化学とは、意味をもたない原子をつないで価値のある分子に転換するというクリエーティブな学問なのです。

――その合成化学の世界で、先生が開発されたカーボンナノベルト(図1)は世界をあっと言わせました。カーボンナノベルトはどのような構造や特性を持っているのでしょうか。

伊丹 ナノカーボンの代表例として有名なカーボンナノチューブ(図2)があります。筒状の分子ですが、その短いものが、私たちが開発したカーボンナノベルトです。このベルト状の分子をひな形にして延ばしていけば、設計した通りのカーボンナノチューブを生産することができる可能性があり、カーボンナノベルトは「カーボンナノチューブ生産のカギ」と言われています。
カーボンナノチューブは軽量で強靭な特性を持ち、熱や電気を通しやすいことから、次世代の材料として大きな期待が寄せられています。しかし、これまでの製法では、構造や直径、長さが異なるカーボンナノチューブが混在して出来てしまうために、導電性や強度など狙った機能を発揮できないという悩みがありました。その課題を解決するのがカーボンナノベルトです。
カーボンナノベルトは石油成分でもあるパラキシレンを出発材料とし、11段階の化学反応を駆使して製造します。2004年に開発を始め、3年ぐらいで完成させるつもりでしたが、大変難しくて12年かかりました。

図1:カーボンナノベルト 出典:伊丹健一郎教授

図1:カーボンナノベルト 出典:伊丹健一郎教授

図2:カーボンナノチューブ 出典:伊丹健一郎教

図2:カーボンナノチューブ 出典:伊丹健一郎教授

伊丹 カーボンナノベルトの構成単位は、私が大好きな正六角形のベンゼン(図3)です。ベンゼンは平たくて曲がりにくい分子です。これをつないでベルト状にすると、どうしても歪みが出てしまいます。例えば真っすぐな鉛筆を無理にベルト状に曲げようとすると、ポキンと折れてしまうのと同じです。つまり曲げにくいために、60年間誰も成功しなかったのです。
カーボンナノベルトは、化学の世界では「とても美しい分子」と言われます。昔から、理論化学者や数学者が「こんなものができたらすごいね」と言っていた分子なので、合成できたこと自体に大きな意味があります。
各段階の反応に不可欠なのが触媒です。触媒は人間世界に例えれば仲人さんみたいなもの。活性が高くない(消極的な)人でも、仲人さんは結びつけてくれます。つまり触媒によって新しい分子が生まれ、世界が広がるのです。

図3:ベンゼン 出典:伊丹健一郎教授

図3:ベンゼン 出典:伊丹健一郎教授

「なんだ、これ?」と予想もできなかった物質が革命を起こす

――科学技術振興機構(JST)の資料によると、カーボンナノベルトをチューブ状に延ばすと、折り曲げ可能なディスプレイ、省電力の超集積CPU、バッテリーや太陽電池の効率化に役立ち、カーボンナノベルト自体も、発光材料や半導体材料に応用できると期待されています。

伊丹 正直なところ、カーボンナノベルトが産業的にどんな役に立つのかは、現段階では誰にも分かりません。物性を調べると、面白い発光特性や電子デバイスに使える可能性があります。
しかし、人間が「こういうものを作ったら、こんな役に立つね」と予測して作った分子や材料が、過去において大ブレークスルーを起こした例は実はそれほど多くありません。科学の歴史が証明するように、革命的なことを起こすものは、最初「なんだ、これ?」と予想だにしなかった、しかも美しいものが多いというのが私の持論です。
1985年に発見されたサッカーボール状のフラーレン(C60)がそうでした。とても美しい形をしており、今ではいろいろな分野で使われています。しかし、発見当初、どんな応用展開があるのかなど誰も予測することはできませんでした。それと同じように、カーボンナノベルトも多くの研究者が取り組み、思いもかけなかったような応用研究が現れるのではないかと期待しています。
カーボンナノベルトはすでに販売もされており、世界中の誰でも購入して研究に使える状態になっています。

名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所 拠点長・教授 博士(工学) 伊丹健一郎氏

「リビングAPEX重合法」という画期的な製造法を開発

――先生のもう1つの功績であるグラフェンナノリボンの開発も、化学界に衝撃を与えました。開発の意義を説明していただけますか。

伊丹 グラフェン(図4)は無限に広がる炭素のシートのことで、2004年に初めて単離されました。このシートを長さ数十~数百ナノメートル、幅1~数十ナノメートルの短冊状にしたものがグラフェンナノリボン(図5)です。これまでとは比べ物にならない破格の物性が期待できるので、今世界中の研究者がこれに集中しています。
これまでグラフェンナノリボンをきれいに作ることは不可能でした。グラフェンのシートをハサミで切るように物理的に切断して作っていたのですが、幅や長さがそろわず、ぐちゃぐちゃなものしか作れませんでした。グラフェンナノリボンの物性は、幅や長さ、エッジ(端)の構造に依存するので、1つのきれいな構造体にしない限り、破格の機能は期待できず、実用化への障害になっていました。
私たちは「リビングAPEX重合法」という製造方法を8年がかりで開発して、この難問を解決しました。この方法はたった1段階の化学反応で、レゴのように部品を次々につなぎ合わせていきます。幅も長さも精密に制御でき、私がこれまで開発した化学反応の中でも、圧倒的にナンバー1だと言えます。

図4:グラフェンの分子構造モデル 出典:Wikipedia ja.wikipedia.org

図4:グラフェンの分子構造モデル 出典:Wikipedia ja.wikipedia.org

図5:グラフェンナノリボン 出典:伊丹健一郎教授

図5:グラフェンナノリボン 出典:伊丹健一郎教授

図5-1:グラフェンナノリボン合成のイメージ 出典:伊丹健一郎教授、高橋一誠特任助教

図5-1:グラフェンナノリボン合成のイメージ 出典:伊丹健一郎教授、高橋一誠特任助教

図5-2:グラフェンナノリボンと「リビングAPEX重合法」 出典:伊丹健一郎教授

図5-2:グラフェンナノリボンと「リビングAPEX重合法」 
出典:伊丹健一郎教授

――産業応用の面での期待はいかがですか。

伊丹 グラフェンナノリボンの大量合成については現在田岡化学工業(株)という会社と共同開発中で、遠からず研究者たちに届けられると信じています。問い合わせが多く、待ってもらっている状態です。
まず考えられるのは、シリコンに代わる次世代の半導体材料。身の回りにある製品類の強化剤にも応用できると期待しています。さらにはバイオ分野での応用研究も私たちは始めたところです。それで何ができるのかって? まあ楽しみにしていてください(笑)。

名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所 拠点長・教授 博士(工学) 伊丹健一郎氏

「混合物問題」と「合成不可能問題」に取り組む

――先生は「分子ナノカーボン科学」という新分野を提唱されています。何を目指しておられるのでしょうか。

伊丹 現在、ナノカーボンの研究は2つの大きな問題を抱えており、私たちはそれを解決しようとしています。1つは「混合物問題」です。先ほどお話ししたように、従来の製造法では、さまざまな構造をした分子がごちゃ混ぜにできてしまいます。各分子の物性がバラバラなので、私たちが知ることができる物性は、混合物の平均値でしかないという残念な状況にあります。
それを解決するために、私は1つの分子(純品)だけでできているナノカーボン分子を作ろうとしています。そこで「分子ナノカーボン科学」という名前をつけました。これまで分子として取り扱うことができなかったこの分野に革命を起こしたいと思っています。

もう1つは「合成不可能問題」です。理論化学者や数学者がいろいろな新しいナノカーボンの形を提案しています。最も魅力的なのは、3次元のジャングルジムのようなネットワーク状のものですが、他にドーナツ状のものもあります。
問題は誰が作るか。それは私たち合成化学者の役割です。この分野の研究者は最近すごく増えています。論文も毎週のように発表され、私が研究を始めた2004年頃とは比較になりません。私たちがカーボンナノベルトやグラフェンナノリボンを開発したことで、こうした物質群の合成は不可能だと諦めていた研究者たちを勇気づけることができたと思います。

「美しいものには機能が宿る」がすべて

――化学物質について「美しいものには機能が宿る」と述べておられます。これまでのお話でも美しさの大切さを強調されています。少し解説していただけますか。

伊丹 その言葉がすべてを表しています。科学の歴史において、破格のインパクトを与えた物質や構造物は、ほぼ例外なく美しい。科学的な根拠や方程式を示すことはできませんが、信じていいと思います。ムダがないのです。よかれと思ってあれこれ付け加えた分子は、一定の機能は出るにしても、全体として不細工なものになってしまいます。“Simple is the best.”と言われるように、シンプルで無駄がないのが一番美しく、好きです。
でも、そういうものには手がかりがないので、作るのが難しい。例えば四角い箱は誰でも作れますが、完全に丸い球を作るのはとても難しい。フラーレン(図6)が最初に見つかった時の世界の驚きは大変なものでした。圧倒的に美しいからです。理論的に存在を予測した人や人工的に作ろうとした人はいましたが、発見したのはそれとは別の人でした。

図6:フラーレン 出典:Wikipedia ja.wikipedia.org

図6:フラーレン 出典:Wikipedia ja.wikipedia.org

遊びに夢中だった大学生時代。研究室に入って必死に勉強

――高校3年の時にベンゼンを知ったのが合成化学の道に進むきっかけだと述べておられます。どのような青春時代だったのでしょうか。

伊丹 子どものころからレゴとスーパーカーが趣味で、音楽はハードロックとヘビーメタルを聞いていました。高校では化学は一番嫌いな学科でした。理由も教えてくれずに、とにかく丸暗記でしたからね。
高3の時に有機化学を初めて学んで、ベンゼン(図3)を知ったのです。薬、染料、色素、高分子ポリマーなど、化学反応によって世の中にないものをレゴのように作れる。これはすごい、何よりクリエイティブだ! あと何十年かしたら地球の石油は底をつく時代になると言われている。それなら自分がガソリンに代わる新燃料を作ることを考えよう、と夢を描きました。そしていつか有用な新分子を作り出したら、「イタミン」と名付けようと決めていました(笑)。

京都大学の工学部合成化学科に進みましたが、高校時代のモチベーションをすっかり失ってしまい、バイトにサークルに飲み会と、目の下に隈ができるほど遊びほうけていました。京大には最初の 2 年間の教養課程では、大学生らしい自由を満喫できる雰囲気があります。京都の街も魅力的です。「正しく京大生をやった」という気分で、4年に進級する時は文系に就職しようと思いました。研究室も楽なところへ行きたいと思っていたら、ジャンケンで2度負けて、一番厳しくて、見学に行ったこともない伊藤嘉彦教授の研究室に入りました。
入ってみてびっくりでした。研究レベルが高くて、自分と年齢がそんなに変わらない先輩たちが「世界初の何とか」を目指して、朝も夜も研究する姿を目の当たりしたのです。私も化学者になろうと志した高校時代の初心を思い出しました。そして先輩たちと同じ景色を見たいと思い、それ以来必死に勉強しました。
博士号を取り、京都大学で助手をしていた時、ノーベル賞受賞者で名古屋大学特別教授だった野依良治先生や上村大輔先生から「名古屋で思いっきりフルスイングしてみないか」と声をかけていただき、有機化学のメッカである名大に移ることができました。

名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所 拠点長・教授 博士(工学) 伊丹健一郎氏

アフリカで猛威を振るう「魔女の雑草」の駆除に挑む

――ITbMでは、アフリカで猛威を振るう寄生植物「ストライガ」の被害をなくす研究が着々と成果を出しています。予防の仕組みや実用化の展望などをお聞かせください。

伊丹 これは理、農、工3学部のミックスラボであるITbMならではの研究です。合成化学者の萩原伸也君(当時准教授)と吉村柾彦君(当時大学院生)、植物生物学者の土屋雄一朗さんの3人が、2014年に研究室でお互い何をやっているのか話し合ったことがきっかけでした。
アフリカにはトウモロコシやイネなどの穀物植物に寄生するストライガという雑草があります。「魔女の雑草」と呼ばれ、毎年1億人分の穀物を枯らし、被害は1兆円に上ります。タネの状態で土の中で数十年も生き続けるので、特効薬がなく大変厄介な植物です。
穀物植物は養分が不足すると、自分の成長を抑えるためにストリゴラクトンという物質の合成量を増やします。ストライガのタネはストリゴラクトンを感知すると、発芽し、根を伸ばして穀物植物から養分や水分を吸い取って枯らしてしまいます。土屋さんからその話を聞いた吉村君は、タネが発芽して寄生する仕組みを発光作用で可視化する分子をたった2日間で合成しました。
萩原君が「ヨシムラクトン」と名付けたこの分子は、ストリゴラクトンに似せた分子です。この成果は米科学誌『サイエンス(Science)』に発表され反響を呼びました。3人が分子のデザインをしたラーメン屋でのやり取りは「ストライガラーメン会議」と呼ばれ、ITbMの伝説になっています。
その後、2018年には土屋さんがITbMの大井さんのグループと共同でストライガをやっつける「SPL7」という分子を開発しました。これをストライガのタネに与えると、タネは穀物植物が近くにいると勘違いして発芽(自殺発芽)し、数日後に死んでしまいます。昨年、アフリカ・ケニアの現地で、効果を調べる実験を始めました。今、新型コロナの影響で研究員たちは一時帰国していますが、ITbMではアフリカの全ての農家にSPL7が行き渡り、分子の力でストライガを撲滅させることを目標にしています。

ITbMには異分野の研究者が集まっています。バックグラウンドや得意技が違う人、視点が違う人たちと話し合うことが刺激になり、雑談の中から「えっ!」という話が飛び出してくる。すると新しいテーマがどんどん湧いてきます。問題を発見し、解決法を共有する場になっているのです。
私は細かいマネジメントが苦手で、ITbMを「自由放任の牧場」と言っています。指導する感じではなく、「クレイジーなことをやろうぜ!」と言って、実は自分が一番楽しんでいます(笑)。

TEXT:木代泰之

伊丹健一郎(いたみ・けんいちろう)

名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所 拠点長・教授 博士(工学)
1971年 米国ペンシルベニア州 ピッツバーグ市生まれ
1994年 京都大学工学部 合成化学科卒業
1998年 京都大学大学院 工学研究科 合成・生物化学専攻 博士後期課程修了
1998年 京都大学大学院 工学研究科 合成・生物化学専攻 助手
2005年 名古屋大学物質科学国際研究センター 助教授
2007年 名古屋大学物質科学国際研究センター 准教授
2008年 名古屋大学大学院 理学研究科 教授(現任)
2012年 名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所 拠点長・教授(現任)
2013年 JST-ERATO伊丹分子ナノカーボンプロジェクト 研究総括(2020年3月まで)
2019年 Joint Appointment Research Fellow, 中央研究院化学研究所, 台湾(現任)