人間と向き合い続けて40年。義肢装具士・臼井二美男が創造するダイバーシティ

ダイバーシティの実現が叫ばれて久しい日本。そこで求められているのは、誰もが自分らしく生きることのできる社会の実現だ。義肢装具士として40年近く、子どもから大人まで、多くの人の義足を作り続けてきた臼井二美男氏は「義足は人に自信を与える」と語る。義足の製作を通して、障がいのある人々の人生に寄り添ってきた臼井氏に、社会において義肢装具が果たす役割と可能性について聞いた。

義肢と装具、それぞれの違いと製作過程

――まず、義肢装具士とはどのような仕事なのでしょうか。

臼井 世の中には、先天的に手足が欠損していたり、病気や事故で手足を切断された方がいます。義肢とは、そうした障がいのある人々が生活するうえで手足の代わりとなる義手や義足のことです。装具は、手足の麻痺や怪我による機能障がいを軽減、補助するために作られた道具のことを指します。義肢装具士とは、そうした義肢や装具を作る職人で、厚生労働省が認定している国家資格です。

――義肢や装具はどのような流れで製作していくものなのでしょうか。

臼井 義肢装具の製作は医療行為の一種です。どんな義肢や装具を作るかを医師と相談しながら、個別の症例に合わせて作っていきます。そのため義肢装具士には医療の知識が必要で、病院への出張も日常的に行っています。薬と同じように、患者さんご自身と面談したうえで、この患者さんにはこういう装具がいいだろう、こういう義手が必要だろうという処方を医師が行い、義肢装具士がそれを工場に持ち帰って製作するという流れです。

装具の製作はわりとピッチが速くて、まず病院で型を取ったら、次の週には実物を患者さんに納めます。怪我や麻痺の場合、最初が肝心で、早めに装具を作らないと障がいがどんどん進行してしまうおそれがあります。だから、患者さんのためにも、できるだけ早く製作することが重要なのです。

一方で、義肢の製作にはもう少し時間がかかります。たとえば、事故で足を切断されたばかりの方でしたら、切断した断端部のケアを理学療法士が行い、それがある程度安定してきたら義足を作り始めるのです。まず作るのはリハビリテーションのための訓練用義肢で、リハビリテーションを終えて日常の生活に戻るときには、また新しく生活用の義肢を作ります。最近は3Dプリンターで作る研究も成されていますが、義肢に関しては、まだまだ手作業で型をとるほうが、精度も高いし時間もかからない。そういう意味で職人の技や腕が問われる世界だと思いますね。

義肢装具士 臼井二美男氏

ビデオ通話にてインタビューを実施

――臼井さんはいつ頃から義肢装具士の仕事を始められたのでしょうか。

臼井 私は28歳のときにこの世界に入り、以来40年近く、主に義足を作ってきました。400名を超える方々を担当していますが、義足は平均5年くらいで新しいものを作るので、積算するとかなりの数の義足を作ってきたことになりますね。

1980年代、私が見習いとして職場に入った頃というのは、義手や義足がモジュラー化され始めた時代でした。かつてはすべての部品が一から手作りされていたのですが、私が習い始めた頃にはすでに、ひざ関節や足首などの関節部はドイツやアメリカ製の部品を使っていましたね。カーボンファイバーやチタニウム合金といった新素材が登場したのもこの頃です。これによって重かった義肢が、軽くて強いものへと変わったのです。

――義肢というとオーダーメイドの手作り品といったイメージがあったのですが、各部のパーツは大量生産品を使っているのですね。

臼井 そうですね。ただし、その種類は膨大で、たとえば膝の継手だけでも200種類くらいはあります。医師や患者さんと話して、その患者さんがどんな生活を送るのか、仕事はデスクワークか肉体労働か、スポーツはやっているかなど、患者さんの状況に合わせて最適のパーツを決めていきます。

コミュニケーションを通じて作り上げる理想の義足

――臼井さんが義肢装具士の仕事において、最も大切にされていることは何でしょうか。

臼井 患者さんとのコミュニケーションですね。義足を作りたいという方がいたら、まず最初に問診のような形でコミュニケーションをとっていきます。その際に、家庭環境とか、仕事の内容とか、これからやってみたいこととか、その人の情報を聞いたうえで、どういう義足を作っていくかを決めていくのです。義足にとって大事な「履き心地」も、人によって違う。几帳面な性格の方だときちっとした履き心地を求めるし、ゆるやかな感じの方だと少し甘めを求めたり、個人差がかなりあります。

また、同じ人でも機嫌が良いときと悪いときによっても感覚は変わってくる。義肢装具士にはそのあたりの微妙な違いを会話のなかから感じ取る力が必要です。最終的に「適合」と呼べる状態までもっていくわけですけれど、これがなかなか難しい。たとえば、先週は「これでいい」とOKをくれた方が、一週間経つと「きつい」と言いだすこともあったりします。患者さんの言葉だけを鵜呑みにしていてもだめなのです。そうした機微も、仕事を続けるうちにだんだん読めるようになってきました。そういう点では奥が深いですね。

――本当に人間相手の仕事といった感じがしますね。

臼井 日本語の感覚が細やかというか、「きつい」「ゆるい」だけではないのです。たとえば、「むにゅむにゅする」とか「もぞもぞする」とか、わかりにくい表現をされる方もいます。とくに難しいのは子どもです。子どもの場合は語彙が少ないうえに、履き心地が悪くても我慢してしまうところもあるので、痛いのか痛くないのか、義肢装具士がしっかりと見極めなくてはいけない。さらに1、2歳くらいの子になると、客観的に見てこちらで判断するしかない。履かせてみて、見たり、触ったり、部分的に傷ができていないかを調べたりして、最適な状態を探っていきます。実際、一度で適合することはなかなかないのです。

競技用義足でのトレーニング風景

競技用義足でのトレーニング風景

――「適合」した義足とはどのようなものなのでしょうか。

臼井 生活の中でつけていることを忘れているようなものが理想ですね。義足はうまく機能していないと、ただの邪魔な異物になってしまいます。そうなると、物事に集中できなかったり、自分に自信が持てなくなってしまう。適合した義足であれば、トレーニング次第で歩くことも走ることもできるようになって、当人にとっての大きな自信につながります。

AI搭載の義肢? 技術も社会も変化した

――臼井さんは40年近く義肢装具の製作に携わっていらっしゃいますが、その間に、技術も大きく進歩したかと思います。

臼井 そうですね。義肢製作の技術は、私がこの世界に入ってからもどんどん変わってきています。新素材もそうですが、最近ではマイクロコンピューターを搭載した義肢がかなり普及しています。たとえば、膝から上を切断した方が使う大腿義足の場合、スクワットのような運動をすると、かつては膝が折れて転んでしまっていたのに、それがマイクロコンピューターによる検知でちょうどいい角度でロックがかかるようになっています。筋電義手という、頭で考えたとおりに動いてくれる義手などもあります。

とくに、ここ10年くらいは飛躍的にその精度が上がっていて、AIが個々人の特性を自動的に学んでくれたり、スマホのアプリでその日の行動によって義肢のモードを変えることもできたりします。たとえば、今日は立っていることが多いから膝が折れにくいモードにしようとか、今日はお寿司を食べに行くからシャリをつぶさない程度の力にしようとか、そういった細かな調整ができる時代になってきました。ただ、これはあくまでもアシスト機能であって、ロボットのように勝手に動いてくれるものではありません。制御するには本人の筋力や十分な操作トレーニングが必要なのです。

義足制作の様子

義足制作の様子

――技術の進歩の一方で、義肢を使う方たちを取り巻く社会や環境にも変化はあるのでしょうか。

障がい者や高齢者を取り巻く環境というのは、以前に比べて良くなっているように私は感じています。かつての日本人はシャイな部分があるのか、困っている人がいてもなかなか声をかけることができなかったように思うのですが、最近は若い人が率先して手を差し伸べる行動を取っているように感じます。私も最近、若い男性が交差点で転んだおばあさんを背負っている姿を目にしました。こうした動きは、おそらく教育が影響しているのだと思います。最近は、学習の一環として学校などで高齢者や障がい者に接する機会があって、そこで得た経験が大人になってもプラスの記憶として残っている。だから、いざというときに手を差し伸べることができるのだと思います。

私も、年に30回ほど学校や自治体を訪問し、義肢の話をしたり、義肢を使用しているスポーツ選手によるデモンストレーションなどを行なっています。よく知らない人にとって、義肢は「気持ち悪い」とか「こわい」といったイメージがあったりするものなのですが、一度触れてみればそうした違和感はなくなります。実際に体験することで、違う世界の存在を知るという意味で、教育は非常に大切だと思っています。

義肢装具士は、ひとり一人の感動や喜びに立ち入る仕事

――臼井さんは「スタートラインTokyo」という、義足を使用している方たちの陸上競技チームを運営されていますが、これはどういった取り組みなのでしょうか。

臼井 毎週の練習と、月に一度約70人のメンバー全員が集まる練習会を開いています。メンバーはパラリンピックに出るような第一線のアスリートから初心者まで、大人も子どももいます。目的は大会で勝つことではなく、スポーツに親しんでもらうことです。

スタートラインTokyoのメンバーと

スタートラインTokyoのメンバーと

最近、障がい者スポーツが注目されるようになりましたが、実際には、障がい者の多くは、スポーツをすることなく家にこもっていることのほうが多いのです。けれど、最新のコンピューター制御のついた義足を使うにも最低限の筋力が必要なので、運動をしないと義肢を動かす体力も落ちて、自立も遠のいてしまいます。

そういった意味でも、障がい者にこそスポーツをしてもらいたいと私は思っているのです。歩くだけではなく、走れるようになれば、その人の生活は変わります。走れない人にとっては、歩くということが最大の動作で大変な労苦をともなうことかもしれないけれど、走れるようになれば、歩くことなんてとても簡単に思えるはずです。歩くことに対する悩みや不満がなくなれば、気軽に外の世界に飛び出したくなる。スポーツには、そんなマジックみたいな力があると感じています。

――臼井さんは、スポーツの取り組みだけでなく、義足を使う女性たちによる『切断ヴィーナス』という企画も手掛けられています。

臼井 私の作った義足を使っている方たちには、若い女性がかなりいるのですが、義足を隠すために長いスカートしか履けなかったり、なかなか外に出かけづらいという声を聞いていました。そこで、彼女たちが表に出て自信を取り戻せるような場を作りたいと考えて、写真家の越智貴雄さんと一緒に『切断ヴィーナス』という写真集を出版し、ファッションショーも開催してみました。最初はみんな「義足なんて人に見せるものではない」と抵抗を示していたのですが、いざステージに立つと変わるんですね。いままでは自分の体に自信を持てなかった女性たちが、人に見られることで自信を取り戻していく。そういう姿が見られるのは、義足の作り手である私にとっても非常に大きな喜びです。

――臼井さんが、義肢装具士を40年近く続けてこられたその原動力とは何なのでしょう。

臼井 義肢づくりというのは個人個人が相手です。いくら職人として経験を重ねようと、相手にとってははじめての義肢なのです。義肢装具士は、ひとり一人の方の感動や喜びに立ち入るわけで、私が関わることで解決できる問題があるはずです。義足を作ったことで、不登校だった子が学校に通い始め、体育の授業に参加するようになって、一年後には日本選手権に出たいと言い出したりする。いままで、そういう場面に何度も出会ってきました。こうした感動や喜びの繰り返しが、自分にとっての原動力となっているように思います。

――それでは最後に、これまで様々な方々に合った、様々な形の義足を作ってこられた臼井さんが、今後作りたいと思っている義足を教えてください。

臼井 機能はもちろん大事です。そこに加えて、機能的+かっこいい義足が作りたいと思っています。そうした義足を通じて「障がい者ってかっこいい」というところまでいってくれれば最高ですね。日本は海外に比べると、部品の開発や生産などは海外のメーカーにはまだまだ及ばないのですが、義足の方たちの写真集やファッションショーなどは世界でも類を見ない試みでしたし、コンピューター制御の義肢も元々は日本から生まれたアイデアなのです。何より、かゆいところに手が届くようなきめ細かいものを作るのは日本が最も得意としているところだと思います。こうした日本の義足の良さや新しい取り組みを、リハビリテーションとセットにして、世界に発信していけたらと考えています。

TEXT:中野渡淳一、写真提供:臼井二美男

臼井二美男(うすい・ふみお)

義肢装具士。1955年、群馬県生まれ。1983年より公益財団法人 鉄道弘済会・義肢装具サポートセンターに勤務。義肢装具士として義足製作に従事する。1989年よりスポーツ義足を開発・製作。1991年、切断者の陸上クラブ「スタートラインTokyo」設立。2000年シドニー大会から5大会連続で選手のサポートでパラリンピックに遠征する。著書『転んでも、大丈夫 ぼくが義足を作る理由』(ポプラ社)は第63回青少年読書感想文全国コンクール課題図書に選定。