この人のお陰で講談を知ったという人も少なくないだろう。「神田松之丞」改め「神田伯山」。伝統話芸復活の立役者で、現在も自身を広告塔として講談のさらなる普及を目指し、ラジオやテレビなど活躍の場を広げている。SNSなどデジタルメディアを使った情報発信にも積極的で、2020年2月11日の真打昇進を機に公式YouTubeチャンネルを開設。寄席演芸の舞台裏や、他の芸人にフォーカスしたコンテンツも多く発信し、注目を集めている。気鋭の講談師神田伯山に、これまでの軌跡を振り返りつつ、伝統芸能のこれからのために必要な情報発信のスタンスを聞いた。

複数の役割を持つ最強のエンタメだった「講談」

神田伯山

――そもそも「講談」とはどのような芸能なのでしょうか。

伯山 現在のスタイルに近い講談が行われるようになったのは江戸時代の中頃から後期にかけてだと言われています。幕末・明治時代にかけて全盛期を迎え、当時のエンターテインメントとしては一番と言われるまでになります。天保時代の講談師の数は江戸だけで800人ほど。現在は東京だけだと約70人、全国でも90人程度ですから、単純な数でも10倍以上です。また、当時講談は「講釈」と呼ばれていて(※1)、その講釈を専門に行う「講釈場」も江戸には200軒あったといわれています。

そして当時の講談師(講釈師)は、さまざまな職業を兼ねていました。今でいうテレビ、ラジオ、さらにジャーナリズムの役割も担っていた。たとえば、近所で心中事件が起こると取材に行き、翌日には高座にかける。つまり、ニュース性も備えていたということです。もちろん創作性もあって、たとえば、ヤクザ同士の抗争があったら脚色してストーリーをつくり、後世に残る作品に仕上げるということもありました。取材をして裏をとって、脚色を交えて日常にある物語を分かりやすく伝えていたわけです。

(※1)現在の「講談」という呼び名は明治に入ってからのもの。講釈は戦国時代の「辻講釈」、江戸時代には「太平記読み」などと呼ばれた。一般的には徳川家康の前で赤松法印という僧侶が『太平記』や『源平盛衰記』を読んだことがルーツとされる。

――なるほど、講談は「メディア」として現在よりもずっと庶民の生活に根づいていたんですね。

伯山 そうですね。当時のエピソードとして、馬場文耕(ばばぶんこう)という講談師が、幕政の批判をしたことで死罪になったというものもあります。これは芸人というよりジャーナリズムに近い立ち位置かもしれませんね。

ところが、近代になると映画やラジオ、テレビが登場し、それまで講談が持っていた役割が代替されていくようになります。現在のような状況になったのは、そんな流れの中で、講談師自身も講談の持つ力やオリジナリティーを信じながら、世の中の変化に対応することができなかったということだと考えています。

大正時代から現在までの100年は講談の冬の時代です。どんどん他の娯楽にとって変わられ消えていった。もちろん、この間も名人といわれる講談師もいましたが、多少の人数の変動はあれ、下火であることは変わりませんでした。

――伯山さんはどうですか。

伯山 スターという意味ではテレビ創生期の「お笑い三人組」の一人である一龍齋貞鳳(ていほう)先生、または田辺一鶴先生や、神田陽子先生、神田紫先生、神田紅先生などの女流講釈師は、テレビの影響力で一時期多くの人が知るところとなったでしょう。でもそれは個々のタレントとしてであって、「講談」全体が盛り上がったかと言えば分かりません。もちろん良い影響があったことは間違いないと思います。ただ、もっと大きなブームとなるには常に継続して何人もそういった人物が生まれる必要があります。一人や二人だけでは難しいんですね。

そうした流れの中で、私自身は完全に大衆演芸に舵を切っただけです。そして自分が聴きたいと思っていた講談をやった。5年ほど講談会や寄席に通い詰めましたが、生意気にも「こう直したほうがもっと分かりやすくなる」と思いながら客席から見ていました。そこで考えていたことを、自分なりの工夫を加えながらやってみたら、皆さんに受け入れられて、運良くメディアにも取り上げてもらえるようになっていったという風に感じています。なので、私自身がそういう状態だからこそ、多くの素晴らしい先輩や後輩がいるんだと、他の講談師の存在を大きな声で発信していきたいですね。

講談普及のために自らを広告塔に

――二ツ目の「松之丞」の時代から、テレビやラジオ、雑誌などの各メディアで積極的に情報発信をされてきました。どのような想いがありましたか。

伯山 ただただ、講談というものを多くの人に知ってもらいたいという気持ちですね。この世界に入ったのも、「自分が好きなものをみんなに広げたい、シェアしたい」という純粋な思いからです。「講談ってこんなにも面白いものなのに、なんでみんな知らないんだろう」と。一般の方々はもちろん、文化人でも講談を語る人はほとんどいなかったです。生意気な正義感もあったと思いますが、じゃあこの講談をもっと世の中に広めるために、自分の人生をかけてみてもいいじゃないかと。

――テレビやラジオ、雑誌や記事などあらゆるメディアに登場されていますが、情報発信のツールとしてそれぞれを使い分けているのでしょうか。

伯山 明確に使い分けをしているわけではありませんが、軸になるのはラジオだと思っています。それから徐々に顔と名前が知られるようになってきました。それで始まったのが「神田松之丞 問わず語りの松之丞」(現・問わず語りの神田伯山)。これが大きかった。

当初は3カ月限定の予定でしたが、「講談師なんてよく分からない職業のヤツが、めちゃくちゃなことを言ってる。なんか面白いね」って、評判になったんですよ。もともと私はラジオっ子で、リスナーの気持ちはなんとなく分かります。今はうるさい時代で、ラジオでも20年前のように好き勝手言えません。パーソナリティーも炎上しないように恐る恐る喋っているようなところがありますが、私はそれがすごく嫌だった。小生意気だけど求心力があって、突っ走るけど大切なことは守る。そういうキャラクターをリスナーが求めていると感じていました。この辺りは講談へのスタンスと似ているかもしれません。

このラジオが名刺代わりになって、いろんなメディアに広がりました。テレビにも出られるようになって、今では2本のレギュラー番組を持たせていただいています。いつ終了になるか分かりませんが(笑)。

YouTubeで講談の「中身」に光を当てる

――今年からYouTubeで「神田伯山ティービィー」の配信もスタートしました。どんな狙いからですか。

YouTube「神田伯山ティービィー」

YouTube「神田伯山ティービィー」

伯山 マスメディアに出ることで、私自身と「講談」というジャンルの存在については十分多くの人に知ってもらえたと思っています。次は講談の「中身」を知ってもらう段階になります。私を通した講談ではなく、講談そのものを知ってほしい。他の素晴らしい講談師の芸も見ていただきたいと考えて、自分で発信できるYouTubeを始めました。

私一人だけが目立っているのは、業界としてもリスクです。私がポシャったらせっかくの良い流れも終わってしまう。自分にスポットライトが当たっているうちに、他の講談師に光を当てたい。そのような考えから、楽屋の様子や講談師の対談などのコンテンツも配信しています。

二ツ目の松之丞時代はとにかくメディアに出て講談の広告塔になろうと思っていましたが、今は自分の代わりを務めてくれる人が出てくれるのを待っています。適任者がいたら、すぐ譲りたいですね。正直、私も講談に集中しようと思うことも多いので。

あともう一つ、講談の本質を伝えるには、YouTubeというメディアは非常に適していると感じています。

――楽屋や他の講談師へのインタビューだけでなく、「オンライン釈場」という形で講談そのものをまるまる配信されていますが、その親和性を感じてのことでしょうか。

伯山 おっしゃる通りです。講談というものは本来1席30~40分、連続物(※2)になると10時間かけてやるものもあります。しかし、テレビやラジオなどの番組でネタを披露できる時間は、どんなに長くてもテレビでは10分程度、講談の番組でも20分ほどです。ラジオはもう少し長いですが、どうしても講談の連続物の魅力を伝えるには限界があります。

それに比べてYouTubeなら時間制限を気にする必要もないですし、視聴者の方々もそれぞれの場所で自分のタイミングで見られます。連続物でもYouTubeなら連日寄席に通う必要もなく、寝る前に布団の中で見られる。私の持ちネタの連続物『畔倉重四郎』全19席も、「神田伯山ティービィー」で配信しています。

(※2)長編の講談のこと。上記の『畔倉重四郎』全19席のほか、『慶安太平記』全19席、『寛永宮本武蔵伝』全17席などがある。

――確かに、YouTubeの視聴スタイルと講談というコンテンツの特徴はマッチしていますね。とはいえ、YouTubeのコンテンツを充実させてしまうと、それに満足して、寄席に足を運ぶ人が少なくなってしまうというリスクはありませんか。

神田紅純の一席

「神田伯山ティービィー」より、「オンライン釈場」のコンテンツ一つ。伯山の後輩 神田紅純の一席。

伯山 いえいえ、そんなことは全くないと思います。今では、多くの方がバーチャルと比較した上での「リアルのすごさ」をしっかり理解しているので、同じコンテンツを体験するにしても、「動画で見る」のと「生で見る」ということを明確に区別しているように感じます。そのあたりのリテラシーの高さというのは、ある意味信用しています。実際、「神田伯山ティービィー」のコメント欄にも、「YouTubeでこれほどのクオリティなら、生で見たらどれだけすごいのか」というような投稿をいただいています。

それに講談は口演のたびに、微妙に内容が異なります。私自身、セリフまわしなど、毎回高座にあがるたびに意識的に変化させようとしていますし、無意識のうちに変わってしまうこともある。つまり、全く同じ講談というものは存在しないんですね。そういう微妙な変化を楽しめるのも、ライブならではだと思います。

あと、実は私はあまり大きい小屋が好きじゃなくて、1000人以下のところでやることが多いんですよ。だからYouTubeで満足していただけるのは正直ありがたい。今の番組登録者数は14万人ですから、このうちの1割でも見ていただければ1万4000人になります。YouTubeを見た方のほんの数パーセントが寄席に来てくれるぐらいでちょうどいいと思っています。

――YouTubeが今後、メディアの軸になりそうですか?

伯山 いえ、軸はやっぱりラジオですね。ラジオがダメになると、テレビも雑誌もつながりがなくなってしまうのではないかという意識はありますね。もちろん、全て講談が本丸にありつつ、ではありますが。

とはいえ、YouTubeに多くの人を誘導したいという思いは強いですね。まだまだ世間には「テレビに出ている」ということを面白さの基準とする雰囲気があります。でも、テレビに出てない無名の人でも面白い人はたくさんいます。そういう人たちを自由に紹介できるのがYouTubeです。

テレビで活躍するには時の運も必要で、実力がある人が必ずしも成功するとは限りません。実力もあって、努力もしているけど運がない。檜舞台になかなか立てない。YouTubeはそういう芸人の受け皿になれるのではないかと思っています。視聴者の側としても「面白いもの」の摂取の仕方がパーソナライズしているように感じます。万人が面白いと感じるわけではない、下手をすると自分自身すら特別面白いとは思っていないかもしれない、でも何故か見てしまう…というようなコンテンツというものがあると思うんです。もちろん誰もが面白いと思うものもチェックはしつつ、一方で「自分にだけハマるもの」を選択していくようになるんだと思います。「本当に自分に合った面白い人はYouTubeで見つかる」というふうになる時代も来るでしょう。

寄席演芸の土台としての徒弟制度

――今後どのような活動をしていこうと考えていますか。

伯山 ここ3年ほど高座の回数も多く、かなりアウトプットが求められてきました。この辺りで一旦インプットの時間を増やして、講談の稽古もしっかりやりたいという思いがあります。

私は名前が先に売れちゃって、肝心の講談の腕が知名度に追いついていないという思いも実はあります。自身の発信と、メディアにつくってもらった「虚像」に、自分自身の「実像」が追いついて、さらに超えていかないといけない。ただ、10年、20年経てば、自然と追いつけるだろうという漠然とした自信はあります。高座の数もそれなりに多いですし、反復がちゃんと報われる芸ですから。努力すれば実を結び、花咲く芸能だということは、後輩に伝えたいと思っています。

――後輩という言葉が出ましたが、真打になられたということで、お弟子さんを取られることは考えておられるのでしょうか。

伯山 もちろん弟子は取りたいと思っていますし、既に何名か弟子入りの希望をいただいています。でも、大事な一番弟子ですから、相性も含めてものすごく吟味させてもらっています。将来的には多くの弟子を取るかもしれないので、そうなると一番弟子が弟弟子を指導していくようになります。そう考えると、一番弟子にふさわしい人材は相当限定される。来年の10月以降、いよいよ取ろうかなと思っていますが、私自身相当こだわりは強いので、なかなか大変じゃないかと思いますね。よく冗談で「3人くらいはつぶすんじゃないか」と言っていますけど、もっとつぶすんじゃないかな(笑)。

――弟子をとる、師匠になるということについて、どのようなことを意識されていますか。

伯山 私が師匠から受けた恩を、下に返さないといけない。売れないと、その子にとってつらい人生になるので、ちゃんと導いてあげたいですね。それで、向いていない子には、「向いていないよ」と言って早いうちにやめさせるのも優しさです。言葉で理解するまで説明して、誠意を持って対応しようという思いはありますね。

このあと4~5年、もっとでしょうか…10年以上かけて、自分の講談が成長したとき、はじめていい弟子がくるのかな、と思います。本当にいい弟子をとるなら、自分自身がいい師匠にならないといけない。名実ともにいい芸人になったとき、理想的な弟子と出会えるのかもしれません。

抑圧の中で考え抜き、自身の芯を磨く

――講談の世界で、これだけは変えてはいけないと思うことはありますか。

伯山 時代によってそうした要素は変わってくる、ということを前提としてですが、前座修業ですかね。概ね4年ぐらい前座として下積みをするんですけど、私自身振り返ると、とても大切な時間でした。師匠にお茶を入れたり着付けをしたり、ただただ人に気を遣うだけの4年間です。理不尽なことも多く、すごく打ちのめされる。だいたいみんなこの世界に天狗になって入ってくるんですけど、その鼻を折られ続けるわけです(笑)。

そして、その4年間でやる気や人間性を値踏みされる。落語の世界も徒弟制度ですから、楽屋を常に綺麗にして使うとか、自分がどこに座れば邪魔にならないとか、寄席芸人は常に周囲に目配りをしていて、マナーもしっかりしています。こういったようなことがすごく大事だと思うんですね。一見芸とは関係ないように感じられることですが、人を不快にさせないことなど、長いスパンで見ると、その人間の土台となる部分です。そうした共通の土台を持っているからこそ、伝統芸能の文化としての一体感につながっていくのだとも思います。

それに前座時代に理不尽な思いをして、「今に見ていろ。いつか見返してやる」とか、大きくバネになるようなものをグーッと溜めることが大切な気もします。

――内に溜め込むというのは、表現のための大きなパワーになりますよね。

伯山 今多くの人が、インターネットなどで自分のことを疑わずに発信をしています。実は自分の勉強不足で、一部の意見だけを咀嚼して発信していないか、というブレーキがないように感じます。

そこにきて前座修行中は師匠方からとにかく怒られます。そしてそれぞれ言っていることが違う。今の自分の対応はもしかしたら間違っているかもしれない。今日は正解でも明日合っているかは分からない。矛盾や理不尽といった抑圧の中、その場その場で自分を疑いながら瞬発的に考えるということを繰り返していく。めちゃくちゃに否定されながらも、一方で自分として絶対に譲れない部分を磨いていくことになります。

話してきて思ったのですが、講談に限らず寄席演芸の世界では「抑圧」と「発散」のバランスというのが重要な要素かもしれません。

神田伯山

ビデオ通話にてインタビューを実施。定番のポーズにも応じていただいた

――理不尽に耐えるだけでなく、自分自身を出していく場も必要ということですか。

伯山 うちの師匠はそのあたりのコントロールがうまいんですよね。前座のころ、私は高座にあがると必ずマクラ(※3)を話していたのですが、「前座のくせに」とあまり快く思わなかったお客さんが、師匠に「マクラはやめさせた方がいい」と言ったんですね。それで師匠から一度注意されたんですけど、私はマクラをあの段階で必要だと思っていたので、やめなかったんですね。

感慨深いのはそのあとで、師匠はそれきり注意しませんでした。「おまえがこだわっているなら、じゃあいいや」という風で、絶妙な放置の仕方でしたね。人の育て方が上手いということに尽きるんですけど、今思うと適度にガス抜きさせてくれていたんだと。抑圧された気持ちをうまくパワーに変えてくれる、いい師匠につくことができたと思っています。そういったところは弟子を通してしっかりと伝えていきたいと思いますね。もっとも、その弟子が前座の段階でマクラをふっていたら、絶対に注意はしますけど(笑)。

(※3)本編・本題に入る前にする世間話や小咄

TEXT:相澤良晃、写真提供:冬夏株式会社(その他の出典は各写真に記載)

神田伯山(かんだ・はくざん)

講談師
2020年2月、6代目神田伯山を襲名。前名は神田松之丞。日本講談協会、落語芸術協会所属。2007年に3代目神田松鯉に入門。宮本武蔵、慶安太平記、畔倉重四郎といった「連続物」を中心に、持ちネタは150を超える。
メディアへの出演も多く、テレビ朝日にて「太田伯山」「伯山カレンの反省だ」の2番組、TBSラジオにて「問わず語りの神田伯山」というレギュラー番組を持つ。
2020年2月から公式YouTubeチャンネル「神田伯山ティービィー」を開設。チャンネル登録者数は約13万人で、講談の配信のほか、演芸界の舞台裏を伝えるなど新たな情報発信に取り組む。