ニューノーマル時代にアートが果たす役割——「アルス エレクトロニカ」が目指す未来とは

1979年から始まったメディアアートの祭典「アルス エレクトロニカ・フェスティバル(Ars Electronica Festival)」。オーストリアのリンツ市で毎年開かれるこのフェスティバルを統括しているのが、リンツ市の公社であるアルス エレクトロニカ(Ars Electronica)だ。

アルス エレクトロニカは、フェスティバルだけでなく、美術館と研究機関、さまざまなアーティストの作品やパフォーマンスを評価する国際コンペティション部門の4つの機関から成る。これらの機関全てで、アーティストが作品を通じて投げかける課題や問題意識を共有し、議論やイノベーションを興して“未来”の礎を築くのが、アルス エレクトロニカの使命だという。

近年、そんなアルス エレクトロニカと企業がコラボレーションする機会が増えている。日本企業もその活動に参画しており、たとえばヤマハ株式会社(以下、ヤマハ)は2019年、音楽によって、AIと人間の共創の可能性を追求するためのプロジェクト「Dear Glenn」を発表して好評を博した。

企業がメディアアート活動に参加する意義はどこにあるのか。そして新型コロナウイルス感染症の影響で不確実性が増すこの時代に、アートが果たす役割とは何か。オーストリア在住で、アルス エレクトロニカ・フューチャーラボの小川秀明氏、プリ・アルス エレクトロニカの小川絵美子氏、ご夫妻に話を聞いた。

ソリューションではなく「クエスチョン」をつくる

取材は、リンツと東京を継ないでオンラインで行われた

取材は、リンツと東京を継ないでオンラインで行われた
Credit:vog.photo

——アルス エレクトロニカ・フェスティバルは、オーストリア・リンツ市で毎年開催されるメディアアートの祭典として有名ですね。小川さんご夫妻は、そのアルス エレクトロニカで働いていらっしゃいますが、どのような組織で、どのような役割を担っているのか教えてください。

小川(秀) フェスティバルは1979年から始まっており、40年以上の歴史があります。アルス エレクトロニカ自体は、リンツ市を拠点にする文化機関ですね。リンツ市には、水道や電気など、さまざまな事業がありますが、私たちはそれらの事業と横並びにある「アルス エレクトロニカ」という公社です。

事業内容を私なりに表現すると、「文化インフラ会社」となります。水道局の役割が「蛇口をひねると水が出てくる」ように、アルス エレクトロニカは「蛇口を開くと『未来』が出てくる」というイメージです。「未来を市民に提供し、未来の文化やイノベーションを興すサービスを提供すること」に特化したパブリック・カンパニーという位置付けです。

具体的にいうと、教育文化事業やコンサルティングおよび先端研究を行う「アルス エレクトロニカ・フューチャーラボ」、市民に学びの場を提供するための美術館「アルス エレクトロニカ・センター」、冒頭に出てきた「アルス エレクトロニカ・フェスティバル」があり、そして国際コンペティション部門である「プリ・アルス エレクトロニカ」があります。

小川(絵) 私はそのプリ・アルス エレクトロニカを統括しています。プリ・アルス エレクトロニカは、1987年から毎年開催されているコンペティションで、対象としているのはコンピューターやテクノロジーを使ったアートです。

国際的なコンペティションを通じて、アーティストたちが何を考え、どのような問いを社会に投げかけているのかをディスカッションしたり、興味深いプロジェクトや作品を(アルス エレクトロニカ)センターやフェスティバルに紹介したり、また次につながるアイデアとしてフューチャーラボに紹介することで、アルス エレクトロニカの全体の活動につながる流れをつくっています。

小川(秀) 僕はそのフューチャーラボの共同代表として、この部門を統括する立場です。フューチャーラボは1996年に設立されました。アーティストやエンジニア、アントレプレナー(起業家)、建築家や社会学者など多様な人材が世界中から集まっており、アートとテクノロジーを掛け合わせて、「未来の社会がどうなっていくのか」という対話の場をつくり出すことをミッションにしています。

——結論や解決策ではなく、対話の場をつくりだすということですか。難しいミッションですね。

小川(秀) たとえばIBMさんなどの企業であれば、ソリューションや解決策を社会に提供していますよね。われわれがやっていることは、ソリューションではなく、クエスチョンの投げかけなんです。クエスチョンとは、さまざまな発明や作品を通じ、未来についての対話の場をつくり出すことです。

新しい試みを行うクリエイター集団という位置付けと言えるかもしれませんが、社会にイノベーションを興すところまでを含む「文化インフラ」として、リンツ市民やグローバルなクリエイターたちを支援し、新しい未来をつくっていく機関を目指しています。そのために、アルス エレクトロニカは、フェスティバル・美術館・フューチャーラボ・国際コンペティションという4つの機能を持つようになりました。

企業は、アルス エレクトロニカに何を求めるのか

ヤマハのプロジェクト「Dear Glenn」

2019年9月に発表された、ヤマハのプロジェクト「Dear Glenn」(アルス エレクトニカの公式Flickrより)
Credit:vog.photo

——アルス エレクトロニカは、「アート×テクノロジー×社会」を標ぼうして活動しており、日本からもさまざまな企業がプロジェクトに参画しています。昨年は楽器メーカーのヤマハが、AIで故グレン・グールドの演奏を再現するプロジェクト「Dear Glenn」をフェスティバルで発表しました。

小川(絵) まず前提として、私たちが言うアートとは「メディアアート」といわれるもので、これは「誰かに所有されること」を目的することが多い一般的なコンテンポラリーアートとは異なります。いま社会に問いかけたいことを作品としたり、パフォーマンスだったり、活動そのものをアートとして捉えています。そのような活動をしている「アーティスト」が、どのようなことを考え、何を表現しているのかを集積することで、その問いをみんなで議論する場をつくるのがアルス エレクトロニカです。

アーティストは、テクノロジー的にも社会的にも先端にいる方々なので、企業の未来をつくっていく経営層など、ビジネス界におけるリーダーの方たちとの相性は非常にいいと思います。未来に向け、私たちが人間らしくあるためにどうすべきかを真剣に考えること――企業にはそうしたソーシャルバリュー(社会から必要とされる起業の価値)がますます求められるようになるでしょう。そのために社会課題などの問題を議論する場は必要ですし、私たちの活動や作品を通じて、企業とともに未来の社会や人間性(Humanity)を考える機会を創出しています。

これは楽器か、それとも「演奏家」か
ヤマハ『Dear Glenn』が提示するAIと人間による音楽の共創

2019年9月7日、リンツ市にある聖フローリアン修道院で、満員の聴衆を前に1台の「ピアノ」が自動演奏を行なった。曲はJ.S.バッハ『ゴルトベルク変奏曲』(BWV 988)。そのピアノが奏でたのは、夭逝したカナダの天才ピアニスト、グレン・グールドの演奏だった。

これは昨年のアルス エレクトロニカ・フェスティバルの「AI x Music Festival」においてヤマハが公開したAIシステムのプロジェクト「Dear Glenn」の一幕だ。グレン・グールド財団、ブルックナー・オーケストラ・リンツ、フランチェスコ・トリスターノを始めとするグレン・グールドを敬愛するピアニストなどの協力の下、グレン・グールドのタッチやテンポでピアノを演奏できるAIシステムを開発し、そのAIシステムを搭載したピアノで、グールドの未演奏曲の披露、現代の名演奏家やオーケストラとの共演にも挑戦して、音楽を通じAIと人間の共創の可能性を提示した。

小川絵美子氏は「『AI x Music Festival』は、AIの音楽だけにフォーカスしたプログラムではありません。テクノロジーを使わないサウンドアートや、AIがつくった曲を鐘で演奏する作品、ピアニストの演奏をAIがビジュアライズした作品など、AIの可能性や音楽との関わり方、人との共創について問いています。その1つのコアとして『Dear Glenn』に入っていただきました」と説明する。小川秀明氏も、「ピアノや楽器などという単なる『モノ』を展示したのではなく、音楽というフィールドを通じて『楽器を超える新しいメディアは何か』という問いかけをパフォーマンスとして実施したものだと思います」と語った。

小川(秀) アルス エレクトロニカとコラボレーションするビジネスリーダーの方に話を伺うと、「全方位の未来、つまり“360度の未来”について多様性をもって準備し、そのビジョンを哲学として持たないといけない」という意識を持っています。そして、そのインスピレーションのパートナーとして、アルス エレクトロニカを選んだ、と。

企業の創業期であれば、社会に対する哲学や創業者の熱量が組織内に浸透していることが多いですが、事業が大きくなるにつれて、効率性を求めたり、固定された方向性から出られなくなったり。さまざまな“箱(Box)”のなかから逃れられなくなってしまうんですね。その箱のなかから出る時に、アートの役割が発揮されると思います。私たちのアートは、鑑賞するだけの芸術ではなく、新しい社会を生み出す「未来の触媒」として文化をつくっていくという役割を担っています。

——2019年のフェスティバルのテーマは、まさに箱から出る、「Out of the Box – デジタル革命の中年の危機」でしたね。2018年は「エラー – 不完全の手法」、2017年は「人工知能 – もう一人の私」と、かなり踏み込んだ問いを社会に投げかけている気がします。

小川(絵) 毎年、「いま社会に問いかけたいテーマは何か」を探求しています。2020年のテーマは「In Kepler’s Gardens(ケプラーの庭たち)」というもので、16世紀末〜17世紀にかけて活躍した天文物理学者ヨハネス・ケプラーにちなんだものになります。

近年は不確実性(Uncertainty)の時代といわれますが、2020年は新型コロナウイルス感染症の影響もあり、不確実性はますます深まっていますよね。これからの新しい時代に、私たちは人として何を考え、どのような新しい地図をマッピングしていけばいいのか。そのような思いを込めながら、以下のようなキーワードを掲げ、それぞれの間にあるものを考察します。

・Autonomy(自律性)– Democracy(民主主義)
・Ecology(生態系)– Technology(テクノロジー)
・Humanity(人間らしさ)
・Uncertainty(不確実性)

このベースには、私たちが大切にしている人間性というサブテーマがあり、ちょうどケプラーが生きた16〜17世紀と同じような不確実性の時代のなか、どんなことを試すべきなのか、「私はこう思う」「僕はこう思う」と、自由にいろいろ試せる場を創り出したいと考えています。

Withコロナの時代にアートが果たす役割とは

2020年のアルス エレクトロニカ・フェスティバル

2020年のアルス エレクトロニカ・フェスティバルのテーマは「In Kepler’s Gardens」(アルス エレクトニカの公式Flickrより)
Credit:Ars Electronica – Robert Bauernhansl

——新型コロナウイルス感染症の脅威が残るなか、今年のフェスティバルはどのような形で開催されるのでしょうか。

小川(絵) リンツ市で開催されるフェスティバルに加え、各国のグローバルパートナーとオンラインでつなぎ、各国で表現される「庭」をバーチャルに体験できる新しい形のフェスティバルを企画しています。だからGardensと複数形になっています。今回のオンラインとリアルを融合した開催を通じて、良かった点は来年以降も踏襲していきたい。今年は新しい方法を模索する第一歩となりますね。

——まさにそのような新しい生活様式とともに進む「ニューノーマル」と言われる社会が形成されるなか、アートやテクノロジーはどのように貢献していくとお考えでしょうか。

小川(秀) これからどんな社会になるのか、生活がどう変わるのか、正確なところは誰にもわかりません。ゆえに、「これが役立つ」と断言できるソリューションや方向性が確立しているわけでもない。だから私たちは、未来に向けて自分たちの“コンパス”をつくることが必要なんだと思います。

未来はわからないから、「こうなるんじゃないか?」「上を見ると答えがあるんじゃないか?」「上じゃなくて右にあるんじゃないか?」と議論する。この議論の土壌をつくること、それが「アート」の役割ではないでしょうか。つまり、アートには、未来を考える時にベースとなる哲学やビジョンを醸成する力があり、それによって、自分たちのコンパスをみんなで議論することができるようになると思います。

——ニューノーマルの社会に向け、そのコンパスの重要性が増してきているということですね。

小川(秀) そうですね。たとえば、アートと同義で語られることもある「デザイン」ですが、デザインには、特定の方向にシェイプして、1つの方向性をつくっていく力がある。ソリューションをクリエイティブで形づくっていくのがデザインだと考えています。

アートとデザインはセットで考えるべきですが、これまでの社会では、どちらかというとデザインの方ばかりに意識が向いていたように思います。なぜなら、特定の課題があった上で、一定の方向に向かって社会を展開していくには、デザインは有効だったからです。

しかし現在、未知のウイルスで不確実性が高まったニューノーマルの社会において、そもそもの方向性が不確実になった。すると、ベースとなるコンパスを常にアップデートするような力が必要になるのではないでしょうか。そのような観点から、アートは有効ですし、そもそもの議論を耕して対話を育てていくこともアートの効能だと考えています。

アート思考で未来を考え、“コンパス”を持つということ

アルス エレクトニカ

アルス エレクトニカの公式Flickrより
Credit:tom mesic

——対話や議論をつくりだす土壌をつくる、そこがアートの力なんですね。先に、アルス エレクトロニカはリンツ市の公社というお話がありましたが、アルス エレクトロニカが提案するアートの力は社会にどのように還元されているのでしょうか。

小川(秀) 具体的な成果を、数値やモノで表現できないので難しいのですが、文化インフラとはすなわち「未来の苗どころをつくる」ことだと考えています。その観点でいえば、リンツ市には日本の学校などで実施されている社会科見学のようなプログラムがあり、いろんな世代の子どもたちがアルス エレクトロニカを訪れて未来の考え方を体験しています。

また、2010年のフェスティバルでは、リンツ市内にあるタバコ工場跡地の再利用プランを提案したことがあります。そこは現在に至るまでに、オーストリアで最も有名なスタートアップの拠点となり、さまざまなイノベーションが立ち上がっているんです。こういうカルチャーが育っていること、それがわれわれの社会還元ですね。余談ですが、その運営組織も「タバコパブリック社」ということで、アルス エレクトロニカと同じ公社となっています。

小川(絵) アルス エレクトロニカ・センターには「インフォトレーナー」という、展示物を説明するだけでなく、いま子どもたちに知ってほしいことや、考えてほしいことを問いかける専任の社員がいるんです。こういう取り組みも、苗どころが育つ土壌になっているのかもしれません。

これまで私たちが提供していた「未来をつくっていくマインドセット」ですが、今後はこれを、「Future Thinking School」もしくは「Art Thinking School」という新しい部門として立ち上げ、より社会に還元していく方向を目指しています。

——ニューノーマルな社会が到来するなか、子どもだけではなく、大人もアート思考で未来を考えていくことが必要ですね。

小川(絵) そうですね。テクノロジーや環境や社会が変化するなかで、試し・議論して「自分で未来を創ることができる」ということ、そして、それを実践できる可能性があるということを知ることはとても大切です。私自身、アルス エレクトロニカを通じて、人がアートやテクノロジーと交わっていく場をつくりたいと思っています。そこで得られる経験や課題を共有しながら一緒に考えていくことを続けたいと思っています。

小川(秀) 僕もこのリンツで暮らし始め、「文化はつくれる」ということを実践のなかで学びました。かつては「文化」というと、伝統文化のように「誰かがつくったもの」と思っていたのですが、いまの仕事は、未来の文化を創るために“初めの点”を打つことなんですよね。

また、これからの時代は、1人ひとりが責任ある人として、世の中をより良い方向にするために自分自身のコンパスを持つ必要があります。たとえばいま、テクノロジーを活用してウイルス感染状況を監視しようという動きがありますが、それは一歩間違えたら監視社会につながりかねない。そういう技術の人間性をどのように高めていくのか、ニューノーマルな社会に向け、より良い未来を創るために何が必要なのか、「社会のためのアート(Art for Society)」という精神のもと、議論できる場をつくっていきたいと考えています。

(左)小川絵美子氏、(右)小川秀明氏

<注釈>
ヤマハのプロジェクト「Dear Glenn」は、IBM Digital Makers Labの嶋田敬一郎氏とIBM iXの瀧澤直也氏が、ヤマハの持つ世界初(2019年8月現在)となる「深層学習技術※」を採用したAIシステムを、より新しい形で表現するために、オーガナイズとコンサルティングの面から支援した。世界三大広告賞であるThe One Show 2020において、Shortlist入選を果たした。

※コンピューターに物事を理解させるための機械学習方法の一つ

TEXT:岩崎史絵
メインビジュアル:アルス エレクトニカの公式Flickrより/Credit:vog.photo

 

小川秀明(おがわ・ひであき)

アルス エレクトロニカ・フューチャーラボ 共同代表
2007年にアルス エレクトロニカ に参画。現在はアルス エレクトロニカ・フューチャーラボの共同代表として活動。アート・テクノロジー・社会を刺激する「触媒的」アートプロジェクトの制作、研究開発、企業・行政へのコンサルティングを数多く手がける。

小川絵美子(おがわ・えみこ)

プリ・アルス エレクトロニカ 統括
2007年にアルス エレクトロニカに参画。現在はメディアアートのコンペティションであるプリ・アルス エレクトロニカの長を務める。アルス エレクトロニカ・フェスティバルやアルス エレクトロニカ・センターのキュレーション・企画なども手がける。