彼の青年期の想像力を捉えたのが、カトリックの精神性ではなくて、ダブリンにいたヒステリー性の若い従姉(13)が口にした地獄の苦しみと、大叔母のサラ・ブレナンの改宗したカトリックの顕著な特徴であるピューリタン的な宗教観とが交錯した、「薄気味悪さ」であったことは容易に理解できる。大叔母の宗教観とは以下のようなものである。

〔彼女の〕信仰は、聖を俗から切り離す寛容で人間的なカトリック教ではなく、むしろ、ひたむきで清教徒的で、もっぱら罪と死を思って心を悩ませていた(14)。

 サラ・ブレナンのカトリック信仰が、彼女のみの特異な信仰であると考えるのは間違えることになると私は思う。スティーヴンスンのこの描写は、十九世紀キリスト教全体の描写としても通用する。彼女のカトリック信仰はこれに性の排除と性の恐れが混ざっていた。このことは、サラ・ブレナンが雇った家庭教師のとった行動―ラフカディオが自宅の蔵書から取り出す本の検閲をする―によって見事に示されている。エリザベス・ビスランド(15)によってかなり長く引用された自伝的な断片、「偶像崇拝」Idolatryの中で、彼は鬼や悪魔と見做すよう教えられてきた古代の神々を初めて目にした時の衝撃を描いている。

……ついにある日、まだ探索していなかった家の本棚の片隅に、幾冊かの芸術に関する本をみつけた。それは大きな二つ折りの判の本でギリシャ神話の神や半神半人、競技者や英雄たち、ニンフやファウヌスやネーレーイス、そしてありとあらゆる魅力的な怪物たち―半人間、半動物―が描かれていた。…

 あの幸運の日に、どんなにか私の胸は弾み、躍っただろう!息をのんで私は見詰めたのだった。そして見詰めれば見詰めるほど、より一層、言い表わせないほどその顔や形が素晴らしく見えた。絵は次から次に私を眩惑し、驚嘆させ、うっとりさせた。……こともあろうに、これらが悪魔と呼ばれていたのである!私はそれらを崇拝した!―熱愛した!―これらを敬うことを拒む人々を皆永久に嫌おうと決意した!…ああ!それらの不滅の素晴らしさと、私の宗教画に見られる聖人やヤコブたちや予言者たちの陳腐なこととの相違といったら!―それはさながら天国と地獄ほどの相違であった… その時、中世的なキリスト教の教義は醜い憎しみの宗教のように思えた。そして、そのことは病気勝ちな子供時代に虚弱な身でもって実感したのだったが間違っていなかった。今日でさえ、昔より知識が増えたにもかかわらず、「異教徒」「偶像崇拝者」という言葉は―どんなに無知に軽蔑の意味に用いられようとも―私の内に昔覚えた光と美、自由と歓喜の感覚をよみがえらせる(16)。

 それから、もちろん、絵画の本は発見され「忘れ去られた歓喜の幻影」(17)は少年が手にすることのできない場所へ移された。

 そしてその本が再び書架に見出された時、それらは「容赦なく修正されていた……

私の検閲者たちは神々の赤裸々な姿に気を悪くし、それらの不品行を修正しようと企てた。たくさんの神々の姿、ハマドリュアス、ナーイアス、カリスやミューズは、魅惑的過ぎると見做されて小刀で削られてしまった。―今でも私はある美しい、腰掛けた女神の両の胸がそういった理由で削り取られていたのを思い起こせる。明らかに「草むらにいるニンフたちの胸」も魅惑的過ぎると見做されたのだ。ハマドリュアス、ナーイアス、カリス、ミューズたちも皆胸が無くなっていた。そして大半の場合、「下着」が神々に―小さなキューピッドたちにさえも―着せられた。美しい曲線―特に長くほっそりとした腿の線―を隠すために、大きなぶかぶかした水浴び用の下着が鵞ペンの一筆一筆で編まれて着せられたのだった(18)。

 必然的な結果であるが、その不体裁な覆いは、それ自体が逆効果をもたらした。ラフカディオ少年は鉛筆でもとの輪郭を再現しようと何時間も試みたのである。これはギリシャ芸術がどのように人間の肉体を理想化しようとしたかを彼に理解させたと彼は時が経って思った。彼の結論は十分に明瞭である。つまり彼から遠ざけられていたのは美の追求であり、このことが彼に自分が育てられた宗教を捨てさせるに至らしめたわけである。

私は古代の神々を知り、愛するようになった。すると、世界はふたたび私の周りで燦然と輝きはじめた。立ち籠める暗雲は、徐々に薄れていった。恐怖がすっかりなくなったわけではなかった。けれども私は、その頃、自分が恐れ憎んでいったいっさいのものを追い払ってくれるような、確かな理由がほしかったのだ。陽の光に、野の緑に、空の青に、かつてない喜びを私は知った。自分の中で新しい思想と新しい想像と漠たる憧れが息づき震えていた。私は美をもとめた。そして、至るところに見つけた。過ぎゆく人の面差やその姿や動きに、草木の均整に、棚引く白い雲や、はるかな丘のかすかに青い稜線に。時には生命の素朴な喜びが心を驚かせ、時には新しい不思議な悲哀がこみあげてきた。それは影のように名状し難い心の痛みであった。

私のルネサンスがはじまった(19)。

 古代の男女の神々の肉体の持つ素晴らしさに対してアショー校のとった態度は、彼の用心深いアイルランド人の家庭教師のそれとは、少なくとも性に関する見方では、あまり異なっていなかった。とはいえ、ジョージ・グールド(20)宛の手紙の中に書かれているレノル氏(21)にした告白の話は、経験から出たものではなくて、むしろ文学上の記憶―フローベールの『聖アントワーヌの誘惑』を読んだ記憶から来たのではあるまいか。彼は、後にこの本を英訳し、バジル・ホール・チェンバレンに推奨したのだった(22)。

少年の頃、私は懺悔に行かなければなりませんでした。そして私の懺悔は正直なものでした。ある日、私は聴罪司祭に、悪魔が砂漠の隠者を誘惑した美しい女性の姿で私の前に現れることを願ったことがあり、そうしたらその誘惑に負けるだろうと思った罪があることを告白しました。司祭は滅多に感情を表に現さない陰気な人でしたが、この時は、怒りのあまり立ち上がったのでした。

「気をつけなさい!」と彼は叫んだ、「気をつけなさい!どんなことを願ってもそれだけは決して望んではなりませんぞ!信じられない程後悔することになりますぞ!」…

彼の語気の真剣さに私はぞくぞくしました。この願いは現実になるかもしれないと思ったからです。彼はそう思わせる位、深刻な様子をしていました… けれども人を魅惑する悪魔どもは全員地獄にとどまったままでした(23)。

 彼が捉えられている超自然的なものへの恐怖に対してもう一方には、お化けがいる闇の中でのロマンチックな妄想があった。彼はこの妄想をアショー校の生徒の一人で、彼同様にアイルランド出身(コーク州のキルカザン・カッスル出身)の、アキリーズ・ドーントと分かち合ったのであった。彼らは互いに話をしあった。

戦での騎士らしい手柄、欝蒼とした森でのはかり知れない敵との戦い、低い赤い月が荒涼とした地面に光を投げ、それが偉大な戦士の鎧の上でぎらぎらと輝く、荒れ地には暴風が吹き狂い、お化けが疾風の中で金切り声を上げている―これらが私たちがよく話しあった題材でした(24)。

 ラフカディオはアショー校時代、友達には事欠かなかった。しかし何かが欠けていた。それは十九世紀の宗教の(プージンのチャペルの凝った飾りつけと、アショーの聖歌隊席の華麗さとは対照的な)徹底した質素さの表れであるアーノルドの雄々しいキリスト教のカトリック版だからというだけでなく、それと性から生じるどのような美に対しても示される敵意とが、女性的な要素を生活と社会の中から断じて排することと重なりあって欠けていた。このことは独身のカトリック僧を養成する機関としては十分に自然なことであった。半世紀以上後に、学校でおよそ四十人位の各種の仕事をするメイド―彼女たちは一律に「ベティ」という名で知られていた―が週四シリング六ペニーの賃金で三食部屋付の条件で雇われた時も、少年たちはまず滅多に彼女らに目をつけることはなかった(25)。

 というわけで、ラフカディオはアショー校で女性との自然な交流のある世界から締め出され、母不在の世界に閉じ込められたのである。学校は全くの男性社会で校風は厳しく権威主義的で、最終的には理想―聖職者の生活―のために捧げられていた。そのためには独身が絶対的な条件なのだが、こうしたことが彼に母のいないことをいままでになく強く切実に感じさせた。

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