このことについては不明瞭な部分がいくらかある。ラフカディオは一八五六年、彼が八歳の時以降、母親に会っていない。彼女は子供たちに対して気紛れで暴虐的たったようにいままで描かれてきた(26)し、またラフカディオも母にたたかれたのを覚えている。が、しかしこのことには納得のいく理由が十分あるように思える。

私は母の顔だけは覚えています。次のような訳で覚えているのです。ある日、その顔は私を撫でようとするように顔を私の上に近づけました。繊細な褐色の顔で、大きな―とても大きな黒い目をしてました。その瞳をたたいてみようという子供らしい衝動にかられて実行したのです。おそらくそれはどんな結果を招くかが見たかっただけのことです。結果は即座の厳しいおしおきでした。私は泣き叫んだこととこのおしおきは当然だと感じたことを両方覚えています。いたずらの張本人は、こういう時に自分の引き起こした結果に対してややもすれば一番憤慨するにもかかわらずなんの恨みも覚えませんでした(27)。

 大人になって、彼が母親を思い出す助けにしようと弟に手紙を書きながら思いを致すのは、褐色の肌の美しさであり、彼の本質は彼女から受け継いだという確信である。

そしてあの褐色の美しい顔を覚えていないのですか。あなたのゆりかごの上を覗き込んだ野鹿のような濃茶の目をした顔を。古くからのギリシャ正教のやり方で人差し指と中指を十字にかけあわせ、「父と、子と、聖霊の御名によって…」と唱えるように毎晩言った声を覚えていないのですか。

 私の内にある良いものは、私たちが極く僅かしか知らない、あの褐色の血に流れている魂から受け継いだのです。私の正義を愛する心、不正を憎む心、美しいものや真実であるものに対する崇敬、そして男であれ、女であれその人を信頼する能力。私が今までに得ているなんらかの小さな成功をもたらしてくれた芸術的なものに対する感受性も、あの語学の能力ですら―その肉体的な印は私たち二人の大きな瞳に現れていますが―あの方から受継いだのです…私たちを形成したのはお母さんなのです…(28)

 彼の母代わりであった大叔母のサラ・ブレナンも、ハーンを愛するのをやめ、自分の財産の管理権を遠い親戚、ヘンリー・ハーン・モリニュークスに渡してしまった。そして、大叔母は彼の家に厄介になった。その家で、ラフカディオは次第次第に歓迎されなくなり、彼はアショー校で学期中のみならず、いくつかの休暇をも、すでにほとんど人が去って荒涼とした寮室と廊下の中で過ごしたのだった。

 母のイメージは力を持ってラフカディオに絶えずつきまとい続けた。それはリップ・ヴァン・ウィンクルと同じといっていい浦島太郎の話にもっとも生き生きと再現されている。浦島太郎は、乙姫さまに龍宮に連れていかれ、世にあらん限りの歓楽を味わうのだが、家で待っている寂しい両親のことを思うと気が滅入るのであった。乙姫さまは、彼に開いてはいけないと教えた箱を与えて、村に帰ることを許す。戻ってみると、同じ村なのだが妙に変わっている。やがて浦島は自分の墓標を村の墓場でみつける。彼が箱を開けると、その中からひんやりとした白い透き通ったけむりが上り、彼は自分の幸福を台無しにしてしまったことを知る。二度と龍宮に戻れないのだ。そして、彼はよぼよぼに老いぼれて死ぬ。

 ハーンはこの話を浦島の海岸沿いを旅行した際に体験したこと、電線の下の透明な日の光の下を全力で走る人力車の人夫や、車輪の音が低く轟く音―それは村で神々に雨乞いするたいこの音なのだ―にかき消されるといった背景に対比させた。やがて彼の浦島太郎に対する同情は自分に、―かつての子供の自分に―向けられる。彼もまた楽園が同じような変化をとげるのを経験したことがあった。それで成人したハーンは、今はもう侮辱と無関心に対して皮が厚くなっているのだが、自分を過去の記憶にすべり戻らせる。日本の海岸線を越え、灼熱のアンティル諸島から辛い空腹のシンシナティの通りを通り過ぎ、アショー校の高い冷え冷えとした部屋に鳴り渡るチャペルの鐘や森をよぎって、彼の母がすべてを取り仕切る子供時代のエデンにまで遡る。

 私には太陽と月が今よりも大きく明るく輝いていた場所で、そこでは魔法のような時が過ぎた記憶がある。それがこの世のことか、それとも前世のいつかのことなのか定かではない… その頃の日々はこのごろの日々より余程長かった… その上毎日新しい驚嘆と歓びがあった。そしてその場所全体と時間の全ては、私を幸せにすることのみを考えるあの方によって穏やかに治められていた。時には、私は幸せにしてもらうことをいやがり、そのことに彼女は神のようであったけれども、傷つけられた、―私は自分が一生懸命に後悔の意を表そうとしたのを覚えている。日が暮れて、月の出る前の深い闇がたちこめる頃になると、彼女は私を爪先から頭のてっぺんまで喜びでしびれさせてしまうお話をしてくれる。これらの話の半分も美しい話を私は聞いたことがない。そして喜びが大きくなりすぎた時には、風変わりな小歌を歌い、それは必ず私を眠りにつかせたのだった。

 とうとうお別れの日がやってきた。彼女は涙した。そして私が決して決して失くしてはいけないお守りをくれた。それは私をいつまでも若いままにし、私に戻ってくる力を与えてくれるのだ、と。けれども私は二度と戻らなかった。長い年月が過ぎたある日、私は自分がそのお守りを失くし、途方もなく年老いたのを知った(29)。

「永遠の女性」をラフカディオほど熱愛した人ならば誰であれ、母の愛情を失ったことはその魂にとって深い傷となったであろう。しかしながらアショーが悪いわけではない、母との強いられた離別もまたアショーの生徒監督によって加えられたむち打ちの罰も、彼と同じ頃に学校にいた人々の話から明らかであるように彼を不幸せな生徒にはしなかったようだ。

 だが、彼が十六歳の時のポーズをとっている写真(エリザベス・ビスランドの『ハーンの日本からの手紙』The Japanese Letters of Lafcadio Hearnの序の二十と二十二ページの間に掲げられている)は、全く異なった印象を与える。ぎこちなく座った姿勢で、腕は心地悪げに横の机の上に置かれ、堅い重苦しげな黒のスーツに、むっつりとして笑みが無く、カメラをまっすぐ見ていない顔は何か都合の悪い事が起きたことを示している。手がかりは、もちろん、カメラに一番近くにある方の眼、彼の右眼にある。左眼はほとんど写っていないが、右眼は、いつになく、球状でほとんど飛び出さんばかりであった。その眼がラフカディオの人生の変様の鍵なのである。学校の遊びにおいては当たり前の事故が、彼の全存在のありかたを変えたのだ。

 ドゥエーを追放された教師たちは、学校の銀食器類、数多くのしきたり、大量の本とともにアショーに彼らの学校に独特ないくつかの伝統的な遊びをも携えて戻ってきた(30)。中心の建物に隣接するグランドに特殊な球技用のコートが作られた。遊びの一つは「巨人の一またぎ」‘Giant Stride’といい、結び目の作られたロープが用いられた。一八六六年にこの「巨人の一またぎ」を遊んでいる際、ラフカディオの眼にこの結び目の作られた長いロープがあたった。眼は炎症を起こし、それを救うための手術にもかかわらず、彼は視力を失った。「瘢痕(はんこん)組織が形成され、角膜が白濁したが、眼球は摘出されなかった」、とエリザベス・スティーヴンスンは書いている(31)。ラフカディオのように近視で悩んでいた者にとって、片目の喪失は様々な意味において危険だった。その喪失を埋め合わせるために、彼は残っている方の眼を酷使し―彼は貪欲な読書家であった―、その結果、眼は少しずつ眼窩からせりだしたのである。

 この喪失とそれに伴って段々に起きた変形が、このような多情多感な持主に与えた影響は癒すことの出来ない衝撃であった。社会的に―そして性的に―受け容れられないという確信は彼を社会から引込ませた。「自分は気に入られないと信じこんでいたから、臆病な蟹のように身を引く(…)のが常であった。自分は女性の意にかなわぬ男であるという思いこみは、文化的人種的にまったく異る女性に対した時だけ忘れることができた。(32)」悪戯な生徒の闘争的な陽気さは、徐々に内気で孤独な青春にとってかわられていく。その変化は、彼の財産のまるでディケンズの話のような変化に追討ちをかけられる。ヘンリー・モリニュークス―彼はラフカディオ少年を相続者の位置から首尾よく押しのけた―による大叔母の財産の破産は彼をアショーに留めておくだけの資金がもはや全く無いことを意味した。一八六七年十月二十八日、十七歳の時に彼は大叔母の以前の召使いと共に住むためにロンドンのイースト・エンドに向けて発った。そして、一八六九年の春にはアメリカの遠い親戚のところに荷物をまとめて発った。そこシンシナティで彼は自分が性的に受け入れられることを、黒人と白人との混血のかわいらしい女性、マティ・フオウリの腕の中で見出だした。彼女は白人の農園経営者と文盲だが才気換発な話し手である奴隷の母との娘であった。一八七四年に彼は彼女と結婚する。もっとも法的な結婚であるかどうかはあやしい。ラフカディオが日本に発つ十年前にマティは再び結婚した。

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