チェンバレンにとっても伊勢は巨大な丸太小屋にすぎませんでした。もう一人のイギリス人神道研究家アストンにとっては、巨大でさえもありませんでした。彼は『神道』の中でこう述べています。

神社はつまり仏教のお寺に相当する建築物だが、寺ほど豪華なものではない。ごく小さな社は祠と呼ばれているが、これなどたいていは荷車で運べるほど小さな建物だ。伊勢の大神宮でさえ、大きくはないし、しかも意識的に質素に装飾を省いて造られている。七七一年には、大きな方の宮でさえ、間口がわずか十八フィートしかなかった。

 神道研究史上、画期的な概説書と呼ばれるこの本で、アストンが伊勢神宮について語り残した言葉は、これだけでした。人の趣味は様々です。神社についても好き嫌いはあるでしょう。しかし明治を代表するイギリス人神道研究家がそろって神社を面白く思っていなかったとなると、これは好き嫌いではすまなくなります。

 ここでハーンの「生き神様」という作品の一節を引かせていただきます。というのは、これが英語で書かれたもっとも素晴らしい神社の描写であるばかりか、この文章を読んでいくと、彼の特異な神道理解の有様がよく分かるからです。

いかなるものであれ、純粋な神道の社は、正しく古式を守って建てられている。典型的な神社は彩色のない白木でできた長方形の建物で、窓がない。その上に大きく張り出した急勾配の屋根がのっている。切妻があるのが正面で、その正面の永遠に閉ざされた扉の上半分は、木製の格子造りになっていて、普通、何本もの角材ががっちりと直角に組み合わされている。……正面から見ると、なんとも妖しく尖った屋根と、まるで西洋の甲胄の兜にある面頬(めんぼお)のような格子の闇と、切妻の先端から高々と突き出た千木(ちぎ)は、ヨーロッパからの旅人になにやらゴシック様式の屋根の出窓を思わせるだろう。

 ここで初めて私たちは、神社がヨーロッパの人々にとって必ずしも単純過ぎるわけではないことを知ります。ここに描かれた神社は、ただ古さを誇るだけの原始的な掘ったて小屋ではありません。なぜなら、その屋根の勾配は異様にきつく、まるで天と結びつこうとするかのように、千木が高々と聳え立っているからです。しかも、その「甲胄の兜の面頬」のような格子扉は、外敵を睨みすえるように、内奥の闇を「永遠に閉ざ」しています。

 「彩色のない」というのが、三人のイギリス人研究者の描写を思わせる唯一の言葉ですが、それさえもハーンはこの後で注意深く言い換えています。

彩色は一切なく、檜の白い木肌は、雨と陽にさらされ、すぐに灰色になる。それは自然界にだけ見られる色合いで光と水の作用によって、樺のような銀灰色から、まるで玄武岩のような薄墨色に至るまで、千変万化の彩りを見せる。

「雨」「陽」「樺」「玄武岩」という言葉にご注意下さい。明らかに彼は自然と神社の親しい関係に気付いています。それでハーンはこんなふうに文章をしめくくります。

そういう色と形だから、人里離れた田舎にぽつりと在る神社など、到底、大工が建てた人工物とは思えず、すっかり風景に融けこんでいるから―岩や樹木と同じ自然の一部のように見えることがある。まるでこの国の古の神である大地神(おおつちのかみ)がそのまま姿を顕したように思える。

 これは単なる田舎の神社の描写ではありません。そうではなくて、ここに描かれているのは一つの神道の理念、神道の大切な要となる考え方なのです。

 神社は大地神の顕れのように見えるとハーンは言います。その神とは大地、つまりは自然の顕現に他なりません。そして彼は、この三者―神と神社と自然の間にきわめて密接な関係を見出しました。実際、あまり似すぎていて、見分けがつかないほどだと言うのです。いや、それどころかこの国の人々にとって、神と神社と自然はもともと一つのものであって、初めから区別するつもりなど毛頭ないのかもしれません。

 それではなぜハーンだけが、この神道における三位一体とも言うべき特別な考え方に気付いたのでしょう。一つの理由として考えられるのは、他の三人の学者とは違って、彼が詩人であり、ことさら感受性に恵まれていたからでしょう。もう一つは―こちらの方がもっと大切だと思いますが―ハーンが宗教的な事柄に対して、柔軟な視野をもっていて、宗教を教理や倫理といったものに抽象化してしまうよりも、広くそれを信仰する人々や社会全体から捉えようとしたからだと思います。彼は同じ作品の中でこう説いています。

幾百万もの人々が幾千年にもわたり、このような社の前で彼らの偉大な神々を拝んできた、そして全国民が、いまなおこうした建物には目に見えぬ意識を持った人格が住み給うと信じている―この事実を思い起こせば、このような信仰を馬鹿げたものと笑うことがいかに難しいか、お分かりいただけると思う。そう、それが西洋人にとっていかに性にあわなくても……その瞬間、あなたはきっとその可能性に対しては敬意を払わねばと思うに違いない。

 ハーンが言っているのは、非常に簡単なことです。宗教を作り上げているのは―宗教であるか、ないかを定めるのは、複雑な教義や権威ある聖書の存在ではなくて、それを信仰する人々の心だ。もし何百万もの人々が何千年にもわたりそれを信仰してきたのなら、それは立派な宗教であり、それを否定しようとするのは、傲慢以外のなにものでもない。いかにそれが西洋の宗教とは異質に見えても、それに西洋の基準をあてはめて馬鹿げたものだと証明しようとしてはならない、と彼は言うのです。

 ハーンはそんな態度を戒めながら、東洋の信仰の違いをそのまま素直に愛し味わおうとしました。その共感の姿勢はひじょうに徹底していたので、彼は「神社」という言葉を安易に英語に移し変えることにさえ、違和感を覚えました。

私たちの英語にはこうした不思議な建物を言い表せる良い言葉が見当たらない。……神社や宮といった言葉を、私たち西洋人はテンプルだとかシュラインだとか適当に訳しているが、こうした言葉に日本人が抱く考えは、実のところ完全には翻訳できない。……「神の社」は、むしろ「憑かれた部屋」(ホーンティッド・ルーム)、「精霊の部屋」(スピリット・チェインバー)、あるいは「御霊屋」(ゴウスト・ハウス)といったほうがいいだろう。……ゴウスト・ハウスならば宮や社がもつ不思議な性格を、おぼろげながらも西洋人の心に伝えることができるかもしれない。

 だいぶ時代が下りますが、あるドイツの建築家がハーンの意見とよく似た感想を書き留めています。それはブルーノ・タウトで、彼は昭和八(一九三三)年五月五日、生まれて初めて目にした神社、京都の松尾神社について、日記(篠田英夫訳『日本 タウトの日記』、岩波書店、昭和五十年)にこう記しました。

朱の鳥居……開豁な本殿……銀鼠色の用材……金色の金具は稀にしか用いていない。丹塗の長廊と森を通した眺め。神社は鬱蒼とした森山への入口のようである。自然哲学―神道。

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